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2010年7月12日 (月)

音楽会《バッハを賛美する》

0708bach

《バッハを賛美する》という音楽会を聴いた(7月8日、第一生命ホール)。

第一生命ホールは、晴海トリトンスクェアの中にある。勝ちどき橋を渡っていくというかすかに潮風の感じられるエリアである。

プログラムは、前半が大木和音のチェンバロでバッハのパルティータ第1番と第6番。後半は、アンドレア・パドヴァのピアノによるゴールドベルク変奏曲。

バッハの音楽をチェンバロとピアノで聴き較べようという贅沢な企画である。このチェンバロは18世紀のものをオリヴィエ・ファディーニがコピーを製作したもので、見た目を大変美しいし、繊細かつ華やかな音がする。

第一生命ホールは、反射板が複雑な形をしており、残響時間などを十分考えたホールのようだった。チェンバロであるから、本来なら、大理石の床の宮殿あるいは教会のような所で響かせたいところである。幸い第一生命ホールは巨大ではないので、音量に不満はない。

チェンバロはピアノとは異なり弦をはじく楽器であるから、タッチによる音のニュアンスが細かく出る。

大木和音の演奏は、丁寧かつ叙情的なもので、特にパルティータ第6番が良かった。この短調の曲の叙情性を聴かせつつ、感情表現に溺れることなく、バッハの楽曲の構造がしっかりと理解できる演奏であったのだ。つまり、感情表現をともないつつも、同時に対位法がこの上なく巧みに駆使されているのがバッハの特徴であり、その右手と左手の弾き分けは、チェンバロの方がピアノよりもずっと向いていることが確認できた。

第1番の演奏では、早いテンポの曲のリズムがもう一歩弾んでいてもよかったのではないかと感じた。

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休憩をはさんで後半は、ピアノによるゴールドベルク変奏曲。こちらは、ホールに備えつけのスタインウェイである。鳴り出した途端に、音の大きさにあらためて驚くと同時に、ピアノという楽器は高音部がとりわけ輝かしい音であり、ピアノの全盛期の楽曲は、基本的に右手高音部が旋律で、左手が伴奏だからこういう音量、こういう聞こえ方をするのだと思った。

つまり、右手と左手を対位法的に弾き分ける時には、左手の旋律をどう響かせるか、聴かせるかが容易でないことがわかった。

アンドレア・パドヴァは、一つ一つの変奏曲に間をおかず、切れ目なく演奏して、曲の統一感を出していた。

個人的には、パルティータ第1番は、はじめて聴いたバッハのピアノ鍵盤楽曲であった。ディヌ・リパッティの演奏でそのピアノのタッチに衝撃を覚えたのを今も記憶している。そのレコードには、モーツァルトのピアノ・ソナタ第8番イ短調がカップリングされていた。このモーツァルトも、はじめて短調のモーツァルトの短調のソナタを聴いてその激しい情熱、冒頭の連続打音に圧倒された。リパッティの演奏は、高貴さ薫る格調の高いもので、その後何年か、リパッティの演奏を一枚一枚聴いていった。

ゴールドベルク変奏曲をはじめて聴いたのは、グレン・グールドの若い時の録音で、これはバッハに対する考えを大きく変えさせられた。何かトリックがあるのではないかと思うような凄まじいスピードの演奏だった。

CDはもうこの世にいない人の演奏、グールドのように生きているうちに若いときからコンサートをやめてしまった人の演奏を聴くには理想的な手段である。

しかし生演奏は、そこに音楽が立ち上がる。その瞬間にたちあえる幸せは他に代えがたい大きな喜びを与えてくれる。


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