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2009年3月 9日 (月)

イタリアの方言

Dialetti イタリアの方言についてチェーザレ・セグレが簡単に紹介している(2月28日、Corriere della Sera).

方言は、ラテン語が中世に断片化したり、進化したりして出来た。イタリアでは、13世紀には、方言の特徴をそなえていたが、すべてが文学作品を生み出したわけではなかった。

14世紀から16世紀にかけては、トスカナ方言が、ダンテやペトラルカのおかげで他の上にたち、ベンボやアリオストとともに、イタリアという国が成立する3世紀前に国語となった。

それが国語(イタリア語)と方言の対立、競争の始まりであった。方言は、自然、民衆の好み、肉体性、直接的必要、本能的表現、話し言葉に近く、他方、国語は、文化、理想化、行政組織、様式性、書き言葉により近いものであった。

実際、何世紀にもわたり、家庭や市場では方言を用い、よりフォーマルな場合には国語を用いていた。そもそもごく少数の者しか読み書きが出来なかったのである。大多数は文盲であった。

方言で書いた詩人にはポルタやベッリがいるが、方言で書く詩人は共通語のほうがすぐれて格が高いとは考えていない。自分たちの地域の言葉をそれと対峙させ、それが新たな響きをもたらすと考えているのである。

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コメント

 常日頃考えていることを再確認いたしました。知っているある人。日本です。標準語圏の大学に入学してそれまでの自分の地方言語(方言)をひた隠し、1年間無言で通し、それから徐々に標準語を喋るようになったそうです。ところが、何十年経ち、こんどは自分の方言でしか喋りたくない、と決心し、職場と家族を途方に暮れさせました。その日以来「新たな響き」を周囲にもたらしました、まちがいなく。その人の甥はやはりおなじ大学入学で、十数年後、もう標準語と方言のバイリングアルでした。テレビの影響でした。いま方言の豊かさと味わい、大切さが見直され、再評価されていると思います。イタリアも。イタリアと日本はだいぶ事情がちがいますが。

投稿: figliagiglia | 2009年3月10日 (火) 15時22分

figliagiglia さん

コメントありがとうございます。2つのことを考えました。

1.いわゆる標準語は、話者にとって、獲得すべき(外国語)のようなものであること。そのため、自分の感情を身体に近いところで表現できるとは限らない。

2.テレビには功罪があるが、方言の話者、特に若者が標準語と方言のバイリンガルになることを容易にしている。
 テレビによって、純粋な方言は薄まったり崩れたりするかもしれないが、同時に、話者の(標準語か方言かの)二者択一でなく、使い分けが可能になっている。

イタリアでは、少なくとも映画などでは、地方性を打ち出すことが90年代くらいから強くなっている気がします。

EUの存在が強くなるにつれて、国のレベルが相対的なものになり、地方のレベルの存在感が強まっているのかもしれませんね。

投稿: panterino | 2009年3月10日 (火) 22時00分

 ありがとうございました。何回も拝読し、考えて参ります。嬉しいです。

投稿: figliagiglia | 2009年3月11日 (水) 07時56分

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