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2008年9月13日 (土)

ルドルフ・リル著 《教皇の権力》

Il_potere_dei_papi ルドルフ・リル著『教皇の権力』が出版される(9月11日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ルドルフ・リルはカールスルーエの名誉教授。出版社はラテルツァ、224ページ、16ユーロで、9月18日発売。

序をアルベルト・メッローニが書いている。

教皇庁は、ヨーロッパで古代後期から現代まで存在しつづける唯一の機関である。

イタリア人にとっては、このドイツ人教授にわざわざ言われるまでもなく、教皇庁の存在の重要性は明らかだ。

とは言え、現代の世界における教皇庁の影響力は、イタリアに限定されているわけではない。

イタリアにおいては、他の国とは異なり、教皇庁が政治勢力として機能しているのだ。イタリア以外では、周知のごとく、教皇は精神的な権威なのである。

しかしまさにこの教皇の権力には歴史がある。最初からいつも同じだったわけではない。この歴史性に、ルドルフ・リルの著作の意味がある。つまり、ヴォイティワ教皇やラツィンガー教皇のもとでは判りにくくなっているが、教皇の教会内における絶対性は、いくつかある可能性のうちの一つに過ぎないのである。

教皇のあり方については、何世紀にもわたって、位階性の原理(principio gerarchico) と民主制の原理(principio democratico) があらがってきた。つまり、教皇の決断を優先する立場対地方の教会の自律性重視の立場の対立である。教皇の中央集権対司教の責任制。高位からの任命対下からの選挙。権威の誘惑対公会議の伝統。

1500年代半ばのトレント公会議から約3世紀にわたって、つまり1800年代のはじめまで、ローマの教皇は、カトリック教会を意のままに動かすことは出来なかった。それは王政復古の時期、つまり《現代性(modernita')》という敵がいたるところに現れて、それと戦うようになってからなのである。

現代性というものは、宗教改革およびフランス革命と対になっている。その時期に、フランスでは、カトリックのなかにアルプスの向こう主義(ultramontanismo)という考えが生まれた。山の向こうのローマに、精神的、世俗的権威の教皇がいると考えるのである。

こうして、ピオ9世のもとで教皇の無誤謬性がドクマとなるより1世紀半も前の1819年に、ジョセフ・ドゥ・メストレ(Joseph de Maistre)というサヴォアの伯爵は、教皇の無誤謬性について論じる Il Papa という書物を著したのである。

今から70年前、イタリア人歴史家のアドルフォ・オメデオは、この書物を読んで、デカルトが魂を松果体に閉じこめたように、すべての宗教生活を、教皇という政治・行政機関に閉じこめている、と皮肉をこめたコメントを残している。

ジョヴァンニ23世は、ヴァティカンの中央集権を緩和しようとし、司教、地方教会、信者団体に力を分散しようとした。そして第二ヴァティカン公会議を招集したのである。ルドルフ・リルの解釈では、ジョヴァンニ23世の選択は、ある懸念に由来するものだ。即ち、数世紀にわたり、教皇の権力が強化され、教会内の自由が減ったのではないかという懸念である。

公会議の改革派はこの傾向を逆転させようとした。しかし、ジョヴァンニ・パオロ2世によって《王政復古》がなしとげられた。

その証拠として、1983年の Codice di diritto canonico (教会法)の教皇庁中心性、中央集権性があげられている。

ジョヴァンニ・パオロ2世は《王政復古》を確認するかのように、カトリック教会を魂救済の軍隊(Esercito della Salvezza) に変容させようとしたピオ9世を福者としたのである。(この書評はセルジョ・ルッツァットによるもの)。

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