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2010年4月18日 (日)

映画『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』

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カルロス・サウラ監督の映画『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』を観た(渋谷・文化村・ルシネマ)。

非常に見応えのある映画だった。それほどの見応えがどこにあるのか、あるいは見応えが感じられない人もいると思うので、以下に評者の感じた見応えを記す。

監督のカルロス・サウラはスペイン人で音楽映画としては『カルメン』で名高い。撮影はヴィットリオ・ストラーロ。ベルトルッチ監督やジョゼフ・ロージ監督との仕事をへて、最近では『カラヴァッジョ』も彼が撮影を担当していた。

この映画は、これまでの《ドン・ジョヴァンニ》ものの映画と異なり、モーツァルトではなくて、あるいはオペラそのものを映画化したのではなくて、台本作家のダ・ポンテが主人公なのである。

映画は、少年時のダ・ポンテ(もともとの名はエマヌエーレ・コーネリアーノ)が、ユダヤ教徒からカトリックに改宗する場面から始まる。そこにカサノヴァが居合わせて、野蛮な風習だとつぶやいている。

この映画には、あとで調べると、フィクションと史実に基づいた部分がないまぜになっているのだが、おおまかなところは史実に基づいている。たとえばダ・ポンテの改宗は史実であり、当時の慣習にのっとって司教の姓をもらってダ・ポンテと名前を変えたのである。ただし、改宗した場所は、ヴェネツィアではなくて、セネダ(現在のヴィットリオ・ヴェネト)であった。彼はセネダで改宗し、やがて神父となりトレヴィーゾのセミナリオで文学の教師となり、当時のフランスの「危険思想」に染まっている、具体的にはルソーの立場を支持したことから追放され、ヴェネツィアに逃れる。映画では、はじめから舞台はヴェネツィアで、ヴェネツィアで自由思想を賞賛する詩を秘密裡に出版したことが事件となっている。

だから、細部においては、省略や場所の変更などがあるのだが、ダ・ポンテの思想などはおさえているわけである。

ダ・ポンテは、その後、ヴィーンに出る。映画ではカサノヴァの推薦状をもって作曲家サリエリのところへ行き、そこで台本作家への道が開けるということになっている。映画では、カサノヴァがかなり重要な舞台回しの役回りとなっているのだが、実際、ダ・ポンテとカサノヴァは20年以上のつきあいがあったのである。

ダ・ポンテとモーツァルトが出会うシーンも興味深い。モーツァルトが心を集中させてオルガンを弾いているのだが、曲は大バッハのもの。二人は握手をかわすが、握手のしぐさに注目あれ。特別の仕草で、ダ・ポンテは自分がフリーメーソンのメンバーであることを伝え、二人は fratello (兄弟)と呼ぶようになる。

当時にあって、フリーメーソンは、フランスの自由思想と響き合う秘密結社であったわけだが、共にメーソンであるモーツァルトとダ・ポンテが、その自由思想ゆえに原作はたびたび上演禁止にあった『フィガロの結婚』を共作したのは、思想的な同志であったこともおおいに寄与しているだろう。

ヴィーンでの場面では、女性歌手同士のライバル関係、また、それがサリエリのような作曲家やダ・ポンテのような台本作家も巻き込んで、あたしのためのアリアを書いて頂戴という注文や、その女性との愛人関係および激しい嫉妬も描かれて、傑作の誕生する舞台裏をたっぷりと見せてくれる。(ここにも細かい点ではフィクションがあるのだが、それについてはあえて触れないことにする)。細かいことが、史実かどうかよりも、この時代の雰囲気にとっぷりつかって、ヨーゼフ2世という立派な君主、カサノヴァという希世の色事師、空前絶後の天才音楽家モーツァルト、そして才能あふれる台本作家のダ・ポンテ、その周囲に女性歌手や、ヴェネツィア時代に知り合った女性、宮廷作曲家サリエリと登場人物の配置は贅沢このうえない。しかも、それが、誰か一人に過剰に感情移入するのではなく、ヴィーンの宮廷あるいはオペラ劇場という磁場での互いの力学、相互反応が見所なのだ。

ダ・ポンテとモーツァルトの友情も、単にフリーメーソンの同志であったのみならず、モーツァルトの父の死、『ドン・ジョヴァンニ』の上演がヴィーンで認められなかったところなど、味わい深い描かれ方である。

この映画の原題は、Io Don Giovanni (我、ドンジョヴァンニ)というものだ。途中までは、カサノヴァがドン・ジョヴァンニのモデルのように見えるし、カサノヴァ自身もそう思っていて、主人公は改心しないのか?とダ・ポンテに尋ねるところは、微苦笑を誘う秀逸な場面だ。しかしダ・ポンテは、ドン・ジョヴァンニは私自身なのだと答える。それがどういう意味なのかは、観てのお楽しみとしよう。

ダ・ポンテの女性関係が、縦軸として描かれているのだが、それが映画の主眼ではないように評者には見えた。ダ・ポンテの生きた時代のヴェネツィアそしてヴィーンが、そしてそこでオペラを創作すること自体がきわめてドラマティックなのである。

また、特筆すべきは、映画の中のオペラの稽古は、モーツァルトが指揮をしているわけだが、非常に歌詞がききとりやすく、ダ・ポンテの歌詞、そしてその歌詞にモーツァルトがどんな音楽をあてているのかが観客に理解できるようになっている。また、カメラワークも、歌手の表情、そして口の動きをアップでとらえ、嫉妬や官能の動きをあますところなく伝えてくれる。たとえば、ツェルリーナ役の歌手がいかにも田舎の少女風であり、しかし彼女はドン・ジョヴァンニに口説かれると心が揺れ、ついには同意してしまうところなど、演技、カメラワーク、ライティングともに必見である。

ドンナ・エルヴィーラを演じる歌手アドリアーナ・フェラレーゼ(演じているのはケテワン・ケモクリーゼという歌手)は、わがままで、嫉妬深いだけでなく、ダ・ポンテに他の女がいると知るや復讐に燃え、「コルセットをはいたマキャヴェリ」と恐れられる。

だれか飛び抜けて有名な俳優・女優がいて引っ張るというのではなく、アンサンブルの妙味を存分に味わえる映画であった。

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