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2009年6月18日 (木)

ヴァティカンが国になった時

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ヴァティカン市国についての新たな著作をフランチェスコ・クレメンティが著した(6月5日、Corriere della Sera).

ヴァティカン市国が成立して80年を記念するように、フランチェスコ・クレメンティが《Lo Stato della Città del Vaticano》を著した(Mulino, 138ページ、18ユーロ)。

ヴァティカン市国が成立した際、ラッティ教皇は、6月7日に6つの法律を制定している。法案を起草したのは、将来のピオ12世の兄弟フランチェスコ・パチェッリとフェデリーコ・カンメオで、カンメオはユダヤ系の法学者だったが、その家族はアウシュヴィッツで亡くなっている。

クレメンティが論じているように、この6つの法律の性格は、法学者の間でも、ちまたの人々の間でも議論を呼んだのであった。

それは Santa Sede (教皇座)に国際的人格を与えたとする考え方が一方にあり、他方、1929年の条約は、新たに自律的な主体を生じせしめた、すなわち、教皇座とは区別され、独自の秩序をもち、教会の目的から離れて独自に発展しうる主体とみなしうるとするものである。

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