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2010年7月21日 (水)

埋葬をめぐる長い闘い

Aracrematoria 18,19世紀の埋葬の仕方に関する本が出版された(7月13日、Corriere della Sera).

著者はマリア・カネッラ。タイトルは Paesaggi della morte. Riti, sepolture e luoghi funerari tra Settecento e Novecento (死の風景ーー19,20世紀における、儀式、埋葬、葬儀の場所)で、出版社は Carocci editore, 240ページ、23ユーロである。

このテーマに関してはすでに、La morte laica. Storia della cremazione in Italia (1880-1920) (世俗的死ーイタリアにおける火葬の歴史)という本と La morte laica. Storia della cremazione a Torino (1880-1920) という本がどちらも Paravia からそれぞれ、フルヴィオ・コンティ、アンナ・マリア・イザスティア、フィオレンツァ・タロッツィおよびアウグスト・コンバ、セレネッラ・ノンニス・ヴィジランテ、エンマ・マナの編纂で出版されている。

1822年、イギリスの詩人P.B.シェリーにある事件が起こった。1818年からシェリーは2人目の妻メアリーを伴ってイタリアに移住していた。シェリーはトスカナの海をアリエル(エアリエル)号という船で航海中嵐にあって難破し、10数日後、ヴィアレッジョの浜辺に遺体が打ち上げられた。

彼の親友で詩人のジョージ・バイロンの決断により、遺骸は焼かれた。この時、火葬は世俗的な(つまり、宗教的でない)儀式と考えられていた。その後、遺灰がローマのイギリス人墓地に運ばれたのである。

町の居住区外に埋葬地を作る法令を発したのはナポレオンで、フランスでは1804年、イタリアでは1806年に発令された。しかしそれが実際に効力を発したのは、1865年イタリア統一後に発せられた法令によるものだった。コムーネが公営墓地を建設することが義務づけられたのである。

こういうコンテクストにおいて、火葬派と土葬派の闘いがあった。そこで火葬派にはフリーメーソン(massoneria)の役割の大きかったことが、これまでの著作でも、カネッラの新著でも指摘されている。

火葬派と土葬派の論争は、公営墓地が19世紀初頭から出現するのと並行して生じたのだが、公営墓地が居住区外に出来ることによって火葬派が土葬の問題点として指摘していた衛生問題が解決されてしまうことによって、論争が下火になってしまった。

イタリアでは、フランスと異なり、火葬の世俗的儀式としての性格が問題となった。火葬の擁護者は、カルロ・マッジョラーニ、アゴスティーノ・ベルターニとルイジ・パリアーニであった。彼らは、1873年と1877年に火葬に関する法律を制定させることに成功した。しかしその時点では、まだ、県知事や県議会の許可がいるものであった。

コムーネ(市町村)は、火葬場の建設に必要な土地を無償で供与するよう求められた。ミラノ(1876年)、ローディ(1877年)、クレモナ、ローマ、ヴァレーゼとブレーシャ(1883年)、ウーディネとパドヴァ(1884年)、トリノ(1888年)。しかし、フランチェスコ・クリスピの主導により1888年12月22日に国会で火葬が承認されたことにより、火葬が公衆衛生という枠組みの中に位置づけられることになった。

こうした進展にカトリック教会は反対した。最後の審判の後に魂と身体がよみがえるはずなのにそれに対する不信心な行為だというのが反対の理由である。カネッラによれば、教会は、火葬が葬式の世俗化になることを意識していたのだという。しかし一方で、聖典には、火葬に対する明解な非難はないのであった。

イタリア近代の最初の火葬は、1876年ミラノで、アルベルト・ケラーの遺体に対するものだった。彼はドイツ出身の企業家であった。

そのため1886年5月12日に教理聖庁(Congregazione del Sant Uffizio)が火葬を禁じる命令を発し、その後それを教皇レオ13世が追認した。

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