ルガーノで日本展
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E-book がクリスマスに向けて発進する(10月16日、Corriere della Sera).
クリスマスには入手可能なE-book のタイトルは7000に達する見込みだ。今年の1月には2500だった。いよいよ大手の出版社も参入してきた。
Feltrinelli, Gems とRcs Libri のグループは今年5月に Edigita というプラットフォームを立ち上げ現在は1500タイトルが入手可能で、年末までにはそれを3500に拡げる予定だ。10月9日には、モンダドーリが1200タイトルを入手可能にしている。
電子書籍を読む機具としては次のようなものがある。
Apple iPad 499-799 ユーロ
イタリア語書籍は少ない
Samsung Galaxy 699ユーロ
Sony Reader 249 ユーロ
Amazon Kindle 270 ユーロ
こうした e-reader やタブレットの販売は、2009年12月は2万台で、2010年6月には19万台(うち12万台が iPad)となっている。
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マウリツィオ・ポッリーニのピアノ・リサイタルを聴いた(サントリーホール)。
プログラムは、ショパンの前奏曲(全曲)、ドビュッシーの練習曲集第二集、休憩をはさんでブーレーズのピアノ・ソナタ第2番。
いつものことであるが、ポッリーニのプログラムは考え抜かれたもので、現代音楽の一つの極北であるブーレーズのピアノ・ソナタ第2番というものが、どういう系列から出てきたと考えられるか、一つの可能性を提示しているものと言える。
ショパンの前奏曲は、メロディーがはっきりとあるものと、むしろ調性が曖昧だったり、漂うようで、現代音楽の予兆と感じられるものが交錯している。ドビュッシーの練習曲となると、メロディー的な要素は最小限となりきわめて機能的な美しさに充ちている。ただしショパンの練習曲がそうであるように、ドビュッシーの練習曲も機能美、骨格をくっきり示す音楽であるがゆえに、ポッリーニのピアニズムが際立つのである。
ブーレーズのピアノ・ソナタ第2番は、通常の意味でのメロディーなどなく、リズムも音の組み合わせも無機的なものと考えていたが、今日の演奏では、ポッリーニの演奏の仕方もあって、意外に叙情的な部分があることが判った。ポッリーニはこの曲を1976年に録音しているが、考えてみれば今から30年以上も前であり、正面からバリバリ弾いていた。30年以上にわたって弾きこんだ結果、表情づけが変化したことは当然といえば当然だろう。僕にとっては、親しみやすい表情の部分が特にテンポの遅い部分で増えていた。また、同じ音列が繰り返し出てくるところは、聞き手がそれと気がつくように浮かび上がらせて弾いており、バリバリの現代音楽とはいえ、どこかバッハのフーガを思わせたり、叙情的な部分があることを教えてくれる演奏だった。
ポッリーニの奏法は、基本的には卓越した技巧の上に、メロディ部をくっきりと浮かび上がらせる晴朗で輝かしいものだが、かつてと比較すると、テンポが動くようになってきた。テンポが動くといっても、恣意的に動かしているというよりは、音楽の緩急にそって、まるで呼吸をするように、リズムが詰まって盛り上がるところで少し早くなり、その緊張がゆるんだところでテンポが自然にゆったりとするのである。以前は、かなり禁欲的にインテンポで弾いていたところが、ゆったりとした感じになった。
このプログラムではアンコールは無いだろうと勝手に考えていたが、意外なことにドビュッシーの「沈める寺」が弾かれた。さらに「西風の見たもの」が弾かれ、ドビュッシーを中心にして、遡ればロマン派、くだれば現代音楽になることを音の風景で示しているものと思った。
しかし、さらにアンコールは続き、ショパンの「革命」とバラード第一番が弾かれた。
胸像のように、ブーレーズで反射して最初に戻ったわけである。
ポッリーニは身体的には決して大柄ではないが、彼が背負っているものはとてつもなく大きいと感じさせる。言い換えれば、西洋の音楽史をつねに再考させ、新たな視点で見直させてくれる偉大な批評眼を持った演奏家である。
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ヴァティカンはノーベル医学賞がイギリスの試験官ベービーの父に与えられたことを受け入れがたいとしている(10月5日、Corriere della Sera).
今年のノーベル医学賞は、試験官ベービーの生みの親、イギリス人のロバート・エドワーズに与えられた。
ヴァティカンは、倫理的に重大な疑義があるとしている。
人工授精によって最初に赤ちゃんが生まれたのは、1978年だが、1989年には3万人、2004年には20万人、2006年には30万人で、1978年から今日まで430万人が人口授精により生まれた。
イタリアでの人工授精によって生まれた赤ん坊は、2005年には4940人、2006年には7507人、2007年には9137人、2008年には10212人と増加してきている。
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フィレンツェの国立中央図書館が危機に瀕している(9月27日、Corrriere della Sera).
中央図書館の文化省からの予算は、職員の給与を除き71万6000ユーロにすぎないが、それが来年度には、さらに35万ユーロに削減されようとしている。
フィレンツェの国立中央図書館の起源は、1714年に遡る。アントニオ・マリアベーキがフィレンツェに3万冊の蔵書を寄贈したのである。
1771年には、ピエトロ・レオポルド大公が自らの蔵書とあわせた。1861年には、当時の教育相だったフランチェスコ・デ・サンクティスにより、パラティーナ図書館と合併された。
1869年からは、イタリアで発行される本が一部ずつこの図書館に納入されることとなった。
もともとはウフィツィにあったが、1935年に現在の場所に移った。1966年の洪水では大きな損害を被った。
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『イタリアオペラに行こう』(武田好著、NHK出版)を読んだ。
イタリアオペラの著名なアリアを語学的に解説した本である。「あらすじ」、「テーマ」、「オペラの背景」といった辞典的要素もあるが、もっとも重要なのは、アリアの対訳と語注であろう。
この本は、本として通読するというよりは、自分がCDを聴きながら、あるいはDVDを観ながら、アリアの歌詞を確認し、さらには歌詞の細かなニュアンス、その台詞の文体を理解して、オペラをより深く味わうための本ではないかと思う。
こうしたテクストや語注を読むと、たとえば、ヴェルディのオペラの台本の文体と、プッチーニのオペラの台本の違いがはっきり認識できる。プッチーニの文体は、一文が短く、口語的なのである。日本語の字幕は、どうしても意味が判りやすいことを重視するので、文体の差までは出にくいが、こうした本で文体の特徴、レトリックを理解すれば、より一層、オペラの味わいが深くなるだろう。
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ヴァティカンの銀行IORに捜査の手が入った(9月22日、Corriere della Sera).
頭取のエットレ・ゴッティ・テデスキと総局長のパオロ・シプリアーニが取り調べ対象となっている。容疑は、2300万ユーロの扱いが反ロンダリングの基準に違反しているのではないかというもの。
2003年に教皇庁の銀行に対する捜査権がイタリアに付されてから初めての捜査となる。
IOR(Istituto per le Opere di Religione)は1942年にピオ12世によって設立された。さらに遡ると、1887年にレオーネ12世によってその前身 Ad Pias Causas が設立されていたものを全面的に改組したものである。
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