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2009年3月31日 (火)

首相の住宅政策

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ベルルスコーニ首相のニュータウン政策の概要が明らかになった(3月26日、Corriere della Sera).

首相はあらたな住宅地区を、若者や低所得者家族のために造成したいとしている。それによって、9万7965人の雇用が生まれる。

住宅政策に費やしている額をGDP(Pil)比で各国別に比較するっと、イタリアが0,1%、イギリス0,5%、ドイツ0,4%、スペイン0,2%となっている。

政府が予測している1平米あたりの費用は1500ユーロ。

容積率は、最大20%の増加を認め、解体・再建築の場合は最大35%の増加を認めて、建築需要を刺激する計画である。

この計画に関連した数字としては、一戸建てが691万565戸あり、セミ・ディタッチト(Ville bifamiliari) は228万3101戸ある。

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2009年3月30日 (月)

夏時間、始まる

Este_09072450_24550 3月29日から夏時間が始まった(3月29日、Corriere della Sera).

3月28日と29日の間の夜中、2時が一時間勧められ3時になって、夏時間(l'ora legale) が始まった。

夏時間は、10月24日と25日の間の夜中まで続く。

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ベルルスコーニ:首相により権限を

Esulta_169                   ベルルスコーニ首相は、自ら率いることになる政党Pdlの創設大会で、憲法改革を訴えた(3月29日、Corriere.it).

首相は、憲法を改革する必要性、経済危機を乗り切れることなどを説いた。

前日、同大会でフィーニ下院議長が触れた生物学的遺言状の問題には触れずじまいだった。

この演説に対し、野党のディ・ピエトロは、統帥(ムッソリーニ)風の演説であり、P2(フリーメーソンのロッジャ)の計画を実行しようとするものだと批判した。ベルルスコーニはP2のメンバーであった。

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2009年3月29日 (日)

Pdl 創設大会、フィーニの演説

Fini99_big Pdl の創設大会で下院議長のフィーニが演説した(3月28日、Corriere.it)

フィーニはこの中で、生物学的遺言状の法案は、倫理的国家としてのもので、世俗的国家のものではなかったとして上院を通過した法案を批判した。

フィーニは、世俗と倫理、即ち、世俗と宗教(教会)を峻別してこれからの政治を考えるべきだとしている。また、移民に対しておそれを抱くことなく、受け入れるべきだとの考えもしめした。

またベルルスコーニとの不仲説は両者ともに否定した。

フィーニは憲法の後半部分を改正すべきだとしている。この改正なしでは、イタリアはさなぎから蝶に脱皮できないとも述べた。

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2009年3月28日 (土)

生物学的遺言状法案、上院を通過

Euta_big 上院で、生物学的遺言状に関する法案が通過した(3月26日, Corriere.it).

(生物学的遺言状(biotestament, testamento biologico) は、リヴィング・ウィルに相当するものだが、制限がより厳しいものとなっている。)

上院での投票は賛成150、反対123、棄権3票であった。上院での議論は与党と野党間の激しい衝突が見られた。されに、グループ内でも意見の分裂がまま見られたのであった。

第四条の患者が署名した前もっての治療に関する宣言(Dichiarazioni anticipate di trattamento, Dat) に関して、これが医師に対して拘束力を持たないものとするという修正案が提出されると議場は大騒ぎになった。この修正案はUDCのFosson 議員によって提出された。

野党は、法案の骨抜きであるとして反対した。

一方、この法案内容に、イタリア司教会議の新聞 Avvenire は賛成の意を示している。安楽死に反対する内容となっているからである。

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2009年3月27日 (金)

フィーニ: ムッソリーニを偉大な政治家とは考えない

Fini140x180 下院議長のジャンフランコ・フィーニは、ベニト・ムッソリーニを偉大な政治家とは考えないと表明した(3月25日、Corriere.it.)

1990年代初頭には、フィーニは、ムッソリーニは20世紀最大の政治家だと述べたこともある。しかし、現在では考えを変えたことを明らかにした。

外人記者クラブでは、フィーニは、ベルルスコーニ政権が長く続いているかを聞かれ、「選挙での合意をすくい取るのが巧みだ。つまり、市民の感情を解釈するのがうまい。それは民主主義だ」

また自分は海とイルカが好きだが、自分がベルルスコーニの後継者(イルカも後継者もdelfino である)に決まっているとは考えない。

では現首相のあとは、誰が中道右派のリーダーとなるのかと問われ、フィーニは、その時が来たら、議論して党が選ぶだろうと述べた。

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2009年3月26日 (木)

連邦制法案、下院通過

Federalismo 連邦制(federalismo)に関する法案が上院を通過した(3月24日、Corriere it.).

来月復活祭のころに上院で三回目の最終審議に入る予定である。

下院での投票は、賛成319票、反対35票、棄権195票であった。民主党は棄権に回ったのである。選挙で民主党と連携関係にあった Italia dei Valori 党は賛成にまわった。

ベルルスコーニ首相は投票結果に満足し、国の近代化の一歩であるとしている。

それ以上に高揚しているのが、予想通り、北部同盟の面々である。ボッシ、マローニとも大いなる満足を表明している。

この法案が実現すれば、将来的には地方自治体は税制面での独立性を獲得することになる。

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2009年3月25日 (水)

『未完のモザイク』(ジュリオ・レオ-ニ)

Photoジュリオ・レオーニ著鈴木恵訳『未完のモザイク』(二見書房)を読んだ。

ミステリーである。

ただし、ダンテが主人公となってモザイクの親方が殺された事件を捜査する。ダンテは1300年フィレンツェのプリオーレ(執政官)であった。

犯罪現場は、教会で、そこには星が書かれていた。そこに教皇庁からの大使や、フィレンツェに入り込んできたインテリたちのサークル『第三天』の面々(医師、錬金術の大家、法学者、神学者、天文学者)が入り乱れる。さらには、謎の踊り子も登場する。

モザイクの親方が何を描こうとしていたのか、それを妨げようとして殺したのは誰なのか、というミステリーをダンテが解くことになる。

ここでのダンテは、非常に短気で、すぐに人を殴る。乱暴な人間である。おそらく作者レオ-ニは、教科書で扱われる「偉大な」ダンテではなくて、地上を歩む長所短所を色濃くもった存在としてのダンテを描こうとしたのであろう。

当時のインテリにとって天文学や錬金術がどれほど重要であったか、また、未知の土地がどんな魅力をもっていたかなどが感覚的に判るようになる本である。

ダンテに興味があるので読んだが、ダンテに興味がない場合には、700年前の社会やそこでうごめく人物に対する違和感があるかもしれない。

翻訳は英語からの重訳。

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2009年3月24日 (火)

フィーニ、国民同盟に別れの挨拶

Fini 下院議長のジャンフランコ・フィーニは国民同盟(AN)の党大会で、同党がPDLに合流する前の最後の党大会で、別れの挨拶をした(3月22日、Corriere.it)

フィーニは多少の感慨はある、としている。MSIの書記、ANのリーダー、そして下院議長へとフィーニの経歴はステップを踏んできた。

彼は、フォルツァ・イタリア党およびベルルスコーニとの15年にわたる同盟を振り返った。また、この同盟は、「新しいイタリア」をつくるために必要であったし、さらにANがPDLに合流することは、自分たちにとってのみでなく、祖国のために必要なのだと説いている。

フィーニは、大統領の権限拡大のための憲法改正には賛成だが、だからといって国会をないがしろにするものではない、としている。

また、10年後には、イタリアは多民族、多宗教国家になるだろうとして、移民の問題に向き合う必要を訴えた。

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2009年3月23日 (月)

脳に「信仰の場」

Cervello 信仰の場が、脳にもあることがあるらしい(3月10日、Corriere della Sera).

アメリカ人研究者のグループと一人のイタリア人研究者が、脳の神経活動を解読する技術により、どこに宗教的信仰の構成要素があるかをつきとめた。

彼らは一連の質問、たとえば「神は善である」、「神は罪人を罰する」などを通じて、宗教の三つの側面を調べた。

一つは、神に対する感情、第二は、日常生活のなかでの判断への神の関与(たとえば性生活との関わり)、第三は宗教意識について。

こうした三側面について調べたところ、耳のうしろの側頭葉が、神を感情的に認識することと関わりが深いことがわかった。それは、信仰を持つ人と、無神論者で変わらないのだと、ジョヴァンナ・ザンボーニは語った。彼女は、ジョーダン・グラフマンらとこの研究を進めたのである。

ザンボーニは、「さまざまな文化でどうなっているかを研究しなければいけない」としている。「われわれの研究は、ワシントン地区のアメリカ人を対象にしたものなのです」。

(イタリア語見出し Scoperta nel cervello/ 《l'area della fede》)

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2009年3月22日 (日)

アソル・ローザの新著をめぐる論争

Asor_rosa_storia アソル・ローザの新著Storia europea della letteratura italiana (イタリア文学のヨーロッパ史)をめぐり論争が起こっている(3月10日、Corriere della Sera).

老大家アソル・ローザ(写真)の新著はエイナウディ社から出たが、これに激しく噛みついたのはアルフォンソ・ベラルディネッリで、新聞 Sole 24 Ore 紙上での書評で、酷評したのである。

ベラルディネッリによれば、アソル・ローザは「戦闘的批評家でも、学者でもなく、政治的野心をもった編集のオーガナイザー」にすぎない。

「彼の極端なマルクシズムは、作家やインテリを上から見下ろす癖をつけてしまった」としている。

この酷評に対し、エドアルド・サングイネーティはアソル・ローザを擁護し、チェーザレ・セグレは、ベラルディネッリの批評はあまりに個人攻撃的すぎるとしている。ただし、セグレも、ヨーロッパ史へ開くというのは看板倒れだとしている。

一方、ジュリオ・フェッローニとマッシモ・オノフリはベラルディネッリ側に同意している。

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2009年3月21日 (土)

ベルルスコーニの住宅政策、ボッシは疑念を呈す

Bossi_09310 ベルルスコーニ首相は、経済危機対策として、住宅政策を打ち出したが、与党内だが北部同盟のリーダー、ボッシは疑念を呈している(3月10日、Corriere della Sera).

住宅プラン(piano-casa) は、1つは建坪率を20%引き上げるというものだ。その住居が1989年以前に建てられたものである場合には、取り壊して建て直すと30%建坪率が増す。

第二は、庶民向けの住宅を5000から6000件つくるというものであり、5億5000万ユーロの規模となる見込みだが、ただし、建築するかしないかの決定は州にゆだねる。

こうした案に対し、北部同盟のボッシ(写真)は、そういった住宅が移民のためであるなら反対であるとの意見を表明し、共産主義再検討のフェッレーロや民主党のファリノーネの反発をかっている。

また、Istituto nazionale di urbanistica は政府案に懸念を表明している。

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2009年3月20日 (金)

兵舎がデラックス・ホテルに

Caserma兵舎がデラックス・ホテルに変わる可能性が出てきた(3月7日、la Repubblica).

防衛大臣は、約1000の建物を売るか貸したいとしている。このうち、200は貴重な建造物。

多くは兵舎だったもので、なかには造船所、軍事工場もある。

目的は、収入を得ることで、そのお金で再投資するための流動性を確保したり、外国への派遣の費用としたりする予定である。

防衛省が所有しているもののなかには、ヴェネツィアの造船所や、サンタンドレア島などもある。また、ラルッサ大臣は、ブリンディジのアラゴネーゼ城(写真)も貸そうという考えだ。

フィレンツェでは、18世紀末にメディチのコジモIII世が造った兵舎 Cavalli di Firenze が貸しにだされる予定である。

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2009年3月19日 (木)

メッシーナ海峡大橋など大型公共事業スタートか

Pontestretto ベルルスコーニ首相は、経済危機は重大だが悲劇的ではないとし、大型の公共事業を推進する方針を示した(3月7日、Corriere della Sera およびla Repubblica).

Cipe (Comitato interministeriale per la programmazione economica 経済計画省庁間委員会)は、178億ユーロを支出を認めた。

公共事業の筆頭となるのは、メッシーナ海峡大橋で、径間(スパン、campata, 橋の両脚間)が一つで、3300メートルで幅60メートルで、自動車6車線、電車2車線となる。

Cipe が認めた大橋の費用は13億ユーロだが、全体の費用は61億ユーロにのぼると見られている。

2010年に着工し、実際に開通するのは2016年の予定である。

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2009年3月18日 (水)

アントニオ・ポルタ没後20年

Antonio_porta アントニオ・ポルタの没後20周年を記念し、モンダドーリ社から全詩集が刊行される(3月3日、Corriere della Sera).

レオ・パオラッツィ(アントニオ・ポルタの本名)は、作家、詩人、ジャーナリスト、文芸評論家、雑誌編集者、出版社の幹部などなど多くの役割をどれが第二義的ということなく勤めた人であった。

ポルタの書簡集はミラノの Centro Apice に収蔵されている。

1958年ポルタは雑誌《Il Verri》の編集者であった。この雑誌はルチャーノ・アンチェスキにより創刊され、しばらく後に、ネオアヴァングァルディアの実験場となる。そこに若き日のバレストリーニ、エーコ、サングイネーティ、ジュリアーニ、ポンティッジャが加わった。

やがて、雑誌は58年から61年にかけて、ルスコーニ-パオラッツィに移った。レオの父、ピエトロ・パオラッツィが一部所有するところとなったのである。

雑誌と同じ名前で双書を出版したが、それはアンチェスキのエッセイだけでなく、アンチェスキの「弟子たち」の詩や散文もあった。

1961年2月5日に、雑誌と双書をナンニ・バレストリーニに任せることが決定され、一方、アルフレード・ジュリアーニには、ネオアヴァングァルディアのアンソロジー、Novissimi  の編纂がゆだねられた。

Gruppo 63が結成されると、緊張が生じた。1964年6月24日アンチェスキは、バレストリーニの編集を認めているが、11月には、Gruppo 63 があまりに質が均一でなく、出来不出来の激しいものの寄せ集めであることを厳しく批判している。

1963年にバレストリーニの詩集Tristano が出たときには、アンチェスキは「不毛」だと批判した。

レオ・パオラッツィは、アンチェスキの信頼があついようであり、彼は出版社ボンピアーニ、ついでフェルトリネッリで働いた。

1971年詩集《Metropolis》, 1984年《Invasioni》を出した。

(管理人註 アントニオ・ポルタの詩は姉妹ブログ『イタリア現代詩の部屋』の以下のページで読むことが出来ますhttp://senese.cocolog-nifty.com/montale/antonio_porta/index.html

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2009年3月17日 (火)

移民のクラス、クルスカがノー

Crusca_2 アカデミア・デッラ・クルスカは、移民・外国人専用のクラスを設定することに反対であるとの見解を表明した(3月3日、Corriere della Sera).

クルスカ (1583年、フィレンツェで設立され、イタリア語純化を目標に掲げた言語学会)発行の定期刊行物《Crusca per voi》に二つの論文が掲載された。

それによると、北部同盟のロベルト・コータが提案し、与党の賛成多数で昨年10月に可決された外国人専用のクラスまたは橋渡しのクラスを、イタリア語を学ぶために作ることについて、反対の意見が表明された。

イタリア語習得という目的に対して、適切な方法ではないとの考えである。

2008-09年度、外国人の生徒は推計65万人で全体の7%を占めている。

内訳は、前年度の2007-08年度の場合、幼稚園が11万1044人、小学校が21万7716人、中学が12万6396人、高校が11万8977人で、合計57万4133人、全体の6,4%を占めていた。

この外国人比率は急激に高まっており、1996-97年度は全体で5万9389人で、全体に占める割合は0,7%にすぎなかった。

子供たちのうち、イタリアの市民権はもたないが、イタリアで生まれたものは、19万9120人で全体の2%をしめている。

外国人の生徒で、学年途中から入学するものは20%。

外国人の生徒で勉強が遅れているものは42,5%となっている。

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2009年3月16日 (月)

映画 《1000ユーロ世代》

Lodovini_valentina_generazione1000e 小説《1000ユーロ世代》が映画化された(3月2日、Corriere della Sera).

映画監督はマッシモ・ヴェニエ。もともとの小説はインターネットで生まれた。(日本語にも翻訳されている)。

この映画では、ヴァレンティーナ・ロドヴィーニ(写真)が、高校のラテン語・ギリシア語の先生を志望する若い女性を演じている。

30代の若者を描いた甘酸っぱいコメディーとなっている。

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2009年3月15日 (日)

オンブズマン、減少か

Difensorecivico いくつかの州では、オンブズマン(difensore civico)を減らす計画がもちあがっている(3月1日、Corriere della Sera).

イタリアでは、オンブズマンの制度が出来たのは1974年で、ラツィオ、リグーリア、トスカーナに登場した。

イタリアの、市民の法の守り手は600人いる。

5つの州には、オンブズマンがいない。その5州とは、シチリア、カラーブリア、プーリア、モリーゼ、ウンブリアである。

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2009年3月14日 (土)

2500の言語が消滅の危機に

Torrebabele Unescoによると、世界中で2500の言語が消滅の危機にある(3月1日、Corriere della Sera).

Unesco によれば、世界中で6000の言語があり、そのうち2500が消滅してしまう危機にある。

過去3世代で消えてしまった言語は200.話し手が10人以下になっている言語は199ある。

世界で話し手が最も多いのは中国語(北京語)で11億2000万人。ついで英語で5億1000万人。ヒンドゥー語が4億9000万人。スペイン語が4億2500万人。アラブ語が2億5500万人となっている。

イタリアでは、5つの言語が消滅するおそれがあるとされている。

北から、ヴァッレ・ダオスタの Töltschu (ドイツ語)で話者は200人。

アブルッツォ・モリーゼのクロアチア・モリーゼ語は、話者5000人。

プーリアのGriko del Salento (ギリシア語)は話者2万人。

カラーブリアのGardiol は話者340人。

カラーブリアのGriko(ギリシア語)は話者2000人である。

Gardiolというのはオック語で、13,14世紀にこの地にやってきた。ヴァルド派弾圧を逃れきたのだ。その後、宗教的にはカトリックに改宗したが、言語は残ったのである。だから、ピエモンテのオック語と密接な関係があるという。

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《マトリックス》視聴率28%越す

Vinci Canale 5の人気討論番組《Matrix》が、司会者がヴィンチに変わって、視聴率が28%を記録した(3月1日、Corriere della Sera).

《Matrix》の司会者がメンターナからアレッシオ・ヴィンチ(写真)に交代したが、初回は、視聴率が10,7%に過ぎなかった。

第二回目は、28,47%で、212万人の視聴者を獲得した。

一回目の相方はマーラ・カルファーニャで、二回目は、マリア・デ・フィリッピであったが、司会者は、視聴率の変化が何によるものかを結論づけるのは困難だとしている。

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2009年3月13日 (金)

アメリカの宗教地図の変化

Religions アメリカの宗教地図に変化が生じている(3月9日、Usa Today).

1990年と2008年が宗派別に比較されている。

カトリック 5720万人 
1990 26,2%
2008 25,1%

バプティスト 3610万人
1990 19,3%
2008 15,8%

無宗教 3420万人
1990 8,2%
2008 15%

キリスト教 3240万人
1990  14,8%
2008  14,2%

主流のプロテスタント 2940万人
1990  18,7%
2008  12,9%

判らない、回答拒否 1180万人
1990  2,3%
2008  5,2%

ペンテコステ派 800万人
1990  3,2%
2008  3,1%

プロテスタント諸宗派(キリストの教会、エホバの証人など)710万人
1990  2,6%
2008  3,1%

モルモン 320万人
1990  1,4%
2008  1,4%

ニュームーヴメント 280万人
1990  0,8%
2008  1,2%

ユダヤ教 270万人
1990  1,8%
2008  1,2%

東洋の宗教 200万人
1990  0,4%
2008  0,9%

イスラム教  140万人
1990  0,3%
2008  0,6%

顕著な変化としては、無宗教と答えた人が増加し、キリスト教徒をまとめた場合11ポイント減少していることである。

この調査は、new American Religious Identification Survey (ARIS)によるものである。

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アンドレア・ザンゾット、ヴェネト方言を語る

Zanzotto 詩人アンドレア・ザンゾットがヴェネト方言について買った(2月28日、Corriere della Sera).

私の幼少期の「巣」、私の生まれたピエヴェ・ディ・ソリーゴの小路のなかに、私の最初の無意識の詩の観念が形成された。

それは、カル・サンタと呼ばれる路地で、声や動きに溢れた場所だった。

こうした場所で私は自分の故郷の言葉を覚えた。私はこの方言を使うのを止めたことはない。ただ、ある時点から、徐々に崩れ、汚染され、貧困になっていくのに気がついたが。

1976年、フェッリーニが、彼の映画《カサノヴァ》での協力を求めてきた。ヴェネト方言の曖昧さや慣習を打ち破るような詩的テクストを書いてほしいということだった。言葉や音韻を発明するよう求められた。ルザンテのヴェネトとゴルドーニのヴェネトを混ぜるようなごたまぜを創るのだと。

テクストはすぐに出来た。10年前から故郷のピア-ヴェの方言で書いていたからだ。それは、方言の終焉について、方言で歌ったエレジーだった。

global language の時代に、ノヴェンタやカルツァヴァーラによって革新された伝統の上に、ルチャーノ・チェッキネルのような詩人が自分の出自の言語を再発見しているのは重要なことだ。

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2009年3月12日 (木)

エッリ・デ・ルーカ、ナポリ方言を語る

Erri_de_luca詩人・小説家のエッリ・デ・ルーカがナポリ方言について語った(2月28日、Corriere della Sera)。

イタリア語は平易で平坦な言語だが、奥で下っていくと、様々な方言の豊かさを摘み取っている。方言の豊かさでは、イタリア語は並ぶものがない。

私は、イタリア語が話されない都市で生まれた。イタリア語は、学のある('sciviti')人だけが知る外国語のようなものだった。私はすぐに、目的によって使いわけられる、二つの語彙、二つの文法、二つの発音があることを理解した。

イタリア語は、公の建物、学校、裁判所そして父の本のなかに存在した。私は気に入った、なぜなら本箱で行儀良く静かにしていたからだ。

一方、ナポリ弁は、近所の人の声でわめきたて、ののしり、からかい、サンジェンナーロの血が溶けるのを祈る祈りに用いられた。ナポリ弁は広場で入り乱れ、路地を物売りとともにあがってくるのだった。「シラミつきは、櫛を買いな」(Perucchiu', accttateve 'o pettene).

ナポリ弁は、早い。語尾のきられた数語で用を足す。以前に「行く(andare)」の最も短い形 i' で証明した。《T' n' ia i'》これはイタリア語では、Te ne devi andare (お前は立ち去るべきだ)となる。イタリア語のほうがずっと長い。

また動詞 avere (所有する)の代わりに、tenere を使うのが好きだ。Avere は大袈裟な動詞で、法で保証された所有を意味する。Tenere は違う。持っているが、たしかではない。ナポリ人はおそろしい火山のもと、地震のある地面の上で暮らしている。一時的ということが身にしみているのだ。

(管理人註:エッリ・デ・ルーカがここで述べたことを、作品に投影した彼自身の詩を、次のページで読むことができます。http://senese.cocolog-nifty.com/montale/2008/07/post_1943.html

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フランコ・ロイ、ミラノ方言を語る

Francoloi 詩人フランコ・ロイがミラノ方言について語っている(Corriere della Sera, 2月28日)。

詩はおしゃべりではない。言葉を詩に用いるのは、情感や感覚や無意識の考え、生きるときの言うに言われぬ関係などを伝えたいという気持ちからやってくる。

そこから、実用的あるいは合理的な基準に帰さない内的論理をもった言語が生まれる。

個々の詩人は自分の言語を鍛えねばならないが、それは政治的秩序や社会学的な差別を許容しないものだ。

私の使うミラノ方言は、ミラノ方言純粋主義者からは、イタリア語話者からと同様に、認められないのも確かだ。

社会学者たちが方言の消滅に反対しているが、それは、テレビの進入によってイタリア語もイタリア人の意識から消滅しつつあるという現実を見ていないように思われる。歴史には、つねに変なことが起こる。ミラノでは、たとえば、EU圏外からの移民がミラノ方言をしゃべっている。どこで憶えたのだろう?

ともかく、自分にとって根本的な問題は、詩の自由ということだ。

(追記:姉妹ブログ《イタリア現代詩の部屋》に、フランコ・ロイのミラノ方言による詩を紹介しました。興味のある方はどうぞご覧ください。ミラノ方言でのオリジナルと詩人自身によるイタリア語訳、日本語訳を併記してあります。
http://senese.cocolog-nifty.com/montale/franco_loi_1/index.html)

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2009年3月11日 (水)

《イル・トロヴァトーレ》

Trovspan Trovbig

ヴェルディのオペラ《イル・トロヴァトーレ》を観た(メトロポリタン・オペラ)。

実演で観ると、ヴェルディのオペラの異様ともいえるエネルギーを感じる。

そもそもこのオペラ、ストーリーが奇妙といえば奇妙である。ジプシーの息子として育てられている吟遊詩人のマンリーコが、実はルーナ伯爵の弟なのだが、本人はそれを知らない。

彼を育てたジプシー、アズチェーナは母親が伯爵家によって火あぶりにされたため仕返しに赤ん坊だったマンリーコをさらってきたのだが、殺そうと思って間違って自分の子を火あぶりにしてしまったという暗い過去を持っている。

ここまでが舞台が始まる前の状況で、舞台が開くと、マンリーコとルーナ伯爵は、一人の女性(レオノーラ)に恋をしている。マンリーコとレオノーラが相思相愛で、ルーナは横恋慕という形の三角関係である。

ヴェルディと台本作家カンマラーノが設定した舞台は15世紀のスペインで内戦状態である。このオペラの初演が1853年のローマ・アポッロ劇場であったことを考えると、リソルジメントと重ね合わせて観客は時代劇に同時代のイタリアの政治状況を読み込んだことだろう。

今回のマクヴィカーの演出では、時代をナポレオンの軍隊とスペインが戦う時代(1808-14)に移行している。そして、リソルジメントというよりは、内戦を精神の分裂の比喩としてとらえ、それが登場人物それぞれに反映している、というコンセプトになっている。

配役はマンリーコがマルセロ・アルヴァレス。伸びやかな声、歌い回しも上手く、素晴らしい歌いぶりだった。有名なアリア「見よ、おそろしい火を」でも、見事な歌唱を聞かせてくれた。

指揮のジャナンドレア・ノセダは、きびきびとしたテンポで、だれることなく、作品の推進力を表現していて大いに好感を持った。しかも、盛り上がるところでは、スコアの細部の緊張感を醸し出すことも巧みである。強いて難を言えば、盛り上げるときに、オーケストラの音量が大きすぎて、歌手が声を張り上げるときに、張り上げた度合いが打ち消し合ってしまううらみがあったことだ。先に述べたマンリーコの「見よ、おそろしい火を」でも最後の高音 all'armi のところまで緊張感を盛り上げ、テンポを高める手際は文句なく素晴らしかったのであるが、音量にもう一段の配慮があれば、アルヴァレスの声がより生きたであろう。

レオノーラはソンドラ・ラドヴァノフスキ(アメリカのイリノイ出身)で、声量が大きい。舞台をところ狭しと走り回ったり、最終幕でマンリーコを助けるためルーナ伯爵に会いに行く際には、金網の柵をよじのぼったりで、どこまでが演出家のアイデアで、どこまでが歌手の自発性なのかは知らないが、随分と元気のよいレオノーラであった。ロマンティックな歌い回しを丁寧に、わかりやすく歌ったところが当日の観客には最もうけていた。

ホロストフスキーのルーナ伯爵は、どちらかと言えば、《トスカ》のスカルピアに近い、嫌らしいセクハラ、パワハラで権力をかさにきて、女性に迫るといった描き方であった。こういった演出は、それはそれで台本を読めば一理ある。一理あるどころか、それが正当な描き方とも思える。他方、ヴェルディのバリトンは、《椿姫》の父ジェルモンでもそうなのだが、役柄上、悪役のアリアにも高貴なところがある。その高貴な面を全面に打ち出していたのが1960年代のバスティアニーニのルーナ伯爵であった。こちらは、音楽により忠実な描き方とも言えよう。

ホロストフスキーの現在の声を思えば、今回の演出の方が向いていると思う。彼も、声が盛りをすぎ、やや歌い回しが重く、口跡がはっきりしない部分があった。しかし、現代はヴェルディ・バリトンは、人材に事欠かないとは言い難い状況なので、これは現代を代表するルーナ伯爵なのであろうと思う。

ジプシーのアズチェーナはザジックの予定であったが、病気のため交代。Mzia Nioradze で、グルジア出身。この人、なかなか表現力もあり、声も歌い回しもよかった。

最も重要な脇役のフェッランド(ルーナの部下で語り部の役回り)は韓国のKwangchul Youn。はじめて聞いたが、着実な歌い振りで、手堅く役をこなしていた。

ニューヨーク・タイムズによるとメトでは《イル・トロヴァトーレ》は二度ひどい演出が続き、「呪われたオペラ」となっていたとのこと。そういえば、1980年代末だったか、メトの日本公演で《イル・トロヴァトーレ》を見たが、数本の円柱が舞台からにょっきり生えてきたり、また地面に引っ込んだりするというもので、演出の意図も分からないし、説得力もあまり感じられないものだった。アプリレ・ミロがレオノーラだったと記憶している。

今回の演出は、オーソドックスなものの範疇に入るだろう。装置としては、シンプルになった灰色の城を回転させ、修道院になったりするというもの。

内戦と、登場人物の精神の病いを重ねたところが新機軸なのだろうが、実を言えば、プログラムを読むまで、そのことには気づかなかった。そもそも、ストーリー自体が奇妙なものであるため、多少変な振る舞いがあっても、そういうものかと思ってしまうのだ。

演出で不満だったところは、終盤、レオノーラが我が身と引き換えにマンリーコを救うことをルーナ伯爵に約束させたあとの二重唱、「お前は私のもの(tu mia)」のところである。

ここは、レオノーラは命までなげうつことによってマンリーコを救えた歓び、ルーナは恋い焦がれていたレオノーラを手に入れた歓び、二つの中身はまったく食い違う歓びを声を合わせて歌いあげる場面である。音楽は、独特のリズムに沸き立っている。この前後は、ヴェルディのオペラの中でも、傑作中の傑作であると考えるが、この場面でレオノーラが嬉しそうに歌っていなかった。リズムが弾んでいないのだった。しかも、彼女はルーナにすりよっていって、彼の服のぼたんを触り、はずすような仕草を見せるのである。

ここは、自己犠牲というものが、自発的に、歓びをもってなされる様が描かれており、だからこそ、観客はレオノーラの魂の高貴さに打たれるわけである。そこのところが、ぴんとこない演出、演技で、画竜点睛を欠くというか、大いに惜しまれた。

とはいえ、全体としては、指揮、歌手、オケともにレベルが高く、ヴェルディの最高傑作の一つが、こうして21世紀にもメトによって上演されるのはめでたいことと大いに満足した。

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2009年3月10日 (火)

ルフェーヴル派、第二ヴァティカン公会議へ新たな批判

Bishopbernardfellay ルフェーヴル派の高位聖職者 Bernard Fellayは、第二ヴァティカン公会議をあらためて批判した(2月28日、Corriere della Sera).

Fellay 師は、スイスの新聞 Le Courrier のインタビューに答えて、第二ヴァティカン公会議

は、「神学校、修練士、教会を空にし、何千という聖職者が職を離れ、何百万人の信者が教会に通うことをやめて、セクトに向かわせた。信者の宗教性は悪い方に変わった」

教皇ベネデット16世は、ルフェーヴル派がカトリック教会に承認されるためには、第二ヴァティカン公会議を全面的に認めることが欠かせないとしている。

しかし、Fellay 師は、公会議の承認を前提条件にすることは、牛の前に牛車を置くようなものだ、と批判している。

ヴァティカン側はこうした言葉に当惑している。

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2009年3月 9日 (月)

イタリアの方言

Dialetti イタリアの方言についてチェーザレ・セグレが簡単に紹介している(2月28日、Corriere della Sera).

方言は、ラテン語が中世に断片化したり、進化したりして出来た。イタリアでは、13世紀には、方言の特徴をそなえていたが、すべてが文学作品を生み出したわけではなかった。

14世紀から16世紀にかけては、トスカナ方言が、ダンテやペトラルカのおかげで他の上にたち、ベンボやアリオストとともに、イタリアという国が成立する3世紀前に国語となった。

それが国語(イタリア語)と方言の対立、競争の始まりであった。方言は、自然、民衆の好み、肉体性、直接的必要、本能的表現、話し言葉に近く、他方、国語は、文化、理想化、行政組織、様式性、書き言葉により近いものであった。

実際、何世紀にもわたり、家庭や市場では方言を用い、よりフォーマルな場合には国語を用いていた。そもそもごく少数の者しか読み書きが出来なかったのである。大多数は文盲であった。

方言で書いた詩人にはポルタやベッリがいるが、方言で書く詩人は共通語のほうがすぐれて格が高いとは考えていない。自分たちの地域の言葉をそれと対峙させ、それが新たな響きをもたらすと考えているのである。

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2009年3月 8日 (日)

レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像か?

Leonardo1 レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像とされる絵が2点見つかった(2月28日、Corriere della Sera).

一つは、ニコラ・バルバテッリによる「発見」で、バジリカータ州の貴族の古文書から出てきた。しかしアレッサンドロ・ヴェッツォージは自画像であることを否定している。

もう一つはピエロ・アンジェラがテレビの特別番組で紹介する。こちらは、レオナルドの世界的権威カルロ・ペドレッティの家でアンジェラがこの赤い鼻(サンギーヌで描かれている)を見たとたんに、肖像画でありうると思ったという(写真)。

RAIやRISの協力を得て、鼻だけでなく顔全体の下絵が浮かび上がってきた。時期としては1482年から1499年のレオナルドのミラノ滞在期が想定されている。

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パホールの新作

Boris_pahor スロヴェニアの作家ボリス・パホールの新作が発表された(2月27日、Corriere della Sera).

パホールは1913年生まれで96歳。ノーベル賞候補にもなり、トリエステに住んでいる。

出版されたのは、Qui e' proibito parlare (ここでは話すことが禁じられている、Fazi, 388ページ、19ユーロ)。1938年-1939年のトリエステが舞台となっている。この時代、ファシストのもとで、スロヴェニア語の使用が禁止されていたのである。

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ローマ、ジェラート屋に「消灯令」

Gelato ローマではジェラートの販売は夜中の1時までとなる(2月27日、Corriere della Sera).

ローマでは、歴史的中心街だけでなく全市で、ジェラートやパン屋、揚げ物屋などの販売は夜中の1時までとなる。

夜通し売り続けるのは、治安の問題があるというのが行政側の言い分である。

実際、中心部の住民は、他の都市のように22時に店を閉めることを望んでいるという。

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2009年3月 7日 (土)

メト・ライヴ・ビューイング《ラ・ボエーム》

Metvert ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のメト・ライヴ・ビューイングで《ラ・ボエーム》を観た。

メト・ライヴ・ビューイングは、すでにご存じの方も多いと思うが、メトロポリタン歌劇場の上演をハイヴィジョン、ハイファイで録画・録音し、世界各地の劇場で同時中継上映するものである。(ただし、日本は時差の関係で、同時ではないらしい)。

僕が観たのはさらに、2008年4月の上演のもので、わけあって劇場ではなくて、小さな液晶画面で、ヘッドフォンをつけての鑑賞であったことをお断りしておきます。

環境として決して理想的とは言えない状況であるが、芝居として中に入り込んでしまえば、案外、音質や画質は自分の脳みそイコライザーで調整して、こんな風に本当は響いているんだろう、大きさはこんな感じかなと想像することは可能だ。

ミミがゲオルギュ-、ロドルフォがヴァルガス、指揮がルイゾッティであった。

曲について言えば、プッチーニは、日常的な歌詞でだれでも理解できる台詞から、ふっと沈黙があって、その後にロマンティックな台詞(4月の最初の太陽は私のもの、とか、愛の素晴らしさを現実を越えたものとして歌いあげたり)へと飛躍させるのが上手い。いきなりハイテンションになるのでなく、観客のために、巧みに助走をつけてやっているのである。そのため、愛や自然(春の訪れ)に対して登場人物が表明するロマンティックな情念が、浮いておらず、観客はごく自然に感情移入したままで、地上のべたな世界から浮上できる仕組みになっている。

考えてみれば、普通の観客は、日常そのものを見せられるのは退屈であろうし、最初から最後までリアリティーがないもの(それを求める人がいないという意味ではない)にも付いていきにくいであろう。

そのへんの観客の生理をプッチーニは台本面でも、音楽面でも実に巧みに心得ており、自分の歌いあげたい愛の世界に、観客の心を連れて行くのである。歌詞と音楽の照応、そして少しの間があって、ロマンティックな世界への飛躍というのが、音楽的にはプッチーニのもつ一つのパターンであると気がついた。

演奏に関して言えば、ルイゾッティの指揮が遅めで、かつゲオルギューの顔の表情やしぐさがきわめて明快に説明的であった。

ライブ・ビューイングではアップの画像が多いので、テレビ感覚で言えば、やや大袈裟でくどい演技ということになるが、劇場であるということを考えれば、遠くで観ている客は、かなりくっきりとしためりはりをつけた演技でなければ判りにくいという事情があるだろう。

だから、僕の好みで言えばもう少しアップだけでなくて、舞台全体が見えるシーンが多いとよいのにという観想をもった。

幕間の舞台転換の様子をなまなましく見せてくれたり、児童合唱団、ゲオルギューとヴァルガスへのインタビュー(ルネ・フレミングによる)があったり、演出のゼッフィレッリに関しては、これまでにメトでどんなオペラを演出したかを簡単に紹介してくれるなど、実に短い時間で盛りだくさん、サービス満点という感じであった。

機会があれば、劇場、映画館で一度ライブビューイングを経験してみたいとも思った。

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イタリアの人口6000万人突破

Popolazione6 Istat によれば、イタリアの人口は今年中に6000万人を越える(2月27日、Corriere della Sera)。

イタリアの人口は1896年には3000万人だった。そこから30年かけて3000万人から4000万人へ(1926年)と増加した。

そこから33年かかって、1959年に5000万人に達した。

そこからは50年かかって2009年に6000万人に達するのである。

2008年には人口は43万4000人増加した。2008年に生まれた赤ん坊は57万6000人。そのうち母親が外国人なのは、8万8000人で全体の15,3%。2007年と比べると出産は1万2000人増加している。

出産時の母親の平均年齢は、31,5歳である。

また平均寿命は男子78,8歳、女子84,1歳である。全人口の20%が65歳以上である。イタリア人の平均年齢は43歳に達している。

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2009年3月 6日 (金)

ストライキの規制、道路や鉄道封鎖の罰金5000ユーロ

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ストライキの制限を加える法案が閣議で承認された(2月28日、Corriere della Sera).

それによると、移動の自由を「侵害」するような抗議はいかなる形でも禁じられる。 

いわゆる山猫ストには、500から5000ユーロの罰金が科せられる。

またストの宣言をするためには、労働組合は、全体の50%以上の労働者を抱えていなければならない。また、20%以上の労働者をかかえる労働組合は、あらかじめ組合員の投票により30%以上の賛成を得なければならない。

(イタリア語見出し Multe di 5 mila euro a chi blocca strade e ferrovie)

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2009年3月 5日 (木)

ストに制限を検討

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政府はストライキへの制限を検討している(2月27日、Corriere della Sera).

2007年に実施されたストライキは、1286件、2008年は1339件。そのうち、約39%が交通機関に影響を及ぼすものであった。

実施されたものだけでなく、宣言されたもので数えると2007年と2008年に宣言されたストライキは4212件に及ぶ。そのうち、62%が実際に実施された。

航空関係で実施されたストは130件。国内郵便のストは19件となっている。

検討している制限事項は、現行の{10日前に知らせること、最低限のサービスを保証すること)規則はそのまま残し、ストの宣言は、労働者全体の50%を占める1つまたはそれ以上の労働組合によって行われるとするものである。

労働組合 Cgil は憲法で保障されたスト権をより制限することには反対している。

(イタリア語見出し Limiti agli scioperi, scontro Cgil-governo)

都合により、3月6日より3月31日まで、ブログの更新が不可能あるいは不規則となります。あらかじめご了承ください。

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2009年3月 4日 (水)

シークレット・サーヴィスの歴史

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第二次大戦中におけるシークレット・サーヴィスの歴史に関する本が出版された(2月26日、Corriere della Sera).

著者はジュゼッペ・コンティ、タイトルは、Una guerra seegreta. Il Mulino からの出版で、555ページ、33ユーロ。

主として、未公開の資料をもとに、第二次大戦中のSim(Il servizio informazioni militare 軍事情報機関)の活動を明らかにしている。この機関は、ジャーコモ・カルボーニ将軍の指揮の下にあったが、内部抗争のため1940年4月、ヒトラーについて参戦する寸前に、スパイ対策部および特別機関が、本体から別れた(Csmss,Controspionaggio militare e servizi speciali).

著者コンティによるとこの分離は平常時になら非合理的というものだが、戦時においては危険なものだった。

イタリアにはその他に海軍の諜報部(Sis), 空軍の諜報部(Sia)があったが、以上の4つの機関が互いに「独立しており、協力関係になかった」。

後にSimは郵便検閲の機能も失う。1941年1月には、ムッソリーニは、カルボーニの後任にチェーザレ・アメ大佐をすえ、スパイ対策を統合させる。ところが1941年11月にはSie(Servizio informazioni dell'esercito)が出来て、Sim からスパイ作戦機能を奪ってしまう。
こうしてアメ大佐のもとに情報作戦の機能を集約したときには、1943年6月となり、シチリアから連合軍が上陸してくる寸前だった。

1943年5月アメ大佐は、ドイツ側の同職にあるヴィルヘルム・カナリス(のち1944年7月に総統に対する陰謀事件に加わる)とともにサン・ピエトロを訪れ、二人きりで、ヒトラー政権のもとでの致命的な軍事的敗北、無残な流血などについて語った。

{イタリア語見出し Fascismo e servizi segreti, come la tela di Penelope)


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フェッレーロ、ヴェンドラの提案にノー

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共産党再建党(Prc)の書記長パオロ・フェッレーロは、ニキ・ヴェンドラのEU選挙に関する呼びかけを拒絶した。

ヴェンドラは、広い連携を呼びかけたのだが、フェッレーロはそれは寄せ集めのリストに過ぎないとし、単独で得票率5%を目指すとしている。


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都市の不安

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イタリアの11都市の住民への調査で、最も不安を感じていることは経済危機であることが明らかになった(2月26日、Corriere della Sera).

11大都市の3700人を対象にした Res publica Swg による調査が実施された。どの都市でも、移民は第一要因とはなっていない。各人は三つの要因をあげるように言われている。「司法の非効率性」が37%、「仕事の欠如または不安定さ」が36%なのに対し、移民をあげた人は24%である。

ローマでは司法を原因にあげる人が42%、ナポリでは、仕事を要因にあげる人が49%となっている。ナポリでは移民を社会不安の要因にあげる人は9%にすぎない。

また、経済的要因では、「仕事の欠如や不安定さ」の36%と「貧富の拡大や経済危機」の26%を合計すると62%にも達する。

犯罪が不安に関係がないわけではない。ナポリでは不安を感じる人は91%、パレルモでは70%、バリでは62%、ローマ55%となっている。

反対に安全と感じる住人が多い都市は、ヴェネツィア81%、カリアリ77%、フィレンツェ62%。ミラノ52%、トリノ51%、ボローニャ51%が境界線上である。

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2009年3月 3日 (火)

原発、イタリア・フランスの合意

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イタリアのベルルスコーニ首相とフランスのサルコジ大統領は、イタリアに原子力発電所の建設について協力していくことで合意した(2月25日、Corriere della Sera).

イタリアの Enel とフランスのEdfが、他の企業の参加も可能性に入れつつ、2020年以降に、イタリアに4つの原子力発電所を開発することで合意した。

イタリアは、1987年の国民投票で、原子力発電所の活動を停止したが、それまでは、4つの原子力発電所が稼働し、1つが建設中だった。また、さらにいくつかの発電所建設が検討されていた。

1987年に稼働していたのは、トリノ、カオルソ、ラティーナ、ガリリアーノである。1987年に建設中でその後マルチ燃焼センターとなったのは、モンタルト・ディ・カストロ。

また新たな建設地の候補地としてあがっているのは、ヴィアダーナ、サン・ベネデット・ポ、アヴェtラーナ、ナルドなどである。

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2009年3月 2日 (月)

アラン・キャンベルのイタリア政治家通信簿

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アラン・キャンベル駐伊イギリス大使は、密かにイタリアの有力政治家についての評価表を作っていた{2月24日、Corriere della Sera).

キャンベルは、1976年から駐ローマ大使であった。彼は諜報部員の助けもかりて、イタリア政界の主要メンバーの動向をさぐり、それをカードに書き記し、136枚に上っていた。

今回、一定の年数が経過したため、公開された。

それによると、アンドレオッティは、「面白く、弁が立つ。会議を巧みにしきる。アンドレオッティは実際にことをなすことがうまい」。

クラクシは、「派手な生活を愛好し、社会党員からは尊敬されていた。しかしある部分では、振る舞いが横柄だった」

コッシ—ガは、「本物の英国好き」でナポリターノ大統領は、「右派の共産党で、人前に出せる」としている。

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カジーニ、PDとの連携に言及

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キリスト教民主連合のリーダー、カジーニが、EU選挙後に、民主党の連携する可能性を示唆した(2月23,24日、Corriere della Sera).

ピエル・フェルディナンド・カジーニは、民主党の新たなリーダーがフランチェスキーニになったことを好感しており、EU選挙後には、民主党がより、自分たちに理解をしめすと考え、連携する可能性もあることを示唆した。

それに対し、民主党内でもリンダ・ランツィロッタはEU選挙後に何かが起こる可能性がある、という言い方で、キリスト教民主連合との合意がありうると述べた。

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2009年3月 1日 (日)

フランチェスキーニの家系

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民主党の新リーダーに選出されたダリオ・フランチェスキーニの家庭は、戦争中は二つの立場に別れていた(2月23日、Corriere della Sera)

フランチェスキーニの父親は、フェッラーラの全国解放委員会でキリスト教民主勢力の代表だった。一方、母方の祖父は、ジョヴァンニ・ガルディーニで、リビアにイタロ・バルボとともに渡り、サロ共和国のもとで、サン・ドナ・ディ・ピアーヴェの市長(podesta)をつとめた。解放後は、何年も身を隠してすごなさければならなかった。ダリオの母親(ジョヴァンニの娘)は、幼いころ学校に行くときには、壁に書かれた「ガルディーニ、極悪人」や「ガルディーニに死を」という落書きを見ないために、目を伏せて行かねばならなかった。


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