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2009年7月13日 (月)

マンゾーニのもう一面

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ナタリーノ・サペーニョのマンゾーニに関する講義録が出版される(7月6日、Corriere della Sera).

この本は、《Opere di Natalino Sapegno》(ナタリーノ・サペーニョ著作集)の第5巻で、Manzoni, Lezioni e saggi (Aragno, 396ページ、30ユーロ)である。これは、1946年から48年にかけて、ローマのサピエンツァ大学での講義録である。

マンゾーニの生涯には、大きな事件がない。唯一の大きな事件は改宗である。ある時点までは、ヴォルテール流の理神論からオーソドックスなカトリックへの改宗である。それが、文学上では古典主義からロマン主義への転身と重なっている。

前者は、広範囲に詳細に研究されているのだが、後者は、前者と密接な関係を持っているのにもかかわらず十分調査されてこなかった。

また、改宗以前のマンゾーニというのは、改宗に先立つ期間として捉えられる傾向があり、つまり本当のマンゾーニの歴史は1810年から始まるとでも言いたげな風情だったのである。

本来、改宗以前のマンゾーニの作品はそれ自体として研究していく必要がある。たとえ、彼の詩人として意義のある作品は、 Inni sacri というカトリック教会の祝祭日に捧げた詩からだとしても。

サペーニョは後に、1963年、新聞La Stampa に、「マンゾーニの擁護」と題する一文を寄せている(この一文は今回の本に収録されている)。

これは、ベネデット・クローチェの『いいなづけ』の美的価値の再評価や、グラムシによるイデオロギー的な観点からの再評価に対して出されたものだ。グラムシは、マンゾーニをブルジョワ階級の「雪的知識人」という立場で捉えようとしていた。それに対し、サペーニョは、『いいなづけ』は、「卑しい身分や抑圧された人々の叙事詩」であると捉えたのである。 

またサペーニョは、前期マンゾーニのある種の革命性、自由主義者としての性格を深く論じている。

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コメント

懐かしく興味深く拝見。一部しか読んだことありません、がマンゾーニはもっと詩的に読まれてしかるべき、と思っていました。美しい文でした。実力が追いつきませんでしたが。Sapegno、未読ですが、懐かしいです。お名前拝聴しただけでなつかしい。
 Croceは言うまでもなく。そして我が身の無を嘆きます。こういう記事をお待ちしています。ありがとうございました。

投稿: tosca | 2009年7月13日 (月) 14時04分

tosca さん

マンゾーニの、特に、『いいなづけ』はイタリアでは古典中の古典で、ダンテの『神曲』とならんで別格ですね。

サペーニョは、イタリア文学史も書けば、『神曲』の註釈もものしていますが、思想的な立場がこの記事では明らかになっています。

投稿: panterino | 2009年7月13日 (月) 23時01分

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