離婚、1995年から倍増
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アルド・モーロの未亡人が亡くなった(7月19日、Corriere della Sera).
エレオノーラ・キアヴァレッリ(キリスト教民主党の政治家アルド・モーロの未亡人)がローマで亡くなった。94歳だった。夫妻は、1945年に結婚し、四人の子供をさずかった。
アルド・モーロは、1978年に赤い旅団に誘拐され、殺された。幽閉されていた55日間にモーロは86通の手紙を書いたが、そのうち何通かは妻にあてたものだった。夫人は、それまで大変控えめな人であったが、夫が誘拐されると決然と、あらゆる人の門をたたき、ついには、教皇パオロ6世に、赤い旅団あての手紙を書かしめるにいたったのである。
夫人の証言によると、モーロはヘンリー・キッシンジャー国務長官(当時)との会見後、具合が悪くなった。夫人はその時の夫の言葉を憶えていた。キッシンジャーは重大な警告を発した。「共産主義者に言い寄るのをやめるか、さもなくば、高く付くぞ」と。
こうした話は、つねにコッシーガ大統領(当時)やジュリオ・アンドレオッティによって否定されてきた。
夫人は、キリスト教民主党が赤い旅団との取引に応じなかったことを許さず、モーロの国葬に出席しなかった。赤い旅団によって殺されたモーロのボディーガードの葬儀には出席したのだが。
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スコラ枢機卿は、カトリック教会は愛に関して改革が必要との考えを明らかにした(7月18日、Corriere della Sera).
ヴェネツィアの総大司教(patriarca)であるアンジェラ・スコラは、"bell'amore"の重要生を説き、これが愛と美を結びつけるものだとしている。教父も‘bell'amore' を聖母マリアに対するものとしてのみでなくイエスに対するものとしても説いている。
トマス・アキナスは美を「真実の輝き」とし、ボナヴェントゥーラは、神は彼を愛し、すべてを美しくするものだとしている。しかしこうした力が、今日の男女の性的経験には欠けているとスコラ枢機卿はしている。人は不可分な形で、魂と肉体からなるが、自己の性的次元について一生をかけて、生まれてから死ぬまで、決着をつけていかねばならない、と語った。
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RAIがオペラ《リゴレット》の舞台となった所で、オペラ映画を制作する(7月17日、Corriere della Sera).
1901年、ジュゼッペ・ヴェルディは、ミラノのホテル、Grand Hotel et De Milan で亡くなった。109年後、ヴェルディに愛されたこの建物で、制作発表があった。《Rigoletto a Mantova》という。これは、1992年の《Tosca nei luoghi e nelle ore di Tosca》や2000年の《La Traviata a Paris》に続き、オペラをその台本にある場所と時間にあわせて撮影するものである。
しかもすべてがテレビで中継される。前2作と同様に、アンドレア・アンデルマンにより構想された。中継は、9月4日が20:30から、9月5日が14時と23:15からである。
リゴレットは、70歳のデビューとアンデルマンが呼ぶプラシド・ドミンゴである。ドミンゴにとって《リゴレット》は初めて聞いたオペラであったという。最初の役柄は、宮廷人のボルサだった。やがてテノールとしてマントヴァ公を歌うようになったわけだが、今回はバリトンのリゴレットに挑戦する。
監督は、マルコ・ベッロッキオ。使用するケーブルは7kmにも及ぶ。マントヴァの町が大きなセットと化すのである。138カ国で放映される予定である。トスカは107カ国、トラヴィアータは、125カ国で放映された。
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アリタリア航空は、ビジネスクラスとエコノミークラスの間に第三の座席を設定する(7月16日、Corriere della Sera).
アリタリアでは、ビジネスクラスを Magnifica 、エコノミーを Classica と呼んでいるが、今回導入するのは、Classica Plus という。
Magnifica では足を185cm のばせるのに対し、Classica は座席の間が76,2cmである。Classica Plus は96,5cmとなっている。
座席の前についている液晶画面が Magnifica は15,4インチ、Classica Plus は10,6インチ、Classica は9インチ。
値段は、ミラノ・マルペンサとニューヨーク間で、Magnifica は2100ユーロ、Classica Plus は1000ユーロ、Classica が700ユーロとなっている。
新しい座席は、ミラノ-東京間でデビューした。
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プッチーニのオペラ《西部の娘》が初演から100年を記念して、トッレ・デル・ラーゴのプッチーニ音楽祭で上演される(7月15日、Corriere della Sera).
プッチーニは、1906年9月にジュゼッペ・ジャコーザというかけがえのない脚本家に死なれて、苦しんだ。ジャコーザは、《ボエーム》、《トスカ》、《バタフライ》などの脚本を彼に提供したのである。
プッチーニは一時期、台本提供者としてガブリエーレ・ダンヌンツィオとも接触を持ち、一時はダンヌンツィオも積極的だったが、結局、二人の関係は実を結ばなかった。
1910年12月10日、《西部の娘》は、指揮者トスカニーニとテノール歌手カルーソを得て初演された。
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18,19世紀の埋葬の仕方に関する本が出版された(7月13日、Corriere della Sera).
著者はマリア・カネッラ。タイトルは Paesaggi della morte. Riti, sepolture e luoghi funerari tra Settecento e Novecento (死の風景ーー19,20世紀における、儀式、埋葬、葬儀の場所)で、出版社は Carocci editore, 240ページ、23ユーロである。
このテーマに関してはすでに、La morte laica. Storia della cremazione in Italia (1880-1920) (世俗的死ーイタリアにおける火葬の歴史)という本と La morte laica. Storia della cremazione a Torino (1880-1920) という本がどちらも Paravia からそれぞれ、フルヴィオ・コンティ、アンナ・マリア・イザスティア、フィオレンツァ・タロッツィおよびアウグスト・コンバ、セレネッラ・ノンニス・ヴィジランテ、エンマ・マナの編纂で出版されている。
1822年、イギリスの詩人P.B.シェリーにある事件が起こった。1818年からシェリーは2人目の妻メアリーを伴ってイタリアに移住していた。シェリーはトスカナの海をアリエル(エアリエル)号という船で航海中嵐にあって難破し、10数日後、ヴィアレッジョの浜辺に遺体が打ち上げられた。
彼の親友で詩人のジョージ・バイロンの決断により、遺骸は焼かれた。この時、火葬は世俗的な(つまり、宗教的でない)儀式と考えられていた。その後、遺灰がローマのイギリス人墓地に運ばれたのである。
町の居住区外に埋葬地を作る法令を発したのはナポレオンで、フランスでは1804年、イタリアでは1806年に発令された。しかしそれが実際に効力を発したのは、1865年イタリア統一後に発せられた法令によるものだった。コムーネが公営墓地を建設することが義務づけられたのである。
こういうコンテクストにおいて、火葬派と土葬派の闘いがあった。そこで火葬派にはフリーメーソン(massoneria)の役割の大きかったことが、これまでの著作でも、カネッラの新著でも指摘されている。
火葬派と土葬派の論争は、公営墓地が19世紀初頭から出現するのと並行して生じたのだが、公営墓地が居住区外に出来ることによって火葬派が土葬の問題点として指摘していた衛生問題が解決されてしまうことによって、論争が下火になってしまった。
イタリアでは、フランスと異なり、火葬の世俗的儀式としての性格が問題となった。火葬の擁護者は、カルロ・マッジョラーニ、アゴスティーノ・ベルターニとルイジ・パリアーニであった。彼らは、1873年と1877年に火葬に関する法律を制定させることに成功した。しかしその時点では、まだ、県知事や県議会の許可がいるものであった。
コムーネ(市町村)は、火葬場の建設に必要な土地を無償で供与するよう求められた。ミラノ(1876年)、ローディ(1877年)、クレモナ、ローマ、ヴァレーゼとブレーシャ(1883年)、ウーディネとパドヴァ(1884年)、トリノ(1888年)。しかし、フランチェスコ・クリスピの主導により1888年12月22日に国会で火葬が承認されたことにより、火葬が公衆衛生という枠組みの中に位置づけられることになった。
こうした進展にカトリック教会は反対した。最後の審判の後に魂と身体がよみがえるはずなのにそれに対する不信心な行為だというのが反対の理由である。カネッラによれば、教会は、火葬が葬式の世俗化になることを意識していたのだという。しかし一方で、聖典には、火葬に対する明解な非難はないのであった。
イタリア近代の最初の火葬は、1876年ミラノで、アルベルト・ケラーの遺体に対するものだった。彼はドイツ出身の企業家であった。
そのため1886年5月12日に教理聖庁(Congregazione del Sant Uffizio)が火葬を禁じる命令を発し、その後それを教皇レオ13世が追認した。
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フィアットはポミリアーノ工場でパンダを生産することを決定した(7月10日、Corriere della Sera).
工場労働者の投票では62%がフィアット側の提案に賛成した。この結果をフィアット会長のジョン・エルカンは「重要な信頼のしるし」と受けとめている。
フィアットの代表取締役(l'amministratore delegato)のセルジョ・マルキオンネは工場の労働者あての公開書簡を出した。
フィアットの計画では、工場は一週間7日のうち6日は24日操業で、18シフトとする。
休み時間はこれまで20分が2回だったのを、10分を3回にする。
また「正常でない」休暇の取り方への対処法が変わる予定である。
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大学に対しても、公務員改革の波が押し寄せようとしている(7月7日、Corriere della Sera)
過去5年間にまったく論文を書いていない教員がローマ・サピエンツァ大学には350-400人いると考えられている。
ローマ・サピエンツァ大学の学生数14万5000人。教員は4700人。職員は5000人。学部数は23.学科数は327。
過去に教員だった人にはコペルニクス(1473-1543)、文学者ダンヌンツィオ(1863-1938)、ジュゼッペ・ウンガレッティ(1888-1970)がおり、ここで学んだ人には、イタリア銀行総裁マリオ・ドラーギ(1970年卒業)、ジュリオ・アンドレオッティ(1941年卒業)、ルーカ・ディ・モンテツェーモロ(1971年卒業)がいる。
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イタリア人の主要機関への信頼度の調査が発表された(7月6日、Corriere della Sera).
調査は、803人が対象。誤差幅3、5%である。
それによると主要機関への信頼度は近年安定している。
警察、カラビニエーリ 83%
軍隊 81%
共和国大統領 78%
司法 60%
学校・大学 60%
カトリック教会 57%
数十年前は、この信頼度のトップは、司法、カトリック教会、EU であったが、それらはそれぞれ今日、4位、6位、7位になっている。
ここ数ヶ月は、カトリック教会に逆風が吹いている。
ここ1年で見ると
2009年7月 69、8%
2009年12月 64、8%
今日 56、9%
と教会への信頼度が下降してきている。1年で10ポイント以上減少しているのである。
減少度が大きいのは、65歳以上の人(20ポイント以上下がっている)。学歴が高くない人、南部や島嶼部に住む人(−15%)、小さな市町村に住む人、年金生活者、政治的態度を明らかにしていない人たちのグループである。
教会へ行く頻度別に、教会への信頼度をみると
行かない 28、0%
時々行く 50、9%
毎週かそれ以上 80、5%
教会へ行かない人の教会への信頼度は、一年前は46%であったのが、28%に下落してしまったのである。最も信心深い人、毎週かそれ以上に教会行く人のグループでも、1年前の87%から81%へと下落は見られる。
この下落の原因の主要なものは、小児性愛に関する問題であった。この問題に関し教会の幹部は、イタリア人の信頼をさらに失わないためには、実効性のある適切な対応を取る必要がある。
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ヤマザキマリ著『イタリア家族 風林火山』(ぶんか社、781円)を読んだ。
イタリアの家族を描いた漫画である。著者が嫁いだ家族が今時珍しい大家族で、夫の妹、舅、姑、それに夫の祖母二人(父方、母方双方)が暮らしている(いた)。
夫ベッピーノは学者だが、その母マルゲリータはまったく庶民的なマンマ・イタリアーナで息子を溺愛している。
今回は、著者と夫ベッピーノの馴れ初めが紹介されているが、笑いと驚きと感動を禁じ得なかった。イタリア人が血液型をまったく信じないこと、お化けの話に笑いでしか反応がかえってこないことなど、興味深いエピソードにあふれている。
イタリア人あるいはイタリア人家族に興味のある人におすすめですが、家族や人間関係で悩む人にもおすすめです。自分の悩みが小さく見えるかもしれません。
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《バッハを賛美する》という音楽会を聴いた(7月8日、第一生命ホール)。
第一生命ホールは、晴海トリトンスクェアの中にある。勝ちどき橋を渡っていくというかすかに潮風の感じられるエリアである。
プログラムは、前半が大木和音のチェンバロでバッハのパルティータ第1番と第6番。後半は、アンドレア・パドヴァのピアノによるゴールドベルク変奏曲。
バッハの音楽をチェンバロとピアノで聴き較べようという贅沢な企画である。このチェンバロは18世紀のものをオリヴィエ・ファディーニがコピーを製作したもので、見た目を大変美しいし、繊細かつ華やかな音がする。
第一生命ホールは、反射板が複雑な形をしており、残響時間などを十分考えたホールのようだった。チェンバロであるから、本来なら、大理石の床の宮殿あるいは教会のような所で響かせたいところである。幸い第一生命ホールは巨大ではないので、音量に不満はない。
チェンバロはピアノとは異なり弦をはじく楽器であるから、タッチによる音のニュアンスが細かく出る。
大木和音の演奏は、丁寧かつ叙情的なもので、特にパルティータ第6番が良かった。この短調の曲の叙情性を聴かせつつ、感情表現に溺れることなく、バッハの楽曲の構造がしっかりと理解できる演奏であったのだ。つまり、感情表現をともないつつも、同時に対位法がこの上なく巧みに駆使されているのがバッハの特徴であり、その右手と左手の弾き分けは、チェンバロの方がピアノよりもずっと向いていることが確認できた。
第1番の演奏では、早いテンポの曲のリズムがもう一歩弾んでいてもよかったのではないかと感じた。
休憩をはさんで後半は、ピアノによるゴールドベルク変奏曲。こちらは、ホールに備えつけのスタインウェイである。鳴り出した途端に、音の大きさにあらためて驚くと同時に、ピアノという楽器は高音部がとりわけ輝かしい音であり、ピアノの全盛期の楽曲は、基本的に右手高音部が旋律で、左手が伴奏だからこういう音量、こういう聞こえ方をするのだと思った。
つまり、右手と左手を対位法的に弾き分ける時には、左手の旋律をどう響かせるか、聴かせるかが容易でないことがわかった。
アンドレア・パドヴァは、一つ一つの変奏曲に間をおかず、切れ目なく演奏して、曲の統一感を出していた。
個人的には、パルティータ第1番は、はじめて聴いたバッハのピアノ鍵盤楽曲であった。ディヌ・リパッティの演奏でそのピアノのタッチに衝撃を覚えたのを今も記憶している。そのレコードには、モーツァルトのピアノ・ソナタ第8番イ短調がカップリングされていた。このモーツァルトも、はじめて短調のモーツァルトの短調のソナタを聴いてその激しい情熱、冒頭の連続打音に圧倒された。リパッティの演奏は、高貴さ薫る格調の高いもので、その後何年か、リパッティの演奏を一枚一枚聴いていった。
ゴールドベルク変奏曲をはじめて聴いたのは、グレン・グールドの若い時の録音で、これはバッハに対する考えを大きく変えさせられた。何かトリックがあるのではないかと思うような凄まじいスピードの演奏だった。
CDはもうこの世にいない人の演奏、グールドのように生きているうちに若いときからコンサートをやめてしまった人の演奏を聴くには理想的な手段である。
しかし生演奏は、そこに音楽が立ち上がる。その瞬間にたちあえる幸せは他に代えがたい大きな喜びを与えてくれる。
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詩人レオパルディの研究書が出版された(6月29日、Corriere della Sera).
著者は、Mario Andrea Rigoni. 出版社 Aragno, 増補新版で、300ページ、15ユーロ。タイトルは、Il pensiero di Leopardi (レオパルディの思想)。
レオパルディの悲観主義を、単に進歩主義的とする見方をしりぞけ、より根源的な「無の経験、あらゆる経験のなかでもっとも高貴なもの」としている。これはE.M.シオランも書いている通りである。
この経験を詩作品において、さらには、Zibaldone において読み込んでいる。ニーチェのほとんどの考えをレオパルディは先取りしているのである。
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イタリアでの麻薬の消費が落ちた(6月23日、Corriere della Sera).
カルロ・ジョヴァナルディの国会への報告によると、2009年の麻薬の消費は25%減となった。その代わりにアルコールの消費量が増加している。経済的危機によって消費が移行したと考えられている。ビールや、ジン、ラム酒、ウォッカはより安いし、手に入れやすいのである。
政府の統計によると、2008年と2009年の消費量を比較すると
ヘロイン ー35,9%
コカイン ー57,1%
大麻 −63,6%
興奮剤 −70,3%
幻覚誘発薬 −66,2%
となっている。
一方、アルコールの消費量は、2007年から2010年にかけて+18%となっている。
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イタリア人の共同体への帰属意識の調査が行われた(6月22日、Corriere della Sera).
2010年6月に実施され、対象は800人、誤差3,5%である。
あなたは。。。の市民であると感じる
1.自分の市町村 26%
2.自分の県・州 13%
3.イタリア 46%
4.ヨーロッパ 13%
5.わからない 2%
となっているが、北部同盟に投票する人に限定すると以下のようになる
1 自分の市町村 24%
2.自分の県・州 31%
3.イタリア 24%
4.ヨーロッパ 14%
5.わからない 7%
全体として、イタリア人であると答える人の割合が多いのは、65歳以上の人、南部に住む女性だった。
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