大統領:テロ事件の犠牲者を官邸に招く

ナポリターノ大統領は、70年代のテロ事件の犠牲者を官邸に招いた(5月10日、Corriere della Sera).
この日招かれたのは、ピアッツァ・フォンターナ事件に関わり犠牲となったカラブレージ刑事の未亡人と、最初事件の犯人として逮捕され、警察署の4階から「飛びだし」亡くなった無政府主義者ピネッリの未亡人。
ピアッツァ・フォンターナ事件は、1969年12月12日、ミラノの全国農業銀行が爆破された事件で、17人が死亡、86人が負傷した。ここから鉛の季節と呼ばれるテロの時代が始まった。
ついで、列車La Freccia del Sudがジョイア・タウロで爆弾により脱線する事故が、1970年7月22日に起こった。6人が死亡、54人が負傷した。
1972年5月31日にはペテアノで爆弾により3人の警官が死亡した。最初は、左派の Lotta continua が捜査された。ついで、無政府主義者が捜査対象となったが、10年後、ネオファシスタの仕業であることが明らかになった。
1973年5月17日、ミラノの警察署で爆弾が爆発し、4人死亡、45人が負傷した。犯人のジャンフランコ・ベルトリは逮捕されたが、彼を操っていたのが誰かは不明のままである。
1974年5月28日ブレーシャの Piazza della Loggia で爆弾が爆発し、8人が死亡、100人が負傷した。2008年11月に10度目の審判が開始されたが、被告には、Ordine Nuovo のネオファシスタと、警察(Carabinieri)幹部のフランチェスコ・デルフィーノが含まれている。
1974年8月4日ローマ—モナコ間の急行列車で爆弾が爆発。12人が死亡、44人が負傷した。
1980年8月2日、ボローニャ駅で爆弾が爆発。85人が死亡、200人が負傷した。1995年の判決では、ファシスト系のテロリスト、ジュゼッペ・ヴァレリオ・フィオラヴァンティとフランチェスカ・マンブロが有罪となったが、二人は無実を主張している。
大統領は、これらの事件の真相は明らかになっていないことを認めつつも、犠牲者を忘れることなく、犠牲者の遺族らが怨恨を乗り越えることを期待した。ピネッリとカラブレージの未亡人(写真)は、初めて会い、握手を交わした。
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