« フランコ・ロイ、ミラノ方言を語る | トップページ | アンドレア・ザンゾット、ヴェネト方言を語る »

2009年3月12日 (木)

エッリ・デ・ルーカ、ナポリ方言を語る

Erri_de_luca詩人・小説家のエッリ・デ・ルーカがナポリ方言について語った(2月28日、Corriere della Sera)。

イタリア語は平易で平坦な言語だが、奥で下っていくと、様々な方言の豊かさを摘み取っている。方言の豊かさでは、イタリア語は並ぶものがない。

私は、イタリア語が話されない都市で生まれた。イタリア語は、学のある('sciviti')人だけが知る外国語のようなものだった。私はすぐに、目的によって使いわけられる、二つの語彙、二つの文法、二つの発音があることを理解した。

イタリア語は、公の建物、学校、裁判所そして父の本のなかに存在した。私は気に入った、なぜなら本箱で行儀良く静かにしていたからだ。

一方、ナポリ弁は、近所の人の声でわめきたて、ののしり、からかい、サンジェンナーロの血が溶けるのを祈る祈りに用いられた。ナポリ弁は広場で入り乱れ、路地を物売りとともにあがってくるのだった。「シラミつきは、櫛を買いな」(Perucchiu', accttateve 'o pettene).

ナポリ弁は、早い。語尾のきられた数語で用を足す。以前に「行く(andare)」の最も短い形 i' で証明した。《T' n' ia i'》これはイタリア語では、Te ne devi andare (お前は立ち去るべきだ)となる。イタリア語のほうがずっと長い。

また動詞 avere (所有する)の代わりに、tenere を使うのが好きだ。Avere は大袈裟な動詞で、法で保証された所有を意味する。Tenere は違う。持っているが、たしかではない。ナポリ人はおそろしい火山のもと、地震のある地面の上で暮らしている。一時的ということが身にしみているのだ。

(管理人註:エッリ・デ・ルーカがここで述べたことを、作品に投影した彼自身の詩を、次のページで読むことができます。http://senese.cocolog-nifty.com/montale/2008/07/post_1943.html

|

« フランコ・ロイ、ミラノ方言を語る | トップページ | アンドレア・ザンゾット、ヴェネト方言を語る »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/144339/44319943

この記事へのトラックバック一覧です: エッリ・デ・ルーカ、ナポリ方言を語る:

« フランコ・ロイ、ミラノ方言を語る | トップページ | アンドレア・ザンゾット、ヴェネト方言を語る »