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2008年10月14日 (火)

白崎容子『トスカ』

9784756608024
トスカに関する著書、論文を読んだ。

白崎容子著『トスカ』(ありな書房、4500円)と辻麻子著「サルドゥとプッチーニートスカをめぐるリアリズム」(首都大学東京人文学報第401号、pp.39-68). 白崎氏のものは、単著で252ページに及ぶ著作であり、辻氏のものは、大学の紀要に掲載された論文であり、媒体の性質を異にするものではあるが、日本でもプッチーニ生誕150周年にふさわしい著作、論作が刊行されたのは、まことに喜ばしいことと思う。

さて、白崎氏の『トスカ』であるが、章立てが洒落ていて、第一章、第二章ではなく、序幕、第1幕(それがさらに第1場、第2場、第3場に別れている)という具合にオペラ仕立てになっている。著者は、徹底的に『トスカ』の文学的側面に拘っている。つまり、音楽的側面は、先行作品にお任せすると自ら宣言しているのである。そういった意味では極めて特殊な『トスカ』論といえるだろう。

しかし、だからといって小難しい文学論をこねくりまわすことは、彼女は決してしないのである。記述は平明に徹し、著者の感じたままに書き進めているという幸福感にみちた味わいから逸脱することは、まずないと言ってよい。平明な叙述にやさしくうながされて読み進めるうちに、様々な情報を得てしまうのである。たとえば、『トスカ』の舞台となった1800年前後に、ローマでパスクイナータと呼ばれる諷刺詩が書かれていて(16世紀以来続いているという)それにどんなものが書かれたかが紹介されている。

また、フランス革命を推進したのは当然フランス人であるが、それに共鳴したイタリア人知識人(の一部)と、ローマ庶民の対比的描写も、やや図式的になるきらいがあるものの、さまざまな資料とともに描きだされる。

著者が最大のこだわりを見せるのは、カヴァラドッシがにせの処刑(実は本当の処刑だったわけだが)の説明をトスカから受けた時に、銃殺の弾は、空砲だと本当に信じていたかどうか、という一点である。

その他にも、もしヴェルディが『トスカ』を作曲していたら、どんなものになっていたかという著者の推測が記されているが、それは読んでのお楽しみということで、伏せておこう。

『トスカ』の原作はフランス人作家のサルドゥであるが、プッチーニは彼以外の作家、イタリア人作家ヴェルガやダンヌンツィオとも、相当のところまで、オペラの台本づくりの話が進んでいる。しかし、結局はヴェルガともダンヌンツィオとも共作を仕上げることにはならなかったのだが、そこにいたる芸術観の相違や手紙のやりとりが詳しく紹介されている。パスコリとの交流もあったのだ。こういったエピソードは、イタリア文学に関心のある人には相当興味深いものであろう。いや、イタリアやオペラに関心のある人なら、この本に盛り込まれた貴重な情報(図版も豊富である)が、きわめて読みやすい文章で提供されることを喜ばぬものがあろうか。

一方、辻麻子氏の論文は、文学的側面と音楽的側面の双方を扱っている。文学的側面においては、サルドゥの原作が、プッチーニおよび台本作家のイッリカとジャコーザによって(というのもプッチーニは、台本にしばしば口を挟む、台本作家にとっては厄介な、言葉、台本へのこだわりがとても強い作曲家なのである)改変されたかを丁寧にたどっている。(この点については白崎氏の著作にも、当然ながら、詳しい記述がある)。

その際に、その改変が音楽的また劇的にどのような効果をあげているのか、またサルドゥにあった効果が場合によっては失われているかが、コンパクトながら、立体的に描き出されている。時代背景やヴェリスモとの関わりについても、読者の視界が開けるようなパースペクティヴを与えてくれるので、『トスカ』の歴史的なコンテクストにおける位置づけがすっきりと頭に入る論考である。

個人的に言えば、僕にとって最も衝撃的だった『トスカ』への言及は、ジョゼフ・カーマンの『ドラマとしてのオペラ』(音楽之友社、残念ながら絶版)に掲載されているものだ。カーマンは、挑発的に『トスカ』をけなす。特に、トスカがスカルピアを殺害したあとの第三幕の冒頭をけなすのだ。ここは、ローマの牧童(この当時は牧童が本当にいたのである)の歌、ヴァティカンの鐘の音が聞こえてくるのだが、そこが劇的に間延びしていて、オペラ史上もっとも劇的ならざるものと言い、音楽的に何も起こらないと言い放っている。

僕は、カーマンの意見に同意できないし、僕なりの反論もあるのだが、ここでは詳述は避けよう。結論だけ言ってしまえば、二幕の終わりでの極度の緊張をやわらげる場面が必要であるし、牧童の登場は、田園詩の伝統にもつらなるものであり、その牧歌的な世界が暗示されることが、次の場面との対照性において、その悲劇性をたかめている。その悲劇性とは、単にカヴァラドッシやトスカの死に留まらず、(フランス革命以降の)現代社会が喪失した何ものかを感じさせるものともなっており、作品に奥行きを与える効果があると、僕は考えているのである。

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