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2008年10月22日 (水)

コロー展

035
コロー展を観た(神戸市立博物館、12月7日まで)。

コローは、イタリアに三度旅している。一度目は三年にわたってイタリアに滞在し、イタリアを描いているが、その空は突き抜けた青ではなくて、どこか穏やかな色で、やや曇ったような色合いの空であり、イタリアがコロー化していると感じた。

初期の作品には、イタリアを描いたものが少なくないのである。

しかし、この展覧会の興味深いところは、イタリアとの関連というよりは、むしろ、コローの作風の展開が、その後の印象派その他の画家たちと比較されている点だろう。つまり展示の仕方に工夫があって、あるポイント、たとえば、斜めの木を描く事によって空間が二分される構図をコローが描きそれが後輩画家たちによってどんな風に取り入れられたかが、作品を並べることによって観るものに具体的に理解できる仕組みになっている。他のポイントでも同様に、ある技法をコローがどう用いて、それを後輩画家がどう参考にしたかが判るように作品が並べられている。

展覧会の構成が、良質の教育的配慮にあふれていると感心し、観終わったあとの満足感は高かった。

また、最近ではそれ自体は珍しいことではないが、イヤホンガイド(有料)があるのだが、吹き込みが中村吉右衛門によるものだった。ゆったりとした語り口なのだが、実にすっきりと頭に内容が入ってくる。イヤホンガイドは、たいていの場合は、単にアナウンサー的な流暢な読み手によって吹き込まれることが多いが、吉右衛門のような人が吹き込むと、ちょっとしたコローの心理を伝えるときに、決して大袈裟にではないのだが、感情がこもったときのこもり具合が、絵の鑑賞の邪魔をせず、こちらの頭にすっと入るのを助けてくれるのである。同様の感想は、市原悦子が、上野の国立博物館で十二面観音の展覧会があったときのイヤホンガイドでも感じた。たかがイヤホンガイド、されどイヤホンガイドであって、名優による吹き込みは、ひと味もふた味も違うと思った。

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