フランコ・ロイ、ミラノ方言を語る
詩人フランコ・ロイがミラノ方言について語っている(Corriere della Sera, 2月28日)。
詩はおしゃべりではない。言葉を詩に用いるのは、情感や感覚や無意識の考え、生きるときの言うに言われぬ関係などを伝えたいという気持ちからやってくる。
そこから、実用的あるいは合理的な基準に帰さない内的論理をもった言語が生まれる。
個々の詩人は自分の言語を鍛えねばならないが、それは政治的秩序や社会学的な差別を許容しないものだ。
私の使うミラノ方言は、ミラノ方言純粋主義者からは、イタリア語話者からと同様に、認められないのも確かだ。
社会学者たちが方言の消滅に反対しているが、それは、テレビの進入によってイタリア語もイタリア人の意識から消滅しつつあるという現実を見ていないように思われる。歴史には、つねに変なことが起こる。ミラノでは、たとえば、EU圏外からの移民がミラノ方言をしゃべっている。どこで憶えたのだろう?
ともかく、自分にとって根本的な問題は、詩の自由ということだ。
(追記:姉妹ブログ《イタリア現代詩の部屋》に、フランコ・ロイのミラノ方言による詩を紹介しました。興味のある方はどうぞご覧ください。ミラノ方言でのオリジナルと詩人自身によるイタリア語訳、日本語訳を併記してあります。
http://senese.cocolog-nifty.com/montale/franco_loi_1/index.html)
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