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2008年11月30日 (日)

アンドレオッティ、赤い旅団の元メンバーと会う

Andreotti_con_morucci ジュリオ・アンドレオッティが赤い旅団の元メンバー、ヴァレリオ・モルッチとローマの文学サロンで会い、握手を交わした(11月24日、Corriere di Sera).

その日、文学サロンでは、ルイジ・マンコーニの著書 Terroristi italiani. Le Br e la guerra totale, 1970-2008 (イタリアのテロリスト。赤い旅団と全面戦争、1970-2008)が著者自身により紹介された。マンコーニは、社会学者で、、ウリーヴォから出た上院議員であるが、30年前は、Lotta continua という極左のメンバーであった。

アルド・モーロ誘拐・殺人事件から30年後、二人は握手を交わした。アルド・モーロの誘拐者は、「お目にかかれて幸せです」といい、アンドレオッティは「チャオ」とこたえた。

赤い旅団と国家の代表者は、初めて会った。モルッチ「共産主義イデオロギーは、暴力によって権力を奪取することを想定していた。一歩一歩、敵の死の正当化に近づいていった。DC(キリスト教民主党)は国家であり、われわれはそれを多国籍の帝国主義と同一視ししていた。モーロを手に入れ、われわれはこのシステムに最終的打撃を与えられると考えていた」。アンドレオッティが口をはさむ「しかしモーロを捕らえるのは逆効果だ。彼は別の考えを持っていたのだし…」。

モルッチ「われわれは、システムの複雑さを理解すべきだった。しかしイデオロギー的視点は、すべてを単純化してしまったのだ」

モーロの書いた手紙は、モルッチの考えを変え、捕虜の解放(成功しなかったが)へと向かわせた。モルッチ「私は、アルド・モーロの死の重みを、刑罰を越えて背負っている」。

アンドレオッティも背負っているのだろうか?「いや。あれは戦争だった。他に何ができたろう」。アンドレオッティは、赤い旅団と交渉できなかった理由を、モーロ誘拐の際に殺害されたボディーガードの未亡人が、もし赤い旅団と交渉したら、広場で焼身自殺をすると彼に告げたからだとしている。これは、未亡人たちによって否定されているが、アンドレオッティは以前からずっとそう主張しつづけている。

アンドレオッティ「アメリカの大きな影響を感じましたか?」モルッチ「もちろん、莫大な」。なぜ、そんなことをお聞きになるのでしょう?そうではなかったのですか?「まあね。時期によって区別する必要があるだろうね」。

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