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2010年5月 2日 (日)

《やがて来たる者》

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ジョルジョ・ディリッティ監督の映画《やがて来たる者》を観た(有楽町・朝日ホール)。

第二次世界大戦末期1944年にボローニャ近郊の山村での生活とそこで起こったナチによる虐殺を描いている。

上映後、監督が出てきて質疑応答があったが、しばらく誰も手をあげなかったのは、映画がつまらなかったからではない。この映画を受けとめるには、時間がかかるのである。

監督も述べていたが、映画は虐殺シーンをセンセーショナルに扱ってはいない。むしろ、その前の農民の生活、たとえば独身の娘がダンスに出かけるだけでも厳しく叱るおばあちゃんや、ブタをさばく様子、出産シーンなど日々の出来事が、丹念につづられていく。

主人公は、8歳の女の子で、彼女は幼い弟が生後間もなく死んだことにショックをうけ口がきけない。彼女が唖者であるのは、象徴的だ。彼女は、パルティザンによる殺害も、ナチスの虐殺も目撃することになる。歴史の「真実」を語ることの困難さを監督は知り尽くしているのだろう。

テーマからすると、重くて暗くて観るのがつらいかと想像しがちだが、農村生活の丹念な描写とまわりの山村の染みるような自然の美しさは大画面にふさわしいみずみずしい色調をたたえている。そして、主人公の少女の素晴らしさ。彼女は、1944年を生きていると信じられる表情をしているのだ。

また、アルバ・ロルヴァケルやマヤ・サンサが農村女性として出演し、特に映画の前半では、エミリア・ロマーニャの農民の方言が再現されているためしばしばイタリア語字幕が使用されている。監督は、1940年代の農村の再現に関しては細部にいたるまで細心の注意を払ったと言う。映像も内容も充実した一本であった。


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