ドラーギ総裁:危機は2009年まで
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
イタリアの800万家庭にとって、日曜日の昼食は神聖な儀式であることが明らかになった(10月28日、Corriere.it).
Accademia Italiana della Cucina の研究によると、イタリアのすべての州を調査して、1834の質問表を回収して明らかになった。それによると、52%の家族が、毎週日曜日、50年前と同じメニューでテーブルを囲んでいる。ハム・ソーセージ類の前菜、パスタ、ロースト肉、ポテト、アップルパイ。
少なくとも、一日は、典型的でその地方特有のもので、出来合いや冷凍でないものを食べるのだ。レストランに行きたがっているのは5%にすぎず、至上命令は、家族全員が家にいることだった。
Accademia Italiana della Cucina の会長ジョヴァンニ・バッラリーニは、日曜の昼食が愛され、広まった慣例であることに満足している。これはファースト・フードに対する砦であり、家族の食卓の伝統を取り戻す儀式でもあるのだ。
日曜の昼食が家族が時間を共有すべき時だと考える人は、南部(73%)、中部(61%)、北部(56%)となっている。
毎週、この儀式を守っている人は、南部が6割、中部が5割、北部が45%である。
日曜の昼食のメニューに関しては、82%のイタリア人が、新鮮な食材で調理した地元の料理を味わいたいと思っている。65%の人が冷凍のものは使わず、85%が出来合いのものは使わない。
前菜で人気なのは、ハム・サラミ(28%)、ついでクロスティーニ(15%)、魚介類(5%)。
プリモ(前菜につづく一番目の料理)では、パスタ(pastasciutta, スパゲッティなどソースをかけて食べるパスタ、スープ用パスタでないもの)が17%、トルテッリーニが16、5%、ラザーニャが12%、リゾットが11%。
セコンド(二番目の料理)では、ロースト肉が支配的(24%)。
付け合わせでもっとも良く出ているのは、じゃがいも(30%)、ついてサラダ(26%)。
デザートは、もっとも好まれているのは、パイ・タルト(torta , 15%), ついで クロスタータ(ジャムを載せたタルト、crostata, 12%), ケーキ(piccola pasticceria, 8%), ジェラート(7%)となっている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
ボルツァーノ県地方選挙で、南ティロル人民党(Svp)が、議席の過半数を制した(10月27日、Corriere.it).
南ティロル人民党(Svp)は、得票率としては過半数を割り48、1%の得票率となった。前回2003年より、7、5%の減少である。しかし、議席としては過半数を守った。35議席のうち、18議席を獲得した。
第二位となったのは、14、3%の得票率を得た Freihaitlichen で極右独立派である。この党は、前回の約3倍の得票を得て、議席も2議席から5議席へと増やした。
第三党は、「イタリア人」の最初の党であるが、Pdl (Popolo della liberta')で、8、3%の得票。Pdlはボルツァーノ市で最も得票率が多く、24、8%であったが、ここは前回2003年には、国民同盟(An)のみで、25、8%を獲得していたのである。
民主党は6%(ボルツァーノ市では第三党で、16、8%)。
以下、
Verdi e liste civiche 5,8 %
Sud-Tiroler Freiheit 4,9%
Lega Nord (北部同盟) 2,1%
Union fur Sudtirol 2,4%
となっている。(得票率2%以下の政党は省略)
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
アレッサンドロ・バリッコ(Alessandro Baricco)の講演を聴いた(イタリア文化会館、九段)。
今回は、オペラに出てくる広場がテーマである。イタリア語のタイトルは、‘Or tutti a me! la piazza come culmine drammatico nel melodramma' である。オペラのクライマックスで広場がどう用いられるか。そこで、皆集まって、とか来てください、といって、カップルが派手に言い争うのが、いかにもイタリア人らしいというのがバリッコの考えである。
この講演では、三つのオペラの場面をDVDの映像で見ながら、あるいは止めて、バリッコが解説を付けていくという形だった。設備があるせいもあって、通訳はイヤホンを用いた同時通訳だった(こういう形の時はイタリア語に集中したいので、僕は通訳を聞いていない)。
以下、講演の要約。
オペラを理解できれば、イタリア人を半分理解できる。
イタリア人にとっても、オペラにとっても、広場(piazza)は大変重要な場所である。オペラの中では、しばしば、カップルの軋轢が広場で展開され、それに対する人々の反応が合唱によって示される。
もちろん、これは、逆に言えば、合唱の出番をつくっているわけである。
ベッリーニの『ノルマ』。古代ローマの物語で、女主人公のノルマは、巫女ので、神聖で、触れてはならない存在のはずであったが、実際には、ローマ人との間に2人の子供を密かにもうけていた。
相手はローマの総督ポリオーネである。
ノルマは部下の巫女アダルジーザから実はローマ人と恋に落ちたとの告白を聞く。そして、アダルジーザの恋の相手がポリオーネであることを知り、激怒する。
ノルマは、皆を広場に集め、ローマ人を皆殺しにせよと告げる。そこへ、ポリオーネが引き立てられくる。皆は、ノルマがポリオーネを殺すことを望むが、ノルマはここに及んで、ためらい、人払いをして、ポリオーネと二人きりになる。
こうした広場への人の出入り、ノルマが人々を呼び集めたり、人払いをして、ポリオーネと二人きりになったりする変化を、バリッコは、しぐさをまじえて、呼吸にたとえていた。吸い込んだり、吐いたりしているわけである。
二人きりになったポリオーネとノルマは愛を確認する。二人とも死ぬということになって始めて、愛が確認されるのである。
ベッリーニの場合、この「呼吸」は、ゆっくりとしたスピードの呼吸である。
『椿姫』では、アルフレードは良家の息子だが金がない。第二幕で、その父ジェルモンが出てくるが、ヴィオレッタとあっても相手が娼婦のせいか、帽子もとらない。二幕二場は、パリに戻り、再び、アルフレードとヴィオレッタが同じ場にいる。二人は惹かれあっているが、避けてもいる。二人が惹かれているが、解決は得られないという緊張を表した音楽が出てくる。ここでは、人々を呼び出すのは、アルフレードで、この女が自分のために使った金を返してやるといって、皆の前で、札束をヴィオレッタに叩き付ける。この場では、二人きりになったり、アルフレードが皆を呼ぶ場の転換は非常に早い。このスピードは映画がでて始めて追いついたもので、きわめて早い「呼吸」である。
アルフレードの愚行に対し、そこへ登場した父ジェルモンは、いかにも父親らしく説教をする。父は聴衆の存在を意識して息子に説教をするのである。
オペラの観客は、しだいに、こうした早い「呼吸」になれ、それを期待するようになる。
プッチーニの場合、より複雑になる。
マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』では、すべてが広場で展開する。復活祭の日には、広場に神が登場する。キリスト像が持ち込まれるのである。ところが、サントゥッツァは、この場から閉め出されている。
こうして、広場への人々の出入り、あるいは呼び出したり人払いをしたりというリズムは、時代によって変わる。この「呼吸」は、時代によって趣味が変わるので、変わるのである。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
アレッサンドロ・バリッコの講演 'Perche' in Italia non abbiamo il Romanzo ma l'Opera'(イタリアはなぜ小説ではなくオペラなのか)を聞いた(慶應大学)。
アレッサンドロ・バリッコ(Alessandro Baricco)は、日本ではおそらくは小説家あるいは映画の原作を書いた作家として知られているかもしれないが、イタリアではそれにおとらず音楽評論家として知られている。というのも、Rai 3 で、L'amore e' un dardo という番組を担当して、その番組がヒットしたからである。ちなみに、このタイトルは、ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』のなかのルーナ伯爵のアリア「君の微笑み」の一節が L'amore e' un dardo (実は、L'amore ond'ardo が正しいのだが、イタリア人でも勘違いしている人が少なくない)と聞こえることに由来している。この番組は1990年代半ばに放送されていた。
2008年には、テレビではなくて、新聞レプッブリカまたは週刊誌エスプレッソと提携したオペラDVDで、解説役を引き受けている。
慶應大学での講演会の要旨は次の通り。
18世紀末に、ヨーロッパでは、小説(romanzo) という一種の革命が起こった。ゲーテの『マイスター』からプルーストに至る大きな流れで、ヨーロッパは自分自身を語ってきた。
18世紀の末までは、インテリの家にあった本と言えば、宗教書、ガーデニングなどの実用書、歴史、古代ギリシアの本などで、娯楽本はなかった。娯楽は小説の登場を待たねばならなかった。
小説の誕生は、男性にとって脅威だった。女性が本を読むようになったからであり、しかも中身が妻が浮気をするといった内容のものもあったからだ。
19世紀には、医者が若者が小説を読む事を禁じることがあった。今日のヴィデオゲームのようなものである。小説を読み過ぎると、食欲が無くなったり、眠らなかったり、性欲が減退したり、あるいは性欲が過剰に刺激されたりするとされ、30分以上は読むなと指導されたりした。
例外はイタリアで、イタリアでは小説が発達しなかった。それには社会・政治的な理由がある。1815年ウィーン会議の時、イタリアには8王国があった。教皇領を含めれば9つである。国境には税関があり、イタリアの統一的な市場はなかった。また、共通言語もなかった。インテリは洗練されたダンテ以降の教養ある言語を用いていたが、庶民は方言しか知らなかった。
1861年にイタリアが統一されるが、その時点でイタリアの文盲率は75%であった。サルデーニャでは90%にも達していた。また、著作権もなかった。『いいなづけ』(Promessi sposi)で名高いマンゾーニも著作権ではなくて、自分で自費出版で本を出版することでお金を得ていた。同時期、フランスでは、バルザックは多額の著作権料を得ていた。
また、歴史的にみると、小説の歴史を切り開いた巨匠は、イタリア人ではない。
イタリアの小説できわめて重要な二冊を例にあげよう。1冊は、『いいなづけ』(Promessi sposi)で、イタリアでは学校で必ず読む。しかしこの小説は、ドイツ、フランス、イギリスの小説がモデルであり、型としてマンゾーニが発明したものではない。しかしこの小説が、イタリア語のモデルとなった。この小説は、イタリア人にイタリアとは何かを教えてくれた。即ち、宗教性やカトリックであるということの意味を教えてくれたのである。しかしながら、この小説は、ヨーロッパ小説を知るためには、読まなくてもよい小説である。
もう1冊の本はジョヴァンニ・ヴェルガの『マラヴォリア』(マラヴォリア家の人々)(1881年)である。レアリズモを発見した小説といってよいが、フランスではすでに40年前に実現されていたことであり、イタリアはそれだけ遅れていた。
こうしてイタリアでは小説の歴史は、他のヨーロッパ諸国にくれべて遅れていたのだが、その代わりにオペラが発達していた。つまり、イタリア人は、小説には興味がなかった。それはオペラがあったからだ。小説が普及した時期は、オペラの発達期と一致するのである。たとえばモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』(イタリア語で書かれている)からプッチーニまでである。
オペラはイタリア人が発明した娯楽で、今日の映画に相当する。オペラは、当時のイタリアが諸国にわかれていて税関があっても、言語が異なっていても関係なく、同じオペラがミラノ、ローマ、ナポリで上演された。また、小さな都市にもオペラ劇場があった。そして、オペラに携わる人はもうかった。著作権もあった。
オペラ劇場はなぜ馬蹄形をしているか? 馬蹄形をしていると、舞台に近いボックス席からまっすぐ前をみると舞台ではなく、むしろ後方の客席が見える。一見、馬鹿げていると思える。しかし、18世紀の歌劇場は社交場で、ボックス席には良家の子女jがおり、他の座席から見初めた紳士がそのボックスを訪問し、両親の許可をえてしばらく話をしたり、交際が始まるということがあった。
19世紀になると少し歌劇場は落ち着いたが、幕間には料理などが出た。ロッシーニの時代には、平土間ではオペラの最中に賭け事をしていた。またボックス席に娼婦がいて、そこで彼女らが仕事をすることもあった。賭け事や娼婦のあがりは半分が劇場支配人のあがりとなった。
フローベールのボヴァリー夫人は、ある日、たった一日だけ歌劇場で『ルチーア』を聞き、女主人公ルチーアになりきってしまう。彼女の人生は変わる。
もし、ボヴァリー夫人がイタリアにいたなら、毎週のようにオペラに行き、浮気をして、もっと陽気であったろう。
また、オペラの原作になったものは、ギリシア・ローマ神話、伝説、ラシーヌ、シェイクスピア、ウォルター・スコットの『アイヴァンホー』などであるが、イタリア人はこうした作品を読むことを通じてではなく、オペラを通じて知った。
デュマ・フィスの書いた小説など誰もイタリアでは読まなかった。いてもほんの少しだった。それが芝居になった時も観たひとはほとんどいなかった。しかし、それを原作としたヴェルディの『椿姫』はイタリア人の誰もが知っている作品となったのである。
この状態は、プッチーニの時代にもほぼあてはまる。『ボエーム』や『マノン・レスコー』を原作で読む人はごくわずかで、オペラで知っている人がはるかに多かった。
オペラはイタリア人にとっては世界に開かれた窓だった。また、庶民にいたるまで、オペラ通で、作品の善し悪し、歌手の上手い下手が判別できた。
こうしてイタリアでは重要な小説が少ないのである。また、オペラはイタリア人の趣味を変えた。より劇場的で、よりオペラ的なのだ。
現代でオペラを受け継いだのは映画である。1950年代のネオレアリズモもその一例だ。ネオレアリズモは、映画とオペラの出会いを世界に教えた。
文学史で、イタリア人ではじめて世界の第一線に達したのは、イタロ・カルヴィーノで1960年代のことであった。彼は完全にオペラから解放されていた。しかし、彼に至るまでに小説の歴史は200年が経過している。
ジュゼッペ・トルナトーレは頭にオペラがあって、映画をつくっている。
イタリアには、叙述する力を小説以外で用いてしまうのだ。だから優れた詩人はいるが、なかなかすぐれた小説家がいない。詩人には、クヮージモド、モンターレ、サーバ、ウンガレテッティがいる。
物語を語るのは、オペラと映画で、ペンで描くのは詩というのが、イタリアの状況で、その間にちいさな廊下、小さなギャップとして小説家の世界がある。
以上が、アレッサンドロ・バリッコの講演内容の要旨である。この後は、聴衆との質疑応答があった。
バリッコの論点、論旨は極めて明快であり、しかも内容が豊かで、ユーモアにも富み、彼が優れた音楽評論家であり、人気のあるテレビ番組の司会者であったことが確認できた。
この日の通訳は、鈴木マリア・アルフォンサさん(NHKのテレビのイタリア語会話でおなじみ)。これまた、達意の通訳で、バリッコの論理を、きちんと日本語でも論理が通り、しかも日本語としても、判りやすい見事な通訳であった。イタリア語と日本語が交互にはいる形で通訳が行われたのだが、まだるっこさがなかった。ほとんど達人の域である。
主催はイタリア文化会館、慶應大学の側でオーガナイズしていたのは、白崎容子教授であった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ベルルスコーニ政権の支持率が40%あまりへと低下した(10月26日、Corriere.it)
支持率は、9月初めには60%であったものが、40%あまりに急低下した。さらに重要なことは、はじめて不支持が支持を越えたことだ。
支持率の低下は、中道左派の有権者にも、中道右派の有権者の間にも見られる。
中道右派の場合は、97%から81%になったので、依然として高い支持率を誇っている。
一方、中道左派の場合、6月には、35%だったものが、9月には21%に低下し、今日ではさらに12%へと下がった。
しかし、野党はそれにもかかわらず、支持率が増えてはいない。
両者をあわせると、有権者は政治に対する信頼を失っていることがわかる。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
ジェルミーニ教育相が打ち出した教育改革に反対するデモが、イタリア各地にひろがっている(10月25日、Corriere.it).
教育改革や人員削減に反対するデモはイタリア各地に広がっている。高校生の参加が目立つ。ローマではチェントチェッレ地区で土曜日の朝、2500人が自発的に集まりデモ行進をした。
ポテンツァ(バジリカータ州)でも、数千の高校生(警察発表では5千、主催者側によればもっと多い)がデモに参加した。
マテーラでは、大学生が集結した。フィレンツェでも、文学部の学生および教授がバッソ要塞に集まった。
その他、ナポリ、アグロポリ(サレルノ県)、エンナ(シチリア)、ニコシア、ペルージャ、カッリアリで同様の反対運動が展開されている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ベルルスコーニ首相は、教育改革に反対する生徒や学生によって学校・大学が占拠された場合には、警察導入もありうると語った(10月22日、Corriere.it).
ベルルスコーニ首相は、ジェルミーニ教育大臣との共同記者会見で、きびしい言葉を発した。これに対し野党民主党のヴェルトローニは、首相は、火に息を吹きかけて、勢いを強めていると非難した。
また、首相は、いわゆるジェルミーニ改革に関し、これは改革ではなく、単なる政令なのだとし、誤った情報が流れているとして、野党を非難した。「左派は、8万6千人の教員が減ると言っているが、誤りだ。単に定年になった人が辞めるだけだ」としている。
また一人担任(maestro unico)に関しては、かたわらのジェルミーニ大臣に「君は言い方を間違えた。一人担任ではなく、主要な教員だ(maestro prevalente).他に、外国語、宗教、情報の先生がいるのだから」と訂正した。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
コローは、イタリアに三度旅している。一度目は三年にわたってイタリアに滞在し、イタリアを描いているが、その空は突き抜けた青ではなくて、どこか穏やかな色で、やや曇ったような色合いの空であり、イタリアがコロー化していると感じた。
初期の作品には、イタリアを描いたものが少なくないのである。
しかし、この展覧会の興味深いところは、イタリアとの関連というよりは、むしろ、コローの作風の展開が、その後の印象派その他の画家たちと比較されている点だろう。つまり展示の仕方に工夫があって、あるポイント、たとえば、斜めの木を描く事によって空間が二分される構図をコローが描きそれが後輩画家たちによってどんな風に取り入れられたかが、作品を並べることによって観るものに具体的に理解できる仕組みになっている。他のポイントでも同様に、ある技法をコローがどう用いて、それを後輩画家がどう参考にしたかが判るように作品が並べられている。
展覧会の構成が、良質の教育的配慮にあふれていると感心し、観終わったあとの満足感は高かった。
また、最近ではそれ自体は珍しいことではないが、イヤホンガイド(有料)があるのだが、吹き込みが中村吉右衛門によるものだった。ゆったりとした語り口なのだが、実にすっきりと頭に内容が入ってくる。イヤホンガイドは、たいていの場合は、単にアナウンサー的な流暢な読み手によって吹き込まれることが多いが、吉右衛門のような人が吹き込むと、ちょっとしたコローの心理を伝えるときに、決して大袈裟にではないのだが、感情がこもったときのこもり具合が、絵の鑑賞の邪魔をせず、こちらの頭にすっと入るのを助けてくれるのである。同様の感想は、市原悦子が、上野の国立博物館で十二面観音の展覧会があったときのイヤホンガイドでも感じた。たかがイヤホンガイド、されどイヤホンガイドであって、名優による吹き込みは、ひと味もふた味も違うと思った。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ジャーナリスト、労働組合活動家、左派の重鎮であったヴィットリオ・フォアが亡くなった。98歳だった(10月20日、Corriere.it).
フォアは、1910年9月18日トリノに生まれた。父方はユダヤ系の家庭であった。23歳で反ファシズムの運動 Giustizia e liberta' に参加し、1935年に逮捕され、15年の刑を宣告された。1943年に釈放された。
その年の9月、行動党(Partito d'azione, Pda)に入党、全国解放委員会(Comitato di liberazione nazionale, Cln)の同党代表となる。憲法制定議会では行動党の議員であり、その後は社会党の議員を3期つとめた。憲法39条、40条、即ち、労働組合の自由とストライキ権の規定には彼の貢献があった。
1948年からは、労働組合の幹部をつとめた。最初は、Fiom, ついで Cgil で働いた。
1964年には社会党を去って、Psiup (Partito socialista italiano di unita' proletaria) を結成した。何度かの分裂、再編成をへて1975年に liste di Democrazia proletaria が誕生した。
1980年代のはじめ、フォアは政治活動から遠ざかったが、1987年、共産党のリストから独立候補として上院議員に当選した。イタリア共産党(Pci) から左翼民主党(Pds)への変化を支持した。湾岸戦争を支持した。2005年6月2日長年のパートナー、マリア・テレーザ・タトと結婚した。
フォアはレオーネ・ギンツブルクの友人であり、カルロ・ロッセッリの雑誌に協力した。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
前立腺癌の研究に新たな進展があった(10月19日、レプッブリカ)。
前立腺に対する癌の攻撃には、染色体(cromosoma)13の二つの小さな遺伝子(geni)が関わっていることが明らかになった。通常はそれらが癌の進行をストップしているが、それらの働きが悪化したり、無くなったりすると、癌が進行してしまうのである。
病んだ細胞の中にそれらを再導入してやると、細胞が死んでいく。このミクロRna15a とミクロRna 16 が新たな治療への道を示しているようだ。この発見は Istituto superiore di sanita' (ISS)とトリノのサンジョヴァンニ・ボスコ病院、カターニャの地中海腫瘍形成研究所の共同研究によってなされた。
Iss の所長エンリーコ・ガラーチは、前立腺癌の治療の治療にぐんと近づいたと喜びを隠さない。
現在は、実験室での動物実験の段階である。
イタリアでは毎年4万4千人のあらたな前立腺癌の患者が見つかっている。高齢化とともに、この数字は増加してきている。今日、男性では、前立腺癌による死亡は、癌のなかでは、肺癌についで二番目の死亡原因となっている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
経済危機のため、37%のイタリア人が食生活を変えた(10月17日、Corriere.it).
Swg の調査によると、37%のイタリア人が食生活を変えた。変えた要員は、倹約のためと、食の安全を求めるためである。
食の安全に関しては、その食べ物の出所とラベルを良く見るようになったと答えた人が40%にのぼった。
食費は住居費につぐ家計の二番目に大きな出費で、出費の19%を占め、一月あたり466ユーロの支出となっている。内訳は、肉が107ユーロ、牛乳、卵、チーズが62ユーロ、魚42ユーロ、オイル、脂肪が18ユーロ。
これがどう変化したかというと、全体としては、より鶏肉の消費が増え、牛肉が減っている。パン(−2、5%)、牛肉(−3、0%)、果物(−2、6%)、野菜(−0、8%)が減り、パスタ(+1、4%)、牛乳および乳製品(+1、4%)、鶏肉(+6、6%)が増えている。
節約する一方で、質の高い生産物を求める傾向もあり、原産地を明示したものを定期的に買う消費者は全体の28%にのぼっている。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
ジェルミーニ改革に、学生および州知事が反対している(10月16日、Corriere.it).
ローマでは数千人の学生がー学生連盟(Unione degli Universitari, Udu)によれば1万人ーサピエンツァの外をデモ行進した。学生の一部は、テルミニ駅に移動して、3、4、5番線を占拠した。利用客にはいくぶん迷惑となったが、やがて占拠は終わった。
フィレンツェでは、農学部と政治学部が占拠されている。こうした占拠、集会は、ボローニャやトリノでも実施されている。ミラノでも、予定されている。
一方、州知事たちは、政令154号の第三項にある学校の見直しについての条項に反対している。このままでは、数千の学校が消滅するのではないかという懸念も民主党からは表明されている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
与党は、義務教育において、外国人の子供に別クラスを設けることを提案した(10月15日、Corriere.it).
この案の提案者の筆頭署名者は、北部同盟のロベルト・コタ。「わたしの提案は、人種差別を予防し、真の統合を目指すものだ」としている。これは、義務教育において、イタリア語を話せないか、ほとんど話せない子供のクラスを作ることを提案している。
これに対し、野党民主党のピエロ・ファッシーノは、「軽蔑すべき提案」として反対している。
この動議は、下院で、賛成265票、反対および棄権246票で通過した。
この提案が実現すると、外国人の子供がイタリアの学校に入学する場合、試験や他の評価を受けて、それが一定に達しない場合は、別クラスに振り分けられ、まずイタリア語の習得を優先することになる。また、12月31日以降は、外国人の生徒は通常クラスには受け入れられないことになる。
この案には、与党からも反論が出ている。特別クラスを作ることが、子供たちを分断することにならないか、という懸念が表明されている。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
白崎容子著『トスカ』(ありな書房、4500円)と辻麻子著「サルドゥとプッチーニートスカをめぐるリアリズム」(首都大学東京人文学報第401号、pp.39-68). 白崎氏のものは、単著で252ページに及ぶ著作であり、辻氏のものは、大学の紀要に掲載された論文であり、媒体の性質を異にするものではあるが、日本でもプッチーニ生誕150周年にふさわしい著作、論作が刊行されたのは、まことに喜ばしいことと思う。
さて、白崎氏の『トスカ』であるが、章立てが洒落ていて、第一章、第二章ではなく、序幕、第1幕(それがさらに第1場、第2場、第3場に別れている)という具合にオペラ仕立てになっている。著者は、徹底的に『トスカ』の文学的側面に拘っている。つまり、音楽的側面は、先行作品にお任せすると自ら宣言しているのである。そういった意味では極めて特殊な『トスカ』論といえるだろう。
しかし、だからといって小難しい文学論をこねくりまわすことは、彼女は決してしないのである。記述は平明に徹し、著者の感じたままに書き進めているという幸福感にみちた味わいから逸脱することは、まずないと言ってよい。平明な叙述にやさしくうながされて読み進めるうちに、様々な情報を得てしまうのである。たとえば、『トスカ』の舞台となった1800年前後に、ローマでパスクイナータと呼ばれる諷刺詩が書かれていて(16世紀以来続いているという)それにどんなものが書かれたかが紹介されている。
また、フランス革命を推進したのは当然フランス人であるが、それに共鳴したイタリア人知識人(の一部)と、ローマ庶民の対比的描写も、やや図式的になるきらいがあるものの、さまざまな資料とともに描きだされる。
著者が最大のこだわりを見せるのは、カヴァラドッシがにせの処刑(実は本当の処刑だったわけだが)の説明をトスカから受けた時に、銃殺の弾は、空砲だと本当に信じていたかどうか、という一点である。
その他にも、もしヴェルディが『トスカ』を作曲していたら、どんなものになっていたかという著者の推測が記されているが、それは読んでのお楽しみということで、伏せておこう。
『トスカ』の原作はフランス人作家のサルドゥであるが、プッチーニは彼以外の作家、イタリア人作家ヴェルガやダンヌンツィオとも、相当のところまで、オペラの台本づくりの話が進んでいる。しかし、結局はヴェルガともダンヌンツィオとも共作を仕上げることにはならなかったのだが、そこにいたる芸術観の相違や手紙のやりとりが詳しく紹介されている。パスコリとの交流もあったのだ。こういったエピソードは、イタリア文学に関心のある人には相当興味深いものであろう。いや、イタリアやオペラに関心のある人なら、この本に盛り込まれた貴重な情報(図版も豊富である)が、きわめて読みやすい文章で提供されることを喜ばぬものがあろうか。
一方、辻麻子氏の論文は、文学的側面と音楽的側面の双方を扱っている。文学的側面においては、サルドゥの原作が、プッチーニおよび台本作家のイッリカとジャコーザによって(というのもプッチーニは、台本にしばしば口を挟む、台本作家にとっては厄介な、言葉、台本へのこだわりがとても強い作曲家なのである)改変されたかを丁寧にたどっている。(この点については白崎氏の著作にも、当然ながら、詳しい記述がある)。
その際に、その改変が音楽的また劇的にどのような効果をあげているのか、またサルドゥにあった効果が場合によっては失われているかが、コンパクトながら、立体的に描き出されている。時代背景やヴェリスモとの関わりについても、読者の視界が開けるようなパースペクティヴを与えてくれるので、『トスカ』の歴史的なコンテクストにおける位置づけがすっきりと頭に入る論考である。
個人的に言えば、僕にとって最も衝撃的だった『トスカ』への言及は、ジョゼフ・カーマンの『ドラマとしてのオペラ』(音楽之友社、残念ながら絶版)に掲載されているものだ。カーマンは、挑発的に『トスカ』をけなす。特に、トスカがスカルピアを殺害したあとの第三幕の冒頭をけなすのだ。ここは、ローマの牧童(この当時は牧童が本当にいたのである)の歌、ヴァティカンの鐘の音が聞こえてくるのだが、そこが劇的に間延びしていて、オペラ史上もっとも劇的ならざるものと言い、音楽的に何も起こらないと言い放っている。
僕は、カーマンの意見に同意できないし、僕なりの反論もあるのだが、ここでは詳述は避けよう。結論だけ言ってしまえば、二幕の終わりでの極度の緊張をやわらげる場面が必要であるし、牧童の登場は、田園詩の伝統にもつらなるものであり、その牧歌的な世界が暗示されることが、次の場面との対照性において、その悲劇性をたかめている。その悲劇性とは、単にカヴァラドッシやトスカの死に留まらず、(フランス革命以降の)現代社会が喪失した何ものかを感じさせるものともなっており、作品に奥行きを与える効果があると、僕は考えているのである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ベアトリーチェ・マジーニ著長野徹訳『夢みるトウシューズ』(2008年、ポプラ社、840円)を読んだ。
バレエ・アカデミアというシリーズの第四作で、主人公のゾーエやクラスメートはバレエ学校のクラスメートたち。
ゾーエはとても落ち着いた、内省的な11歳の女の子。親友のレダは恋に恋している。そのため、ゾーエとレダの間には、男友達とのつきあいが恋なのか、恋ではないのかという認識のずれが生じてくる。そうした微妙なずれは、男友達との間にも、別の形だが生じてくる。
ゾーエはどうして自分の友人(たち)が自分と同じように考えないのだろうと悩むが、ゾーエの母は静かに、見守っている。娘にそっと寄り添う形で、話をきいてやるのである。こうした落ち着いた、聡明な母を持ったゾーエは、徐々に、自分と友達とのずれを受け入れていく。
バレエ学校では、女子ははじめてトウシューズをはく。
この巻では、ゾーエのおさななじみで音楽学校にかようロッセッラはかなり年上の男友達とつきあっていて、思春期のあやうさをうかがわせる場面もある。しかし、全体としてはアクションが派手というよりは、思春期の心の波立ちを丁寧に描いている物語であると思う。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ベルルスコーニ首相はイタリア国民に向かって、株を売らぬようにと呼びかけた(10月9日、Corriere.it).
首相は、イタリア人に対して、保有している株式を売却しないようにと呼びかけた。18−24ヶ月すれば、株式の値段は、適正なレベルに戻るであろうから、というのがその理由だ。
首相によれば、今日生じているのは、1929年とは反対のことだという。「当時は、10の価値のある会社が、投機によって、100の価値に達していた。そして株が売られ、破局が訪れ、実体経済にもひどい影響をもたらした」。
ベルルスコーニは、イタリアの銀行システムは健全であると主張した。
一方、経済相のトレモンティは、イタリアには特に異常なところはないとしている。イタリアの銀行システムは、洗練度が低かったので、今回の危機の影響が小さかったと説明している。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
学校関係の労働組合は、ジェルミー二公教育大臣の方針に反対し、10月30日にストライキを行う予定だ(10月9日、Corriere.it).
学校のゼネストは10月30日と決まり、その日は、ローマで全国から集まってデモが行われる。学校部門の労働組合、Flc-Cgil, Cisl Scuola, Uil Scuola, Snals, Gilda が、公教育相と和解の試みが失敗に帰したあと決定した。公教育相の一連の措置に反対する意志を表明するものである。
公教育相の案は、下院では承認されたが、教育界では拒絶されている。
(追記)
andy さんからのコメントを受け、学校に関する労働組合の説明を追加します。
労働組合は最初の3つは全国的で大規模な労働組合の Cgil(もともと共産党系), Cisl(カトリック系), Uil (もともと社会党系)の教育部門だと思われる。
Snals は Sindacato Nazionale Autonomo Lavoratori Scuola (学校労働者独立全国労働組合)で独立系である。
Gilda は教員だけで(学校職員と一緒ではない)組織された組合で、1988年に結成されたもの。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
小林、益川両氏のノーベル物理学受賞に対し、イタリアでは、ニコラ・カビッボ(写真)が漏れたことに不満の声があがっている(10月7日、Corriere.it).
カビッボー小林ー益川行列(Matrice Cabibbo-Kobayachi-Maskawa, あるいはイニシャルをとってmatrice Ckm) と呼ばれているが、ノーベル物理学賞は、日本人、小林誠と益川敏英に与えられた。ノーベル委員会の側からは、ニコラ・カビッボへの言及が一切なかった。しかし、国際的な科学者のコミュニティは、二人の受賞者が発展させたもとの考えを生み出したのは、カビッボだと認めている。
行列の最初は、1963年にカビッボが生み出し、それを小林、益川が新たな3つのクォークを導入して完成させた。行列は、素粒子がまじりあって、微粒子をどのように形成するかを記述するためのものである。この行列は、物質の非対称性を考えるときの基準にもなっている。この研究のおかげで、自然界の根本的な4つの力のうちの1つである、弱い相互作用を研究することが可能になった。核融合反応などの研究もそこに含まれる。
イタリアの物理学界はニコラ・カビッボにノーベル賞が授与されなかったことに、苦い思いを抱いている。イタリアの物理学者からは、小林、益川とカビッボを切り離すべきではない、という声があがっている。
当のカビッボはノー・コメントである。カビッボに近い筋によれば、カビッボは苦い思いを抱いているという。
さらには、南部陽一郎の研究は、イタリア人研究者ジョヴァンニ・ヨナ=ラジニオの研究と切り離せないという。
| 固定リンク
| コメント (7)
| トラックバック (0)
聖書の朗読マラソンがはじまった(10月6日、Corriere.it)
「はじめに神は天と地を創った」この言葉で、創世記(Genesi) は始まるが、教皇ベネデット16世が、この言葉で、聖書完全朗読マラソンを開幕した。この試みは、放送局RAI の提案によるもの。
教皇がテレビカメラの前で、聖書を読むのは初めてではないが、今回は、儀式や聖職者の集まりではなくて、テレビ番組の一部に直接関与している点が新しい。
教皇は、ヴィデオ録画によって参加した。次に、創世記の第二章、アダモ(アダム)とエヴァ(イヴ)の創造、を読んだのは、モスクワの総主教の大修道院長 Hylarion であった。続いて、イタリアの福音教会連合の会長ドメニコ・マゼッリが、《原罪》の章、ヘビがエヴァを誘惑し、アダモとエヴァが自分たちの裸を恥じる場面を読んだ。
最初の休憩で、アンドレア・ボチェッリの歌が入った。4章と5章は、ロベルト・ベニーニが登場。カインとアベルの話。
この朗読マラソンは、今週土曜日まで続き、創世記から黙示録まで読み続け、読み通す。最後の朗読者は、ヴァティカンの国務長官タルチジオ・ベルトーネ。朗読者の数は、1200人にのぼり、54カ国から参加する。カトリックや、正教徒、プロテスタントだけでなく、ユダヤ人やイスラム教徒も含まれている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
イタリアの大手銀行ウニクレディトは、66億ユーロの資本増強を決定した(10月6日、Corriere.it).
ウニクレディト銀行の代表取締役(amministratore delegato)アレッサンドロ・プロフーモによると、「この数ヶ月で、銀行部門にとって、すでに困難であった状況に、重大な変化が加わった」。そこで666億ユーロの資本増強を彼は電話会議で発表した。
「マクロ経済の目に見える悪化があった」とレーマンの破綻を引いて説明し、「前例がないほど、資金取り引きの信頼が無くなっている。その結果、銀行システムにとってより大きな流動性が必要となっている。資本市場が正常に戻るのは、予想より時間がかかるであろう」とプロフーモ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ローマ教皇ベネデット16世は、避妊をやめるよう呼びかけた(10月3日, Corriere.it).
教皇は、生殖をさまたげる避妊法は、結婚の究極的意義をゆがめるものだとしている。このメッセージは、パオロ6世が発した回勅(enciclica) Humanae Vitae (人の命)40周年の会議で発せられた。パオロ6世の回勅では、ピルの使用が禁止された。
避妊について、ラッツィンガー現教皇は、多くの信者がカトリック教会の教えを理解するのに「困難に陥っている」ことを認めている。教会は、「夫婦愛の素晴らしさ」(la bellezza dell'amore coniugale)を理解させる努力を強化しなければならないとしている。
教皇は言う、「たしかに、人間の大きな問題においても、技術的な解決は、しばしばより容易に見えるが、しかし実際は、根本的問題、人間の性の意味、責任ある自制心の必要性といった問題を隠してしまう。自制心の行使は、個人の愛の表現ともなりうるからだ。技術を自由の成熟と置き換えることはできない」。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
アイルランドの格安航空ライアン・エアーがアリタリアの救済策は、自由競争に反するという理由でEUに訴えた(10月2日、Corriere.it)
ミラノでは、アリタリアの新会社Cai が労働組合との合意をうけて、会議を開いた。ライアン・エアーの告訴のニュースはそこへ飛び込んできたが、告訴の理由は、自由競争の侵害である。
ライアン・エアーのジム・キャラハンは、この救済策では、イタリア政府は、12億から20億ユーロの負債を免除することになるという。
この間、上院では149票の賛成、一票の反対で、アリタリアに関する法律が可決された。マルツァーノ法を修正したものである。賛成票を投じたのは、与党Pdl、北部同盟で、野党の民主党、Idv, Udc は棄権した。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
イタリアの若者は親の世代よりも本を読むようになった(10月1日、Corriere.it).
2007年に、6歳から19歳の若者の2人に1人は、過去1年に少なくとも1冊の本を読んだと答えている。若者は53、8%がそう答えているが、国全体の平均は43、1%。
さらに中身をみると、若い女の子のほうが男の子よりも本を読む。特に15−17歳だと女子67、8%に対し、男子46、2%で差が最も大きくなる。
また地域差もあって、北と南では、15−20ポイントの差がある。
この調査はイタリア出版協会(Associazione italiana editori)によるもの。重要なのは読書しない理由だ。6−19歳の11%は読書の能力に欠けている。6、9%が読書が出来ない、または苦手と答え、4、2%は本はむずかしく書かれていると答えているのだ。
外国との比較では、若者同士を比較すると、一年に一冊以上本を読むのがイタリアでは53、8%なのに対し、フランスは60%、スペインは73、3%である。
また、イギリスでは、90%の母親が子供に少なくとも一週間に1度はお話を読み聞かせするのに対し、イタリアでは41%にすぎない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
パゾリーニは、映画《奇跡の丘》を製作するにあたって、イエス役を選ぶのに苦労を重ねていた(9月30日、レプッブリカ)
パゾリーニと当時の社会党のリーダー、ピエトロ・ネンニは手紙を交わしていた。そして、その中でパゾリーニはイエス役の青年が選ばれた経緯を語っている。
1964年3月、パゾリーニは《奇跡の丘》(原題はIl vangelo secondo Matteo=マタイ福音書)の制作にとりかかっていた。彼は、イエスの役を担当する顔をさがしあぐねていた。
スペインの小説家ルイス・ゴイティソロもその候補者の一人だった。ロシアの詩人エヴゲーニ―・エフトゥシェンコ、アメリカの作家ジャック・ケルアックも候補者だったが、パゾリーニはそのたびに考えを変えていた。
パゾリーニはついに、ジョルジョ・マナコルダを介して、スペインで反体制活動をしていたエンリケ・イラソキに出会う。彼は、映画に出ることなどそれまでまったく考えたこともない青年だった。
パゾリーニは他にも職業俳優ではなく、彼の知人、友人の作家を《奇跡の丘》に出演させている。ナタリーア・ギンツブルグがベタニアのマリア、エンツォ・シチリアーノがカナーンのシモーネ、アルフォンソ・ガットがアンドレア、フランチェスコ・レオネッティがヘロデ王を演じている。その他大勢の人物には、ルカーニャやプーリア、カラブリアの農民を用いている。パゾリーニは、自分の神話、叙事詩、聖なるものへのノスタルジアを表現する映画を作るつもりだと述べている。
こうした経緯を、パゾリーニは、社会党のリーダー、ピエトロ・ネンニに語り、また手紙のやりとりもしていたのである。ネンニは、製作に関し、リッツォリと連絡をとっているが、リッツォリはアルフレード・ビニとコンタクトを取るようにと勧めている。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
最近のコメント