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2010年4月30日 (金)

《バール・マルゲリータに集う仲間たち》

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プーピ・アヴァーティ監督の《バール・マルゲリータに集う仲間たち》を観た(有楽町・朝日ホール)。

例によって、アヴァーティ監督が扱うのは過去のボローニャであるが、今回は、1954年のとあるバールが舞台となっている。

主人公兼語り手は、そのバールの常連になりたいと願っている少年で、バールの常連のナンバー1のアルの運転手を買ってでる。運転手といっても無給でしかも食事代まで払ったりしている。

バールの常連たちは、まともに働く様子もなくのらくらしているし、中には盗品の自動車を売りさばき、警察のご厄介になる病的女好き(ルイジ・ロカーショがコミカルに演じている)もいる。

主人公の祖父は、70代あるいは80代に見えるが、やもめで、ある日、美人のピアノ教師を見つけピアノを習い始めるが、レッスンの中身はあやしげである。

といったエピソードがポンポンと小気味よく繰り出される映画である。


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《コズモナウター宇宙飛行士》

Photoスザンナ・ニッキャレッリ監督の《コズモナウター宇宙飛行士》を観た(有楽町・朝日ホール)。

ニッキャレッリ監督の名ははじめて聞いたが、そのはずで、この作品が長編第一作とのこと。

とてもオリジナリティーの高い青春物語だ。初聖体を受ける(小学生)の時から自分をコムニスタ(共産主義者)と考えている少女ルチャーナが主人公である。兄アルトゥーロも同じくコムニスタなのだが、彼はてんかんが持病で、さえない少年、ルチャーナは兄に対してアンビヴァレントな気持ちを抱いている。

母は未亡人になったあと、父は仲間からも真の共産党員と言われていた男なのに、ファシストと再婚してしまう。ルチャーナは当然、この継父と衝突を繰り返す。

ルチャーナや共産党の支部につどう青年たちの間には政治問題だけでなく、恋愛、性欲が絡み合い、ルチャーナは自分の恋愛感情、性欲をコントロールしきれず、次々と周囲と衝突し、問題を起こす。

このルチャーナのまなざしはまっすぐで、緩衝材がなく危なっかしくもあり、いかにも60年代を感じさせる。

監督のニッキャレッリが70年代生まれというのは驚きでもあり、だからこそ、新鮮なドラマに出来たのかとも思う。

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2010年4月29日 (木)

《ジュリアは夕べに出かけない》

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ジュゼッペ・ピッチョーニ監督の《ジュリアは夕べに出かけない》を観た(有楽町・朝日ホール)。

小説家のグイドがなかなか筆が進まず苦労している。彼は娘が通っていたスイミング・スクールの女性コーチと知り合いになる。

フェデリコ・フェッリーニの8 1/2を思わせる設定である。フェッリーニの場合は、主人公のグイド(マストロヤンニ)は映画監督であり、また、創作にインスピレーションを与える謎の女性はクラウディア・カルディナーレが演じていたが、本作品ではグイドはヴェレリオ・マストランドレアで、女性コーチはヴェレリア・ゴリーノである。

監督は、上映の前後に舞台に登場した。ほとんどすべての監督がそうなのだが、ピッチョーニも上映前にはストーリーに関する発言をしない。まずは、観てのお楽しみというわけだ。また、印象的であり、なるほどと思ったのは、上映後の質問に対し、監督は必ずしも映画の意味するところをすべて理解しているわけではないのだが、と断ったことである。つまり、監督自身の解釈と、観客の解釈が食い違うことはありうるし、それは必ずしも監督や脚本家の考えのみが有効とは限らないという重要な指摘であった。

この作品は大変興味深いものであったが、ストーリーを含んだ筆者のコメントは今は控えておく。


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イタリア映画祭2010開幕

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イタリア映画祭2010が開幕した(4月28日、有楽町朝日ホール)。

この映画祭は、今年で10年目を迎えた。昨年までに上映された映画は110本にのぼるのだそうだ。

今年は、東京だけでなく、5月8日、9日は、大阪ABCホールでも催される。

マルコ・ベロッキオ監督が初来日した。監督では、他にダヴィデ・フェッラーリオ、スザンナ・ニッキャレッリ、ジュゼッペ・ピッチョーニが姿を見せた。

この映画祭では、来日した監督は、自作上映の後(2回の上映のうちの1回だけか2回ともかは不明)、観客の質疑応答に応じてくれるのが嬉しい。映画を観た直後に、適切な質問をするのはなかなか容易でないと感じることが多いのではあるが。


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2010年4月28日 (水)

ベルルスコーニ、フィーニに辞任を求める

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ベルルスコーニ首相とフィーニ下院議長の仲が険悪になっている(4月23日、Corriere della Sera).

首相は、フィーニに対して、「政治がやりたいのだったら、下院議長を辞任せよ」と迫った。それに対し、フィーニは、「私を追い出す気か?私は辞めない」と応酬。

二人は、現在の与党の共同設立者であるが、元フォルツァ・イタリア(ベルルスコーニ)と元国民同盟(フィーニ)は依然として2つのグループであり、一体化しているとは言いがたいようだ。

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2010年4月27日 (火)

フィアットの新計画

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フィアットは、新計画を発表した(4月22日、Corriere della Sera).

アニェッリ一族のジョン・エルカンが会長に就任し、セルジョ・マルキオンネは、代表取締役(amministratore delegato)に就任した。

彼らは、フィアットの将来に関し、イタリアでの生産を倍増させるとしている。

またフィアットからいくつかの新会社をスピン・オフ(分社化)するとしている。一年以内に、Cnh (トラクターなど)、Iveco (トラック)とその二社にエンジンを提供する Powertrain である。

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2010年4月26日 (月)

火山の被害

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アイスランドの火山噴火によるイタリアの被害は推定8000万ユーロにのぼる(4月19日, Corriere della Sera).

航空機関係は、一日当たり、世界での損失が1億5000万ユーロ、ヨーロッパでの損失が1億ユーロ、イタリアの損失は、推定500万から1000万ユーロである。

観光に関する被害は、ヨーロッパで、一日あたり1億ユーロで、イタリアでは、北イタリアで1日あたり1000万ユーロ(ミラノ商工会議所の推計)である。

食料品の損害は、ヨーロッパで1日あたり、1億2000万ユーロ、イタリアでは、1200万ユーロとなっている。果物や、花、モッツァレッラ・チーズなどが腐ったり、傷んでしまうのだ。

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スイスにおけるイタリア文学

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スイスにおけるイタリア文学およびイタリア文学者を論じた研究書が出版された(4月18日、Corriere della Sera).

著者はレナート・マルティノーニ。サン・ガッロ大学(スイスの北東部にある)のイタリア文学の教授である。タイトルは、L'Italia in Svizzera(スイスにおけるイタリア)である。

スイスは、イタリアの文人にこれまで避難場所を提供してきた。フォスコロ、カッターネオがそうである。スピネッリやロッシもそうだ。

フランチェスコ・デ・サンクティスは1856年から1860年までチューリッヒの工業大で教えていた。

サン・ガッロには、クローチェが様々な人と交わした書簡のコレクションもある。

もっとも印象的なのは、ディーノ・カンパーナに関するもので、彼は4度にわたって(1906年、1909年、1914年、1915年)にスイスに滞在している。1915年にソッフィチにスイスを徒歩で回ったと告白している。それは大袈裟で真実とは言えないのだが。

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2010年4月24日 (土)

火山

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アイスランド火山の爆発で、4月17日時点ではトリノからヴェネツィアで飛行機が離着陸できなくなった(4月17日、Corriere della Sera).

古い情報で恐縮だが、アイスランドの火山の騒ぎがイタリアに及ぼした影響を記しておく。

火山灰は、南東に向かって10時間ごとに500キロ進んでいる。16日から17日にかけてアルプス山脈を越えイタリア北部に入った。

そのため、トリノ、ミラノ(マルペンサ、リナーテ、オリオ)、ヴェネツィア、ヴェローナ、トリエステ、ボローニャで飛行機の離発着がストップした。

(4月17日時点での情報ですー管理人)。

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もっとも育休をとるのは工場/農業労働者

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育児休暇を最もとるのは、工場/農業労働者であることがわかった(4月16日、Corriere della Sera).

資格が中くらいか専門化した工場/農業労働者の20%が育休をとるが、サラリーマンは15%だ。

父親の育休という制度が取り入れられて10年になるが、実際にはなかなか実行されていない。幹部になると3%しか育休をとっていないし、役職者にいたっては0%だった。

この現象の背景には経済的理由もあると、Adecco Italia のイラリア・ダクイラは説明している。役職者や幹部は、自分が休む代わりにベビーシッターを雇えるのに対し、労働者は、育休で30%給料がカットされても長期にわたって人を雇わずに自分で赤ん坊の面倒をみるのである。

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2010年4月23日 (金)

イタリアの出産は世界一安全

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イタリアの出産は、出産時の母親の死亡率が世界一低いことが分かった(4月15日、Corriere della Sera).

イタリアの妊婦が、出産時に死亡するのは、10万出産中、3、9人で世界一低い。逆に悪い記録だったのは、アメリカ16、7人、デンマーク9、4人である。

主要な国の順位と10万出生中の母親の死亡数は以下の通り。
1 イタリア   3、9
2 スウェーデン 4、6
4 オーストラリア 5、1
6 アイルランド 5、7
9 カナダ    6、6
10 スペイン  6、7
11 日本    6、8
13 ドイツ   7、0
15 ハンガリー 7、1
18 ポーランド 7、4
20 オランダ  7、6
22 アルバニア 8、1
23 イギリス  8、2
28 デンマーク 9、4
31 フランス  10、0
39 アメリカ  16、7

工業先進国で、イギリスのように悪い成績なのには2つの要素が指摘されている。1つは、出産の高齢化が進んでいること。身体へのストレスは若い妊婦のほうが対処しやすい。もう1つの理由は肥満であり、肥満はより広くみられる現象となっている。

両者の要素とも心臓脈管系(cardiovascolare)の問題を複雑にし、場合によってはそれが致命的なものとなる。

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2010年4月22日 (木)

ロメオとジュリエッタはシエナの話だった?

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ロメオとジュリエッタの話がシエナで展開されたとする小説が発表された(4月14日、Corriere della Sera).

La chiave del tempo (時の鍵)と題する本(Spering &Kupfer, 564ページ、20,9ユーロ)。著者はAnne Fortier.

2009年のフランクフルトでのブックフェアで著者は、ジュリエットの物語についてこう述べている。「シェイクスピア学者は、『ロミオとジュリエット』の元ネタについて知っています。つまり、シェイクスピアは、マッテオ・バンデッロの物語の英語訳を読んだわけで、それはヴェローナの恋人たちの悲劇的物語だった。そのバンデッロは、ヴィンチェンティーノ・ルイジ・ダポルトから荒筋をとったのだが、これはカプレーティ家とモンテッキ家の争いで、ジュリエッタはカプレーティ家、ロメオはモンテッキ家でした」

「博識な人や研究者は、この話の最初の版は、マズッチョ・サレルニターノの物語、1476年出版、に出てくると知っています。その33番目のお話は、舞台はシエナなのです。主人公はマリオット・ミニャネッリとカンノッツァあるいはジャンノッツァ・サラチェーニという名です」

彼女の書いた小説は現代から始まる。アメリカの女子大生Julie Jacobs が、不思議な遺言に関する手紙を受け取る。シエナの銀行の貸金庫の鍵があって、彼女の叔母Rose がそれを取りに行くように言う。
結局、彼女の本名は Giulietta Tolomei であることが判明する。

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2010年4月20日 (火)

マントヴァ市長選、Pdl が制す

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マントヴァ市長選の決選投票で Pdl が勝利した(4月13日、Corriere della Sera).

マントヴァはこれまで65年にわたって左派または中道左派が支配してきた。しかし今回の市長選決戦投票で、中道右派のニコラ・ソダーノが勝利をおさめた。

マテーラやマチェラータの市長選は、民主党が勝利をおさめた。

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2010年4月19日 (月)

ジャンニ・アニェッリ、テレビ・ドラマに

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フィアットの会長だったジャンニ・アニェッリの生涯がテレビ・ドラマ化される(4月12日、Corriere della Sera).

プロデューサーは、ピエトロ・ヴァルセッキで、主役には、映画俳優のファブリツィオ・ヴェンティヴォリオを起用したい考えだ。

ヴァルセッキは、タオドゥエという会社(1991年設立)を持っており、テレビ会社向けにドラマを制作している。 

タイトルは『最後の王(L'ultimo re)』となる予定だ。

ヴァルセッキによれば、アニェッリは様々な顔を持った人で、単にビジネスの巨頭であっただけでなく、洗練された知的な男で、ユヴェントゥスやヨットに情熱を燃やし、女性を愛した。

これは Canale 5 のための企画だが、これとは別にRAIもアニェッリの生涯のドラマ化の企画を持っている。監督はファブリツィオ・デル・ノーチェである。

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2010年4月18日 (日)

聖骸布、長蛇の列

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トリノで聖骸布が公開され、長蛇の列が出来た(4月11日、Corriere della Sera).

聖骸布(Sacra Sindone)の公開が始まり、初日は、1万2000人が訪れた。

予約をしないと近くからは見られないのだが、予約者の数は150万人近くに達したという。予約をしなくてもドゥオーモには入れるが、遠くからしか聖骸布は見られない。

2日目の来訪者は4万5000人になる見込みである。

1日目の来訪者には、フィアット会長のルーカ・コルデロ・ディ・モンテツェモロとその家族の姿もあった。

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映画『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』

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カルロス・サウラ監督の映画『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』を観た(渋谷・文化村・ルシネマ)。

非常に見応えのある映画だった。それほどの見応えがどこにあるのか、あるいは見応えが感じられない人もいると思うので、以下に評者の感じた見応えを記す。

監督のカルロス・サウラはスペイン人で音楽映画としては『カルメン』で名高い。撮影はヴィットリオ・ストラーロ。ベルトルッチ監督やジョゼフ・ロージ監督との仕事をへて、最近では『カラヴァッジョ』も彼が撮影を担当していた。

この映画は、これまでの《ドン・ジョヴァンニ》ものの映画と異なり、モーツァルトではなくて、あるいはオペラそのものを映画化したのではなくて、台本作家のダ・ポンテが主人公なのである。

映画は、少年時のダ・ポンテ(もともとの名はエマヌエーレ・コーネリアーノ)が、ユダヤ教徒からカトリックに改宗する場面から始まる。そこにカサノヴァが居合わせて、野蛮な風習だとつぶやいている。

この映画には、あとで調べると、フィクションと史実に基づいた部分がないまぜになっているのだが、おおまかなところは史実に基づいている。たとえばダ・ポンテの改宗は史実であり、当時の慣習にのっとって司教の姓をもらってダ・ポンテと名前を変えたのである。ただし、改宗した場所は、ヴェネツィアではなくて、セネダ(現在のヴィットリオ・ヴェネト)であった。彼はセネダで改宗し、やがて神父となりトレヴィーゾのセミナリオで文学の教師となり、当時のフランスの「危険思想」に染まっている、具体的にはルソーの立場を支持したことから追放され、ヴェネツィアに逃れる。映画では、はじめから舞台はヴェネツィアで、ヴェネツィアで自由思想を賞賛する詩を秘密裡に出版したことが事件となっている。

だから、細部においては、省略や場所の変更などがあるのだが、ダ・ポンテの思想などはおさえているわけである。

ダ・ポンテは、その後、ヴィーンに出る。映画ではカサノヴァの推薦状をもって作曲家サリエリのところへ行き、そこで台本作家への道が開けるということになっている。映画では、カサノヴァがかなり重要な舞台回しの役回りとなっているのだが、実際、ダ・ポンテとカサノヴァは20年以上のつきあいがあったのである。

ダ・ポンテとモーツァルトが出会うシーンも興味深い。モーツァルトが心を集中させてオルガンを弾いているのだが、曲は大バッハのもの。二人は握手をかわすが、握手のしぐさに注目あれ。特別の仕草で、ダ・ポンテは自分がフリーメーソンのメンバーであることを伝え、二人は fratello (兄弟)と呼ぶようになる。

当時にあって、フリーメーソンは、フランスの自由思想と響き合う秘密結社であったわけだが、共にメーソンであるモーツァルトとダ・ポンテが、その自由思想ゆえに原作はたびたび上演禁止にあった『フィガロの結婚』を共作したのは、思想的な同志であったこともおおいに寄与しているだろう。

ヴィーンでの場面では、女性歌手同士のライバル関係、また、それがサリエリのような作曲家やダ・ポンテのような台本作家も巻き込んで、あたしのためのアリアを書いて頂戴という注文や、その女性との愛人関係および激しい嫉妬も描かれて、傑作の誕生する舞台裏をたっぷりと見せてくれる。(ここにも細かい点ではフィクションがあるのだが、それについてはあえて触れないことにする)。細かいことが、史実かどうかよりも、この時代の雰囲気にとっぷりつかって、ヨーゼフ2世という立派な君主、カサノヴァという希世の色事師、空前絶後の天才音楽家モーツァルト、そして才能あふれる台本作家のダ・ポンテ、その周囲に女性歌手や、ヴェネツィア時代に知り合った女性、宮廷作曲家サリエリと登場人物の配置は贅沢このうえない。しかも、それが、誰か一人に過剰に感情移入するのではなく、ヴィーンの宮廷あるいはオペラ劇場という磁場での互いの力学、相互反応が見所なのだ。

ダ・ポンテとモーツァルトの友情も、単にフリーメーソンの同志であったのみならず、モーツァルトの父の死、『ドン・ジョヴァンニ』の上演がヴィーンで認められなかったところなど、味わい深い描かれ方である。

この映画の原題は、Io Don Giovanni (我、ドンジョヴァンニ)というものだ。途中までは、カサノヴァがドン・ジョヴァンニのモデルのように見えるし、カサノヴァ自身もそう思っていて、主人公は改心しないのか?とダ・ポンテに尋ねるところは、微苦笑を誘う秀逸な場面だ。しかしダ・ポンテは、ドン・ジョヴァンニは私自身なのだと答える。それがどういう意味なのかは、観てのお楽しみとしよう。

ダ・ポンテの女性関係が、縦軸として描かれているのだが、それが映画の主眼ではないように評者には見えた。ダ・ポンテの生きた時代のヴェネツィアそしてヴィーンが、そしてそこでオペラを創作すること自体がきわめてドラマティックなのである。

また、特筆すべきは、映画の中のオペラの稽古は、モーツァルトが指揮をしているわけだが、非常に歌詞がききとりやすく、ダ・ポンテの歌詞、そしてその歌詞にモーツァルトがどんな音楽をあてているのかが観客に理解できるようになっている。また、カメラワークも、歌手の表情、そして口の動きをアップでとらえ、嫉妬や官能の動きをあますところなく伝えてくれる。たとえば、ツェルリーナ役の歌手がいかにも田舎の少女風であり、しかし彼女はドン・ジョヴァンニに口説かれると心が揺れ、ついには同意してしまうところなど、演技、カメラワーク、ライティングともに必見である。

ドンナ・エルヴィーラを演じる歌手アドリアーナ・フェラレーゼ(演じているのはケテワン・ケモクリーゼという歌手)は、わがままで、嫉妬深いだけでなく、ダ・ポンテに他の女がいると知るや復讐に燃え、「コルセットをはいたマキャヴェリ」と恐れられる。

だれか飛び抜けて有名な俳優・女優がいて引っ張るというのではなく、アンサンブルの妙味を存分に味わえる映画であった。

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2010年4月17日 (土)

音楽高校はすぐに満員に

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音楽・舞踏高校の人気が高まっている(4月10日、Corriere della Sera).

職業系の高校に登録している生徒は58,63%。

リチェオに登録しているのが43,13%。

音楽・舞踏高校はすぐに定員がうまってしまった。他には、言語系高校がのびている。また、北部では、工業高校が好まれている。

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2010年4月16日 (金)

イタリア銀行、アメリカン・エクスプレスの新規カード発行をストップ

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イタリア銀行は、アメリカン・エクスプレスの新規カード発行を停止した(4月9日、Corriere della Sera).

この措置は、トラーニの検察局の捜査の結果をうけてのものである。イタリア銀行は、資金洗浄や高利に対する基準に照らして、あまりにルールが守られていないとしている。

イタリア銀行は、用心と緊急性を考慮してこの措置を取ったとし、4月12日から新規カードの発行を禁じた。アメリカン・エクスプレス側は、「対処する」としており、「イタリア銀行に全面的に協力する」としている。

昨年9月には、ダイナース・カードがやはりカード発行を禁止された。


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2010年4月15日 (木)

『おくりびと』イタリア上陸

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映画『おくりびと』がイタリアで上映される(4月8日、Corriere della Sera).

以下の記事を書いているのは、パオロ・メレゲッティ。イタリアでは、英語題 Departures という名で公開される。

失業したチェリストが「納棺師」(死者の美容師)になるまでの物語で、詩情にあふれるとしている。評価は、満点が4つ星で3つ星。見逃すべきでない映画という高い評価である。

鍵になる場面として、主人公大悟(本木雅弘)が昔の同級生にあって、そんな仕事をしていて恥ずかしくないのか、と言われる。大悟はこの仕事を引き受けたことを言い訳するしかなかった。しかし、この友人の母が死んだ時、遺体はきれいにする必要がある。大悟は愛情をもって優雅に、遺体に化粧をほどこす。すべての偏見が崩れ落ち、涙が軽蔑をかき消す。

この作品がイタリアの映画館にかけられるのには、新たな配給会社Tucker Film の誕生があった。これは、ポルデノーネの Cinemazero とウディネの映画センターの協力で出来たものである。この努力がイタリアの映画館にかけられる映画の質を高め、視聴者の支持を得ることを心から願う。

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異端審問の1000年

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異端審問に関する4巻本の辞書が出版される(4月7日、Corriere della Sera).

Dizionario storico dell'Inquisizione というタイトルで、編者はアドリアーノ・プロスペリ。出版社は、Edizione della Normale, 260ユーロ。

大判で2000ページにわたる辞書で、12カ国の340人の専門家が協力し、1311項目、参考文献としては6000冊以上が掲載されている。

プロスペリは、ピサのスクオーラ・ノルマーレの教授で、あのデリオ・カンティモーリやアルマンド・サイッタの弟子である。

この本で扱われているのは中世から1965年に至る。


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2010年4月13日 (火)

トリエステ、反ファシストとティトーの戦い

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1945年のトリエステを描いた本が出版された(4月6日、Corriere della Sera).

著者は、Raoul Pupo、トリエステ大学の現代史の教授である。 タイトルは、Trieste '45(400ページ、22ユーロ、Laterza)。

第二次大戦の末期に、東の国境で起こった出来事を再構成したものである。ユーゴスラヴィアは、この地域を自らの領土に併合しようとしていたため、誰であれそれに反対するものは敵視したのである。

そのため、ファシストが処刑されたのみでなく、ファシズムとは何の関係もない反ファシストまでフォイベ(死者を投げ込んだ洞窟)に投げ込まれたという。

ただし、こういった悲劇の原因をつくったのがファシストであり、ムッソリーニであったことを著者は断言している。ファシスト政権のこの地域(トリエステおよびイストリア)でスロヴェニア人やクロアチア人のアイデンティティーをあまりに根本からおびやかしたために激しい反動を呼び起こしたのであると。

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2010年4月12日 (月)

ヴァティカン、釈明する

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カンタラメッサ神父は、教皇への批判を反ユダヤ主義にたとえたことを謝罪した(4月4日、Corriere della Sera).

ラニエロ・カンタラメッサ神父、75歳、はカプチン修道会の神父で、ローマ司教区の説教師である。テレビRai 1 の番組にも出演している。

先日、カンタラメッサ神父は、神父の幼児性愛問題に関して、教皇が集中的かつ激しく攻撃されていることを反ユダヤ主義に喩えた。そのことが、ユダヤ人やイギリス国教会から批判された。

ヴァティカンは、この比喩は、ヴァティカンの公式見解でないと釈明し、カンタラメッサ神父は、謝罪した。


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マグダ・オリヴェーロ、100歳

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ソプラノ歌手マグダ・オリヴェーロが元気に100歳の誕生日を迎えた(4月3日、Corriere della Sera).

3月25日にオリヴェーロは、100歳の誕生日を迎えた。ジーナ・チーニャ(1900-2001)も同じく100歳を迎えたソプラノ歌手であったが、100歳の時チーニャが病気であったのに対し、オリヴェーロは元気に後進の指導にあたっている。

オリヴェーロは、チレーアの『アドリアーナ・ルクヴルール』のアドリアーナ役が最も名高いが、ヴェルディの『椿姫』のヴィオレッタ、プッチーニの『トゥーランドット』のリウ、ザンドナイの『フランチェスカ・ダ・リミニ』のフランチェスカも名演の誉れ高い。

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2010年4月11日 (日)

ピレッローネ、50周年

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ミラノのピレッリ社の高層ビルが竣工五〇周年を迎えた(4月3日、Corriere della Sera).

ピレッリ社のビルは、31階建てで、127,4mの高さ。1950年代に企画され、1960年4月4日に竣工した。

現在、より高いビル(161,3m、39階)がミラノで建築中である。

ピレッリビルは、2002年には、飛行機が衝突した。

このビルが竣工されたのは、経済ブームで、南部からの移民が次々にミラノ中央駅に降り立つ時期であった。

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2010年4月10日 (土)

ワインの祭典、Vinitaly 開催

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ワインの祭典、品評会、Vinitaly がヴェローナで4月8日から12日まで開かれる(4月2日、Corriere della Sera).

会場は、ヴェローナ郊外の Veronafiere で9万1000平方メートルの広さ。12のパビリオンがある。出展者は4200以上。

出展者は、イタリアだけでなく、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなど世界中からである。
2009年のVinitaly では、訪問者は15万人以上で、そのうち海外から来たのは4万5000人で、112カ国からであった。

世界的な不況にもかかわらず、イタリアワインの売り上げは2009年は2008年に較べ上昇している。

売り上げトップ3は、

1位 ランブルスコ(エミリア・ロマーニャ)
  1375万4598リットル
  5,8%増(2008年と2009年を比較)
  2,35ユーロ(1本当たりの平均的値段)

2位 キャンティ(トスカーナ)
  1030万1569リットル
  1,6%減
  3,58ユーロ

3位 モンテプルチャーノ(アブルッツォ)
  898万6967リットル
  7,1%増
  2,10ユーロ

となっている。
   

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2010年4月 9日 (金)

増加するイタリアの軍事輸出

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イタリアから外国への軍事輸出が増加している(4月2日、Corriere della Sera).

2009年は、49億ユーロとなり、2008年と比較して61%増となった。2007年と2008年を比較しても29%増で、さらに2006年から2007年は8%増だったので、このところ急速に増加していることがわかる。

主要な顧客は、サウジアラビア(16%)、ドイツ(8%)、アメリカ(7%)、イギリス(5,6%)となっている。ついで、カタール(4,7%、中くらいのヘリコプター)、インド(3,6%、後方支援の軍艦)、ルーマニア(3,2%)、スペイン(2,9%)、アラブ首長国(2,6%)、モロッコ(2,3%)となっている。

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2010年4月 8日 (木)

カトリックと断食

Cibo カトリックは全くなくなってしまったわけではないが、断食の習慣は身近でなくなっている(4月1日、Corriere della Sera).

断食の習慣は、祈りの一形態である。

ユダヤ教の場合、断食は古くからあり、モーセはシナイ山で断食した。

イエスは荒れ地を40日間さまよった時に断食した。キリスト教では、灰の水曜日や聖金曜日が儀式的には中心の日とされている。この2日間になったのは、第二ヴァティカン公会議からで、それ以前はもっと多くの日が断食の日であった。

イスラム教はユダヤ教およびキリスト教から断食の習慣を受け継いだ。ラマダンは30日間で、夜明けから日暮れまで食べることを禁じられている。

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2010年4月 7日 (水)

ヴェネツィア市長選、ブルネッタ敗れる

Orsoni ヴェネツィアの市長選は、現職大臣のレナート・ブルネッタが出馬したが、中道左派のジョルジョ・オルソーニが勝利した(3月31日、Corriere della Sera).

オルソーニの得票率は51,1%で、ブルネッタは42,6%。任期が切れた市長は、マッシモ・カッチャーリで中道左派であった。

ジョルジョ・オルソーニはヴェネツィアの市庁舎であるカ・ファルセッティに面したところに住み、みずからをカトリックで穏健派だとしている。弁護士で行政法の教授である。

63歳で、妻と三人の子供がいる。海とヨットを愛している。

ブルネッタは、北部同盟が協力していれば勝てたはずだと憤っている。

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地方選:ベルルスコーニと北部同盟の勝利

Berlusconi イタリアの地方選挙では、ベルルスコーニと北部同盟が勝利をおさめた(3月30日、Corriere della Sera).

民主党は、7つの州で知事の座を維持したが、4つの州では失った。

プーリア州ではニキ・ヴェンドラが勝利し、ピエモンテ州とヴェネト州では北部同盟が勝った。

ラツィオ州では、エンマ・ボニーノ49,5%、レナータ・ポルヴェリーニ49,9%の僅差でポルヴェリーニが制した。

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2010年4月 6日 (火)

モンテッソーリをいじめ防止に

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イギリスのマンチェスターでは、モンテッソーリ方式の教育方法で学校改善が進んだ(3月29日、Corriere della Sera).

この学校は5年前に、教育方式を変えて効果をあげている。

マリア・モンテッソーリは、1870年にキアラヴァッレで生まれ、81歳でオランダで亡くなった。1896年に医学部を卒業したが、これは女性で最も早い例の一人である。1907年に、ローマで、サンロレンツォ地区で子供の家を開設した。

今日、世界中110カ国で2万2千のモンテッソーリ学校がある。イタリアには、200以下の学校しかない。

モンテッソーリ学校を出た有名人には、ビル・ゲイツ、グーグルの創業者ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスなどがいる。

モンテッソーリ学校の特徴は、子供に自分で環境を支配させ、自信をつけさせることである。また、子供の自由を尊重し、子供の創造性をはぐくみ、その自由から自律心をつけることを目指している。

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2010年4月 5日 (月)

フィアットのクライスラー持ち分は35%に

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フィアットのクライスラーの持ち分は、今後2年間に35%になるもようだ(3月27日、Corriere della Sera).

現在の20%から35%へと、3段階で上がっていく。最初の5%は、年末のアメリカでの500(チンクエチェント)の発売の際に譲渡されるようだ。

この譲渡は、現金によってなされるのではなく、技術供与の見返りになされる。こうした細部を明らかにするのは今回がはじめてだ。

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イタリア夏時間に

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3月27日から28日の夜中に、夏時間が始まった(3月28日, Corriere della Sera).

3月28日の午前2時に、一時間時計の針が進められ、夏時間(l'ora legale)が始まった。通常の時間(l'ora solare) が戻ってくるのは、10月30日と31日の間の夜である。

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2010年4月 3日 (土)

職人は人手不足

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2009年は2万3000人の職場で、職人のポストが空いていた(3月26日、Corriere della Sera).

2009年、イタリア全体では、38万人の職場が失われ、失業率は7,8%に達したが、一方で、職人を使う会社は、人手不足を解消できなかった。空きのポストが2万3470人分も発生しているのである。

ただし足りないのは有資格者である。仕立屋、靴職人、家具職人(指物師)など足りない職種はたくさんある。

州別に見ると、もっとも人手不足の州を5つあげると
バジリカータ 募集1320 不足470  不足率35,6%
フリウリ     1970   660     33,5%
ヴェネト     8560   2820    32,9%
トスカーナ    5520   1810    32,8%
ウンブリア    2080   650     31,3%

相対的にもっとも人手が足りている州5つは、
サルデーニャ   3790   750     19,8%
プーリア     7720   1290    16,7%
シチリア     8690   1420    16,3%
カンパーニャ   7310   1150    15,7%
モリーゼ     1090   170     15,6%
となっている。


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2010年4月 2日 (金)

2009年、38万人失業者増加

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2009年は、失業者が38人増加した(3月25日、Corriere della Sera).

この数字は、1995年以来最悪のものである。

Istat によると、失業率は、2008年平均の6,8%から2009年平均は7,8%へと上昇した。

2009年第四四半期の失業者数(求職者数)は、214万4650人である。

しかし、この数字には、一時的にレイオフされて、給与補填基金(cassa integrazione)から収入を得ている50万人が含まれていない。

そのため、イタリアの失業率7,8%は、ユーロ圏平均の9,4%よりは良い数字であるが、上記のことを考慮にいれる必要がある。


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2010年4月 1日 (木)

エマヌエーレ・ピレッラ、亡くなる

Emanuelepirella Jeansjesus528 エマヌエーレ・ピレッラが亡くなった(3月24日、Corriere della Sera).

ピレッラは、1940年レッジョ・エミリア生まれ。新聞レプッブリカの創設に関わった。

いくつかの有名な広告キャンペーンの作者で、カンヌ広告祭でいくつもの《Leoni》賞を受賞している。

しかし、1973年スキャンダルとなったのが、写真のジーザス・ジーンズのCMであった。オリヴィエーロ・トスカーニが写真、コピーを書いたのピレッラだった。

このコピーは「私を愛する人は私に従え」という意味だが、聖書の福音書からの引用であったため大変なスキャンダルとなったのである。

ピレッラは、大学をでたのちミラノにでて、出版社か広告会社につとめようと思っていたが、エリオ・ヴィットリーニとイタロ・カルヴィーノのすすめにより広告会社に行ったのである。

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ザーラのイタリア人の犠牲

Zara 第二次大戦中のザーラでのイタリア人の犠牲について書かれた本が出版された(3月23日、Corriere della Sera).

著者はPaolo Simoncelli. タイトルは Zara. Due e piu' facce di una medaglia (ザーラーメダルの二つ以上の面)。著者のシモンチェッリは、ローマ・サピエンツァ大の教授。

1940年代、現在クロアチアのダルマチア地方がイタリアの領土だった時代、ザーラは戦争でもっとも爆撃された県庁所在地であった。85%の住民が住居を破壊されたり、重大な損害をこうむった。

その後、二重の占領があった。最初はナチによるもので、1943年9月から1944年10月までだった。1944年11月以降は、ユーゴスラヴィアの共産党系パルチザンにより占拠された。

パドヴァ県知事ガヴィーノ・サバディンによると、11人がナチに銃殺され、900人がチトーの兵隊により虐殺された。その後、2000人以上の男女が、英米軍の54度におよぶ爆撃により死亡した。また435人のイタリア人がユーゴスラヴィアの強制収容所に入れられた。

1970年代にトリエステの国会議員パオロ・バルビがこのような事件は国家が認めるべきだと防衛大臣のアッティリオ・ルッフィーニに迫ったが、大臣はユーゴスラヴィアとの外交関係に支障をきたすとの理由で拒まれた。1947年からザラはユーゴスラヴィアの領土となっていたのである。

ザーラは古代ローマの都市で、その後、ビザンチンの町となり、中世にはハンガリーとヴェネツィア共和国の争う場所であった。

ナポレオン戦争の後、オーストリア帝国に併合された。しかし過半数がイタリア系の住民であった。1918年、イタリア王国の領土となった。

1947年イタリア人出国の後、ユーゴスラヴィアに併合された。1991年からはクロアチアの一部となっている。

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