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2008年9月21日 (日)

映画《Un giorno perfetto》

Locandina  フェルザン・オズペテク監督の映画《Un giorno perfetto》を観た。

ひりひりするような心の痛みを感じさせる映画である。

以下、ネタバレになるので、ストーリーを先に知りたくない人は読まないでください。

               

            

            

             

           

              

               

          

ストーリーは、最初はわかりにくい。二時間弱のなかに多くの人物が詰め込まれているので、最初のうちは、人間関係がつかめないのである。

あとから判るが、この話は枠つきの物語で、最初の場面のあと、24時間前にもどって、あとは順に時間をたどっていって、最初の場面に戻っておわるのである。

主人公は、ヴァレリオ・マスタンドレア(夫)とイザベッラ・フェッラーリ(妻)と娘、息子である。夫婦は別居しているのだが、夫は妻が忘れられない。

しかし、忘れられないというのが単なるペーソスを感じさせる話ではなくて、むしろ強迫観念と化しているのである。まさにストーカー、家庭内暴力なのだが、別居してもそれは終わらない。

この夫は、いつもマッチョなのではなくて、普段は優しげな表情も見せるだけに、いったん変わった時は余計に怖い。

他は、国会議員の複合家族と、この家族の子供が同級生であることから、いくつかのエピソードが発生する。また、妻の母がステファニア・サンドレッリで、独特の味を出している。

終局は衝撃的で暴力的である。

そのことを断った上でであるが、この映画は、極めて逆説的な形で、つまり予定調和的な形でなく、現代イタリアの家族愛を描いた映画ではないかと思う。

人によっては観るのがつらい場面もあると思うので、決して万人向けではないが、たとえば、アルバン・ベルクのオペラ《ヴォツェック》や《ルル》の叙情性は、ひりひりするような叙情性といえるだろう。

その叙情性を高めているのは、ローマのゴージャスな美しさである。教会の荘厳さ、パラッツォの豪華さ、郊外の索漠とした不思議な美しさ、夢のようなパノラミックな現実がローマである。

欲を言えば、素材がこれだけあるにしては、映画の時間が短すぎて、一筆、二筆でおしまいで、後どうなるの、というエピソードもある。長いヴァージョンがあるのなら、それを観てみたい気がする映画である。

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