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2009年5月31日 (日)

イタリア人女性、お手伝いさん業界に戻る

Colf イタリア人女性がお手伝いさん業界に戻ってきている(Corriere della Sera, 5月25日)。

業界団体のAcli Colf 代表のピーナ・ブルストリンによると、イタリア人女性は、経済危機で家計が苦しくなったのを助けるために、お手伝い業にかえってきているという。

ただし、イタリア人女性の場合、家庭を持っているので、住み込みで、老人の介護などをしているケースはほとんどない。

イタリアでは65歳以上の人は、全人口の20,1%をしめ、1200万人いる。

そのうち、17万人は自立できず、施設に入所している。

また、家族による介護の手助けをするお手伝いさん(assistente famigliari) は、77万4000人だが、やみの労働者が36万人おり、合計では、113万4000人ほどいる。

イタリアでは、老人15人にたいし、1人の介護者(badante) がいることになっているが、やみ労働の人も含めると、7人に1人いることになる。

お掃除やアイロンがけ、料理などをするお手伝いさんの時給は6から9ユーロ。

移民のお手伝いさん、介護人の場合は、病人や老人の世話をしている場合が多い。

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2009年5月30日 (土)

ノエミ事件で首相周辺緊張

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ベルルスコーニとノエミをめぐり、ノエミの元婚約者の証言がでてきた(5月25日、Corriere della Sera).

ポルティチに住む18歳の女性ノエミ・レティツィアとベルルスコーニの関係の発端について、ノエミの婚約者ジーノ・フラミニオ(22歳)とベルルスコーニ首相の主張は全くことなっている。首相は、ノエミの父と古くからの友人だったとしているが、婚約者によると、当時未成年だったノエミの写真を見たベルルスコーニが直接、携帯に電話をかけてきたという。2008年10月のことだった。

そして2009年の正月には、サルデーニャの別荘に招かれた。サルデーニャから帰ってきたノエミはかつてのノエミではなくなり、ジーノとノエミは別れたのだという。

ベルルスコーニは、嘘の山だと反駁している。

マッシモ・ダレーマは、首相が嘘をついていると非難し、エンマ・ボニーノは、調査委員会を設置することを求めている。


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2009年5月29日 (金)

イタリア、新型インフルエンザで2校が休校に

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ローマの高校生8人が新型インフルエンザを発症し、2校が休校となった(5月23日、Corriere della Sera).

これらの高校生は、いずれも修学旅行でニューヨークに行き、19日に帰国した生徒である。休校となったのは、ローマの伝統的高校の、Dante Alighieri 校と、Convitto Nazionale Vittorio Emanuele II 校である。

イタリアで新型インフルエンザが確認されたのは18人。地域別にみるとフリウリ・ヴェネツィア・ジュリアが1人。ロンバルディアが2人。トスカーナ、2人。ラツィオが13人である。

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2009年5月28日 (木)

ベルルスコーニ、判事と国会を攻撃

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ベルルスコーニは、判事と国会を攻撃した(5月22日、Corriere della Sera).

イギリスのミルズ弁護士の事件に関しては、ベルルスコーニ首相は、「裁判官が極左で、判事のなかには危険な人物もいる」と述べた。

さらに下院を攻撃し、「人員が過剰で、有害だ。630人の代議士は無益で、100人で十分だ。執行部にもっと権力が必要だ」と語った。

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フィアットのオペルへの申し出

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ドイツの自動車メーカー、オペルへの提携申し込みは、フィアットをはじめ3グループによるものがある(5月21日、Corriere della Sera).

申し込みは、20日18時で締め切られた。申し込んだのは、フィアット、カナダのマグナとロシアのGAZの連合、アメリカのファンド、リップルウッドである。

しかし、締め切りが延長されるという説もある。ドイツ政府によると、合意は、数ヶ月のうちになされるかもしれないが、覚え書きは数週間内に交わされる可能性もあるという。

フィアットの申し出については、21日ローマで議論される。

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2009年5月27日 (水)

ミルズはベルルスコーニのために偽っていた

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ミラノ裁判所は、ディヴィッド・ミルズ弁護士が、ベルルスコーニ首相のために裁判で偽りの証言をしていたとして、懲役4年半の罪に問われた(5月20日、Corriere della Sera).

ミルズ弁護士が、偽証したのは、1997年11月と1998年1月の裁判。ミルズ弁護士は、カルロ・ベルナスコーニ(元フィニンヴェストのマネージャー、故人)から60万ドルを受け取ったとされている。

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マルティーニ枢機卿:離婚と聖職者の独身問題を論じる

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マルティーニ枢機卿はとドン・ヴェルゼは、2009年の2月から4月にかけて対談し、それを元に新著『われわれは同じ運命のもとにある』(Siamo tutti nella stessa barca)を出版した(5月19日、Corriere della Sera).

同書のなかで、デリケートな議論、離婚し再婚した者への許しの問題と、聖職者の独身問題が扱われている。彼らは、自由にこの問題を論じている。

マルティーニ枢機卿は、1927年トリノ生まれ。聖書学の世界的な権威である。ミラノの大司教を1980年から2002年までつとめた。共著者のドン・ルイジ・マリア・ヴェルゼは、1920年生まれ、ミラノのサン・ラッファエーレ病院およびVita-Salute サン・ラッファエーレ大学を創設し、後者の総長である。

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2009年5月25日 (月)

イタリアの大学の現状

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トリノで大学のいわゆるG8が開かれている(5月19日、Corriere della Sera).

イタリアの大学の現状が紹介されている。

イタリアの大学は国立が61校、それ以外が27校で合計88校である。地域別に観ると、北西が20校、北東が12校、中部が27校、南部が23校、島嶼部が6校。課程は全部で5960ある。

登録している学生は、179万9041人。2007年の卒業生は、18万4699人。卒業生の平均年齢は、27歳。

教授は3万6566人。研究者は2万2924人。技官は4万9635人。

学生一人当たりへの支出は国別に見ると次の通り(ドル)
フランス  1万995
ドイツ   1万2446
イタリア    8026
日本    1万2326
スペイン  1万89
スウェーデン1万5946
イギリス  1万3506
アメリカ  2万4370
OECD平均1万1512

教授一人あたりの学生数
フランス  17人
ドイツ   12,4
イタリア  20,4
日本    10,8
スペイン  10,8
スウェーデン 9
イギリス  16,4
アメリカ  15,1
OECD平均15,3

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2009年5月24日 (日)

大学、5分の1の課程をカット

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イタリアの大学は、5分の1の課程がカットされなくなる予定だ(5月18日、Corriere della Sera).

ローマの「ラ・サピエンツァ」大学は、イタリア最大で、ヨーロッパでも最大級の大学であるが、46課程を削減する。シエナ大学は34課程が無くなる。

フィレンツェとジェノヴァは、それぞれ、20課程および15課程が消滅する。ナポリのフェデリコ2世大学は、昨年9コース減らしている。

ローマ第三大学、ボローニャ、フェッラーラの各大学は、1,2の課程を減らす予定。ナポリ東洋大(L'Orientale di Napoli)は、ほぼ半分の課程が無くなる。

メッシーナ大学では、学部が無くなる。統計学部である。学長のフランチェスコ・トマゼッロによると、近年この学部の2課程に登録した学生は、30人に過ぎないのだという。

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移民に対する許容度下がる

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イタリア人の移民に対する許容度が下がっていることが世論調査で明らかになった(5月17日、Corriere della Sera).

この調査はコリエーレ紙の委託によりISPOが実施したもので、2000人が対象。2002年にも同じ質問をしている。

我が国への移民の減少について

      2002年3月   今日
ポジティヴ  22%    12%
避けられない 39%    31%
阻止すべき  24%    39%
わからない  15%    18%

移民に対する態度は
敵対的  32%
協力的  36%
決めてない32%

となっている。

移民を阻止すべきだという意見は、中道右派に投票した人では、59%にのぼる。民主党に投票した人でも30%に達している。

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2009年5月22日 (金)

増加する同棲

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イタリアでは次第に同棲カップルが増えている(5月15日、Corriere della Sera).

イタリア司教会議の調べによると、北部では、結婚するカップル10組のうち7組はある期間同棲している。

また、事実婚のカップルの割合は、2001−2002年は3,5%、2003−2005年は、4,1%、2006ー2007年は4,6%で増え続けている。

人口統計学者や社会学者は、いわゆる同棲を四つのタイプに分けている。

1.Prematrimoniale (結婚の前段階)
  かつての婚約期間に代わるもの

2.Unione libere (自由なカップル)
  決して結婚には到達しない生き方の選択

3.Patti di solidarieta' (連帯協約)
  結婚に代わるカップルの形式で、法的承認を求める

4.Coppie di fatto (事実婚)
  さまざまな理由で結婚に至ることは出来ないカップル

こうした同棲のなかには同性のカップルも含まれる。イタリア人は58,9%の人が連帯協約を認めることに賛成である。また、40,4%は、同性結婚に賛成。一方、35,9%は、同性のカップルのいかなる承認にも反対している。

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2009年5月21日 (木)

アリタリア、ミラノ・マルペンサ空港を降格

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アリタリア航空は、ミラノ・マルペンサ空港を降格し、ハブ空港としてはローマ・フィウミチーノ空港を選んだ(4月14日、Corriere della Sera)

ローマ空港がアリタリアにとってはハブ空港となる。ミラノにとっては降格となるが、ロンバルディア州知事のフォルミゴーニは、独占の問題がある、としている。

ローマ・フィウミチーノ空港とミラノ・マルペンサ空港のデータ比較は次の通り。

フィウミチーノ      マルペンサ
国内23         全部で21
ヨーロッパ24
海外(大陸間)23
2013年に計78となる予定

一週間の動き
1600         185
          2008年3月末までは1238
          3月31日から10月30日 312
          10月31日から2009年1月12日 
                     147
従業員          
1080 パイロット    合計3500
2200 乗務員
1100 整備士
3150 取り扱い

ローマ地区        ミラノ地区
潜在的顧客        潜在的顧客
1450万人         1480万人
売り上げ         売り上げ
33億ユーロ        34億ユーロ

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2009年5月20日 (水)

移民政策、国連に対しても譲らず

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ベルルスコーニ首相は、イタリア政府の移民追い返し政策に対し、国連からも権利の侵害との見解が出されたが、強気の姿勢を崩していない(5月13日、Corriere della Sera).

ヨーロッパ全体では、2008年に、保護を求めたものは24万人にのぼる。そのうちイタリアに保護を求めたものは、3万1097人。何らかの形の保護を得たものは1万849人。2009年に入ってイタリアに保護を求めたものの数は、6324人である。

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2009年5月19日 (火)

移民拒絶に、イタリア司教会議が批判

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イタリア政府の移民船拒絶方針に対して、イタリア司教会議が批判した(5月11日、Corriere della Sera).

ベルルスコーニ首相は、イタリアが多民族国家になることを拒絶したが、イタリア司教会議は、移民船の拒絶を批判した。

イタリア司教会議の総書記マリアーノ・クロチャータは、「多層性は、価値あることだ」と断言した。

リビアには、すでに500人以上の移民がイタリア上陸を果たさず、送り返されている。

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2009年5月18日 (月)

政権一年、ベルルスコーニの人気

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ヴェロニカ夫人との離婚騒動にもかかわらず、ベルルスコーニ首相の人気はおとろえていない(5月10日、Corriere della Sera).

ISPOがコッリエーレ紙のために実施した調査(2009年5月6日、7日に800人を対象に実施、誤差3,5%)によると、約半数の人が政権に満足している。問いと答えは以下の通り。

問い:政権をどう評価しますか?
ポジティヴ  56%
ネガティヴ  41%
わからない  3%

12ヶ月たって政府は
まあまあよくやっている 44%
少し期待はずれ     35%
悪い          13%
よくやっている     6%
わからない       2%

ベルルスコーニの離婚騒動は、首相への個人的評価に
まったく影響しない   77%
ネガティヴ       19%
ポジティヴ       2%
わからない       2%

公職についている政治家は、
正しく道徳的な個人生活をおくるべき 54%
模範的でない個人生活でもよい、   44%
仕事がちゃんと出来るのが重要
わからない             2%


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佐野成宏テノール・リサイタル

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テノール歌手佐野成宏(以下、敬称略)のリサイタルを聴いた(4月24日、紀尾井ホール)。

演目は3部からなり、第1部はアンダルシアの情熱と題され、スペイン歌曲およびオペラ『カルメン』から。

第2部はイタリアの春と題され、トスティやティリンデッリ、レオンカヴァッロの歌曲。知名度の高くない歌曲にも聴き応えのある曲はある。佐野は、丁寧な歌唱でじっくりと聞かせてくれた。

第3部は、オペラ『トスカ』セレクションと台紙、バリトンの原田勇雅が加わり、ピアノ伴奏(佐藤正浩)で、服装はリサイタルの時のままだが、多少の身振りを交えて演じつつ歌った。佐野は、ここではオペラという演目の性質の違いを考えてか、声量をあげてカヴァラドッシを歌い上げた。歌曲を聞いた後では、曲自体の表情の豊かさに驚く。

佐野の歌は、発声も表情づけもとても上品である。アンコールでナポリ民謡を歌う時でさえ、ある一線をくずすことなく、きちんとした曲の姿を保ち、演歌的にはならない。オペラや歌曲を歌うときにも、過剰な感情表現、あるいは声に泣きが入ることはまずないのである。

こういった姿勢が彼の歌曲を聴き応えあるものにしていると思う。

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2009年5月17日 (日)

大統領:テロ事件の犠牲者を官邸に招く

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ナポリターノ大統領は、70年代のテロ事件の犠牲者を官邸に招いた(5月10日、Corriere della Sera).

この日招かれたのは、ピアッツァ・フォンターナ事件に関わり犠牲となったカラブレージ刑事の未亡人と、最初事件の犯人として逮捕され、警察署の4階から「飛びだし」亡くなった無政府主義者ピネッリの未亡人。

ピアッツァ・フォンターナ事件は、1969年12月12日、ミラノの全国農業銀行が爆破された事件で、17人が死亡、86人が負傷した。ここから鉛の季節と呼ばれるテロの時代が始まった。

ついで、列車La Freccia del Sudがジョイア・タウロで爆弾により脱線する事故が、1970年7月22日に起こった。6人が死亡、54人が負傷した。

1972年5月31日にはペテアノで爆弾により3人の警官が死亡した。最初は、左派の Lotta continua が捜査された。ついで、無政府主義者が捜査対象となったが、10年後、ネオファシスタの仕業であることが明らかになった。

1973年5月17日、ミラノの警察署で爆弾が爆発し、4人死亡、45人が負傷した。犯人のジャンフランコ・ベルトリは逮捕されたが、彼を操っていたのが誰かは不明のままである。

1974年5月28日ブレーシャの Piazza della Loggia で爆弾が爆発し、8人が死亡、100人が負傷した。2008年11月に10度目の審判が開始されたが、被告には、Ordine Nuovo のネオファシスタと、警察(Carabinieri)幹部のフランチェスコ・デルフィーノが含まれている。

1974年8月4日ローマ—モナコ間の急行列車で爆弾が爆発。12人が死亡、44人が負傷した。

1980年8月2日、ボローニャ駅で爆弾が爆発。85人が死亡、200人が負傷した。1995年の判決では、ファシスト系のテロリスト、ジュゼッペ・ヴァレリオ・フィオラヴァンティとフランチェスカ・マンブロが有罪となったが、二人は無実を主張している。

大統領は、これらの事件の真相は明らかになっていないことを認めつつも、犠牲者を忘れることなく、犠牲者の遺族らが怨恨を乗り越えることを期待した。ピネッリとカラブレージの未亡人(写真)は、初めて会い、握手を交わした。

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《プッチーニと娘》

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パオロ・ベンヴェヌーティ監督の映画《プッチーニと娘》を見た(有楽町、朝日ホール)。

この映画に関しては、2年前の2007年8月29日の本ブログで(http://senese.cocolog-nifty.com/koukishin/2007/08/post_3cdb.html)紹介している。この時は、コッリエーレ紙の記事で、映画完成前の段階で、ベンヴェヌーティ監督がプッチーニ家のお手伝いさんドーリア自殺事件の真相解明したという報道を紹介したものである。

その解明された事実を基につくられたのがこの映画である。映画のつくりとしては、大変、禁欲的で、プッチーニにまつわる伝記的エピソードを知らないと理解できないのではないか、というくらい、会話が少なく(もちろん、説明的な台詞をいれすぎれば冗長となることは承知の上だが)、字幕も入らないので、上映後、友人、知人と話した際も、ストーリーというか、登場人物の人間関係が飲み込みにくかったようだ。

そこで、以下に情報を整理してみる。

従来の知られていた伝記的事実
プッチーニは、エルヴィーラ夫人と結婚する時はスキャンダラスな状況であった。夫人は既婚者で、連れ子があった(これが映画では新聞記者との浮気がばれるフォスカである)。一方、その当時、プッチーニ家には、ドーリアというお手伝いさんがいて、エルヴィーラ夫人は、彼女とプッチーニの間を疑い大騒ぎをし、ドーリアは自殺する。死後解剖で、ドリアは処女であったことが判明する。

ベンヴェヌーティ監督の発見した新事実
プッチーニが浮気していたのは、ドーリアではなく、ドーリアの従姉妹で、プッチーニ家の近くにあったバールの女主人ジュリア・マンフレーディだった。彼女がオペラ《西部の娘》のモデルとなった。

プッチーニの家もこのバールも、トーレ・デル・ラーゴの湖の畔にある。来日した監督自身の話では、一時は、自然環境が破壊されていたのだが、20年ほど前から、次第に、州政府などの働きかけで、自然環境が改善し、その結果ここでプッチーニ時代の植生や鳥の声を伝える環境が整い、ロケをしたとのことであった。

映画としては、ヴィスタサイズであることが惜しまれる。自然を舞台にするのであれば、視野角が広いほうがそこへの没入感が高まるからである。イタリア以外の観客にとっては、もう少し、字幕あるいは説明的役割を果たす台詞があってもよかったと思う。ただし、名のみ知るトーレ・デル・ラーゴの情景やそこを吹き渡る風、さえずる鳥は堪能した。プッチーニ・ファンであれば見逃せない一本と言える。


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《ミケランジェロのまなざし》

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映画《ミケランジェロのまなざし》(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)を見た(有楽町・朝日ホール)。

監督自身(アントニオーニ)が、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリというカヴール通りからちょっとはずれ所にある教会に入ってくる。このバジリカには、教皇ジュリオ(ユリウス)2世の墓所があり、そこにミケランジェロのモーゼ像があるのだ。

カメラは、バジリカ、墓所、そしてモーゼ像を様々な角度から写していくが、解説やナレーション、台詞は無い。

アントニオーニの視線(それは現実の視線とは限らず、この角度からも見てみたいという欲望の視線も含まれているだろう)と思われるショットから構成されている。

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2009年5月16日 (土)

移民対策で、国連と不和

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イタリアの新たな移民対策に関し、イタリア政府と国連の間で意見の相違がある(5月8日、Corriere della Sera).

イタリアへ向かっていた移民でいっぱいの船を、出港地へ追い返したことが問題になっている。227人の移民が乗船した船がリビアに送り返された。

マローニ内務大臣は、「歴史的転換点」としてこれを歓迎しているが、国連難民高等弁務官のアントニオ・グテレスは、「重大な懸念」を表明している。

一方、北部同盟は、地下鉄にミラノ人専用車両を設けるよう要求している。

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2009年5月15日 (金)

《赤い肌の大地》

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マルコ・ベキス監督の《赤い肌の大地》を見た(有楽町、朝日ホール)。

ブラジルの南部、国境地帯の、先住民の保護区と白人の農園が舞台。先住民は、本来保護区にあるはずの森林が開発で減ってしまい、保護区での暮らしが苦しくなる。そのため、部族の生地で今は白人の農園の一部となっている土地に移住しようとするが、これが白人たちとの対立を招く。

これは相当部分事実に基づいた映画であるとのことだが、ブラジル人もこういった事情についてはよく知らないのだと主演のクラウディオ・サンタマリアは語っていた。

土地の既得権がからむと、人は先住民に対して、「良い人」にはなれない、という物語と解釈できる話であった。

ブラジルの先住民について、何も知らなかったので、いろいろ教えられることは多かった。言語はポルトガル語および先住民の部族の言葉である。

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2009年5月14日 (木)

ブルネッタ:非正規労働を神話化する映画や本はたくさんだ

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総務大臣のレナート・ブルネッタにとって、この10年の非正規労働を「神話化」する映画や小説はお気に召さないようだ(5月6日、Corriere della Sera).

こうしたものを読んだり見たりすると蕁麻疹が出るという。大臣は言う、「非正規労働は、社会階級ではあり得ないし、そうなるべきでもない」。

非正規雇用の「神話化」への攻撃に対し、ヴィルツィ監督の「みわたす限り人生」で、コールセンターの社長をつとめたマッシモ・ギー二は、「ブルネッタに蕁麻疹がでるなら、治療するようすすめるだけだ」

作品は、非正規雇用をグロテスクに描いたりすることはあるが、「神話化」することが目的ではなく、むしろ告発であると述べている。

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2009年5月13日 (水)

教皇の衛兵にも女性誕生か?

Guardie_del_papa 教皇庁の衛兵 に女性が加わる可能性がでてきた(5月6日、Corriere della Sera). 

スイスの衛兵が教皇を守るようになって503年。最初はジュリオ(ユリウス)2世が導入した。

これまでスイス衛兵になる資格は、スイス国民で、カトリック、独身で、背が1メートル74cm以上であったが、女性を導入する場合でもこの条件は変わらない。

最終的な判断は、教皇ベネデット16世にゆだねられている。

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2009年5月12日 (火)

オペルとフィアットの交渉

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フィアットとオペルの交渉が、始まった(5月5日、Corriere della Sera).

フィアットの会長セルジョ・マルキオンネは、フィアットから自動車部門を切り離して、オペルやヴォックスホール、サーブと合体する可能性をさぐっている。

フィアットにとって、この計画が長期的なものである証左であるとしている。

フィアット・グループ(アルファロメオ、ランチャ等を含む)とオペルの比較は次の通り。

創立年
フィアット 1899年 オペル1862年
2008年の新車登録
フィアット 155万6322台
オペル   129万3175台
マーケット占有率
フィアット 9%
オペル   7,5%

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2009年5月11日 (月)

ヴェロニカ夫人の離婚請求とベルルスコーニ家のフィニンヴェスト保有比率

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ベルルスコーニ首相のヴェロニカ夫人は離婚を求めている(5月4日、Corriere della Sera).

ベルルスコーニ一家はフィニンヴェストを所有しているが、その所有割合は次の通り。
持ち株会社名   所有者          所有比率
Holding Prima  シルヴィオ・ベルルスコーニ 17,15%
Holding Seconda シルヴィオ       15,75%
Holding Terza シルヴィオ       7,83%
Holding Quarta マリーナ        7,65%
Holding Quinta ピエルシルヴィオ   7,65%
Holding Quattordicesima エレオノーラ、ルイージ、バルバラ
              21,42%
Holding Ottava シルヴィオ    20,48%

このフィニンヴェストがいろいろな会社を支配している。その持ち株の比率は、

Mediaset(テレビ局) 36%
Mondadori (出版社) 50%
Milan (サッカーチーム)100%
Mediolanum 35 %

となっている。

首相は、誰がヴェロニカ夫人をたきつけたかは判っているとしている。


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2009年5月10日 (日)

ヴェロニカ夫人のいらだち

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ベルルスコーニ夫人とベルルスコーニ首相の間が険悪になっている(4月30日、Corriere della Sera).

ベルルスコーニ夫妻に近い人は、夫妻が何年も前から別居しているのを知っていた。ヴェロニカはマケリオで、ベルルスコーニはアルコーレに、別々の家に住んでいるのである。

ヴェロニカ夫人はごく近しい人にだけ、別居や孤独になれたことを語り、自分は母親、祖母としての役割を果たしていることを誇りにしているという。

ベルルスコーニ首相は、ノエミ・レティツィアという18歳の女性との交際が話題になっている。

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税の連邦制、法律となる

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税の連邦制に関する法案が上院を通過し、正式に法律となる(4月30日、Corriere della Sera).

この法律は、北部同盟が強く望んでいたものだ。投票は、賛成が154票(与党Pdl および Lega と野党のItalia dei Valori ), 棄権が86票(民主党の大部分)、反対が6票(民主党の造反者とUdc).

今回の法案は、基本的な哲学を示すものだが、7年以内に州、県、市町村が税に関する自立性を持つようになる。ローマに首都としての特別な体制(Roma Capitale)を認めるだけでなく、大都市(Metropolitane)も誕生した。

この法案により2011年中に、税の連邦制を実行するための政令を発することを求められている。自立性はさまざまなレベルで想定されている。

州は、福祉、厚生、教育を担当する。市町村は、基本的財政は、固定資産税でまかなう。

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イタリアにおける貧困

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イタリアの絶対的貧困と相対的貧困についての特集記事がでた(4月28日、Corriere della Sera).

イタリアに貧困な人はどれくらいいるのだろうか?どのように変化したのだろう?国家は貧困にどう立ち向かったのだろう?経済学者は、消費支出の水準が一定以下の者を貧困と定義している。

絶対的貧困や相対的貧困の基準は、2003年までは Istat (政府中央統計局)によって算定されてきた。今年からは、地域差や年齢差を考慮したよりきめ細かい基準が算定されるようになった。

2007年では、18歳から59歳の独身者にとって、絶対的貧困というのは、一月あたりの支出が、北の大都市圏では724ユーロ以下である。南の小都市では、487ユーロ以下となる。3人家族の場合、同様のケースで、北は1248ユーロ以下、南では910ユーロ以下となる。

一方、相対的貧困というのは、平均支出の半分以下の支出をしている人、家族を指す。2007年のデータでは、二人家族では、平均支出が月1973ユーロなので、986ユーロ以下が相対的貧困家庭となる。

こうした相対的貧困の基準にあてはめると、イタリアには265万3000家庭(全体の11,1%)、754万2000人(全体の12,8%)の相対的貧困者がいる。

絶対的貧困は、家庭で97万5000で全体の4,1%、個人で242万7000人で全体の4,1%。

エツィオ・ヴィゴレッリ(Psdi) とルドヴィーコ・モンティーニ(Dc、パオロ6世の弟)らによる国会の委員会の調査委によると、貧困に関して、進歩はあった。

1951年から52年には、イタリアの7,5%の家庭は、肉も、ワインも、砂糖も消費していなかった。4,7%の人は、一部屋に4人で暮らしていた。2,8%の人は、洞穴やバラックに住んでいた。貧困家庭は、135万7000で今日の約2倍だった。

イタリアの相対的貧困者が12,8%というのは、先進国の中では多いほうで、イタリアよりも比率が高いのは、ポルトガル、スペイン、ギリシア、アイルランド、アメリカ(17%)だけである。北欧は、5,4%から6,8%であるし、フランスやドイツも8,3%程度である。これらの国では、社会的移転によって相対的貧困の割合が減少している。

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2009年5月 9日 (土)

イタリアの人口6000万人に

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イタリアの人口が6000万人に達した(4月28日、Corriere della Sera)

イタリアの人口は、19世紀の末、1896年には3000万人だった。当時は、1歳未満で死ぬ幼児が25%に達していた。腸や呼吸器系の病気が主だった。

その30年後、1926年、人口は4000万人に達した。当時は、ブルジョワの子供は平均で19歳まで学校に行き、23歳から働きはじめた。労働者の子供は大体、12歳まで学校に行った。

その33年後、1959年に、人口は5000万人に到達した。経済ブームの時代だった。

そこから50年かかって、2009年に、人口は6000万人を突破した。正確には、6001万7677人。6000万人には、移民がいなければ決して達しなかった。

移民を除くと、2001年から今日にかけて、人口は7万6000人減少しているのである。一方、海外からの移民は、年40万人から50万人のペースで流入を続けている。Istat によれば、移民がいなければ、イタリアの今日の人口は5550万人を越えていなかったろうというのだ。

Istat は移民の数を390万人と数えている。移民の割合は、全体の約7%である。

州ごとの人口と外人、65歳以上の比率は以下の通り。

          人口    外国人   65歳以上
ヴァレ・ダオスタ 12万5979  6604  20,6%
ロンバルディア 964万2406 81万5335 19,9%
トレンティーノAA 100万7267 7万834 18,1%
ヴェネト     483万2340 40万3985 19,5%
フリウリV.G. 122万2061 8万3306  23,0%
ピエモンテ   440万1266 31万0543  22,7%
リグーリア   160万9822 9万0881  26,8%
エミリア・ロマーニャ427万5802 36万5687 22,6%
トスカナ    367万7048  27万5149 23,3%
ウンブリア   88万4450  7万5631  23,2%
マルケ    155万3063  11万5299 22,5%
ラツィオ   556万1017  39万0993 19,6%
アブルッツォ 132万3987  5万9749 21,3%
モリーゼ   32万0838  6271   21,9%
カンパーニャ 581万1390 11万4792 15,7%
プーリア   407万6546 6万3868 17,8%
バジリカータ 59万1001 9595    20,0%
カラーブリア 200万7707 5万0871 18,5%
シチーリア  502万0683 9万8152 18,2%
サルデーニャ 165万5617 2万5106 18,3%



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2009年5月 6日 (水)

《ソネタウラー'樹の音’の物語》

Sonetaula 映画《ソネタウラーー“樹の音”の物語》(サルヴァトーレ・メレウ監督)を観た(有楽町・朝日ホール)。

1938年から第二次大戦後にかけてのサルデーニャ島が舞台の映画である。

ソネタウラとは、サルデーニャ方言で、木のこすれる音、主人公の少年があまりにやせていて、父親にひっぱたかれると、骨のこすれる音がしたから、というのが主人公のあだ名ソネタウラの由来なのだ。

今回の映画祭で最長の157分の映画で、見応えがあった。一つ一つのシークエンスを細切れにつながずに、ゆったりと、みっちりと撮っていく。そこに細切れで、効率のよい映画とは異なる独特のリズムが生まれる。

それは重いとも言えるし、手応えがあるとも言えるだろう。主人公は父親が無実の罪で、流刑になるが、彼自身も18歳の時に犯したある事件で、カラビニエーリに出頭せず、山を逃げ回る生活を選ぶ。そのハードな生活が淡々と映像化されていく。

言葉もサルデーニャ語(厳密に言うと、方言ではなく、独立した言語なのである)を用い、イタリア語字幕が出る。

監督自身は、プログラムによれば、キャスティングで、昔のサルデーニャ人の表情が出る若者を選ぶのに苦労し、苦労の甲斐あって、その雰囲気が出せたとしている。

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2009年5月 5日 (火)

《イル・ディーヴォ》

Photo 《イル・ディーヴォ》(パオロ・ソレンティーノ監督)を観た(有楽町・朝日ホール)。

見応えのあるフィルムであった。映像も迫力があるし、音の使い方にも一ひねりある。

ただし、これが日本の観客に受け入れられるためには、少し解説が必要であろう。

戦後7度も首相をつとめたジュリオ・アンドレオッティが主人公なので、イタリアでは最も有名な政治家であるが、日本では必ずしもその背景が既知のものであるとは言い難いからだ。

アンドレオッティはDC(キリスト教民主党)の政治家であり、DCは名前からも判る通りヴァティカンとの関係が密であった。(1990年代の大々的な汚職摘発により事実上解党した)。

アンドレオッティは、DCの中でも特にヴァティカンとの密接な関係が知られている。それは彼がローマ出身ということとも無縁ではないだろう。

映画の中で言及されるサンタンブロージョ銀行およびその頭取であったカルビがロンドンの橋で首吊りの死体で発見される事件(当初は自殺とされたが、後、裁判でも他殺であることが確認される)は、サンタンブロージョ銀行がヴァティカン御用達の銀行であり、ヴァティカンの幹部の事件への関与、またマネーロンダリングにマフィアが関わっていた疑いがあり、スキャンダラスな事件であった。

また、DCのアルド・モーロ元首相が極左集団「赤い旅団」に誘拐され、殺害された事件も、実際には、アメリカのCIAが関わっていたのではないかなどの様々な憶測があり、実態が解明されたとは言えない。誘拐事件の際に、モーロからの度重なる要請を断り、「赤い旅団」との交渉に応じなかったアンドレオッティの苦悩が映画では一つのポイントになっている。

さらに言えば、アンドレオッティという政治家は、米ソの冷戦体制に最もあるいは過剰に適応した政治家だったと言えよう。イタリアは、西側で最大の共産党を抱えていた国であったため、イデオロギー的に社会主義とどう対峙するかが政治家にとってまず問われる問題であったのだ。アンドレオッティは、社会主義、共産主義との妥協はあってはならないという立場の政治家で、そのためには、マフィアと手を組むこともいとわなかった、と考えられる。マフィアとの関係は、濃いグレーゾーンであって、また、彼の長い政治生活の間に変化があったと考えられる。

この映画はドキュメンタリーではないので、一つ一つの事件を丁寧に解説はしない。こうした政治家の生活をどう映画として見応えにするものができるのかということがソレンティーノにとっての挑戦であったかと思うが、彼はそれに成功していると思う。

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2009年5月 4日 (月)

フィアット・クライスラー、カナダで初の合意

Fiatchrysler カナダの労働組合は、クライスラーと給与減額に関して合意した(4月26日、Corriere della Sera).

これは、カナダ政府の補助金を得て、フィアットと合意するためにも必要な条件であった。

フィアットとクライスラーの規模は次の通り。

2008年の生産量
フィアット270万台
クライスラー200万台

売り上げ
フィアット630億ユーロ
クライスラー476億ドル

販売代理店
フィアット 6500店
クライスラー 3300店

ブランド
フィアット:フィアット、アルファロメオ、ランチャ、アバルト
クライスラー:クライスラー、ダッジ、ジープ

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2009年5月 3日 (日)

《私を撮って》

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《私を撮って》(アンナ・ネグリ監督)を観た(有楽町・朝日ホール)。

ドキュメンタリー映画を撮るというストーリーの映画である。つまり、映画についての映画、メタ映画である。被写体になるのは、夫婦(1歳の子供あり)で、夫(マルコ・フォスキ)は俳優、妻(アルバ・ロルヴァケル)は映画編集者。二人の生活を非正規雇用者の生活をドキュメンタリー映画でとろうとする男二人(ステファノ・フレージとアレッサンドロ・アヴェローネ)。

ところが、夫婦は別居を始めてしまい、ドキュメンタリーは、並行して撮影を進めていくことになる。妻とその女友達の関係は、直接の場面と、一人一人のインタビューで本音と建て前の使い分け、落差がおかしいし、男の身勝手さも容赦なく描かれる。

知的な問題意識をもちつつ、現代の若者の生きにくさを、微妙なユーモアを交えて描いた作品である。

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《ジョヴァンナのパパ》

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《ジョヴァンナのパパ》(プーピ・アヴァーティ監督)を観た(有楽町・朝日ホール)。

この映画については、当ブログの2008年9月26日で扱った。もう一度観たのである。今回は日本語字幕がついていたので、ストーリーや演技の細部に関して、良く分かった。

ジョヴァンナ(アンナ・ロルヴァケル)と父(シルヴィオ・オルランド)の演技は素晴らしい。父が娘のことを思うのだが、見当違いで、それが重大事件の引き金ともなってしまう。それに気づいた父は、ずっと娘の面倒を見ていくことになる。

シルヴィオ・オルランドは自分の演じたこの役を、不完全な男といいいつつ、共感を示していたが、この父がとった行動が模範的であるかどうかは疑う余地は大いにあるのだが、その不完全な人物に共感できるようにこの映画の細部はできているし、オルランドもそういう演技をしている。自分の過ちに気づいてからは、この父は、自己犠牲をいとわないのである。

1930年代、40年代の生活の細部も見応えがある。シルヴィオ・オルランドによると、アヴァーティ監督は、同じセットを使って、もう一本映画を撮ったという。資源の有効活用というところか。


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《パ・ラ・ダ》

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《パ・ラ・ダ》(マルコ・ポンテコルヴォ監督)を観た(有楽町・朝日ホール)。

1992年チャウシェスク政権崩壊から3年後のルーマニア、首都ブカレストが舞台である。ストリート・チルドレンとそこにやってきたフランス人のNGOの活動家(ピエロやサーカスで子供たちを引きつける)が主人公。

ポンテコルヴォ監督は、会場での質疑応答に答えて、映画のきっかけは新聞記事で、そこから自分で調べ、さらに現地に行って子供たちにあったことで製作への気持ちが固まったという。

そういうわけで、NGOの活動家の一人にイタリア人女性が出てくるのだが、イタリア人映画監督の作品ではあるが、イタリア語はほとんどなく、ルーマニア語とフランス語が主である(もちろん、何語が話されているかが重要という映画ではないが)。

監督の目は一方で熱く主人公の活動を語るが、映画の最後には、ブカレストの現状も映し出される。一つの世界が変わることのむずかしさと、それでも希望を失わずに活動しつづける人間のいること、どちらに重点を置いて語るか、どちらに重点を置いた世界観を持つのか、という問いが浮かんだ。

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2009年5月 2日 (土)

《やればできるさ》

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《やればできるさ》(ジュリオ・マンフレドニア監督)を観た(有楽町・朝日ホール)。

1980年代のミラノが舞台。実話に基づいているのだが、バザーリア法が出来て、精神病棟が廃止され、患者たちが町へ、家族へと解放されていった時期の物語である。

バザーリア法は1978年5月に成立し、徐々に、精神病院や総合病院の精神科の病棟が閉鎖されていった時期である。

解放された患者の受け入れ先として協同組合が組織され、そこへ主人公のネッロがやってくる。彼は、市場原理を信じている当時としては異端の労働組合員であった。彼は、患者たちの根気や細部へのこだわりを活かすため寄せ木細工の事業を立ち上げる。ネッロはバザーリア法のことは何も知らなかったのだが、患者たちの中に人間性を認め、労働する能力を認めることで、はからずもバザーリア法の精神を体現化しようとする運動を開始することになる。

さらには、精神科医でバザーリア法の趣旨に賛同する医師と組んで、患者の投薬量を減らし、彼らの人間性回復をめざす。

しかし、道は平坦ではない。様々な事件、困難な事態が生じる。それをユーモラスに描いている。

《みわたすかぎり人生》でもそうだったが、この映画でも、扱いにくい素材を実に映画として、見事にエンターテイメント作品に仕上げている。

ネッロの私生活でのパートナーとの関係も、この映画を地に足のついたものにし、また、単なるメサイア・コンプレックス解消の映画ではないものとしている。

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2009年5月 1日 (金)

《見わたすかぎり人生》

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《見わたすかぎり人生》(パオロ・ヴィルツィ監督)を観た(有楽町朝日ホール)。

ストーリー展開の巧みさに舌をまく映画だ。扱っている題材は、プレカリアート(非正規労働者)の生活で、扱いようによっては地味で暗くなってしまいそうだが、この映画は、エネルギーに満ち、何度も笑え、しんみりもでき、ドキッとする映画になっているのである。

舞台は、いかがわしげな商品を売りつけるコールセンター。若い女性たちが、マニュアルに基づいた電話攻勢で、主婦にアポイントメントをとり、営業部員がそこに出かけていって売りつけるという仕組みだ。

主人公マルタは、大学の哲学科を優等で卒業するが、就職がなく、偶然ベビー・シッターの職を見いだす。その母親がつとめていたのがこのコールセンターでマルタも、そこで働くようになり、めきめき頭角をあらわす。

そのコールセンターのリーダー、ダニエーラをサブリーナ・フェリッリが演じているのが豪華といえば豪華なキャスティングである。マルタ役のイザベッラ・ラゴネーゼは、この映画が初出演で、本人は、上映後の観客との質疑応答で、自分が選ばれたのは、映画に世界に慣れていなくて、戸惑い、なじめずにいる(spaesata) 状態が、マルタがコールセンターで戸惑っているのと照応していることになるから、というのもあったろうとしている。

このストーリー展開が巧みなのは、ちゃんと非正規労働者を対象にした労働組合CGILの活動も描き込まれているのだが、説教くさくはなく、それどころか、組合員ジョルジョは女にだらしなかったりして、チャーミングでありつつも冴えない男(ヴァレリオ・マスタンドレア)なのだ。

コールセンターでは社員のやる気を高める歌や体操があって笑えるが、それは苦い笑いだ。その異様な世界にのめり込める人、のれない人が出てくる。そういったことも、うまくストーリーに溶け込ませて書き込んであるのである。

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《運命に逆らったシチリアの少女》

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《運命に逆らったシチリアの少女》(マルコ・アメンタ監督)を観た(有楽町朝日ホール)。

これは、シチリアのマフィアに立ち向かった少女リタ・アトリアの実話に基づく映画である。映画は、2008年のものだが、監督マルコ・アメンタは、以前にもこの素材を映画ではなくドキュメンタリー作品《マフィアに立ち向かった少女》(1997)で撮っている。

このドキュメンタリー作品は、NHKのETVカルチャースペシャルで放送されたので、ご覧になったかたも多いかもしれない。1997年ユーロフィルム製作で、1998年イタリア賞受賞作品であった。こちらは、リタ・アトリアの残された写真やヴィデオを用いてドキュメンタリーとして描いている。

さて、今回上映されたのは、映画作品で、同じ素材に基づいてはいるが、ストーリー性が高くなっている。リタは、幼いころ叔父に父を殺害され、復讐を誓う。日記をつけて、叔父の一家(マフィア)の悪行を記録する。それを検察に持ち込むところから話ははじまる。

検察側の判事は、ボルセリーノ判事(ジョヴァンニ・ファルコーネとともにマフィアの一斉検挙へ踏み出したがともに爆殺された)がモデルである。

ストーリーとしては、リタが殺された父と兄は正義の人であると思い込んでいるところから、父と兄もマフィアの一員であったのだと認識が展開するところに一つの鍵がある。

また、映画としてよく描けているのは、母親を通じて、リタがシチリアのマフィアに浸透された社会の側からみれば、いかに掟やぶりの破天荒な振る舞いをしているのかが判る仕組みになっていることだ。

リタは若い(17歳)く、当然、恋もするのだが、リタをめぐる男たちとの関係も、普通のラブストーリーとは全く異なるが、見応えがある。

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《よせよせ、ジョニー》

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ヴェンティヴォッリョの初監督映画《よせよせ、ジョニー》(lascia perdere, Johnny!)を観た(有楽町、朝日ホール)。

1976年のカゼルタ(ナポリのあるカンパーニャ州の町、王宮があるので有名)が舞台。ミュージシャンをめざす18歳のファウスティーノが主人公。母一人、子一人なので、兵役を免れる資格はあるのだが、それには定職についていることを証明しなくてはならない。

ミラノからオルネラ・ヴァノーニの元恋人というミュージシャン(ヴェンティヴォッリョ)が来て、バンドに参加するが、そこでいろいろなことが起こる。ファウスティーノは近所の美容師アンナマリア(ヴェレリア・ゴリーノ)に憧れ、恋心を抱いている。

あてにならない口約束や、にわか仕立ての歌手といったどさ回りのバンドの珍道中だが、脱力感というか、ヴェンティヴォッリョの醸し出す、独特の肩の力の抜けたリラックス感のある映画だ。

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