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2008年12月 9日 (火)

ヴェルディのテレーザ・シュトルツへの手紙の秘密が公開

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ヴェルディが歌手テレーザ・シュトルツに書いた手紙が公開された(12月1日、Corriere della Sera).

Teresa Stolz として知られているが、本名はTeresina Stolzova' でボヘミア出身のソプラノである。1834年に Kostelecnad Labem で生まれ、プラハで学び、トリノでデビューした。

1863年以降イタリアに定住し、1902年にミラノで亡くなった。音域の広い声で、強い声だった。美貌を武器に、多くの浮き名を流し、アンジェロ・マリアーニは関係が終わるとすぐに死んでしまった。

ヴェルディも、彼女の言うなりのことがあった。

今回、ブッセートの巨匠ヴェルディがシュトルツに、1900年まで30年以上にわたって書き送った手紙の中身が明らかになった。これまで断片的にしかその内容は知られていなかった。

たとえば、1894年3月18日の手紙では、ダンヌンツィオに気にいられた作曲家アルベルト・フランケッティのおそらくは、Fior d'Alpe について、「声の扱いかたがへただ...声を別の楽器のように扱うのは、すべての若い者の陥っている悪弊だ」。

1900年11月29日の手紙では、マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》にふれて、「たぶんうまくやれるだろう。が、あまりにも、バランスを欠いている。新しい事をやるには、美しいだけでは十分ではない...人々が劇場に行くなら、すべてはうまくいく」。

プッチーニに関しては、1900年の葉書で、「万歳、トスカ!」とポジティヴな反応を示している。

1889年の《オテッロ》のスカラ座での再演に関しては、ヴェルディは立ち会わなかった。二人の歌手に問題があった。2月22日の手紙で、「私は、この失敗を予見していたし、ジュリオ(リコルディ)にも起こったことを書いた...劇場のことでのためらいは、つねに破滅をもたらすんだ」

シュトルツとの関係を示すものも多い。「駅には行かないで...そうすれば誰にも何もわからない」(1894年2月10日)、「僕らだけだ!初日には、ジュリオ(リコルディ)もボイトも招かないよ!」(1898年1月3日、すでにストレッポーニは死んでいる)。

(イタリア語見出し 《Saremo soli!》, i segreti di Verdi e Teresa Stolz)


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