ジョイスと映画
ジョイスは代表作『ユリシーズ』のジョン・フォードによる映画化を望んでいた(1月13日、Corriere della Sera,この項の執筆は、John McCourt)
アイルランドの首都ダブリンでは、1896年にはじめて映画上映がなされたが、まだ映画上映を専らにする映画館はなかった。
1909年、ジェイムス・ジョイスは、トリエステの実業家の支援を得て、12月20日、ダブリンに映画館を開いた。しかしジョイスの目論みとは裏腹に、1910年の4月までしか続かなかった。
1924年、ジョイスの支援者であったハリエット・ショー・ウィーヴァに宛てた手紙の中で、ジョイスは眼の手術のため、長時間眼を閉じていなければならなかったが、その時に、映画の場面が浮かんでくると報告している。
ジョイス自身、エイゼンシュタインとあって、『ユリシーズ』の映画化の可能性について議論したいと望んでいた。さらに、ルイス・ズーコフスキーと S.J. ライスマンが書いた台本を読んで、ブルームには George Arliss, 監督にはジョン・フォードが良いのではないかと示唆している。なぜジョン・フォードを挙げたのかは不明だが、ジョン・フォードの両親は、アイルランドのゴールウェイからの移民であり、彼の本名は、Sean Aloysius O'Flaherty である。
計画は実現されなかった。
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