イタリア映画祭2009始まる
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教皇ベネデット16世は在位5年目に入った(4月20日、Corriere della Sera).
ドイツ人枢機卿ヨーゼフ・ラッツィンガーは、コンクラーヴェ(教皇を選出する選挙)の第四回目の投票で、2005年4月19日に第265代教皇に選ばれた。78歳であった。自ら、教皇名をベネデット16世とした。
選出された時の挨拶で、教皇は「私のために祈ってください。私が狼たちの前で恐怖のあまり逃げ出さないように」と言って、多くのものを驚かせた。
「狼」はヨハネ福音書からの引用であるが、福音書では単数の所が複数になっている。
この狼とは、ヴァティカンの機関紙オッセルヴァトーレ・ロマーノの編集長ジョヴァンニ・マリア・ヴィアンによると、教会の内部、外部双方に存在するとのことである。
教皇はこれまで11回の海外訪問(イタリアを含めると12回)を挙行しており、2回の枢機卿会議(Concistoro)で38人の枢機卿を新たに任命している。
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イタリアに来る留学生の数がイタリアから海外に行く留学生の数を上回った(4月19日、Corriere della Sera).
2004年から2006年にかけて、イタリアへやってくる留学生の数は4万人から4万8000人へと約20%増加した。
その結果、2004年時点では、イタリアへ来る留学生よりも海外へ出て行く留学生の方が4251人上回っていたのに、2006年には8501人の輸入超過に転じた。
この数字は、しかしながら、世界全体では、270万人の留学生がいることを考えると小さい。
イタリアにやってくる留学生の比率が高い大学は以下の通り。
留学生数 全体の中の比率
トリノ工科大 1945人 9,1%
ミラノ・ボッコーニ 1096人 9,0%
ミラノ工科大 2068人 6,3%
ボローニャ大 4017人 5,8%
パドヴァ大 2414人 4,6%
ローマ・サピエンツァ 3863人 3,9%
ピサ大 1272人 3,1%
また、8501人の輸入超過は、たとえばアメリカの53万5492人は言うに及ばず、他のヨーロッパ諸国、イギリス30万5051人、ドイツ18万3122人、フランス18万1730人、ベルギー3万5469人、スペイン2万4138人と較べても決して大きくはない。
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EU各国の奨励金によって、自動車産業は息を吹きかえした(4月17日、Corriere della Sera).
Confindustria (産業総連盟)のマルチェガリア会長は、最悪の時期は脱したとの見解を明らかにした。
2009年3月の新車登録台数は、フィアット・グループがイタリアで6万9882台で+6,1%となっている。海外におけるフィアット・グループは、ドイツが+213%と大きな伸びを見せ、フランスでは+25%となっている。
2009年3月と昨年3月における代表的車種の売れ行きは次の通り
2009年3月 2008年3月
フィアット・パンダ 3万3593 2万705 +62,2%
フォルクスワーゲン・ポロ 3万8316 2万9407 +30,3%
フォード・フィエスタ 5万2805 4万5725 +15,5%
フィアット・プント 3万7337 3万3270 +12,2%
フォルクスワーゲン・ゴルフ 4万6415 5万6461 −0,1%
オペル・コルサ 4万346 4万5199 −10,7%
プジョー207 3万9499 4万6674 −15,4%
ルノー・クリオ 3万1938 3万9490 −19,1%
フォード・フォーカス 3万5398 4万5805 −22,7%
オペル・アストラ 2万7236 4万3831 −37,9%
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映画《湖のほとりで》を観た(京橋・映画美学校第二試写室にて)。非常にめずらしく、ありがたいことに試写会の案内をいただき観る機会を得た。
原題はLa ragazza del lago で直訳すれば「湖の若い女」とでもなろうか。ミステリー仕立てなので、ストーリーを詳しく紹介することは避けるが、若い女性の死体が湖のほとりで発見され、その犯人捜しが一つの軸となっている。
しかし、同時に、これはイタリアの北部の小さな村で起こった事件なので、トニ・セルヴィッロ演じる刑事サンツィオが捜査を進めるうちに、村のなかの各家の人間関係、親子関係、夫婦関係のほころびが白日のもとにさらされていく。一見何事も起こらない平和そのものの湖のほとりにある村にも、当然ながら、人間の欲望、暗い情念がうずまいているのだ。
それが、捜査とともに、静かに明らかになっていく。カメラワークも基本的に穏やかで、それだけに時たま見せる技巧的なショットが印象に残るのだが、わざとらしくはなく、むしろ、それが心に染みるのである。それはここで用いられている音楽にも言えることで、殊更に、観客の感情をあおりたてる音楽はもちいられない。
基本的に静かなのだが、実はよく練られた語り口なので、退屈することはまったくない。ミステリーではあるが、暴力的シーンは無い。むしろ、観終わると、監督は、村の中の人間模様を描きたかったのだろうと思えてくる。また、ここにはさまざまな形での障碍をもった登場人物が出てくる。心の具合が悪い者もいるし、身体の具合が悪いものもいる。その微妙な健常者からの「ずれ」が、この映画の味わいには重要である。この映画は、障害者が気の毒とか、障碍があるのに健気に生きているといった方向性の話ではない。そうではなくて、われわれが現代社会にいだいているいわく言い難い違和感が、この様々な形の障碍者を通じて、絶妙な形で表出されていると思う。
トニ・セルヴィッロは、実に達者な役者で、まったく異なった役柄を実に自然にこなしているように見える。『パードレ・パドローネ』のオメロ・アントヌッティがさりげなく脇役で出ているし、ヴァレリア・ゴリーノ(数年前のイタリア映画祭で、A casa nostra という映画で検察官を熱演していた)が影のある母親役で出ているなど、イタリア映画としては豪華な配役なのだが、その使い方が実にさりげないので、逆にストーリーに厚みが出ている。そういう意味で贅沢な使い方をしていると思う。
この映画ドナテッロ賞に史上最高の10部門を独占したというが、じっくり観ると納得がいく。決して騒々しくなく、徐々に心に沁みてくる映画である。
(7月、銀座テアトルシネマ他で公開とのことである)。
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ラクイラ地震の不明者捜索が終了し、犠牲者は293名となった(4月12日、Corriere della Sera).
今回の地震で崩壊したり、使用不可能となった建物は3万8千棟と推定されている。
建物が崩壊した学生寮やサン・サルヴァトーレ病院では、重大な建築違反があったことが明らかになった。建物を支える柱に使用されている鉄の量が基準を下回っていたのである。だから、揺れに対して、建物を支えきれなかったのだ。
当初からささやかれていた疑惑が、はっきりと確認されたのである。こうした建築基準違反は、この2例にとどまらず、多くの建築物で見られる。建築違反が建物崩壊に与えた影響の現場検証が始まったのである。
原因に関しては、建築計画および個々の建築物に用いられた素材の調査と、行政が与えた建築許可の二面から調査される。
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ラクイラ地震の被災者への政府の緊急支援策がかたまった(4月10日、Corriere della Sera).
本格的な復興に関する暫定措置令は、復活祭後に策定される。
今回決定したのは以下の通り。
自営業者に関しては、年金や保険の払い込みを中止する。
自営業、職人、農家で活動が出来なくなった人には一時金月額800ユーロを支給する。
薬に関しては、薬剤師は通常必要な書類なしで、薬を患者にわたすことができる。
二ヶ月間、電気・ガス代の支払いを中止する。
被災した人は家族あたり月400ユーロ(老人や障害者がいる場合は500ユーロ)を支給する。
2008/2009年の学校に関しては、登校日数が200日に達しない場合でも留年する必要がない。
火事場泥棒的な行為を取り締まるため700人の軍人を配置して、パトロールにあたる。
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ベルルスコーニ首相は、ラクイラ大地震の復興は、被害にあった場所を離れてニュータウンを作ってはどうかとのアイデアを投げかけ話題になっている(4月8日、Corriere della Sera).
首相は英語の new town という語を用いている。
これに対し市長のマッシモ・チャレンテ(民主党)は、拒絶はしていない。当然、当惑はしているが、「考えてみる」との姿勢である。
しかし、ラクイラの歴史的中心街(centro storico)はどうなるのだろう。うち捨てられ、空っぽになってしまうのか。建築家、都市計画家をはじめ、政治家はみなこれにノーと言っている。イタリア共産主義者党からキリスト教民主連合、緑の党、民主党にいたるまで、ほとんどがノーである。
とりわけ、Legaambiente という環境保護団体は首相のアイデアを拒絶している。
new town の発祥は、ロンドンで1947年。第二次大戦後のロンドンの復興、成長をどのようなものにするかという問題を解決するために出てきたアイデアである。最初の例は Harlow であった。
ロンドンの他にもモスクワ、スウェーデン、デンマーク、日本にニュータウンの例はある。イタリアで最初の例は、Milano 2 である。
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サルヴェーミニとロッセッリの書簡集が出版された(4月7日、Corriere della Sera).
この書簡集の中には、これまで未公刊だった1937年に交わされたスペイン戦争について意見を交わした手紙も含まれている。カルロ・ロッセッリは、ネッロとともに、ムッソリーニがはなったフランス人の刺客に暗殺される直前である。
1873年生まれのサルヴェーミニはこの当時、64歳で、1925年から亡命していた。最初はフランスへ、それからイギリスそしてアメリカに渡った。カルロ・ロッセッリは1899年生まれ、1929年から外国に逃れた。サルヴェーミニとロッセッリは、ともに反ファシストであったが、個々の政治問題については意見を異にすることが多かった。
サルヴェーミニは、スペイン内戦に関して、非常に懐疑的であった。一方、ロッセッリは戦争の進展とともに重要な進歩が見られるとしている。
書簡集のタイトルは Fra le righe(FrancoAngeli, 334ページ、25ユーロ)編者は Elisa Signori.
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エミリオ・ジェンティーレが未来派に関する新刊を出版した(4月6日、Corriere della Sera).
Futurisuti in politica--《La nostra sfida alle stelle》で出版社はLaterza, 148ページ、15ユーロである。ジェンティーレは、ファシズム期に関する最もすぐれた歴史家の一人。
未来派にとって政治は中心ではなかったが、重要な柱ではあった。マリネッティは否定しているが、1909年に出発した未来派の政治思想を、エンリーコ・コッラディーニやマリオ・モラッソらのナショナリズムに遡ってたどることは可能だ。
それは単に海外に拡張主義的な政策だけでなく、現代生活の中心に機械、テクノロジー、速さを据えることも共通しているのである。
ただし、コッラディ−二のようナショナリストは、古代ローマやヴァティカンの過去の栄光を重要な役割を与えるのに対し、未来派は反教皇庁であり、過去の栄光をたたえることにも反対であった。
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過去約100年のイタリアの大地震には次のようなものがある(4月7日、Corriere della Sera).
1905年9月8日 カラーブリア(ラメツィア・テルメ)
犠牲者557人 マグニチュード6,8
1907年10月23日 カラーブリア(フェッルッツァーノ)
犠牲者167人 マグニチュード5,9
1908年12月28日 カラーブリア{レッジョ)シチリア(メッシーナ)
犠牲者8万5926人 マグニチュード7,2
1915年1月13日 アブルッツォ(アヴェッツァーノ)
犠牲者3万2610人 マグニチュード6,8
1920年9月7日 トスカーナ(ガルファニャーナ)
犠牲者174人 マグニチュード6,2
1930年7月23日 カンパーニャ(イルピーニャ)
犠牲者1425人 マグニチュード6,9
1968年1月15日 シチリア(ベリチェ)
犠牲者236人 マグニチュード6,0
1971年2月6日 ラツィオ(トゥスカーニャ)
犠牲者31人 マグニチュード4,5
1976年5月6日 フリウリ
犠牲者976人 マグニチュード6,5
1980年11月23日 カンパーニャ、バジリカータ(イルピーニャ)
犠牲者2570人 マグニチュード6,8
1984年5月7日 モリーゼ、ラツィオ、カンパーニャ
犠牲者7人 マグニチュード5,2
1990年12月13日 シチリア(カルレンティーニ)
犠牲者17人 マグニチュード4,7
1997年11月26日 ウンブリア、マルケ
犠牲者11人 マグニチュード5,6
2002年10月31日 モリーゼ(サン・ジュリアーノ)
犠牲者29人 マグニチュード5,5
今回のラクイラの地震は、マグニチュード5,8。震源の深さは8,8キロメートルであった。
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ローマのオペラ座総監督フランチェスコ・エルナーニは、アレマンノ市長から迫られて辞任を余儀なくされた(4月5日、Corriere della Sera).
フランチェスコ・エルナーニは、72歳、1999年からローマ歌劇場の総監督をつとめてきた。彼はそれ以前は、フィレンツェのテアトロ・コムナーレの総監督であった。
去る2月5日、ローマ市長ジャンニ・アレマンノは、エルナーニの辞任を求めた。アレマンノは赤字を理由にしているが、エルナーニは反論する。「われわれは、7年間収支とんとんにしてきた」。
アレマンノは、オペラ座を救うにはこれしかなかったとして、歌劇場の代表委員(commissario)に指名された。Fus (Fondo unico per lo spettacolo)の予算カットのある前から、800万ユーロの赤字があったとしている。
労働組合は、ストを予定している。
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第40号法をめぐって、下院議長フィーニと上院議長スキファーニの見解が対立している(4月4日、Corriere della Sera).
第40号法は、人工授精をめぐる法律で、問題点は以下の通りである。まず、この法律では、夫婦が第三者から卵子や精子の提供を受けることを禁じている。また、13条では、受精卵が遺伝病にかかっているかを検査することが禁止されている。また一度につくる受精卵は3つまでと個数を制限されている。さらに、受精卵の冷凍保存も禁じられている。
これに対し、憲法裁判所が疑義を呈したが、フィー二下院議長は、憲法裁判所に同意し、イタリア国家の世俗性を守るべきだとしている。それに対し、スキファーニ上院議長は、この法案は、党議拘束に縛られず良心にしたがって投票した議員も多いので、良い法律であると反論した。
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指揮者クラウディオ・アッバードがスカラ座に復帰することになりそうだ(4月2日、Corriere della Sera).
2010年6月4日、6日にマーラ−の交響曲第8番「一千人の交響曲」を振る予定。2010年はマーラーの生誕150年の記念でもある。
アッバードは、1986年にスカラ座の音楽監督を去ってから23年間スカラ座を振っていない。
アッバードは昨年12月にミラノが9万本の木を植えるなら、スカラ座に戻ろうと語っていた。ミラノ県知事のフィリッポ・ペナーティは、アッバードの気質を飲み込んでおり、アッバードが口にすることはただの冗談ではないことを理解して、すぐに動いた。またミラノ市長のモラッティも同様であった。
それ以上に動いたのはスカラ座だった。総監督のリスナーは就任いらいアッバードの帰還を口説きつづけていたが、アッバードはシ{イエス)ともノーとも言わずに4年が過ぎたのである。
アッバードは4月7日にペナーティ知事、モラッティ市長、リスナー総監督と会談する予定。4月7日にはスカラ座ではロッシーニの《ランスへの旅》が上演される。これはまさにアッバードが1985年に、演出ロンコーニ、舞台ガエ・アウレンティで作り上げたものだ。リスナーはこれが単なる偶然ではなく、マエストロのスカラ座本格復帰を祈っている。
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カトリック系の団体「キリスト軍団」(Legionari di Cristo)にヴァティカンの調査の手が入ることになった(4月1日、Corriere della Sera).
キリスト軍団は、マルシャル・マヒエルが1941年に創設した団体。この軍団は、Università Europa di Roma の創設にも貢献している。
ヴァティカンの決定は、国務長官タルチーゾ・ベルトーネ枢機卿の書簡で伝えられた。創設者のマルシャル・マヒエル師は、幼児性愛、神学生へのセクシュアル・ハラスメントで告発され、2006年に「引退」することを余儀なくされた。2008年に87歳で亡くなっている。
今年になってさらに、特定の愛人と娘(20歳)がスペインにいることが明らかになった。
信心会にとっては、最悪のニュースである。この組織は世界30カ国以上に800人の司祭と2500人の神学生、6万5000人の平信徒をかかえ、158の学校と18の大学を擁している。また、メル・ギブソンの映画『パッション』のスポンサーにもなっている。
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生物学的遺言状(biotestamento)に関し、自由な選択を支持する人が4分の3に達している(4月1日、Corriere della Sera).
エルアーナ・エングラーロさんの尊厳死が話題と議論を呼んだことの影響もあって、2007年と較べて、生物学的遺言状の認知が大きく進んでいる。
以下は、コッリエーレ紙のために Ispo が実施した調査の結果である。2122人の調査で、誤差は2,5%である。
Q:生物学的遺言状を知っていますか?
よく知っている 29%(2007)
51%(2009)
聞いたことはある46%(2007)
41%(2009)
聞いたこともない25%(2007)
8%{2009)
Q:生物学的遺言状に関する法律は必要ですか?
はい 60%
いいえ 5%
わからない35%
Q:意識不明で回復見込みがない場合には治療を中断する自由を認めるべきだと思いますか?
そう思う 44%
たぶんそう思う 31%
なんとも言えない16%
たぶんいいえ 5%
いいえ 4%
Q:意識不明で回復見込みがない場合には、人工栄養を与えない自由を認めるべきだと思いますか?
そう思う 42%
たぶんそう思う 26%
なんとも言えない19%
たぶんいいえ 7%
いいえ 6%
カトリック信者に限った場合でも、55%が治療中止の可能性を認め、47%が栄養補給の中断の選択を認めている。
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コッリエーレ・デッラ・セーラ紙の編集長が交代し、デ・ボルトリが指名された(3月31日、Corriere della Sera).
フェッルッチョ・デ・ボルトリは、5月で56歳になる。これまで Il Sole 24 Ore 紙の編集長をつとめてきたが、こちらは、TG1のジャンニ・リオッタが後を継ぐ。
コッリエーレ紙は、2004年からパオロ・ミエーリが編集長を務めてきたが、彼は、1992年から97年にもその職にあった。ミエーリの後を継ぐデ・ボルトリもコッリエーレ紙の編集長は二度目である。1997年から2003年にその職にあったのである。
Rcsの会長はピエルガエターノ・マルケッティ、代表取締役(Amministratore delegato)はアントネッロ・ペッリコーネがつく。
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国立大学の学生は、入学1年後18,5%が大学を中退してしまう(3月31日、Corriere della Sera).
2006/2007年に国立大学に入学した人は28万5000人。1年後、勉強を続ける人は23万2000人で、18,5%が脱落する。これは、1998/99年の20,9%と比較すると改善しているが、依然として、ヨーロッパの中では最も高い方に属する。
たとえば、オランダでは、7%にすぎないし、イギリスでは、8,6%である。フランスは6%。スペインが15%となっている。
一方、私立大学では、一年終了後、大学を去るものは6,5%にすぎない(2007/08)。
国立大学のなかでも、ベルガモ大(4,9%)やトリエステ大(7,9%)は、一年終了後退学の比率が小さい。
ドロップアウトの比率が高い学部は、数学、物理の26,6%、薬学の23,9%、農学23,7%、社会学22,6%、法学21,5%などである。低いのは医学部4,6%、建築5,1%、心理学6,1%などである。
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映画《マリア・カラスの真実》を観た(渋谷・ユーロスペース。上映時間は、4月18日以降変更となるので注意が必要です)。
ドキュメンタリー映画である。使用されている画像はほとんどが既出のものであるが、編集の仕方が異なれば、編集した監督のカラス観が出てくる。
カラスがヴェローナの企業家メネギ−ニに見いだされて、一流の歌手となり、そこから演出家・映画監督のヴィスコンティと出会ってディーヴァに変身する様は、すでに知っていてもその変貌ぶりはやはり驚く。エルザ・マックスウェルと知り合って社交界の面々と知り合っていくこと、海運王オナシスとの出会い、誘惑、結婚を望みながら結局は裏切りにあうことなどがつづられていく。
この監督は、カラスがメネギ−ニからオナシスに移ったのは、女としての歓びをオナシスが与えてくれたからだという解釈をとっている。カラスがオナシスの子を8ヶ月で帝王切開し死産したことも書類つきで出てくる(噂としては、聞いたことがあったが、病院の診断書は見たことがなかった)。
オナシスに裏切られたあとは、舞台出演も減り、落魄していくわけだが、サーカスにも出ていたことは今回初めて知った。
カラス自身の芸術観は、トークショーでのヴィスコンティとの対話およびメトロポリタン歌劇場の支配人ビングとの対立に如実に現れている。ヴィスコンティは、カラスを完全主義者であるとし、だから練習も人一倍やって、それに付き合うのが嫌な人はカラスを嫌うのだという。
ビングとの対立点は、これまで何度もやった演目ばかりをやらされることをカラスが拒絶したこと、また、演目ごとの練習が短すぎることなどであった。こうした不満もカラスが完全主義者であることの現れと解釈すれば納得がいく。
映画のナレーションは、カラスが時代の要請に応えられなかった、時代から取り残されたとしていたが、僕自身の感想としては、そういう方向に変わってしまったためにオペラはかつての魅力を失ってしまったのだとの思いを強くした。
テレビとも映画とも異なった魅力を舞台が放ちつづけるためには、お手軽なプログラム、スターだけを配して練習はほとんどしないでは、アンサンブルの妙味は発揮できないし、歌手もその役になりきって
オーラを発揮することはむずかしいだろう。
晩年のカラスは孤独である。カラスは芸術家としては文句なく超一流であったが、幸福な家庭生活には幼い時からめぐまれない人であった。実母との葛藤はすさまじいものがある。そのせいか、自分を幸せにしてくれる男性を見抜く目だけはなかったように思える。
死後のエピソードも、だめ押しのように悲惨なものだった。
映画中に使用されているカラスの歌はうまく選択されていたし、音響の処理も適切であり、カラスの音楽、声を十分味わうことが出来た。
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動物愛護団体からの働きかけにもかかわらず、動物実験の数はなかなか減らない(3月30日、Corriere della Sera).
ヨーロッパ全体では、2005年のデータによると、年間1211万匹の動物が実験に使用されている。イタリアでは、89万6966匹。
以下、動物別にヨーロッパとイタリアでの使用数をあげる(上三桁で端数は切り捨て)。
EU イタリア
ネズミ(topi) 643万 53万4千
ネズミ(ratti) 233万 27万9千
モルモット 25万7千 1万1千
ハムスター 3万1500 1530
他の齧歯類 6万4400 2300
ウサギ 31万2千 9910
猫 3890 30
犬 2万4100 1060
フェレット 2690 0
他の食肉類 8710 0
馬とロバ 5310 63
豚 6万6300 2570
山羊 2140 20
羊 3万 584
牛 3万6200 1170
原猿 677 0
猿 9770 412
他の哺乳類 9950 68
ウズラ 9240 0
他の鳥 64万9千 3万1600
爬虫類 2470 378
両生類 7万4600 4630
魚 174万 1万4500
霊長目を使用しないようにという運動もあるが、実際には、病気、たとえば Hiv-エイズの研究には、その使用が欠かせないという専門家の意見もある。
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マリネッティの未公刊の手紙には、彼の政治方針が書かれていた(3月21日、Corriere della Sera).
1919年1月に書かれた手紙には、Partito Futurista を創設する呼びかけが含まれていた。1919年にマリネッティとムッソリーニは接近するが、マリネッティはすぐに自らの独立性、自立性を確認する。
1月11日にファッキ(Democrazia futurista の出版者)にあてた手紙では、自らの戦略を明らかにしている。芸術家としてのこれまでの経験を、具体的に事実に変換する必要性に言及し、Partito Futurista を作り、それに政治紙を付随させる必要性を訴えている。
同様の戦略は、ムッソリーニもとり、1919年3月23日に戦闘ファッシをサン・セポルクロ広場で立ち上げる。その集会にマリネッティも参加するのだが、あまりの反動性に熱意を失う。
マリネッティは、表面上はムッソリーニを立てていたが、実際はアンビヴァレントで、ムッソリーニのなかの反動性や日和見主義的なところに反発を感じていた。
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ナポリで芸術作品が、論議を呼び、市長が撤去を命ずる事態となった(3月21日、Corriere della Sera).
撤去されたのは、十字架にコンドームがかぶせられた磔刑像{写真上)である。下のものは、イエス、マリア、パードレ・ピオが漫画のコスチュームを着ている。
上の作品は、Sacred Love と名付けられたセバスティアーノ・デーヴァの作品で、Museo Pan に展示されていた。
形式的には、文化評議員のニコラ・オッダティによってだが、実質的にはローザ・ルッソ・イェルヴォリーノ市長の命令によってこの作品は撤去されることになる。市長は、この作品は、悪趣味が支配しており、芸術性が欠如していると評価を下している。
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カルロ・サルヴィオーニの方言に関する書物が5巻で刊行される(3月19日、Corriere della Sera).
サルヴィオーニ(1858-1920)はスイスのイタリア語圏ベッリンゾーナ生まれ。
短期間、トリノ大学で教えた後、パヴィア大学(1890-1902)、ミラノ大学(1902-1920)で教えた。
彼の二人の息子フェッルッチョとエンリーコはスイス国民であったにもかかわらず、第一次大戦でイタリアの志願兵として参戦し、戦死している。
サルヴィオーニは、それまで素人が研究していた方言研究を本格的な学者で推進した人として知られている。
方言の他に、カルロ・ポルタやアントニオ・フォガッツァーロについてのエッセイを書いている。
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イタリアには60万匹以上の野良犬がいる(3月18日、Corriere della Sera).
把握されているのは約44万匹だが Associazioni animaliste によれば60万匹はいるという。
1991年の281号法により、イタリアでは、野良犬を殺すことはできない。市長は犬舎を設置し、面倒をみなければいけないことになっている。
実際には、1650の市町村でそのような犬舎は設置されていない。設置されていない市町村の80%は南部の市町村である。
犬舎に収容されている犬は14万9424頭である。
また2008年夏に、路上に捨てられた犬は1万4000頭に及んでいる。
厚生省の次官フランチェスカ・マルティーニは、アメリカのいくつかの州、たとえばカリフォルニア州のように、不妊手術を義務づけることを検討している。
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イタリアで1ユーロショップ(Tutto a 1 euro)が繁盛している(3月17日、Corriere della Sera).
Confcomercio によると、2008年の消費は0,8%減少しているが、1ユーロショップのチェーン店Shop prezzofisso(104店舗)や Eurocity (130カ所)は、過去最高の売り上げを示した。
この種の店舗はアメリカの One dollar store が嚆矢で、1970年代半ばの石油危機の時に誕生した。
イタリアには1980年代の初めに登場した。
2000年代に入って、フランチャイジングがはじまって商品の質が向上した。
今日イタリアには500店舗の1ユーロショップがある。大半は100平米以下の小店舗である。
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文学賞のストレーガ賞をめぐり、あらかじめ受賞者が決まっているのではないかという噂が出たが、主催者側はそれを否定している(3月12,13日、Corriere della Sera).
ストレーガ賞を主催するベッロンチ基金の会長トゥッリオ・デ・マウロは、あらかじめ受賞者が決まっていることはありえないと断固として否定した。
しかし多くの出版社は、すでに受賞はモンダドーリ社から出版されたダニエーレ・デル・ジュディチェの Orizzonte mobile に決まっているとの疑いを持っている。
Mauri Spagnoli グループ(ロンガネージ、グァンダ、コルバッチョ、ガルザンティ、ヴァッラルディなどの出版社を含んでいる)は、候補作への参加を見送るとしている。
また作家のエッリ・デ・ルーカは、候補作として参加はしないとしている。自分は20年前からそういったコンクールには参加しないことを決めているし、ここ数日の議論を見ているとその決断は正しかったと思うと述べている。
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イタリアの各地で住民によるパトロールが広がっている(3月12日、Corriere della Sera).
住民パトロール(ronde) は、1996年 ヴォゲーラで始まった。
2009年2月23日の暫定措置令11号の第6条により正式に規定された。
それによると市長は、県知事との合意にもとづき、武装しない市民の協力を得ることができる。
現在、エミリア・ロマーニャ州では、80の市町村で、1500人のボランティアがこうした治安活動に携わっている。
こうした市民パトロールを Ronde と呼ぶのはおかしいと県知事マリオ・モーリは言う。彼は元Sisdeの長官であるが、Rondeは軍事的な用語であり、市民の活動に使うのはそぐわないとのことである。
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教皇ピオ12世の手紙が発見され、イスラエルとヴァティカンの研究者が共同で検討している(3月9日、Corriere della Sera).
新たに明らかにされたのは、ピオ12世が1943年に書いた手紙で、パチェッリ教皇は24人のローマのユダヤ人をナチの迫害からかくまうため修道院にゆだねるために書いたものである。
ピオ12世は、イスラエルとヴァティカンの解釈が衝突するポイントとなっている。ピオ12世はホロコーストの時代の教皇であったが、イスラエル側は、教皇がそれを黙認したとして非難してきたのである。
イスラエルのホロコースト博物館Yad Vashemにはピオ12世を批判する解説文がある。
今回はそのYad Vashem 博物館にイスラエルとヴァティカンの研究者が集まって、1943年11月に書いた手紙(女子修道院で最近発見された)を検討する。内容としては、24人のユダヤ人を救うため修道院に彼らをあずかるように命じたものである。
5月には現教皇ベネデット16世がイスラエルを訪問する。
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オバマ大統領の唱えるグリーン・ニュー・ディール政策と同様の政策を実現すれば、イタリアにも50万のポストが生まれると期待されている(3月8日、Corriere della Sera)。
この計画を推進しようとするのはLegaambienteと労働組合Cgil である。
クリーンなエネルギーに関してイタリアがやるべきことは多い。現在、再生可能なエネルギーは全体の14パーセントにすぎないが2020年までにはそれを30パーセントに高めねばならないからだ。
たとえば風力発電では、
ドイツ 2万2247Mw(メガワット)
スペイン 1万5145Mw
イタリア 2726Mw
となっており、一桁少ない。
また太陽光発電に関しては、
ドイツ 3800Mw
スペイン 1400Mw
イタリア 120Mw
でこれまた一桁少なくなっている。
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アントニオ・フォガッツァーロが1906年にノーベル賞を取りそこなったことを北部同盟の新聞パダーニャが取り上げている(3月23日、Corriere della Sera)。
これはエンリーコ・ティオッツォの La letteratura italiana e il premio Nobel (Olschki, 356ページ、34ユーロ)に収められたエピソードでまったくの新発見というわけではないが、忘れられたエピソードである。
フォガッツァーロはノーベル賞候補であったが、彼の小説 Il santo が教皇庁の禁書目録(Indice)に載ると、公然とカトリック教会に対し恭順の意を示したのである。
これが教会は教会でもルター派であるスウェーデンのノーベル委員会の逆鱗にふれ、ノーベル賞はカルドゥッチに授与されることになった。
パダーニャ紙としては、ヴィチェンツァ生まれのフォガッツァーロが受賞していればと思わずにはいられない。カルドゥッチはトスカーナ州ヴァルディカステッロの生まれであるからだ。
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クロアチアのザラに65年ぶりにイタリア系の保育園が復活する(3月23日、Corriere della Sera)。
ザラはもともとダルマチア地方でもっともヴェネツィア的な都市であった。20世紀初頭には、全人口のうちイタリア系住民は75パーセントに達していた。
1943年から44年にかけて英米軍の54度におよぶ爆撃で、85パーセント以上の建物が破壊された。
1945年以降、イタリア系住民の大量移住が起こり、ザラに留まったのは12家庭に過ぎない。
クロアチアはEU加盟をにらんで、イタリアとの関係改善を望んでおり、これまで拒絶されてきた事項が実現した。保育園は、クロアチア系の保育園の一部のセクションとしてこの秋設置される予定。
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イタリアでは、毎日約180冊の新刊が発行されているが、そのうち84%は発行部数が500部以下である(3月24日、Corriere della Sera).
2008年の数字だが、イタリアでは、言い換えれば、一時間に7,5冊の新刊が発行されているのだ。平均発行部数は4364部(教科書類を含めた数字)。教科書類を除くと、平均は3524冊に下がる。
また、一月に一冊以上本を読む人は、320万人。2007年に、一年間に一冊以上本を読んだ人は,2400万人である。
発行されたタイトルのうち、82,9%は小説、エッセイ、実用書、美術書、学術書、百科事典などで、7%が児童書、10,1%が小中高の教科書類である。
1990年代は、翻訳物が25%であったが、現在は22,5%に下がっている。
毎年、出版社に送られてくる原稿は30万。
ISBS つきで、96ページの本を20部印刷するコストは、99ユーロ。
現在、活動している出版社は2901社。市場で、組織的な存在となっているのは1016社。業界の授業院は3万8000人。
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