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2009年3月18日 (水)

アントニオ・ポルタ没後20年

Antonio_porta アントニオ・ポルタの没後20周年を記念し、モンダドーリ社から全詩集が刊行される(3月3日、Corriere della Sera).

レオ・パオラッツィ(アントニオ・ポルタの本名)は、作家、詩人、ジャーナリスト、文芸評論家、雑誌編集者、出版社の幹部などなど多くの役割をどれが第二義的ということなく勤めた人であった。

ポルタの書簡集はミラノの Centro Apice に収蔵されている。

1958年ポルタは雑誌《Il Verri》の編集者であった。この雑誌はルチャーノ・アンチェスキにより創刊され、しばらく後に、ネオアヴァングァルディアの実験場となる。そこに若き日のバレストリーニ、エーコ、サングイネーティ、ジュリアーニ、ポンティッジャが加わった。

やがて、雑誌は58年から61年にかけて、ルスコーニ-パオラッツィに移った。レオの父、ピエトロ・パオラッツィが一部所有するところとなったのである。

雑誌と同じ名前で双書を出版したが、それはアンチェスキのエッセイだけでなく、アンチェスキの「弟子たち」の詩や散文もあった。

1961年2月5日に、雑誌と双書をナンニ・バレストリーニに任せることが決定され、一方、アルフレード・ジュリアーニには、ネオアヴァングァルディアのアンソロジー、Novissimi  の編纂がゆだねられた。

Gruppo 63が結成されると、緊張が生じた。1964年6月24日アンチェスキは、バレストリーニの編集を認めているが、11月には、Gruppo 63 があまりに質が均一でなく、出来不出来の激しいものの寄せ集めであることを厳しく批判している。

1963年にバレストリーニの詩集Tristano が出たときには、アンチェスキは「不毛」だと批判した。

レオ・パオラッツィは、アンチェスキの信頼があついようであり、彼は出版社ボンピアーニ、ついでフェルトリネッリで働いた。

1971年詩集《Metropolis》, 1984年《Invasioni》を出した。

(管理人註 アントニオ・ポルタの詩は姉妹ブログ『イタリア現代詩の部屋』の以下のページで読むことが出来ますhttp://senese.cocolog-nifty.com/montale/antonio_porta/index.html

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