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2009年7月31日 (金)

マリオ・オルフェオ、TG2のディレクターに

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マリオ・オルフェオがあらたにTG2のディレクターになる(7月24日、Corriere della Sera).

マリオ・オルフェオは、現在マッティーノ紙の編集長。43歳で、ナポリ出身である。1990年にレプッブリカ紙に入社。マッティーノ紙の編集長は、2002年からつとめている。TG2(Rai 2 のテレビニュース)のディレクターには、理事会で全員賛成で決まった。

一方、Rai 2 のトップには、マッシモ・リオフレーディが就任することが決まったが、レーガと民主党の反対があり、理事会の投票は割れたが、最終的には彼に決まった。

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2009年7月30日 (木)

ベルルスコーニ:私は聖人ではない

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女性問題のスキャンダルが取りざたされているベルルスコーニ首相は、「わたしは聖人ではない」と言って反駁した(7月23日、Corriere della Sera).

「世の中にはきれいな子がいっぱいいるんだ。わたしは聖人じゃない。みんな判っているでしょう。レプッブリカ紙の連中も判ってくれるといいんだが...」。ベルルスコーニ首相は、首相官邸への若い女性の出入りに関するスキャンダルをこうちゃかしてみせた。

首相は、この日、ブレーシャ/ベルガモ/ミラノ間の高速道路工事開始の式典に出席し、祝辞を述べたが、突然、個人的な事柄に言及し、出席者の笑いを誘った。

また別の所では、「私の家に来るのは、女性タレントだけではない。政府首脳もくるんだ。私は文化的な人間だから、家に来た人に、携帯電話を使うななどとは言わない」と述べた。また「ゴシップを使うのは、他に批判することがないからなんだ」とも主張している。

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2009年7月29日 (水)

ボルセッリーノ判事、没後17年

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ボルセッリーノ判事没後17年の記念行事がいとなまれた(7月20日、Corriere della Sera).

パオロ・ボルセッリーノ判事は、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事とともにマフィア組織壊滅のために闘い殺された。1992年7月19日、パレルモのダメリオ通りで、彼の警護をしていたアゴスティーノ・カタラーノ、エマヌエーラ・ロイ、ヴィンチェンツォ・リ・ムーリ、ヴァルター・エディ・コジーナ、クラウディオ・トライーナとともに爆殺された。

それは、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事が、妻と3人の護衛とともにパレルモ郊外の高速道路で爆殺されて57日後のことであった。

ナポリターノ大統領は、ボルセッリーノを法の英雄として讃えたが、記念式典には、政府関係者の姿は少なかった。

また、この事件の黒幕とされるマフィアのボス中のボスであったトト・リーナは、この虐殺事件の背後には、国家が関与していると、弁護士に語った。司法官は、彼から話を聞くとしている。

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2009年7月28日 (火)

ナポリターノ大統領の提案

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ナポリターノ大統領は、盗聴法案は、与野党の合意が形成されていないので、9月まで先送りすべきだとの見解を示した(7月21日、Corriere della Sera).

ナポリターノ大統領は、与野党で共有できるルールを作るべきだとの考えを示した。

また、治安に関する一括法案の発布について、野党のディ・ピエトロ党首(価値あるイタリア党)から批判があったことに対しては、「私を批判する者は、憲法が判っていない。大統領にはない権力と義務を行使するよう求めているのだ」と応えた。

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2009年7月27日 (月)

新型インフルエンザ、秋に流行か

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新型インフルエンザが秋に本格的にイタリアでも流行する可能性がある(7月19日、Corriere della Sera).

保健省の副大臣フェッルッチョ・ファツィオは、新学年(通常9月中旬から)の開始が延期になる可能性もあると述べたが、その後、まだ検討したわけではないと訂正した。

マリアステッラ・ジェルミーニ教育相は、「延期の可能性はまったくない」としている。ただし、必要な予防策はすべて取るとしている。

現在のところ、イタリアで報告されている新型インフルエンザ患者は258人である。しかし9月以降に新型インフルエンザが流行する可能性はあると、ファツィオ副大臣は指摘している。

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2009年7月26日 (日)

教皇、手首を骨折

Papa 教皇べネデット16世が転倒し、手首を骨折した(7月18日、Corriere della Sera).

ヴァッレ・ダオスタのLe Combesの山荘 に滞在中、寝室で転び、手首を骨折した。

地元の病院で手術をうけ、ギプスをしている。

病院には当初「患者917」として運ばれたが、すぐに情報は伝わった。

教皇は、病院の業務が混乱することを懸念し、他の患者と同じように扱うことを求めた。そのため、レントゲン撮影の際も、他の患者と同様、順番を待った。

右手首の橈骨(とうこつ)に骨折のあることが判り、部分麻酔をして、約25分の手術をした。骨折部分に2本の金属線をいれた。約1カ月後に、この金属線は、外に付けたガラス繊維強化樹脂のギプスとともにはずす予定。

そのため、一か月は、教皇は執筆やピアノを弾くことができない。

病院を出る際には、教皇は看護師ら一人一人にお礼を述べた。

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2009年7月25日 (土)

ミラノ市、16歳以下にアルコール禁止

Milano ミラノ市は、16歳以下の若者が、アルコール飲料を買ったり飲んだりすることを禁じる条例を制定した(7月18日、Corriere della Sera).

これを破ったものには、450ユーロの罰金が課せられる。

この条例は、4か月の暫定的、実験的なもので、4か月経過後に、効果と結果を検討する。

15歳で、過去一年間にアルコール飲料を飲んだことのあるものは71,3%に達している。

ミラノ市によると、アルコールに関し何らかの問題のある11歳の子供は34%もいる。

15歳で、いままで一度でも酔っぱらったことのある子供は40%にのぼっている。

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2009年7月24日 (金)

小企業に減税政策

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政府は小企業への減税策を検討中である(7月17日、Corriere della Sera).

一つは、増資へのインセンティヴを与えることだ。50万ユーロを上限として、2009年から2012年まで増資する企業への優遇をはかる。ただし、売り上げが、5000万ユーロを超える企業にはこれが適用されない。

また、設備投資には、50%が経費として認められる。これは2009年下半期と2010年上半期に機械を購入した場合に限っている。

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2009年7月23日 (木)

イタリアのニート

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イタリアのニートが紹介されている(7月16日、Corriere della Sera).

ニートは、Generazione né-né と呼ばれている。

15歳から19歳では、学校に行かず、働いてもいない若者は9%、27万人いるが、その大半は仕事が見つからないからである。5万人(1,9%)は、確信犯的に非活動的になっている。

25歳から35歳では、学校に行かず、働いていない人は、190万人、23,75%いる。70万人(8,75%)は、仕事をさがさないし、探す気もない確信犯的な人である。

若者の失業率は、15歳から25歳では、21,3%、15歳から40歳では、9,8%となっている。

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アフガニスタンで、イタリア兵死亡

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アフガニスタンで、イタリア兵が死亡した(7月15日、Corriere della Sera).

ファラー市から50kmの地点の道路沿いで爆弾が爆破し、落下傘兵だったアレッサンドロ・ディ・リジオ上級伍長が死亡した。25歳だった。

カンポバッソ出身で、アフガニスタンには数ヶ月前に赴任したばかりだった。他に三人の軍関係者が負傷し、一人は重傷。

ベルルスコーニ首相は弔意を示し、「しかしながら、派兵は必要で続けねばならない」と語った。

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2009年7月22日 (水)

首相に5人目の孫

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ベルルスコーニに5人目の孫が誕生した(7月14日、Corriere della Sera).

首相の娘バルバラとそのパートナージョルジョ・ヴァラグッツァの間に二人目の子供エドアルドが誕生し、首相にとって5人目の孫となった。

ベルルスコーニ首相には、5人の子供がいる。最初の妻カルラ・エルヴィーラ・ルチア・ダッロリオ(1985年に離婚)との間に生まれたマリーナ(42歳)、ピエル・シルヴィオ(40歳)。あとの三人、バルバラ(25歳)、エレオノーラ(23歳)、ルイージ(21歳)は、1990年に結婚したヴェロニカ・ラリオ夫人との間に生まれた。

孫は、ピエル・シルヴィオの子供ルクレツィア・ヴィットリア(19歳)、マリーナの子供ガブリエーレ(7歳)、シルヴィオ・ジュニア(5歳)、バルバラの子供アレッサンドロ(2007年生まれ)がいる。

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高校卒業試験、不合格者増える

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高校卒業試験(マトゥリタ)の不合格者が増え、高得点者が減少した(7月14日、Corriere della Sera).

不合格者は、1万5000人で、昨年よりも3000人増加した。また、素行点が一定点に達しなかったために9500人以上の生徒が試験自体を受験することが認められなかった。

不合格者は、受験者の2,5%から3,1%に上昇した。高得点者も減った。100点+優等者は、減少し、100点は半分近くになり、91点から99点も大幅に減った。低得点、中得点者が増えた。61点から80点のものもそうである。

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2009年7月20日 (月)

健康福祉の新基準

Sanita 政府は州に対して、病院の新基準を示し、その効率性の基準を遵守するように求めていく(7月13日、Corriere della Sera).

州に対しては、今年の12月末までにその基準を守らない場合には、一律で病床数を20%削減する。

こうした効率化によって、2012年までに50億から70億ユーロの経費節減をめざす。

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イタリア人、ヴァカンツァに行く人増える

Brambilla ヴァカンスに行くイタリア人が増えている(7月12日、Corriere della Sera).

経済危機にもかかわらず、76%のイタリア人がヴァカンスに行く予定だと答えており、この数字は2008年より11ポイントも上昇している。

イタリア政府の観光大臣ブランビッラ(写真)は、マジック・イタリーというロゴを作って、イタリア観光産業の売上倍増、すなわち、4年間で、GDPを10%から20%に増加させたい考えだ。

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2009年7月19日 (日)

首脳、地震の爪跡を訪問

Obama G8の各国首脳は、ラクイラ地震の爪跡を訪れた(7月11日、Corriere della Sera).

オバマ大統領、メルケル首相、麻生首相その他、各国首相は地震でがれきの町となったラクイラを訪れた。

麻生首相は、「地震になれているわれわれにとっても、ショックだ」と語った。

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イタリア、原発に復帰

Nucleare 上院で原子力発電を再開する法案が可決された(7月10日、 Corriere della Sera).

政府案では、1万3000メガワットの出力で、4つの発電所をつくる。最初の発電所は2020年までに稼働させる見込み。

現政権のもとで、工事に着手するとしている。

EU加盟の27カ国では、そのうち15カ国が原子力発電所を稼働させている。

現在イタリアのエネルギー源は、原油など19%、ガス50%、石炭14%、再生可能エネルギー17%となっている。政府の目標では、2020年に原子力を25%としたいとのこと。

イタリアでは、最初の原子力発電所は、1962年にフェリーチェ・イッポリトの尽力によりできた。1966年には、イタリアは世界第三位の原子力発電国であった。

しかし1986年4月26日チェルノブイリ原発事故ですべてが変わり、1987年に実施された国民投票で71,9%が原発廃止に賛成した。というわけで、現在イタリアでは原子力発電所は一つも動いていない。

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2009年7月17日 (金)

ナポレオンIII 世とリソルジメント

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ナポレオンIII 世が、リソルジメントに果たした役割が再検討された(7月8日、Corriere della Sera).

エウジェニオ・ディ・リエンツォが、エイナウディのイタリア史のAnnali の第22巻に、ナポレオン3世のリソルジメントにおける役割を見直す論考を寄せた。

ディ・リエンツォは、ローマ・サピエンツァ大学の現代史の教授である。

ディ・リエンツォは、これまでアルベルト・バンティや、ポール・ギンズボルグも、「外交や国際関係というコンテクストを、文化やメンタリティの歴史に集中するために、無視してきた」としている。実際は、ジョアッキーノ・ヴォルペやフランコ・ヴェルセッキが言うように、リソルジメントは外交の労苦がなければ不可能であったのだ。

ロザリオ・ロメ-オはその著書『カヴール』(邦訳『カヴールとその時代』(白水社、柴野均訳))で、第二次独立戦争の民衆的でない面をあざやかに描き出している。

ディ・リエンツォは、フランス人歴史家や我が国(イタリア)のピエール・ミルツァがとる解釈、ナポレオン3世はまったく親イタリア的だったという考え方に挑んでいる。

ディ・リエンツォの論考の題は、「イタリア、フランス、ヨーロッパーーソルフェリーノから統一まで(1859−1861)」というものである。外交文書を特に重視している。

ディ・リエンツォによれば、「ナポレオン3世は、ポー平野に、オーストリアのあらゆる野望をブロックする大きなゾーンを作る構想を持っていた。そこから、中くらいの国家、サボイア王国とロンバルディア、ヴェネトを含み、アペニン山脈に達するような国家の形成を支持した」。彼のこころづもりでは、そこには、トスカナ、教皇領、両シチリア王国は含まれないはずだった。

これはフランス側から見れば、まったく理解できる考え方だ。ナポレオン3世は、統一イタリアというよりも、イタリア諸国家の連邦を考え、それを教皇が教皇領とともに、調停者の役割を果たすという構想であったのだ。

この考えは、カヴールのイニシアティヴにより難破した。

ディ・リエンツォは、フランスが常に親イタリア的であったとする見解と不協和音をかなでる事実として、ソルフェリーノの戦いでオーストリアが敗れたあと、ヴィッラフランカでフランスは和平に調印したが(1859年7月11日)、プロシアがオーストリア側について参戦するのをおそれたとしている。実際は、プロシアはフランスを攻撃するつもりはなかった。ナポレオン3世は、ロシアとの同盟によってそれを完全に知っていた。

ヴィッラフランカの和平を受け入れたのは、ロンバルディアをピエモンテに割譲するという重要なステップはあったもののの、イタリア戦争を限られた規模のものにし、カヴールの野心を抑えるためだったのだ。

また、ディ・リエンツォは、ガリバルディの千人隊がシチリア上陸したあとも、ナポレオン3世は、両シチリア王国のうち、イタリア半島はブルボン家のものである状態を維持し、シチリアは別の王家に提供する考えを持っていたのだとしている。

また、フランスは統一イタリア王国の承認がおそかった。イギリス、アメリカ、トルコの後、1861年7月12日のことであった。

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2009年7月16日 (木)

落書きを消したら単位がくる

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ボローニャの新市長デルボノは、落書き対策に乗り出した(7月8日、Corriere della Sera).

民主党の新市長フラヴィオ・デルボノは、セルジョ・コッフェラーティを引き継いだ。

芸術的に価値ある落書きは、残し、そうでないものは、消去する。また、生徒が消去活動をした場合には、単位が与えられる。

また市長は、どの落書きが「芸術的」で保存に値するかを決める委員会を作った。

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2009年7月14日 (火)

フィレンツェ、オンニサンティ教会の磔刑図はジョットだった

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フィレンツェのオンニサンティ教会の磔刑図(写真)は、ジョット作であることが修復作業の結果明らかになった(7月8日、Corriere della Sera).

大部分の研究者は、これまでこの磔刑図をジョットの縁者か弟子によるものとしていた。が、Opificio delle pietre dure (準宝石製作所)の修復によりジョット自身の製作であると判定された。

これまでは、ほこりや蝋燭のすすにまみれて細部が見えなかったが、このたびの修復、洗浄により細部が明らかになって、ジョット作であるとされるようになった。製作年代は、1310年代らしい。大きさは450×360cmと巨大である。しかもオリジナルは、この下に約1メートルのゴルゴタの丘とアダムの頭蓋骨をあらわしたものが台座としてあった(今は失われている)。

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2009年7月13日 (月)

マンゾーニのもう一面

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ナタリーノ・サペーニョのマンゾーニに関する講義録が出版される(7月6日、Corriere della Sera).

この本は、《Opere di Natalino Sapegno》(ナタリーノ・サペーニョ著作集)の第5巻で、Manzoni, Lezioni e saggi (Aragno, 396ページ、30ユーロ)である。これは、1946年から48年にかけて、ローマのサピエンツァ大学での講義録である。

マンゾーニの生涯には、大きな事件がない。唯一の大きな事件は改宗である。ある時点までは、ヴォルテール流の理神論からオーソドックスなカトリックへの改宗である。それが、文学上では古典主義からロマン主義への転身と重なっている。

前者は、広範囲に詳細に研究されているのだが、後者は、前者と密接な関係を持っているのにもかかわらず十分調査されてこなかった。

また、改宗以前のマンゾーニというのは、改宗に先立つ期間として捉えられる傾向があり、つまり本当のマンゾーニの歴史は1810年から始まるとでも言いたげな風情だったのである。

本来、改宗以前のマンゾーニの作品はそれ自体として研究していく必要がある。たとえ、彼の詩人として意義のある作品は、 Inni sacri というカトリック教会の祝祭日に捧げた詩からだとしても。

サペーニョは後に、1963年、新聞La Stampa に、「マンゾーニの擁護」と題する一文を寄せている(この一文は今回の本に収録されている)。

これは、ベネデット・クローチェの『いいなづけ』の美的価値の再評価や、グラムシによるイデオロギー的な観点からの再評価に対して出されたものだ。グラムシは、マンゾーニをブルジョワ階級の「雪的知識人」という立場で捉えようとしていた。それに対し、サペーニョは、『いいなづけ』は、「卑しい身分や抑圧された人々の叙事詩」であると捉えたのである。 

またサペーニョは、前期マンゾーニのある種の革命性、自由主義者としての性格を深く論じている。

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2009年7月12日 (日)

ヴィアレッジョの事故車とGATX

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ヴィアレッジョで脱線・転覆・炎上事故を起こした貨物列車は、アメリカの多国籍企業GATXのリース車両だった(7月2日、Corriere della Sera).

GATX はシカゴに本部のある多国籍企業。リースや鉄道、港湾、航空関連作業のファイナンスを専門としている。

ヨーロッパには三つの支社があり、ヴィーンとハンブルク、ワルシャワにある。車両のリース、特に液体輸送車両を専門とし、マーケットの22%のシェアを占めている。

GATXはアメリカで1898年に生まれた。その時から、鉄道用の車両の貸し出しをしていた。

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2009年7月11日 (土)

UTET 方向転換

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出版社UTETが方針を転換する(7月6日、Corriere della Sera).

代表取締役のジャン・ルーカ・プルヴィレンティによると古典に関する450のタイトルを廃刊にする。企画途中のものも凍結される。

プルヴィレンティは古典を止めるわけではなく、マーケットに適合したものにするとしている。このことは二つのことを意味している。1つは、シリーズもので続けるものもある。現在のギリシア・ラテンのテクストのシリーズは今のところ継続される。もう1つは、大々的に計画を見直すというものだ。

全体としては、よりテクノロジー関係が重視されることになる。

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2009年7月10日 (金)

アルコール規制の動き

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アルコール販売に関し、規制強化の論調が出てきた(7月5日、Corriere della Sera).

タバコに続き、アルコール飲料に関する販売規制強化の動きがある。

歴史的な経緯は次の通り;

1992年 警察が交通取り締まりに関し、酔っぱらい運転の検査のためアルコール検知器を導入

1998年 アウトグリル(高速道路のサーヴィスエリア)で22時から翌朝6時までは、アルコール度の強い酒類の販売中止を決定

2001年 高速道路で22時から翌朝7時まで、アルコール度数の強い酒類販売を禁止

2007年 すべての娯楽施設で、夜中2時以降のアルコール飲料販売を禁止

2008年 すべてのアルコール飲料販売所で、アルコールの血中濃度に関する表を表示することを義務づける。血中濃度1リットルあたり0,5グラムまでが自動車運転などで合法の範囲。

2009年 コープが18歳未満へのアルコール類の販売中止を決定。

モンツァでは、16歳以下の未成年には、バール、公的場所、商店、スーパーマーケットでのアルコール類販売を禁止。罰金は最高400ユーロで、ランダムに検査を実施する。この条例は、6月から施行された。

まもなくミラノでも同様の条例が施行されるが、罰金の額がさらに高額になる。

議論としては、禁止を16歳未満ではなくて、18歳未満とすべきとの論調もある。

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2009年7月 9日 (木)

ラクイラで再び余震

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G8が開催されるラクイラで余震があった(7月4日、Corriere della Sera).

G8開催まで間もないラクイラでは強い余震があった。サミットの会場も揺れた。

準備本部は、「何のリスクもない」としている。

また、ベルルスコーニ首相は、秋までに、9月と11月の間に被災者1万5000人のために耐震構造の住宅を建てるとしている。

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2009年7月 8日 (水)

不法入国は犯罪に

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上院で、治安関連案件が可決し、不法入国者はそのこと自体が犯罪となった(7月3日、Corriere della Sera).

マダマ宮は大騒ぎとなり、価値あるイタリア党は抗議をしているが、与党は法案通過に沸き立ったが、特に北部同盟とマローニ内務大臣が喜んでいる。

野党は、国に害をなす法案だとしている。

また、ヴァティカンはこの法に激しく反発している。

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2009年7月 7日 (火)

ヴィアレッジョで貨物列車爆発炎上

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ヴィアレッジョで貨物列車が脱線・転覆し、炎上した(7月1日、Corriere della Sera).

犠牲者は現在のところ14人が確認されている。3人行方不明。

この貨物車はGPL(液化石油ガス)を運んでいた。14両編成で、5両が脱線した。

初動調査によると、原因は先頭車両の車軸(cilindro dell'asse)が折れ、脱線したことによるもので、運転ミスではない。

この車両の点検・メンテナンスは、Gatxというアメリカの会社に委託されている。

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大統領:G8まで休戦を

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ナポリターノ大統領は、G8が終了するまで、政治論争を休戦することを与野党に呼びかけた(6月30日)。

与党Pdlは賛成した。価値あるイタリア党のディ・ピエトロはこれに反対した。民主党は、ベルルスコーニの態度によるとしている。

G8は、ラクイラの兵舎 ヴィンチェンツォ・ジュデチェで開催される。おのおのの首脳は、最大25人の随行員を認められている。

城塞の内部の移動は、エコロジカルなものとなっており、33台の電気自動車と10台のミニバス、3台の電気バスが使用される。

ベルルスコーニ首相は、自分の政府が西側で最も安定しているとしている。

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2009年7月 6日 (月)

政治家のあだ名

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政治家のあだ名が紹介されている(6月29日、Corriere della Sera).

政治家のあだ名は昔からあり、15世紀のピエロ・デ・メディチ(1416ー89,ロレンツォ・イル・マニフィコの父)は「通風病み」(Il Gottoso)というあだ名だった。現代では、アンドレオッティが「せむし」(Il Gobbo)という悪意を含んだあだ名を頂戴している。

ムッソリーニは「あご」(Er Maschella)と呼ばれ、ベルルスコーニは「カイマンワニ」(Caimano)と呼ばれている。

ヴィットリオ・エマヌエーレ3世は、小柄であったため、「小サーベル」(Sciaboletta)と呼ばれた。ベッティーノ・クラクシは「大イノシシ」(Il Cinghialone)と呼ばれた。ジャンニ・デ・ミケーリス〈写真)はダンスが好きで、「踊り魔」(Avanzo di balera---avanzo di galera のもじり)とあだ名された。

あだ名は、政敵にネガティヴな評価を与え、馬鹿にする表現なのである。

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政府の経済危機対策

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政府の経済危機対策が打ち出された(6月28日、Corriere della Sera).

企業に対しては、利益で償却可能な機械を購入した場合、50%減税される。この措置は、2010年6月30日まで有効である。政府はこの措置のため1億9000万ユーロを手当てしている。

エネルギーに関しては、メタンガスを企業向け値段を下げる。Eni (イタリア炭化水素公社)は50億立方メートルのガスを同業者に対して、売却し、競争参入させなければならない。これは全体の7%にあたる。また売却価格は、ヨーロッパの平均価格をもとにせねばならず、これは現在のイタリアの価格より安い。こうした自由化により、エネルギー価格が下がることが期待されている。

また行政の調達品に対する支払いを早くする。

公衆衛生に関する支出を抑制するため、薬剤費に上限を設ける。アブルッツォ通達によりすでに14%から13、6%になっているが、それをさらに13、3%に下げる。

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2009年7月 5日 (日)

マリオ・ヴェルドーネ死去

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映画史のパイオニア、マリオ・ヴェルドーネが亡くなった。91歳だった(6月27日、Corriere della Sera).

マリオ・ヴェルドーネは俳優カルロ・ヴェルドーネ(写真)の父。1917年7月27日にアレッサンドリアで生まれたが、ローマで家庭をもった。カルロの他、兄ルーカはドキュメンタリー作家で、姉妹のシルヴィアはクリスティアン・デ・シーカの妻である。

マリオは、大学で映画史を教え、その本は海外でも翻訳された。アメリカには客員教授としていった。が、彼は詩人やオペラの台本書きでもあった。シエナ大学に映像学を立ち上げ、1965年から映画史・批評の教授として教鞭をとった。

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2009年7月 4日 (土)

ムーティ:マイケル・ジャクソンはファリネッリのよう

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指揮者リッカルド・ムーティがマイケル・ジャクソンの死についてコメントしている(6月27日、Corriere della Sera).

ムーティは語る「フィラデルフィアの指揮者だったとき、80年代に、テレビで彼のショーを見た。こんな風に知ったんだ。マイケル・ジャクソンはあらゆる時代を通じて最も伝説的で、論争を呼び(また愛された)歌手だ」。

「彼をめぐる論争や、その弱点、落ちつかなさは、カッファレッリやファリネッリといったバロック時代の偉大なカストラート歌手を思わせる。崇拝の対象だったが、しばしばこの崇拝の犠牲者だった」。

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ドラーギ:GDPは5%減に

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イタリア銀行総裁のマリオ・ドラーギは、2009年のPil (GDP)が5%減となるだろうと予測した(6月26日、Corriere della Sera).

また、真の成長のためには、消費と労働市場の維持が欠かせないと述べた。総裁は、「現在、構造改革が必要」なことを訴えた。

これに対しトレモンティ経済相は、9月末までは予測を控えるよう求めた。

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2009年7月 3日 (金)

さまざまな世代のマトゥリタ

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マトゥリタ(高校卒業試験)が6月25日から始まるが、世代によって様々な思い出がある(6月25日、Corriere della Sera).

今年のマトゥリタ受験者は約50万人。

イタリア人にマトゥリタの思い出を尋ねると、たいてい、恐怖、不安などと答え、中には、今でも夢でうなされるという人もいる。

しかし元大統領チャンピの場合、いささか事情は異なる。「私の場合、トラウマではなかった。軽い気持ちで受けたからね」。「受けたのは1937年で、16歳になったばかりだった。リヴォルノのイエズス会系の高校2年生だった。小学5年生を飛び級しており、また先回りしたいと思って受けたわけだ」

チャンピの時は、三科目の筆記試験とすべての科目の口頭試問。数ヶ月後に、ピサのノルマーレ(大学)を受けたが、その時にはジョヴァンニ・ジェンティーレが直々にチャンピに質問したのであった。

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2009年7月 2日 (木)

ベルルスコーニ、女性問題で反論

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ベルルスコーニ首相は、女性をパーティに招いたことに関する疑惑で反論した(6月24日, Corriere della Sera).

首相は、パトリツィア・ダッダリオは、ある仕掛け人に買収されているとして非難した。パトリツィア・ダッダリオは即座に、この非難を否定した。

パトリツィアは、検察に呼び出されたから質問に答えたまでだとしている。ただし、首相と二度目にあい夜をともにした時にはお金を受け取っておらず、彼がパトリツィアのレジデンスを完成するのを手助けしてくれるという言葉を信じたが、その信頼が裏切られたとしている。

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教皇:デ・ガスペリを福者に

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教皇ベネデット16世は、デ・ガスペリを福者にする手続きを推進することを促した(6月21日、Corriere della Sera).

デ・ガスペリは政治家であるが、「神のしもべである」(E' un servo di Dio)との見解をラッツィンガ—は示している。アルチーデ・デ・ガスペリを福者にという動きは2003年に様々な論争を引き起こし、列聖調査申請者(postulatore)が辞任した時に、動きが止まってしまったのだ。

デ・ガスペリの元で働いていたジュリオ・アンドレオッティは、「まったく疑いない。デ・ガスペリは聖人だ」と述べている。

デ・ガスペリの福者への手続きは1993年に開始したのだが、途中で止まってしまったのである。表向きは、申請者でトレント大司教の弟ティト・サルトリが辞任したからであるが、アルト・アディジェの人々はデ・ガスペリを良く思わない人もいるのだ。彼が、南チロルの自立を妨げ、南チロルをアルト・アディジェの中の一部にしてしまったという非難があるのである。とはいえ、デ・ガスペリーグルーバーの合意により、それなりの独立性は保たれたのであるが。

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2009年7月 1日 (水)

カラビニエーリの呼称変更

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カラビニエーリの呼称が変わる(6月21日、Corriere della Sera).

Regione carabiniere Lazio (あるいはLombardia, Sicilia, Puglia) というのはなくなって、Regione が Legione に変わる。実は、この呼称は、1992年11月3日まで用いられていたものである。

当然だが、Legione は古代ローマ、ローマ帝国のレギオン(3隊の百人騎兵隊と3000人の歩兵からなる軍団)に由来する名称である。

もともとカラビニエーリは、1814年7月j13日に Corpo dei Carabinieri Reali として創設された。本来ならフランスにならって gendarmi と呼ばれるべきであったが、国王ヴィットリオ・エマヌエーレはフランスが嫌いだったので、カラビニエーリ(カービン銃で武装した部隊)と呼んだのである。

現在カラビニエーリには、将校(ufficiali) が3795人、警部 (ispettori)2万8224人、巡査長(sovraintendenti)1万7888人、兵長(appuntati)5万9621 人、生徒656人、合計11万184人がいる。

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7月1日から指数95がスタート

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イタリアの年金に関し、7月1日から指数95がスタートする(6月21日、Corriere della Sera).

6月30日までは、老齢年金を掛け金の35年納付と58歳で、もらうことが可能であった。7月1日からは条件が変更になり、年齢と掛け金納付の年数の合計が95にならなければいけない。つまり、60歳で35年納付ということになる。

この95という指数は2011年には96に上昇し、2013年からは、97に上昇する。

旧基準は、1951年6月以前に生まれた人に有効である。つまり6月末までに58歳になる人である。

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