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2008年12月17日 (水)

ベニーニと信仰

Benigni
映画監督/俳優のロベルト・ベニーニが、自身の信仰についてテレビ番組で語った(12月10日、Corriere della Sera).

ロベルト・ベニーニは、Rai 2 のテレビ番組 La storia siamo noi でジョヴァンニ・ミノーリを相手に、自身の信仰についても語った。

「僕のマンマは神を信じていた。父さんは信じていなかった。僕はある日は、父さんのようで、またある日はマンマのようになる。今日は、マンマのようになって、信じてる。こうして中間に、こういう迷いのなかにいるというのは、まさに神の愛、正義への心の準備が出来てるということだね」

ベニーニにとって人生を変えた映画とは?との質問に「まさに映画の発明自体だ。フェッリーニには、映画の冒険のすべてがある。言語の追求、その語り方が」と答えた。

《La vita e' bella》(ライフ・イズ・ビューティフル)でオスカーを獲得して以降は、それに匹敵するヒットがないが、《ピノッキオ》と《La tigre e la neve》について、こう自己弁護した。「《ピノッキオ》はイタリアで公開された時には、シーズン最高の観客動員があったが、海外ではあまり成功しなかった。《La tigre e la neve》は僕等の時代のため息だったんだ」

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コメント

 panterino様、

 興味深く拝見しました。ベニーニの信仰。思ったことありませんでした。これからベニーニを考えるうえで参考になります。たいへん参考に。
 カルヴィーノの両親がイタロと弟の宗教教育を免除するよう学校に申し入れたこと、思い出しました、ふと、脈絡もなく。それから、ずっと以前イタリアを旅していて、『物見の塔』のパンフレットを買わないか、と話しかけられたこと。
 個人的にはイタリア人が十字を切ったり、跪いて両手を合わせる行為などとても感動しました。好きでした。
 とても良いことおしえていただきました。

投稿: sandrara | 2008年12月19日 (金) 17時23分

私は何時も欧米人に日曜日は教会へ行くのかと質問します。イタリアでも何人かに同じ質問をしましたが、年に数回しか教会へ行かないとの答えでした。
我が家の大家さんはローマのパパは大嫌いと言っています。また隣の長老派の教会の神父は(非公式で)妻帯していると言い似非者と言っています。キリスト教自体は信じているようですが、宗教組織は嫌いと言った所でしょうか。
カソリックの牙城のイタリアでもこの様な状態です。

それでも教会、宗教施設の前を通ると十字を切る若い人達も大勢居ます。

私のような座禅はした事があっても無宗教に近い人間には宗教は難しいですね。

投稿: andy | 2008年12月20日 (土) 04時16分

andy 様、

 興味深くまた楽しく、たいへん楽しく拝見いたしました。大家さんが、ローマのパパは大嫌いと言った、というのはどういうことで、でしょうか?
 長老派神父のおはなしも興味深かったです。 
 わたしの知る日本人キリスト教者も、組織は嫌い、聖書だけ、の信者という人が一人ならずいらっしゃいます。
 おはなし、また楽しみ。楽しみに、読ませていただきたく存じます。

投稿: sandrara | 2008年12月20日 (土) 09時42分

sandrara さん

ベニーニの場合、ベルルスコーニをいつも痛烈に批判していて、左派のシンパであるだけに、この発言は興味深いですね。

また、カルヴィーノの時代がどうであったかは判りませんが、現在のイタリアでは、小中高における宗教の時間は、受けるかどうかの選択が出来るようになっています。


投稿: panterino | 2008年12月20日 (土) 10時15分

andy さん

なるほど。長老派の教会が独立してあるんですか、珍しいですね。スコットランドや北アイルランドのコミュニティがあるのでしょうか。それとも、イタリア人がその教会にいっているのでしょうか?

sandraraさんの質問とも絡みますが、ローマのパパ(教皇、法王)が嫌いという場合には、2つの場合が考えられるかと思います。
1.現在のベネデット16世、およびその方針が嫌いである。

2.神を信じてはいるが、教皇を頂点とするピラミッド的な教会の権力構造、統治システムが嫌いである

さらには、1と2の双方という場合も考えられると思います。

投稿: panterino | 2008年12月20日 (土) 10時25分

panterinoさま、

 日本に暮らしていてはなかなか分からないことをおおしえいただきました。小中高で宗教の授業が選択だということ。ある映像を見ていたら、見ているだけでは、全員が宗教教育を受けているのか、と思ってしまいました。
 また、Benigniがいつだったか、ニュース番組にとつぜん突入してきて、Berlusconiを痛烈にこきおろし始めました。日本ではありえないこと。アナウンサーがまた立派でうろたえることなく対応していました。わたしは好ましく思って観ておりました。批判もずいぶんあったようです、が。(はなしが逸れて、すみません)。
 日本に暮らしているとなかなか分からない宗教教育のこと、などなど、ぜひぜひおおしえいただけますこと切望いたします。
 ありがとうございます。

投稿: sandrara | 2008年12月20日 (土) 13時38分

sandrara さん

 こちらこそ。宗教の時間は選択制ではありますが、実際は大多数の生徒が受けています。
 少数者ではあっても、受けない自由が保障されていることが素晴らしいと思います。
 

投稿: panterino | 2008年12月21日 (日) 18時35分

さやきーなです。
フィレンツェに住んでいた時、うちの子どもたちは宗教の時間を取りませんでした。担任の先生と一対一でいろんな事をし、大変かわいがっていただけました。
フィレンツェは人種のるつぼで私達以外にも、無信仰者やイスラム教徒が多く、割と融通が利きます。
小学四年生になるとカテキズモが始まり、学校のあと教会に通うのですが、皆が行くから行く、と言う家庭も多いです。
ベニーニはフィレンツェの隣町プラトー出身ですので、皆のアイドルです。私も昔フィエーゾレで会いました。
最高級レストランにさえない服で(笑)テレビで見たまんまの飾らない人です。

投稿: さやきーな | 2008年12月22日 (月) 12時41分

さやきーなさん

貴重な情報ありがとうございます。
読者のために少し説明させていただくと、宗教の時間は、まずその時間を取るか取らないかの選択があって、小学校であれば、9割(地域にもよるが)ほどは取る。そして、取らない場合には、さらにその時間をどう過ごさせるかの選択肢が2つか3つあったと思います。

カテキズモも昔は教理問答と訳されていて、中身もその通り、たとえば「神とは何か?」などといった質問とその答えを暗記しなければならないといったものでしたが、第二ヴァティカン公会議以降、1960年代以降、内容が変わって、聖書の内容を噛み砕いて教えるというものになっていますね。

たしかに教会に子供を通わせるのは、皆が行くからということがあるでしょうね。日本では、強いていえば、昔の算盤塾、今の学習塾がそれにあたるでしょうか。

投稿: panterino | 2008年12月23日 (火) 10時17分

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