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2010年10月18日 (月)

ポッリーニ・リサイタル

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マウリツィオ・ポッリーニのピアノ・リサイタルを聴いた(サントリーホール)。

プログラムは、ショパンの前奏曲(全曲)、ドビュッシーの練習曲集第二集、休憩をはさんでブーレーズのピアノ・ソナタ第2番。

いつものことであるが、ポッリーニのプログラムは考え抜かれたもので、現代音楽の一つの極北であるブーレーズのピアノ・ソナタ第2番というものが、どういう系列から出てきたと考えられるか、一つの可能性を提示しているものと言える。

ショパンの前奏曲は、メロディーがはっきりとあるものと、むしろ調性が曖昧だったり、漂うようで、現代音楽の予兆と感じられるものが交錯している。ドビュッシーの練習曲となると、メロディー的な要素は最小限となりきわめて機能的な美しさに充ちている。ただしショパンの練習曲がそうであるように、ドビュッシーの練習曲も機能美、骨格をくっきり示す音楽であるがゆえに、ポッリーニのピアニズムが際立つのである。

ブーレーズのピアノ・ソナタ第2番は、通常の意味でのメロディーなどなく、リズムも音の組み合わせも無機的なものと考えていたが、今日の演奏では、ポッリーニの演奏の仕方もあって、意外に叙情的な部分があることが判った。ポッリーニはこの曲を1976年に録音しているが、考えてみれば今から30年以上も前であり、正面からバリバリ弾いていた。30年以上にわたって弾きこんだ結果、表情づけが変化したことは当然といえば当然だろう。僕にとっては、親しみやすい表情の部分が特にテンポの遅い部分で増えていた。また、同じ音列が繰り返し出てくるところは、聞き手がそれと気がつくように浮かび上がらせて弾いており、バリバリの現代音楽とはいえ、どこかバッハのフーガを思わせたり、叙情的な部分があることを教えてくれる演奏だった。
 
ポッリーニの奏法は、基本的には卓越した技巧の上に、メロディ部をくっきりと浮かび上がらせる晴朗で輝かしいものだが、かつてと比較すると、テンポが動くようになってきた。テンポが動くといっても、恣意的に動かしているというよりは、音楽の緩急にそって、まるで呼吸をするように、リズムが詰まって盛り上がるところで少し早くなり、その緊張がゆるんだところでテンポが自然にゆったりとするのである。以前は、かなり禁欲的にインテンポで弾いていたところが、ゆったりとした感じになった。

このプログラムではアンコールは無いだろうと勝手に考えていたが、意外なことにドビュッシーの「沈める寺」が弾かれた。さらに「西風の見たもの」が弾かれ、ドビュッシーを中心にして、遡ればロマン派、くだれば現代音楽になることを音の風景で示しているものと思った。

しかし、さらにアンコールは続き、ショパンの「革命」とバラード第一番が弾かれた。

胸像のように、ブーレーズで反射して最初に戻ったわけである。

ポッリーニは身体的には決して大柄ではないが、彼が背負っているものはとてつもなく大きいと感じさせる。言い換えれば、西洋の音楽史をつねに再考させ、新たな視点で見直させてくれる偉大な批評眼を持った演奏家である。

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