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2010年12月 9日 (木)

マリア・カラスの途中退場

Gc100
ブルーノ・トージが1958年ローマ歌劇場で起こったカラス途中退場の事件について語った(11月28日、 Corriere della Sera).

トージは最初はファンとして、後にはジャーナリストとしてカラスと接し、友となり、彼女の死後は遺品を収集してきた。

この「事件」が起こったのは、1958年1月2日。カラスは、数年ぶりにローマ歌劇場に戻ってきた。その間に彼女はスカラ座の女王になっていた。当時、スカラ座とローマ歌劇場の間にはライバル関係があった。

ノルマの初日は、グロンキ大統領夫妻、映画スターのアンナ・マニャーニ、ジーナ・ロッロブリジダ、シルヴァーナ・パンパニーニ、政治家のアンドレオッティ、画家デ・キリコなど錚々たるメンバーが客席にいた。

が、カラスは、劇場に着くと観客のなかにある冷ややかさを感じた。「カスタ・ディーヴァ」を歌い終わったところで、天井桟敷から野次‘Ci costi un milione' がとんだ。

また、ポッリオーネ役のフランコ・コレッリが入場した時のほうがカラスの時よりも拍手が長かった。

かなり良く歌ったのだが、緊張と体調の悪化から一幕終了後、降板を決めた。その決断をローマ歌劇場は受け容れなかった。カラスの代役は考えられなかった。彼女を説得しようとしたが、カラスはその後に起こる大騒動に思いがいたらず、決めてしまっていた。

40分の中断後、劇場は上演の中断を告げた。観客は最初は抗議し、次には劇場のカラスの出口を取り囲んだので、カラスは目立たぬ出入り口から出て行ったが、彼女の宿泊するホテルの下では一晩中、叫び声が聞こえた。

翌日、新聞も大きくこの事件を取り上げた。朝、カラスは大統領夫人にお詫びの電話をし、了承されたが、それは個人的なエピソードにすぎず、政府から劇場へはカラスとの契約はしないよう通達があった。健康を回復したカラスは、復帰して歌おうとしたが、県からは公安を理由に拒絶され、劇場は、アニタ・チェルクェッティを代役に立てた。数週間、論争が続いた。

このスキャンダルは、カラスを深く傷つけ、カラスは二度とローマで歌おうとしなかった。大指揮者セラフィンの説得すら功を奏さなかった。ライオンの檻に戻る気がしないのです、と言ったのである。

2008年にようやくカラスとローマ歌劇場の和解となる催しがもたれた。

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