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2010年2月28日 (日)

ボルゲーゼ美術館展

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ボルゲーゼ美術館展を観た(東京都美術観、上野公園、4月4日まで)。

知人から招待券をいただいたのである。今回、誰でも注目するのは、ラファエッロ、カラヴァッジョ、ベルニーニであろう。僕も、その3人の作品に、強い印象を受けた。

ラファエッロの場合、一角獣を抱いた婦人の肖像画なのだが、これが長い間、改作されて、上にマントをかぶった聖女の姿(白黒写真で展示されている)となっており、ロンギらが修復して今日の姿に戻ったというエピソードはやはり興味深い。

さらに強い印象を受けたのはカラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」である。ヨハネを絵に描いたものなど無数にあるわけだが、少なくとも僕はこの絵に似たものがまったく思い当たらない。不思議な絵である。不思議なことの一つは、ヨハネが少年として描かれており、その少年が両性具有的な雰囲気を漂わせていること(これはレオナルドなど他にも例がある)。そして両性具有的な雰囲気とも絡んでくるのだが、ヨハネの足が片方にながれ、足を組むといったポーズでなく、女性的なのである。

そばに寄ってみても、筋骨隆々という感じの肉ではなく、すらっとした足で、女性像あるいは女神像の足という感じなのだ。全体を見れば、胸はふくらんでおらず、少年であることは明らかで、タイトルも洗礼者ヨハネであるから疑いはないのだが、カラヴァッジョは、おそらく、これまでにないヨハネ像を書こうという意思を持って、かなり挑発的に、このような構図、描き方をしたのではないか、という感想を持った。

ベルニーニのボルゲーゼ枢機卿の彫像は、先日映画『カラヴァッジョ』を観たところだったので、本物はこんな顔だったのかと感慨深いものがあった。映画の登場人物では、もう一人、作者はことなるが教皇パウルス(ボルゲーゼ枢機卿の伯父)の肖像画も展示されている。

ボッティチェッリやラファエッロからカラヴァッジョまでは、100年ちょっとである。描かれた人物にあてられた光と影は、その間に激変している。いかに、宗教改革とそれへの対抗運動が教会だけでなく、教会がパトロンとなった絵画・彫刻の世界にも激震をもたらしたのかを思った。

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北部の100都市で自動車の通行制限

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イタリアの北部100都市で、2月28日に自動車の通行を制限する(2月20日、Corriere della Sera).

2月28日に通行制限をするのは、7つの州(ロンバルディア、ピエモンテ、リグーリア、ヴェネト、エミリア−ロマーニャ、フリウリ、トレンティーノ)である。これに南部だがナポリが加わる。

100の都市(コムーネ)が参加するが、通行制限をする時間帯は都市ごとに異なる。

参加する主要都市は、アスティ、ノヴァーラ、トリノ、ミラノ、ヴァレーゼ、パヴィア、ソンドリオ、フェッラーラ、フォルリ、モデナ、パルマ、ヴェネツィア、レッジョ・エミリア、リミニ、パドヴァ、ヴィチェンツァ、ベッルーノ、トレントなどである。

たぶん参加するという都市には、ベルガモ、ブレーシャ、クレモナ、マントヴァ、モンツァ、ボローニャ、トレヴィーゾがある。

参加しない都市は、ヴェローナ、コモ、ジェノヴァ、レッコである。  

pm10 という空気中の微粒な汚染物質が、環境基準を上回っている日数が多い(今年の1月1日から)のは、以下の通り。

ブレーシャ 38日
モンツァ  38日
ミラノ   37日
マントヴァ 36日
パドヴァ  36日
アレッサンドリア 35日
トレヴィーゾ 35日
トリノ   34日

こうした自動車の通行制限の試みは、2007年にも実施された。2007年の時には州が主導したが、今回は、都市(コムーネ)が主体になっている。

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2010年2月26日 (金)

ラヴァッツァ、死去

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コーヒー界の王者、エミリオ・ラヴァッツァが亡くなった。78歳だった(2月18日、Corriere della Sera).

ラヴァッツァはトリノでエミリオの祖父が1895年に小さな工房で始めた。中心街のトンマーゾ通りであった。

エミリオが会社の実権を握ったのは、1970年代に入ってからだったが、彼はコミュニケーションを重視し、CM作りを重視した。

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2010年2月25日 (木)

イタリア高速鉄道、時間によって料金が変わる

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イタリア高速鉄道は、飛行機と同様に、曜日や時間によって料金を変えている(2月17日、Corriere della Sera).

サービスを開始して2ヶ月が経過した高速鉄道は、料金に関して、曜日や時間によって変えている。

またスタート時点の12月15日には、時刻表通りか、そこから15分以内に到着した列車は64,5%だったが、徐々にその比率は上昇し、2月14日には、91%に達している。

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2010年2月24日 (水)

別居は北高南低

Divorzio190x130法務省の統計で、イタリアでの別居や離婚の申請は、北部が多く、南部が少ないことがわかった(2月16日、Corriere della Sera).

法務省の2009年第一4半期の統計によると、イタリアでもっとも高い別居申請があるのは、ピエモンテ州で(統計はヴァッレ・ダオスタ州と一緒になっている)、1000組あたり418組となっている。

逆にもっとも少ないのはバジリカータ州で1000組あたり138組。シチリアを含む南部は低く、シチリア州223組、カンパーニャ州189組、カラーブリア州191組となっている。

離婚申請も同様の傾向を示している。

以下は州別の別居申請と離婚申請数(いずれも1000組あたりの数)

ピエモンテおよび   418(別居申請数)
ヴァッレ・ダオスタ州 341(離婚申請数)

フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア 396
                   312

トレンティーノ・A・A          393  
               268

リグーリア         392
               366

ラツィオ          381
              256

エミリア・ロマーニャ   373
              313

ロンバルディア     358
              298

トスカーナ        324
              275

マルケ          305
              245

ヴェネト         302
              250

アブルッツォ      285
             195

ウンブリア       258
             198

モリーゼ        255
             153

サルデーニャ     225
             200

シチリア        223
             179

プーリア        217
             136

カラーブリア      191
             115

カンパーニャ     189
             145

バジリカータ     138
            105

イタリア全体     298
             234

となっている。

トリノ出身のコメディ女優ルチャーナ・リティゼットのおばあちゃんは、「カップルがうまくいくためにはニンニクをかんで甘いと言わなきゃいけないこともあるんだよ」と言い、ルチャーナは若い時にはそれをきいてぞっとしたが、今は、時にはそんな場合もあると考えるようになったという。

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2010年2月23日 (火)

サンタントニオの遺骸、公開

Santantoniopadova 聖アントニオの遺骸が、パドヴァで公開された(2月15日、Corriere della Sera).

サンタントニオは、1195年にリスボンで、貴族の両親から生まれた。洗礼を受けた時の名前はフェルディナンド。正式には、Ferdinando Martim de Bulhoes.

17歳でコインブラで人文学を学んだ。1220年、サンタ・クルスで叙階され聖職者となった。アントニオは、2つの別々の時期にパドヴァに滞在した。最初は1229年から1230年。1230年から1231年で、その年にアントニオは亡くなった。

サンタントニオはタウマトゥルゴ(Taumaturgo)という別称を持っているが、これは奇跡をおこなう人という意味である。民衆のレベルでは、亡くしものを見つけ出すのを助けてくれることになっている。

彼の死体は1263年4月8日に開けてみると、奇跡的に舌が腐っていなかった。1350年遺骸をCappella dell'Arcaにうつした。1981年、死後750年を記念して遺骸を公開した。静かに公開したが、二週間後には丸一晩待たねば見られぬほどに巡礼者が増えた。100万人が巡礼した。

パドヴァは巡礼地として巡礼者の数の点で第三位を、パードレ・ピオのサン・ジョヴァンニ・ロトンダと競っている。1位と2位は、ローマのサン・ピエトロとフランスのルルドである。

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2010年2月22日 (月)

ミラノ、移民の暴動

Milano_rivolta ミラノで移民の暴動事件が発生した(2月14日、Corriere della Sera).

外国人同士の喧嘩でエジプト人の若者(20歳)が殺害された。それをきっかけに、ミラノのヴィア・パドヴァで移民の暴動が発生した。エジプト人の若者は、南米人に胸を刺されて殺された。

これに対して、北アフリカのグループが自動車を破壊したり、ひっくり返したりし、商店のショーウィンドウを割ったりした。公共輸送機関は止められた。

その一帯の混乱は数時間続いた。

副市長のデ・コラートは、「受け入れがたい」と述べた。すでに、治安特別委員会が設置された。

北部同盟は、こうした移民の国外追放を要求した。

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2010年2月21日 (日)

入札の費用がふくらんでいた

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フィレンツェ検察局の調べによると、防災庁の入札では、コストの水増しが50%に及んでいるものもあった(2月13日、Corriere della Sera).

入札で不正があったのは、大きなイベントがらみのもので、サルデーニャのマッダレーナ島で開催されるはずだったG8に関するもの、世界水泳大会のためのローマでのプール建設、イタリア建国150周年記念行事にまつわるものである。

防災庁の長官ベルトラーゾ(写真)は、自分は、部下を信頼しすぎた。もう、落ち着いた気持ちで仕事に戻ることはできない、と語った。

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2010年2月19日 (金)

首相:年金支給開始年齢を上げるべき

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ベルルスコーニ首相は、ブリュッセルの EU 首脳会談で、年金の支給開始年齢を上げるべきだと主張した(2月12日、Corriere della Sera).

年金の負担は、EU 諸国にひとしく重くのしかかっていると主張したのは、スペインのザパテーロ首相とベルルスコーニ首相であった。

バローゾEU 委員長も、2020年には、EU の労働人口は200万人減少する見込みであると強調した。

イタリアの年金に関しては、自営業者は、サラリーマンの約半分しか年金をおさめていないのに、受け取る年金は77%に達しており不公平だという声があがっている。

これは、2025−30年まで続くが、その後は、働いている間に収めた負担に応じた年金額をうけとるシステムに変わる。

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首相:エルアーナは生きているべきだった

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エルアーナ・イングラーロの死から一年経って、ベルルスコーニ首相は、彼女の死を避けることをしなかったことを後悔していると語った(2月10日、Corriere della Sera).

エルアーナは、長年、植物状態にあったが、一年前に栄養と水分補給を停止して、死に至った。

首相は、レッコのミゼリコルディアの修道女への手紙で上記の言葉をしたためたが、これには、エルアーナの父が反論した。

父ベッピーノは、「ベルルスコーニが、娘の状態を実際に見たなら、あんな手紙は書かなかったろう」と語った。

下院議長ジャンフランコ・フィーニは、「この件に関しては、すべての人が沈黙することが望ましい」と語った。


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2010年2月18日 (木)

ベルトラーゾ長官、取り調べを受ける

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イタリア防災庁の長官グイド・ベルトラーゾは、収賄の容疑で取り調べを受けた(2月11日、Corriere della Sera).

せんだってのG8 が当初はサルデーニャのマッダレーナ島で開催されるはずだった時のことに関わっている。実際は、地震の起こったラクイラに変更されてG8は開催された。

この件に関し、4人が逮捕された。その中には、アンジェロ・バルドゥッチ、62歳、という彼の元副官も含まれている。

容疑は収賄だけでなく、女性に関する話も取りざたされている。

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チャンチミーノ:フォルツァ・イタリアは、マフィアとの妥協から生まれた

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チャンチミーノ・ジュニアは、政党フォルツァ・イタリアが国家とマフィアの妥協から生まれたと告発した(2月9日、Corriere della Sera).

裁判の中でマッシモ・チャンチミーノが述べたものだが、チャンチミーノの父はパレルモの市長だった。
このパレルモ市長は、キリスト教民主党系であったが、マフィアの匂いのする市長でもあった。

息子のマッシモ・チャンチミーノによると、市長は、1994年にマフィアの親分プロヴェンツァーノから手紙を受け取った。その中で、彼は、ベルルスコーニに「事件」が起こりかねないと脅迫していた。

彼らは、ベルルスコーニの数あるテレビ局のうちの一局を使わせるよう要求した。

ベルルスコーニが彼らとの約束を守らなければ、フォルツァ・イタリア党の誕生の秘密をばらすとしていた。

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2010年2月17日 (水)

CD《椿姫》

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《椿姫》のCDを聴いた。

新譜だが、演奏は半世紀以上遡る歴史的名演で、1955年1月1日のメトロポリタン歌劇場のライヴである。渋谷のタワーレコードで購入したが、ネット上でも販売しているようだ。レコードナンバーは、WLCD0284.

ここでの聞き物は、何と言ってもバスティアニーニのパードレ・ジェルモンである。主役のヴィオレッタは、リチア・アルバネーゼ。アルフレードは、ジャチント・プランデッリ。指揮は、アルベルト・エレーデ。

エレーデの指揮は、過小評価されていると思うが、このCDでも実に適格で的を射ている。第一幕の舞踏会のリズムがだらけず間然とするところがない。アルバネーゼがたっぷり歌ってテンポを落とすと、合唱の部分でさりげなくテンポを戻していく。それが、唐突でなく、自然なので、注意して聴かなければ気がつかないほどなのである。エレーデの指揮では、これみよがしのオケの鳴らし方はなく、このテンポ、このリズムは当然だとこちらに腑に落ちるやり方で、音楽は進んでいく。めりはり、表情の濃淡がちょうと良いのである。

そのことによって、余計なことに気をとられずに、オペラの歌に、ストーリーに観客は入り込んでいけるのである。最高の職人芸と言えよう。

このCDで面白いのは、アルバネーゼの歌唱スタイルがやや古風で、それに比してバスティアニーニの歌唱が非常にモダン、即ち、ヴィヴラートやポルタメントをかけずにインテンポで歌っていく。プランデッリはその中間といったところ。このスタイルの変わり目にあって、異なった歌唱スタイルが掛け合いをしているのを聞き比べることが出来るのである。

さらに、ボーナストラックには、あの伝説的なスカラ座での《椿姫》(マリア・カラス、ディ・ステーファノ、バスティアニーニの共演で、ヴィスコンティが演出、1955年5月28日のライブ)の一部が収録されている。

続けて聴くと、カラスとアルバネーゼの歌唱スタイルの相違は歴然としている。

1955年は、バスティアニーニも若く、後年の病気の影もなく、声も申し分ない。

現代の演奏になにか物足りなさを感じている人にはおすすめの《椿姫》である。


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ウゴリーノの子孫、狩中に事故死

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ダンテの『神曲』の登場人物であるウゴリーノの子孫が、狩の最中に、後ろから撃たれ死亡した(2月8日、Corriere della Sera).

トスカーナ州のマレンマ地方でよくみられるイノシシ狩の最中に事件は起こった。古い家系の貴族ゲラルデスカ家とオルランド家の息子ジュゼッペ・オルランド、KME(銅の会社)の役員、42歳が、背後から撃たれ死亡した。

ジュゼッペ・オルランドは、シビッラ・デッラ・ゲラルデスカの息子。背後から当たった銃弾は、胸を貫通していた。狩は、7日の9時ごろ始まり、20人ほどが参加していた。

ジュゼッペは狩のベテランだった。事故は、犬の一斉の吠え声と獲物の追い手(勢子)の動きはじめ、イノシシを居所を探し出すところで起こった。

この一家の先祖は、ダンテの『神曲』の登場人物である。1288年、裏切りのかどで、塔に息子たちと幽閉され、餓死した。地獄篇の33歌にあるとおりである。ウゴリーノ・グェルフォ・デッラ・ゲラルデスカ(1220−1289)、先に死んだ子供の肉に囓りついたとされている。

その後、子孫のウーゴ(1563−1609)は、コスタンツァ・デ・メディチと結婚した。


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2010年2月16日 (火)

映画『カラヴァッジョ』

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アンジェロ・ロンゴーニ監督《カラヴァッジョー天才画家の光と影》を観た(銀座テアトルシネマ)。

バロックの光と影の天才画家の生涯を描いた映画である。生涯の終わりの地点から、フラッシュバックで、回想していくという枠組みをとっている。

撮影監督は、ベルトルッチ作品をてがけているヴィットリオ・ストラーロ。主演はアレッシオ・ボーニ(《輝ける青春》、《13歳の夏に僕は生まれた》、《心の中の獣》などで日本でもおなじみ)。ルイス・バカロフの音楽は、対抗宗教改革という時代を感じさせるもので、なかなか効果的だったと思う。

カラヴァッジョの生きたのは、1571年から1610年で、イギリスのシェイクスピア(この映画には出てこない)と重なる。有名な事件としては、ジョルダーノ・ブルーノの火刑、ベアトリーチェ・チェンチ一族の事件があり、両者とも映画に登場する。

この映画を観ると、カラヴァッジョがどういう状況で、絵を構想し、どういうモデルを起用して実際に描いたのか、そして、またそれは誰の注文か、パトロンは誰であったのか、また、パトロンを含め、当時のローマ・カトリック教会の勢力争いがどのようなものであり、パトロンの絵画コレクション、また、ローマの裏社会が貴族、高位聖職者とどうつながっていたかなど、生き生きとした形で理解できる仕掛けになっている。

カラヴァッジョは、放蕩無頼で、周知のごとく、殺人事件をも犯してしまう。宗教画を多く描いているが、道徳的に模範的な生涯などではなく、むしろだからこそ、映画の主題にふさわしいと言える。また、時代も、反宗教改革の嵐のさなかで、権力も思想も激しく動いている。

優れた芸術が、時代状況と作者の才能が切り結んだところで産出されるのだということを深く感じさせる映画となっている。


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2010年2月15日 (月)

しわ取り手術の副作用

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しわ取り手術に関する調査で、副作用の実態が明らかになってきた(2月7日、Corriere della Sera).

フィレンツェの皮膚科学・心身医学大学間センターによる、1500人を対象にした調査によると、センターに苦情を持ち込んだ4人に1人は医師の処置が必要となっている。

この調査は、注入(フィラー)によるしわ取り手術をした人を均等に対象にしたものではなく、センターに苦情申し立てをした人を対象にしたものであるが、はじめて、注入手術の副作用を明らかにした。

これによると、副作用があるのは、100人中5人である。副作用の内訳は次の通り。

肉芽腫(granulomi) 40%
ヘルペスの再発   28%
細菌感染      20%
膿瘍        12%

調査は、これらは、フィラーの質が低い時に生じているとしている。認可されていないフィラーや、十分に清潔でないフィラーが使用されていることから生じているのである。

適切なフィラーが用いられた場合、頻度はずっと少なくなるし、副作用も、患部が赤くなったり、注射をしたところに痛みを感じたりといった一時的なものが多い。

1年間にこの手術をする30歳から45歳の女性は150万人。男性は50万人。過去5年間に平均年齢は、40歳から30歳に下がった。

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2010年2月14日 (日)

4人に1人の子供が、平手打ちを経験

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イタリアでは4軒に1軒の家庭では、子供への体罰として平手打ちをしている(2月6日、Corriere della Sera).

より限られたケースと限定すれば、その割合は53%にまでなる。Save the Children が Ipsos と協力して実施した調査によるものだ。

子供は平手打ちをされたり、お尻をたたかれたりしている。しかし調査は、過去に較べると、はっきり減少しているとも述べている。さらに、平手打ちをするとしている25%の家庭のうち、毎日しているのは2%に過ぎず、残りの23%は一ヶ月に何度かである。

こうした数字は、男女機会均等大臣のマーラ・カルファーニャにとっては気に入らないものだった。「家庭では、もっと対話を進めるべきだ。暴力という形は、非難されるべきである」との見解を示した。

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2010年2月13日 (土)

ゲイには、聖体拝領をすべきでない

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ゲイは聖体拝領をすべきでないとの見解をピストイアの前司教が示した(2月6日、Corriere della Sera).

この10日間で2回、高位聖職者がこのような発言をしている。グロッセートの前司教のジャーコモ・バビーニとピストイアの前司教シモーネ・スカティッツィである。

両者ともその発言の媒体は、インターネットで、同一のサイトで、Pontifex di Roma というカトリックの伝統主義者のサイトである。

グロッセートの前司教は、プーリア州知事のニキ・ヴェンドラのように、同性愛者であることを自ら認め公言するものには、聖体拝領をしないと明言した。

ゲイの協会からは反論があった。元国会議員のフランコ・グリッリーニは、ピストイアとグロッセートの前司教は、「カトリック教会がホモセクシュアルを差別していることを示している。客観的に見れば、ヴァティカンは、ホモ恐怖をあおる者のリストの先頭に立っていることになる」と述べた。

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移民に点数制の滞在許可

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合法的な移民に対して、点数制の滞在許可書が発行されることになりそうだ(2月5日、Corriere della Sera).

この制度が導入されると、移民はもうフィーニ・ボッシ法の要件にしたがっているだけでは十分ではなくなる。滞在許可書を得るためには、30点を得なければならない。イタリア語のコースを修了したこと、憲法を知っていること、保健医療サービスへの登録、子供を学校に通わせていることなどを示さなければならない。

もし犯罪を犯せば、その点数はとりあげられる。


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2010年2月11日 (木)

スタンダ、姿を消す

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大型小売店スタンダが姿を消す(2月4日、Corriere della Sera).

スタンダの全店は、3月いっぱいで名前を Billa と変える。

2001年に引き継いだドイツの Rewe グループの決定である。スタンダは、1931年に、Upim の前取締役であったフランコ・モンツィーノが兄弟のイタロ、姉妹のジーニャとともに設立した。当初の資本金は5万リラであった。

名前も当初は、Magazzini Standard であった。1938年にムッソリーニが外国語をイタリア語化するように求めた時、Standa (Societa tutti articoli nazionali dell'abbigliamento 国産服飾品商会 の頭文字をとった)という名前に変えた。

1966年にグループはMontedison の手に渡り、支店は倍増した。数年後、ラウル・ガルディーニがフィニンヴェストに譲渡した。

しかし1990年代に入って赤字経営に転落した。ベルルスコーニは、衣服部門をCoin に、食料品部門を Franchini に譲渡した。

2001年にドイツのRewe がやってきたが赤字のままで、リストラ計画が始まった。名前を Billa となる。

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2010年2月10日 (水)

プローディ:ボローニャ市長選には出ない

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ロマーノ・プローディ元首相は、ボローニャ市長選には立候補しないと言った(2月3日、Corriere della Sera).

プローディは2月中、中国にも赴く。3月28日がボローニャ市長選の場合には、立候補しないと言明した。

しかしながら、市長選が今秋あるは来年にずれた場合には、話が違ってくる。

3月28日に選挙をやるためには、暫定措置令が必要になるもようだ。


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2010年2月 9日 (火)

日曜農夫が増えている

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週末を農業で過ごす人が増えている(2月2日、Corriere della Sera).

農家自体は減っている。1990年から2000年にかけて、40万人以上農業従事者が減っている。

しかしその一方で、趣味で農業をやる人は増えている。こうした人を hobby farmer と呼んでいる。hobby farmer の職業は、つぎの通り。

年金生活者  47、7%
サラリーマン 12、2%
労働者    9、3%
公務員    5、3%
自由業    4、2%
自営業    3、8%
管理職    2、2%
教師     2、2%
医師     1、6%
企業家    1、4%
商人     1、4%
その他    8、7%

栽培しているものは次の通り
野菜   88、6%
果物   65、0%
葡萄   34、3%
オリーヴ 32、3%
穀物、飼料 16、1%


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2010年2月 8日 (月)

ホロコーストとピオ12世

Pioxii イギリスで教皇ピオ12世のホロコーストをめぐる発言を記した文書が発見された(2月1日、Corriere della Sera).

文書はロンドン郊外のキュー・ガーデンのナショナル・アーカイヴのもの。二つの文書があり、1つ目は、1943年10月19日に教皇庁で行われた教皇とアメリカのヴァティカン大使ハロルド・ティットマンの会談の記録である。ローマのゲットーで1000人以上のユダヤ人がナチスのSSにより連れ去られた事件の3日後のことだった。

短い報告書から、ピオ12世はこの悲劇的事件については言及しておらず、むしろ連合軍がローマを戦場にしないよう全力を尽くしてくれと述べている。さらに、ピオ12世は、ローマからのドイツ軍撤退と連合軍到着の間に、共産党の小部隊が暴力行為におよぶのではないかと懸念している。

2つ目の文書はより詳細なもので1944年11月のもの。ピオ12世とイギリスのヴァティカン大使フランシス・ダーシー・ゴドルフィン・オズボーンの会談の記録である。ローマは6月に解放されていたが、戦争は続いており、この時、ドイツ軍はハンガリーから大量のユダヤ人をアウシュビッツ(強制収容所)に送還していた。ハンガリーは、ソ連軍とドイツ軍の戦場となっていたのである。この間、ソ連軍は、バルト諸国を支配下におき、ポーランドで両軍は対峙していた。

ダーシー・オズボーン大使は、イーデン外相の言葉を伝え、ハンガリーのユダヤ人に味方する声明を発してはどうかと教皇にすすめた。教皇は、ここ数日、バルト諸国(エストニア、ラトビア、リトアニア)やポーランドでソ連軍が行った蛮行を非難するよう促されたところだと答えた。

ダーシー・オズボーンは、(当時イギリスの連合国であった)ソ連を非難しないようすすめた。世論にネガティヴな影響があるといけないという理由で。教皇は、具体的な名前はあげないだろうと請け合った。

ダーシー・オズボーンは、東ヨーロッパにおけるソ連軍の蛮行についての情報は得ていないがいずれにせよ、ナチスのなした行為に比較しうるものではありえないとして、ナチスのガス室でのユダヤ人大量殺戮に言及した。この点に関して、教皇は同意した。

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2010年2月 7日 (日)

教皇、フィアットとアルコアに職を守るよう呼びかけ

Alcoa教皇ベネデット16世は、夕べの祈りの後、フィアットやアルコアに、労働者の雇用を守るよう呼びかけた(2月1日、Corriere della Sera).

教皇は、あらゆる人に責任感が必要だと説いた。企業家、労働者、政治家すべてである。教皇は、具体的には、フィアット社のテルミニ・イメレーゼ工場、アルコア社のポルトヴェスメ工場の名をあげた。

労働組合はこのコメントを歓迎している。

フィアットのテルミニ・イメレーゼ工場では、1300人が働いているが、2011年までに自動車の製造をやめる計画である。

アルコアは、アルミニウムを製造する多国籍企業だ。アメリカのピッツバーグに本社があり、6万3000人の従業員がいる。昨年11月20日に、イタリア工場を閉鎖すると決定した。2000人の従業員が関わっている。

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2010年2月 6日 (土)

イタリア、寒気いすわる

Neve1 今年のイタリアは、春は4月までおあずけの模様だ(1月31日、Corriere della Sera).

北極の寒気が流れ込み、2月、3月はその寒気が北部、中部にはいすわるという見通しだ。

これまでの記録では1985年が寒い冬で、フィレンツェではマイナス23度まで下がった。ミラノではその年、1月14日から17日までの三日間に80cmから120cmの雪が降り、高速道路や空港の機能が麻痺した。

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2010年2月 5日 (金)

ベネデット16世:教皇庁控訴院での結婚解消が多すぎると批判

Papa_benedetto300x247 教皇ベネデット16世は、教皇庁控訴院(Sacra Rota)が結婚の解消を安易に認めすぎていると批判した(1月30日、Corriere della Sera).

カトリック教会では、結婚は解消し得ない(indissolubile)ものであり、「そうでないと証明されないかぎり、有効であると解釈されねばならない」としている。

この問題はデリケートで、離婚して再婚した人が聖体拝領できるかというやっかいな問題とからんでくる。

全世界では、結婚解消をもとめた4万8655例に対し、拒絶されたのは2984例にすぎない。

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《マッキアイオーリ》展

Photo 《マッキアイオーリ》展を観た(東京都庭園美術館、3月14日まで)。

副題には、イタリアの印象派とある。また、英語のタイトルには The Macchiaioli, Italian Masters of Realism とある。マッキアとは染みのことで、色の染みで絵を描いたようだという悪口だったのがあるグループの名前になったのは、フランスの印象派と同じである。

しかし、グループの活動時期はフランスの印象派よりも早く、1856年にフィレンツェのカフェ・ミケランジェロで結成されている。

そのためもあって、今から観ると画風はオーソドックスに見えるが、当時は、リソルジメントの時代で、彼らは、新しい美術、新たな国民美術様式の確立を目指していたらしい。

当時のイタリアはいくつかの国に分かれていたわけだが、それぞれの国のアカデミーは保守的であったのに対し、彼らは戸外の風景を描き、絵画の中に光りを取り入れたのである。

初期には歴史画もあるが、途中からトスカーナ地方の田園風景、牛がいたり、農婦がいたりといった絵画が増える。

ジョヴァンニ・ファットーリが中ではもっとも知られているかもしれない。

マッキアイオーリの展覧会は、1979年にも伊勢丹美術館で開かれていたのだが、まったく知らなかった。

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ミラノ、日曜は8時間自動車いれず

Stor_9842283_00430 ミラノは、31日の日曜日、10時から18時までの8時間、自動車の走行を禁止する(1月29日、Corriere della Sera).

ミラノは17日連続で、スモッグが制限値を越えたことをうけ、31日は環境への負荷の小さい電気、メタン、gpl車をのぞいては、走行することができない。

2010年に入ってpm10が基準値を超えた日数は各都市で次の通り。

ミラノ     21日
パドヴァ    19日
ヴィチェンツァ 19日
ヴェローナ   18日
トレヴィーゾ  18日
ヴェネツィア  16日
ロヴィーゴ   15日

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2010年2月 4日 (木)

倉科岳志『クローチェ 1866−1952』

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倉科岳志著『クローチェ 1866−1952』(藤原書店)を読んでいる。

クローチェはイタリアでは現在でもしばしば言及される基準点とも言うべき存在なのだが、そのことは日本ではきわめて見えにくい。何より、クローチェを紹介する書物が少ない。翻訳もあるが、クローチェの全体像を伝えるものとは言えない。

このたび、倉科岳志氏によるクローチェについての単著が出版されたことは、その意味で、大変有意義であろう。日本での忘却ぶりを考慮にいれて、本書は、もともとは博士論文がもとになっているのだが、新たに「小伝 ベネデット・クローチェ」という最終章を書き下ろしている。評者のような社会思想や哲学が専門でないものにとっては、これが最もとっつきやすくまた有意義な情報がつまっている。評者などは個人的には、評伝をもっと詳しくしてくれればと思ったほどである。

しかし、本書の眼目となる議論は、クローチェの思想が、ファシスト政権の独裁制樹立を機に転換を示したかどうかをめぐるものだ。倉科氏は、そもそもそういった問題の立て方そのものが、戦後のファシズム対反ファシズムという図式にとらわれたものだとしている。むしろ、クローチェは、「ファシズム期に入っても精神哲学体系における政治と道徳の関係を転覆させたわけではなく、むしろ体系を維持し、精緻化させながら、その上に自由主義を構築したのである」としている。

評者には、この主張がどれほどオリジナリティーを持つのか、またさらに、妥当性を持つのかを判定する能力がない。

個人的には、クローチェの著作のうち意外なほど多くを占める芸術、美学、文学関係の論考を読んでみたいと思った。しかし、こういったないものねだりも、本書のクローチェの作品リストを眺め、また、文献一覧があるから言えることだ。まずは、クローチェについて、日本語で読める単著が生まれた事を素直に喜びたい。

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アウグスティヌスのテレビ・ドラマ

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アウグスティヌス(Agostino)のテレビドラマがRai1で制作された(1月28日、Corriere della Sera). また、アウグスティヌスの著作の翻訳の刊行ー70巻で5万ページ以上におよぶーも完成した。80人以上の研究者の手になるものである。 テレビドラマには、アレッサンドロ・プレツィオージ、モニカ・グエッリトーレが出演した。 彼の著作は、www.augustinus.itで読むことができる。

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2010年2月 3日 (水)

ベルティノッティ夫妻の危機?

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ベルティノッティ夫妻の危機がささやかれていたが、本人たちはテレビカメラの前で否定した(1月27日,Corriere della Sera).

ファウスト(元下院議長、元共産主義再建党のリーダー)とレッラの夫妻は、彼らの関係が危機にあることを否定した。テレビ番組「イエナ」は、二人をローマのポポロ広場のレストランでつかまえ、彼らに鎌と金槌をプレゼントした。

彼らの結婚生活は、45年前にはじまった。

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フィアット、2010年に黒字の見通し

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フィアットは、2010年は黒字に転じる見通しであることをマルキオンネが明らかにした(1月26日、Corriere della Sera).

2009年は、8億4800万ユーロの赤字であったが、当初の見通しよりはましであった。

これに対し、2010年は、2億から3億ユーロの黒字になる見通しだ。

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2010年2月 2日 (火)

ボローニャ市長、辞任

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ボローニャの市長フラヴィオ・デルボーノが辞任した(1月26日、Corriere della Sera).

デルボーノは、元秘書・元婚約者のチンツィア・クラッキが、公金横領の疑いがあると暴露したことで、辞任に追い込まれた。

民主党にとっては、プーリア州の予備選で、民主党が立てた候補者がニキ・ヴェンドラに敗れたのに加え、さらなる打撃をこうむったことになる。

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運転中にすること

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イタリア人が自動車の運転中にすることを、保険会社のチューリッヒが調査した(1月25日、Corriere della Sera).

ラジオを聴く 72,4%

cd, mp3 などを聴く 49,3%

自分のことを考えたり、夢想する 42,1%

景色を眺める  29,2%

歌う    24,3%

重要なことを議論する(仕事、個人的なこと)23,2%

電話で話す  22,0%

鼻、耳をかく、爪をかむ 13,9%

煙草を吸う 12,8%

独り言を言う 9,1%

となっている。

男女別では、男は cd , mp3 を聴く人が55%に達している。女は、歌う人が29%いる。


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2010年2月 1日 (月)

ローマ・オペラ座、《ファルスタッフ》で開幕

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ローマのオペラ座は、ゼッフィレッリ演出のおなじみの出し物《ファルスタッフ》で幕をあけた(1月24日、Corriere della Sera).

主役は、76歳のレナート・ブルゾン、69歳のルッジェーロ・ライモンディ、64歳のホアン・ポンス、および「若造の」アルベルト・マストロマリーノが交代でつとめる。

初日は、ナポリターノ大統領とローマ市長アレマンノが臨席し、国歌に唱和した。


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ベネトン、スペインの高速道路網をねらう

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ベネトンは、スペインの高速道路網に目をつけている(1月23日、Corriere della Sera).

ベネトンは、バルセロナの会社で、スペインおよびフランスの高速道路網やポルトガル、イギリス、南アメリカの空港を所持しているアベルティスという会社との提携を考えている。ベネトン・グループは、このプロジェクトをメディオバンカとともに検討中だ。この話が最初に出たのは、2006年の春だった。

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