サンタントニオの遺骸、公開
聖アントニオの遺骸が、パドヴァで公開された(2月15日、Corriere della Sera).
サンタントニオは、1195年にリスボンで、貴族の両親から生まれた。洗礼を受けた時の名前はフェルディナンド。正式には、Ferdinando Martim de Bulhoes.
17歳でコインブラで人文学を学んだ。1220年、サンタ・クルスで叙階され聖職者となった。アントニオは、2つの別々の時期にパドヴァに滞在した。最初は1229年から1230年。1230年から1231年で、その年にアントニオは亡くなった。
サンタントニオはタウマトゥルゴ(Taumaturgo)という別称を持っているが、これは奇跡をおこなう人という意味である。民衆のレベルでは、亡くしものを見つけ出すのを助けてくれることになっている。
彼の死体は1263年4月8日に開けてみると、奇跡的に舌が腐っていなかった。1350年遺骸をCappella dell'Arcaにうつした。1981年、死後750年を記念して遺骸を公開した。静かに公開したが、二週間後には丸一晩待たねば見られぬほどに巡礼者が増えた。100万人が巡礼した。
パドヴァは巡礼地として巡礼者の数の点で第三位を、パードレ・ピオのサン・ジョヴァンニ・ロトンダと競っている。1位と2位は、ローマのサン・ピエトロとフランスのルルドである。
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