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2010年4月 1日 (木)

ザーラのイタリア人の犠牲

Zara 第二次大戦中のザーラでのイタリア人の犠牲について書かれた本が出版された(3月23日、Corriere della Sera).

著者はPaolo Simoncelli. タイトルは Zara. Due e piu' facce di una medaglia (ザーラーメダルの二つ以上の面)。著者のシモンチェッリは、ローマ・サピエンツァ大の教授。

1940年代、現在クロアチアのダルマチア地方がイタリアの領土だった時代、ザーラは戦争でもっとも爆撃された県庁所在地であった。85%の住民が住居を破壊されたり、重大な損害をこうむった。

その後、二重の占領があった。最初はナチによるもので、1943年9月から1944年10月までだった。1944年11月以降は、ユーゴスラヴィアの共産党系パルチザンにより占拠された。

パドヴァ県知事ガヴィーノ・サバディンによると、11人がナチに銃殺され、900人がチトーの兵隊により虐殺された。その後、2000人以上の男女が、英米軍の54度におよぶ爆撃により死亡した。また435人のイタリア人がユーゴスラヴィアの強制収容所に入れられた。

1970年代にトリエステの国会議員パオロ・バルビがこのような事件は国家が認めるべきだと防衛大臣のアッティリオ・ルッフィーニに迫ったが、大臣はユーゴスラヴィアとの外交関係に支障をきたすとの理由で拒まれた。1947年からザラはユーゴスラヴィアの領土となっていたのである。

ザーラは古代ローマの都市で、その後、ビザンチンの町となり、中世にはハンガリーとヴェネツィア共和国の争う場所であった。

ナポレオン戦争の後、オーストリア帝国に併合された。しかし過半数がイタリア系の住民であった。1918年、イタリア王国の領土となった。

1947年イタリア人出国の後、ユーゴスラヴィアに併合された。1991年からはクロアチアの一部となっている。

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