« 脳死が人の死かどうかをめぐりる論争 | トップページ | 一人担任は、小学校一年生のみに »

2008年9月 6日 (土)

ボッシの詩

Razza_padana ウンベルト・ボッシは若いころ方言で詩を書いていた(9月3日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

しかも、それが現在のマヌエーラ夫人と結ばれるきっかけだったのである。

北部同盟(Lega Nord)の30年を記念して、Razza Padana という本が出版されたが、そこにはボッシの詩も掲載されている。

1982年当時、マヌエーラ夫人は29歳でヴァレーゼでサンタンブロージョのコレージョで教えていた。

ボッシは、Unione nordoccidentale lombarda per l'autonomia (Unolpa、東北ロンバルディア独立同盟)の創設者であった。

彼は、方言で詩を書いていたのである。

二編が紹介されている。

Di voeult ul cile l'e' bleu anmo'
Di voeult l'erba l'e' perd'anmo'
Ma ul lach l'e' mort
Han maza'a un lach,
la nostra aqua

この詩のイタリア語訳
Certe volte il cielo e' ancora azzuro
Certe volte l'erba e' ancora verde
Ma il lago e' morto
Hanno ucciso il lago,
la nostra acqua
(時には、空はまだ青く
 時には、草はまだ緑
 しかし、湖は死んだ
 彼らが湖、
 われらの水を殺した)

もう一篇の詩

Ga cascirann via
La vita cui ceucc da guadron
La spia i busch,
la ca di pa'
ca par mila e mila e mila an
hann vivuu chi' (vivuu の u はウムラウト)

この詩のイタリア語訳
Ci cacceranno via
La vita con gli occhi di catrame
Spia i boschi,
la casa dei padri,
che per mille e mille e mille anni
hanno vissuto qui

(彼らはわれわれを追い出すだろう
タールの眼の命は
森を探る
森は父祖の家
何千年も何千年も何千年も
ここで住んでいたのだ)

|

« 脳死が人の死かどうかをめぐりる論争 | トップページ | 一人担任は、小学校一年生のみに »

コメント

 Bossiが詩を! はじめて知って、いままではよくも分からず、Bossi、Fini、とただ読んでいましたが、興味を持ちました。感謝いたします。2回読みました。以後Bossiに目を留めます。
 元外務大臣のSusanna Agnelliも文をよくするひと。もちろん、プロ。
 
 この方面のバリアフリーは関心を抱かせます。考えさせてくれます。
 
 

投稿: giacomal | 2008年9月 6日 (土) 11時24分

giacomal さん

そうですね、僕も全く知りませんでした。
ただし、詩を書いたことがあるイタリア人は意外と多いようです。高校生ぐらいだと半分以上という話があります。

現内閣の閣僚ではサンドロ・ボンディ文化相は、詩集を出しています。詩人の場合、プロとアマの境界が曖昧ですし、彼の詩がどれほどのものなのかは、読んだことがないので、判りませんが。

ボッシの場合、この地域の独立を政治的に目指すことと、方言で詩を書くは、同じ方向性を持っているのでしょうね。この延長線上に、パダーナを「独立国家」であるべきものとする挑発的主張があり、その「国歌」を制定するという行為があったのだとも思えます。

投稿: panterino | 2008年9月 6日 (土) 17時11分

 panterinoさま、

 政治的な主張と詩作の方言性の関係。卓見。また考える契機をいただきました。
 言葉の方言性はほんとうにだいじな各存在の基盤なのに、ふだんは忘れられている。
 最近はこの基盤が希薄になってきている。由々しきことです。
 また考える契機をいただきました。感謝。ぼんやりしていられません、ね。

投稿: giacomal | 2008年9月 6日 (土) 20時25分

giacomal さん

そうですね。方言を用いる詩人がボッシのように露骨な政治的主張を持っているとはかぎりませんが、広い意味では言葉の政治性を反映していることになるでしょうね。

何語で、何方言で語り、書くのかが、書き手の感性にまで影響をおよぼすこともあると思います。(もちろん、逆の例では、自分のローカルな発想を封じるために、外国語で書いていくということもあるわけですが...)。

投稿: panterino | 2008年9月 7日 (日) 01時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/144339/42392475

この記事へのトラックバック一覧です: ボッシの詩:

« 脳死が人の死かどうかをめぐりる論争 | トップページ | 一人担任は、小学校一年生のみに »