コンコルダート、80年

イタリアと教皇庁の間に、コンコルダートが結ばれて80周年を迎える(2月6日、Corriere della Sera).
リソルジメントの最終段階として、1870年イタリアの軍隊は、ポルタ・ピア(ピア門)を突破してローマに侵攻し、教皇の世俗権力を覆した。ピオ9世は、ヴァティカンに避難し、自分は囚人だと宣言した。
1913年 ピオ9世によって出されたカトリック教徒の政治参加への禁止がとかれる。ジェンティローニ協約によって、立候補などが可能になった。
1929年2月11日ベニト・ムッソリーニとピエトロ・ガスパッリ枢機卿がラテラノ条約に調印した。教皇庁はイタリア王国を承認し、ヴァティカン市国が誕生した。
1947年3月 ラテラノ条約は、憲法(第7条)に組み込まれた。
1984年2月18日 ベッティーノ・クラクシとアゴスティーノ・カザローリ枢機卿が、国家と教会の関係を再定義する新コンコルダートに調印した。
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コメント
ファシズム(ムッソリーニ)とヴァチカンの関係が具体的に納得されました。
ラテラノ条約。1984年のことも明瞭に納得しました。
不勉強も、わが、痛烈に納得せざるをえませんでした。頭垂。
投稿: sandrara | 2009年2月15日 (日) 11時06分
sandrara さん
イタリアとヴァティカンの関係は、ヨーロッパのどの国とも異なる特別なものですね。それだけに、イタリアを理解するためには、両国関係およびヴァティカンの様々な特性への理解を深めていくことが、必要ではないかと考えています。
投稿: pantera | 2009年2月15日 (日) 21時15分
目から鱗。がんばります。いっそうよろしく!
投稿: sandrara | 2009年2月17日 (火) 09時43分
sandrara さん
こちらこそ。
投稿: panterino | 2009年2月17日 (火) 16時07分