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2009年1月 6日 (火)

アッバード:9万本の木を植えたら、スカラ座に戻る

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大指揮者クラウディオ・アッバードは、9万本植樹したらスカラ座に復帰してもよいと語った(12月30日、Corriere della Sera).

マエストロは、「スカラ座に帰るかだって? 普通じゃないギャラをもらえばね。ミラノに9万本植樹するんだ。自然での支払いだよ」。

アッバードは1968年から86年までスカラ座の音楽監督であった。1968年、スカラ座の音楽監督に、ビートルズとマーラーを愛するこの若者が就任したとき、かれは弱冠35歳であった。今日では考えがたい若さである。

ピエルマリーニ劇場での1960年のデビューから注目を集めていたのである。

このたびその名も《Claudio Abbado alla Scala》(Edizioni del Teatro alla Scala, Rizzoli, 329ページ、60ユーロ)(スカラ座のアッバード)が出版された。

編集者のアンジェラ・イーダ・デベネディクティスとヴィンチェンツィーナ・オットマーノは写真や資料、思い出や証言を集めており、その中には、「ピーターと狼」で共演したロベルト・ベニーニの証言も含まれている。

以下、アッバードへのインタビュー
問い:あなたがスカラ座へ来たのは68年ですね。あなたも、一種の革命をなしとげたわけです。過去と現在、古典と現代を並列し、これまで聞かれなかった音楽を提案し、交響曲にもスペースをさいた...
答え:たとえば、ブルックナーは、スカラ座でもイタリアでも全く演奏されていませんでした。マーラーもそうです。マデルナ、ドナトーニ、ブーレーズ、シャッリーノ...ノーノやシュトックハウゼンの初演もあった。ベルグ祭、ムソルグスキー祭。「われわれの時代の音楽」をポッリーニやマンゾーニとやりました。

今日でもむずかしそうな名前ですが、当時の聴衆はどう反応したのですか?
いつも簡単で、痛みがなかったわけではない。批評もそうだ。非難の口笛、抗議もあった。でも、だんだん拍手が増えていった。だんだん聴衆が変わり、若くなり、「ノーマル」になった。

音楽は、逃避の手段ではなく、社会参加の印となった。ポッリーニは、非難の口笛の中で、アメリカのベトナム空爆を非難する宣言を読み上げた。アッバードは、フォンターナ広場の爆破事件に弔意を示すため二日『セビリアの理髪師』をキャンセルした。

アッバードは、演出家も、ストレーレル、ロンコーニ、ポネル、ゼッフィレッリ、リュビモフなどを意欲的に起用した。


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