« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月30日 (火)

アリタリア:客室乗務員の組合も合意

Hoste140x180
アリタリアの労使交渉は、最後まで残った客室乗務員の労働組合が合意に達した(9月29日、Corriere.it)

アリタリアの9つの組合のうち、すでに7つは新会社との労使交渉に合意していたが、最後に残った2つが客室乗務員の労働組合 Avia と Sdl だった。

この2つの組合は29日の交渉で合意に達した。しかしこれは苦渋の選択であり、Avia は、「まったく祝うような内容ではなく、悲しむべき時だ」としている。会長のアントニオ・ディヴィエトリは、3人に1人の同僚が職を失い、何百人もの人が配置転換で町を変わらざるを得ないのだと説明した。

Sdl のファブリツィオ・トマゼッリも、勝利感も満足感もないとしている。

一方、新会社のロベルト・コラニンノは大いに高揚し、これから新会社への参入をめぐって外国資本の戦いが始まるのだと述べた。労働組合との話がまとまらない時点では、ルフトハンザは交渉相手にもなってくれなかったが、今や、ルフトハンザとエール・フランスーKLMの間で、資本参入競争が始まったのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年9月29日 (月)

サンタンケ、「右派」を出る

Santa_b1
ダニエラ・サンタンケ(写真)は、政党「右派」(La Destra)のスポークスマンを辞任した(9月28日、Corriere.it).

サンタンケは、50人の幹部とともに、政党「右派」を辞めて出た。サンタンケは、総選挙後(総選挙では「右派」の当選者は0だったー管理人註)、与党Pdlとの協力関係を求めていた。

これに対し、同党書記のフランチェスコ・ストラーチェは、「サンタンケは、《右派》のPdlへの解党を望んでいた。孤立しているのは我々ではなくて、サンタンケの方だ」と語った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリタリア:客室乗務員の組合は対応が割れる

Ansa_14010394_08520
アリタリアの労使交渉は、客室乗務員の組合は対応が割れた(9月28日、Corriere.it)

合意文書に署名しないことを決めたのは、Cub Trasporti で、10月3日と17日にストを打つことを決めている。3日は8時間(10時から18時)で、17日は24時間スト。Cub Trasporti のファビオ・フラーティはこの合意は首輪のようなものだと考え、それゆえ署名しないことを決定したとしている。
                      
それに対し、Sdlは Si (イエス)とも no (ノー)とも意志表示をしていない。提案を評価し、署名した場合のリスクを算定しているところだという。
          
また、外国資本の参加について、ルフトハンザ航空が40%以上の参加を望んでいると報じられたことについて、ベルルスコーニ首相は、外国資本は過半数以下に抑えると強調した。5年間は、それを禁じる条項があるし、それ以降も、3分の2の合意がなければそれは実現しないとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月28日 (日)

アリタリア、パイロット合意

Foto_13999059_35170
アリタリアの新会社とパイロットの組合は、合意に達した(9月27日、Corriere.it)

14時間にわたる交渉の末、アリタリアのパイロットと新会社は合意に達した。機長の契約と余剰人員に関し、会社側が新たに譲歩した。その合意直後、夜中の2時頃、Avia とSdl も首相府へおもむくことを要望した。Anpav (545人の客室乗務員)はすでに午後に合意に達していた。

Anpac とUp のファビオ・ベルティとマッシモ・ノターロ(写真)は、パイロットのなかでも機長(2100人中900人)に対して、「幹部/役職者」としての地位を獲得した。つまり、自分の契約に関し、独自の交渉権を持つのであり、また一方で、退職金を払って解雇されることもありうるということになる。余剰人員となった140人のパイロットはローテーションでパートタイムの仕事が与えられる模様。

Avia (751人、客室乗務員)と Sdl (1700人、客室および地上職員)との交渉は週明けの月曜日にずれこんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月26日 (金)

アリタリア、Anpav は合意に署名

0k7rktqr180x140
アリタリアの客室乗務員(assistenti di volo)の3組合のうち、Anpav は会社側との合意に達した(9月26日、この項、Corriere.it による)。

大手労働組合の Cgil はついに新会社Cai (Compagnia aerea italiana) と合意に達した。

Anpav の会長マッシモ・ムッチョリは Cai が示した枠組みに署名したことを明らかにした。その枠組みによれば、4600人いる現在の客室乗務員は、3200人から3300人が再雇用される。即ち、余剰人員は約1300人となる。

余剰人員の1300人は、7年間はCassa Integrazione が伴う。

一方、客室乗務員の残りの二つの組合Avia のアントニオ・ディヴィエトリと Sdl の全国幹事長ファブリツィオ・トマゼエッリは合意書に署名しなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《ジョットとその遺産展》

20080619p06
ジョットとその遺産展を観た(新宿、損保ジャパン東郷青児美術館、11月9日まで)。

ジョットの絵は、フレスコ画が多いので、日本に持ってくるのは極めてむずかしいと思われる。今回の展示でも、彼の作品(ジョットとその工房作も含めて)は4点である。

その他には、彼の影響を受けた画家たちの宗教画、祭壇画が展示されている。

また、スクロヴェー二礼拝堂やアッシジの作品はいくつかのものが写真パネルとして展示されていた。写真パネルで見ても、スクロヴェーニのキリスト伝は、構図、色使い、そのドラマ性のあらゆる点で圧巻であった。

この展示とは直接の関係はないが、パネルの解説文から、徳島県鳴門市の大塚国際美術館には、スクロヴェーニ礼拝堂を原寸大で復元し、写真を陶器に焼き付けて礼拝堂の空間と、絵画を復元しているということを知った。調べてみると、そこにはヴァティカンのシスティーナ礼拝堂もあるそうである。是非、一度鳴門を訪れてみたいものだと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 《Il papa di Giovanna》

Papa_di_giovanna プーピ・アヴァーティ監督の《Il papa di Giovanna》を観た。

以下、ネタバレとなるので、ストーリを知りたくないかたは読まないでください。

 

1930年代のボローニャが舞台である。シルヴィオ・オルランド(父)とアルバ・ロールヴァッヒェル(娘)の物語。父は高校の美術の教師、娘は同じ高校に通う高校生である。

この娘は、お母さんがコケティッシュであるにもかかわらず、野暮ったい感じなのである。その娘がある事件を起こし、裁判にかけられ、精神病院に入ってしまう。

母親は、娘を見放し、見舞いにもいかないが、父は娘との交流を続ける。その間に、ファシスト体制下で戦争が進展していく。

話は戦後の解放、およびその何年か後の母との再会で終わる。

まあ、こう書いてしまうと、味のない話に思えるが、それは僕の要約の仕方がそっけないせいなのである。画面には、1930年代の風俗、階級格差、ブルジョワの家にはお手伝いさんがいて、その住まいは、庶民とは段違いであったりする。 また、警察官の友人は、体制側なので、警察手帳を見せると、手にいれにくい物資が手にはいったり、映画館もただで入れてしまったりする。 この警察官は、ジョヴァンナの母に淡い恋心をずっと抱いている。夫と妻と夫妻の友人との関係は、向田邦子のテレビドラマ『あ・うん』に似ていなくもない。 シルヴィオ・オルランド演じる父は、精神病院の娘のもとへ通うが、その病院の様子も、現代とはまったく異なっており(現代では、イタリアでは精神病棟は、原則として閉鎖されている)、感慨深いものがある。 そういった風俗の差異は大きいのだが、ある意味で父娘の情愛というものは、数十年では変わるものではないのだろう。そこをオルランド、ロールヴァッヒェルの演技が見せる。ファシズム時代を扱っているという点では、これまでのアヴァーティ監督の作品と共通するが、観たあとの感じは微妙に異なっており、この作品の独自性が静かに迫ってきた。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年9月25日 (木)

アリタリア、交渉、一歩前進

0k7plgvl180x140
アリタリアをめぐる労使交渉は、一歩解決に近づいた(9月24日、この項 Corriere,itによる)。

首相秘書官のジャン二・レッタがCai のコラニンノとサベッリおよび労働組合Cgil のエピファーニと会談したのち、今度はサベッリとエピファーニを共に呼び寄せた。最後に、パイロット側との交渉で、Anpac とパイロット組合の代表と会談。

Anpac のファビオ・ベルティは「デリケートな段階だ」と述べるに留めた。木曜日に交渉のテーブルにつくかとの質問には考えましょうと答えた。

木曜日に交渉は再開する。11時に、首相府(Palazzo Chigi) に労働組合Cgil, Cisl, Uil, Ugl および各セクションの代表が出席する。

Cgil は、アリタリアの新会社Cai が新たに不安定雇用の問題や、地上勤務者のサラリー、休暇日数の問題で歩みよったことを受け、合意の可能性について語るようになってきた。

またエール・フランスは新たに経営参加への関心を正式に示してきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月24日 (水)

アリタリアの交渉つづく

Ali180x140
アリタリアをめぐる交渉は続いている(9月24日、この項、Corriere.it による)。

アリタリアの新会社の理事長ロベルト・コラニンノおよびロッコ・サベッリは、首相府で秘書官のジャンニ・レッタと対面した。内容は労働組合との交渉の進展具合についてである。

サッコーニは、良識が道を開きつつあるとして、これまでよりやや楽観的な見通しを語った。

労働組合Cgil のエピファーニはわれわれ抜きでは話はまとまらないとしている。

ベルルスコーニ首相は、まず労働組合とCai が話をまとめるべきで、海外の航空会社ールフトハンザであれ、エールフランスであれ、ブリティッシュエアウェイズであれーと話すのはそれからだとしている。

ルフトハンザは、アリタリアとの交渉については、ノーコメントとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリタリア、ヴェルトローニの提案

Scro_169
アリタリア航空に関して、与党民主党のリーダー、ヴェルトローニは反対提案をした(9月23日、この項 Corriere.it による)。

ヴァルター・ヴェルトローニは、ベルルスコーニに手紙を書き、アリタリアの危機に関する民主党の提案を示した。ヴェルトローニはこれによって停滞状態を克服すべきとしている。

ヴェルトローニによれば3つの解決策があるという。

1.Cai がもう一歩進んで、労働組合に歩み寄る。

2.外国の航空会社との交渉を再開する

3.政府の特別代表委員がすべての労働組合の合意をとりつける

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月21日 (日)

アメリカ投資銀行の凋落

Domino アメリカの5大投資銀行の株式時価総額は、大きな打撃をうけている(9月21日、Il sole 24 ore).

5大投資銀行の時価総額を2008年9月19日現在と1年前で比較すると次の通りになる。

ゴールドマンサックス
543億ドル (1年前 740億ドル) 従業員3万522人

モルガン・スタンレー
295億ドル (1年前 674億ドル) 従業員4万8256人

メリル・リンチ(バンク・オブ・アメリカに買収された)
438億ドル (1年前 627億ドル) 従業員6万4200人

リーマン・ブラザーズ(債務不履行)
1,42億ドル (1年前 303億ドル) 従業員2万8556人

ベア・スターンズ(2008年6月に政府により救済)
14億ドル  (1年前 128億ドル) 従業員1万4153人

今はウォールストリートのビジネスモデル自体が問われている。これらの銀行は leverage (自己資本に対して借り入れ資本を何倍にもする手法)を用いて、リーマンは asset (資産)対 equity (純資産)が32対1となっていたし、ベア・スターズは33対1となっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ポールソン米財務長官、7000億ドル要求

Paulson アメリカのポールソン財務長官は議会に対し、金融危機打開の資金として、7000億ドルを要求した(9月21日、Il sole 24 ore).

これまでアメリカ政府が投じた公的資金は次の通り

ベア・スターンズ救済
290億ドル

ファニメイおよびフレディマックの国有化
2000億

AIG 救済
850億ドル

FED(連邦準備制度理事会)の流動性資金
1兆2000億ドル

その他の資金(FED)
5000億ドル

ポールソン計画
7000億ドル

これらを合計すると
2兆7000億ドルとなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルルスコーニ:Cai 案か破産しかない

Berlusconi921 ベルルスコーニ首相は、アリタリアは、新会社Cai の提案を受け入れるか、さもなくば倒産しかない、との見解を表明した(9月21日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ベルルスコーニは、労働組合Cgilとパイロットたちを非難し、彼らの要求を受け入れる海外の航空会社はない、としている。

これに対し、パイロットたちは、新会社の提案、待遇は、介護人(colf) にも劣るとして、受け入れられないと拒絶している。

首相は、アリタリアの国有化はあり得ないとしている。

20日の便は、正常に運行された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画《Un giorno perfetto》

Locandina  フェルザン・オズペテク監督の映画《Un giorno perfetto》を観た。

ひりひりするような心の痛みを感じさせる映画である。

以下、ネタバレになるので、ストーリーを先に知りたくない人は読まないでください。

               

            

            

             

           

              

               

          

ストーリーは、最初はわかりにくい。二時間弱のなかに多くの人物が詰め込まれているので、最初のうちは、人間関係がつかめないのである。

あとから判るが、この話は枠つきの物語で、最初の場面のあと、24時間前にもどって、あとは順に時間をたどっていって、最初の場面に戻っておわるのである。

主人公は、ヴァレリオ・マスタンドレア(夫)とイザベッラ・フェッラーリ(妻)と娘、息子である。夫婦は別居しているのだが、夫は妻が忘れられない。

しかし、忘れられないというのが単なるペーソスを感じさせる話ではなくて、むしろ強迫観念と化しているのである。まさにストーカー、家庭内暴力なのだが、別居してもそれは終わらない。

この夫は、いつもマッチョなのではなくて、普段は優しげな表情も見せるだけに、いったん変わった時は余計に怖い。

他は、国会議員の複合家族と、この家族の子供が同級生であることから、いくつかのエピソードが発生する。また、妻の母がステファニア・サンドレッリで、独特の味を出している。

終局は衝撃的で暴力的である。

そのことを断った上でであるが、この映画は、極めて逆説的な形で、つまり予定調和的な形でなく、現代イタリアの家族愛を描いた映画ではないかと思う。

人によっては観るのがつらい場面もあると思うので、決して万人向けではないが、たとえば、アルバン・ベルクのオペラ《ヴォツェック》や《ルル》の叙情性は、ひりひりするような叙情性といえるだろう。

その叙情性を高めているのは、ローマのゴージャスな美しさである。教会の荘厳さ、パラッツォの豪華さ、郊外の索漠とした不思議な美しさ、夢のようなパノラミックな現実がローマである。

欲を言えば、素材がこれだけあるにしては、映画の時間が短すぎて、一筆、二筆でおしまいで、後どうなるの、というエピソードもある。長いヴァージョンがあるのなら、それを観てみたい気がする映画である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パッラディオ生誕500年

Malcont2 アンドレア・パッラーディオの生誕500年を記念して、ヴィチェンツァの Palazzo Barbaran da Porto で展示会が催される(9月20日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

《Palladio 500 anni. La grande mostra》(パッラーディオ500年 大展覧会)。この展覧会は、9月20日から2009年の1月6日まで開かれる。

パッラーディオは、ロトンダやテアトロ・オリンピコ、ヴェネツィアのレデントーレ教会をはじめとしてたくさんの建築物をものしている。マルコンテンタと呼ばれるヴィッラ(写真)は、1500年代から今も同じ一族が住み続けているのである。

現在の住み手は、アントニオ・フォスカリ。ヴィッラはブレンタ川沿いにある。19世紀に一度、人が住まなくなってうちすてられていたが、1924年から1939年までLanzbergというブラジル人が住むが、人種法で逃げ出さざるをえなくなる。

そのあと再びフォスカリ一族が住むようになったのである。20世紀にはコルビジェをはじめとする建築家も見学にきているが、蝋燭を使用させた。今も、蝋燭を使って、オリジナルの当時の美しさを味わっているという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《世俗主義者の歴史》

Storia_dei_laici マッシモ・テオドーリ著《世俗主義者の歴史》が出版された(9月14日、Il Sole 24 Ore).

タイトルその他は、《Storia dei laici》(Marisilio, pp.370, 19,5ユーロ)。

サルヴェーミニは、キリスト教民主党でもなく、イタリア共産党でもなく、1950年代に、第三の道を追求しようとした。

彼は、反ファシズム、反教皇権主義、反共産主義だったのである。宗教人に対しては、大きな敬意をはらっていたが、それは道徳的な次元であるべきであって、政治的な次元での命令であってはならないと考えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

巨大資金投入で、株式市場反発に転じる

Crisimutuiborsevolanopianosalvatagg アメリカ政府が巨額の資金を投入することを発表したことを受けて、アメリカ、ヨーロッパ市場の株価は反発に転じた(9月20日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

アメリカ政府は、数千億ドルを投入する用意があるとしているが、専門家は1兆ドルを超える可能性も指摘している。

この発表をうけて、ミラノ市場は、10年振りの記録的上昇で、7,7%平均株価が上昇した。パリは9%、フランクフルトは5,5%上昇、東京は3,8%、アメリカはダウが3,3%、ナスダックが3,4%上昇した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月20日 (土)

ラッツィンガー教皇、ピオ12世を擁護。イエズス会の疑問

Pioxii52a 教皇ピオ12世に関し、現教皇ラッツィンガーと、イエズス会の権威ある雑誌Civilta' Cattolica が異なる立場を表明している(9月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ラッツィンガー教皇は、ピオ12世が慎重なふるまいによって、(ナチやイタリアの人種法により)迫害されているユダヤ人の多くを救ったとしている。

一方、雑誌Civilta Cattolicaに掲載されたジョヴァンニ・サーレ神父の論考では、現代の感性からすると、そのような慎重さは理解しがたいとしている。

エウジェニオ・パチェッリ(1876-1958)、ピオ12世は、今年の10月9日に没後50年を迎える。

ファシズムや人種法に対しては、晩年のピオ11世(アキッレ・ラッティ教皇)が激しく反発し、反人種法の回勅を準備したのにもかかわらず、それが日に目を見なかったことが知られている。

ピオ12世(エウジェニオ・パチェッリ)は、教皇庁とイタリア政府の対立を避け、対話を求める方向に動いたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

レオパルディのリチェッタ

Leopardi_ricette レオパルディ自筆のリチェッタ(レシピ、料理法)が出版された(9月18日、レプッブリカ)。

'Passero solitario'(孤独なスズメ)、'L'infinito' (無限)で知られる詩人レオパルディは通常ペシミスティックな詩人として知られているが、この本によってグルメであったことが判った。

Leopardi a tavola(Logo Fausto Lupetti Editore、pp.160, 18 ユーロ)は、ドメニコ・パスクワリエッロ(通称デーゴ)とアントニオ・トゥベッリによってまとめられた。

そもそもはナポリの国立図書館で手稿が発見されたことからはじまった。それは料理法(ricetta)が書きならべられていた。詩人レオパルディの手になるものだった。

レオパルディは、1833年から37年まで晩年をナポリで過ごした。彼は友人アントニオ・ラニエーリの客人となっていた。今回のリストには49の料理法が記されている。

トゥベッリによれば、レオパルディは《イタリア料理のガリバルディ》ということになる。有名な料理本を書いたペッレグリーノ・アルトゥージより半世紀前に、リグリア地方、シチリア地方、マルケ、ロマーニャ、ラツィオ、カンパーニャとイタリアの南北の広範囲におよぶ料理法を紹介しているからだ。

著者たちは、素材(食材)の名前も必ずしも今日と一致しないので、様々な調査をしたのであり、その結果がこの本となっている。料理名は、たとえばFrittelle di borragine, Zuppetta di Selleri, Ricotta fritta といったもの。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

会社側提案撤回、アリタリア、カオスへ

Ali919 アリタリアの新会社Cai(Compagnia aerea italiana) は、提案を撤回した(9月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

その結果、アリタリア再建の代替案はなく、混乱状態に突入した。

ベルルスコーニと労働組合 Cgil は互いに非難し合っている。

Caiの側は、Cgilおよび独立系労働組合の反対提案を拒絶した。

ベルルスコーニ首相は、我々は深い淵に面している。Cgil (イタリア労働総同盟)とパイロットたちの責任は重いとしている。

それに対し、Cgilのリーダー、グリエルモ・エピファーニはわれわれは責任を果たしているとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィリッポ・セナトーレの詩集:Noi e i ragazzi del Portnoy

フィリッポ・セナトーレの詩集 Noi e i ragazzi del Portnoy が出た(9月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

フィリッポ・セナトーレは51歳。1986年に《Guardrail degli addii》(さよならのガードレール)でデビューした。今回の詩集《Noi e i ragazzi del Portnoy di Milano》(われわれとミラノのポルトノイの若者たち)(Heliodor, pp.155, 10ユーロ)は、黄金時代へのノスタルジアを歌っている。

セナトーレは、1991年から1994年、ミラノのティチネーゼ門のポルトノイ・カフェの文化プログラムの責任者だったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トレモンティ:状況はもっと悪くなる可能性がある

Tremonti918 トレモンティ経済相は、経済危機は一層悪化する可能性があるとの見解を明らかにした(9月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

また、現在を現政権の任期中(今から4年)の間に行うとしている。

経済危機に関しては、市場に新たな規制が必要であるとし、ケインズ政策の必要性を説いている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリタリア、コラニンノの最後通牒

Hostess01g_2 アリタリア新会社Caiのロベルト・コラニンノは労働組合に対し、18日16時が交渉の締め切りであると最後通牒をつきつけた(9月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

もうこれ以上、一銭も出せないとしている。また、16時までに合意が得られない場合には、提案を撤回するともしている。

これに対し、Cisl, Uil、Ugl は合意を示しているが、Cgil は時間をかけたいとしている。

最終提案では、最初の提案と較べ、余剰人員は1000人減少している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お知らせ

都合により、9月20日から9月23日まで、更新が不可能もしくは不規則になります。ご了承ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月18日 (木)

1000分の8税、カトリック教会への配分減少

Otto_per_mille 1000分の8税のカトリック教会への配分が減少し、国家の取り分が増えた(9月17日、コッリエーレ・デッラ・セーラおよびレプッブリカ)。

(1000分の8税 otto per mille は、Irpef(個人所得税)の1000分の8をカトリック教会をはじめとして、いくつかの宗派および国家に分配するものである。納税者が自分の1000分の8をどこに収めるかを選択することもできるし、選択せず、法の定めるままに国家が諸宗派に分配するのにゆだねることもできる。国家を選択した場合、そのお金は世界における飢餓、自然災害、難民の救援などに使用される。配分は、3年前の指定者の割合に基づいて実施される。この制度は、1984年の改訂されたコンコルダートに基づいて出来た。ー以上、管理人註です)。

2009年のカトリック教会の1000分の8税の取り分は、9億6700万ユーロとなる見込みで、2008年の10億200万ユーロ、2007年の9億9100万ユーロと比較して減少する見込みである。

1000分の8税の配分先を指定する人(firme) のうち、国家を指定する人が7,6%から11%に増えたのである。

指定する人は、1680万人から1750万人に増えた。80万人の増加である。その増えた分の人はほとんどが配分先を国家に指定している。

教会への配分額の変遷は以下の通り。
1990年  2億1000万ユーロ
1991年  2億1000万
1992年  2億1000万
1993年  3億300万
1994年  3億6300万
1995年  4億4900万
1996年  7億5100万
1997年  7億1400万
1998年  6億8600万
1999年  7億5500万
2000年  6億4300万
2001年  7億6300万
2002年  9億1000万
2003年  10億1600万
2004年  9億3700万
2005年  9億8400万
2006年  9億3000万
2007年  9億9100万
2008年  10億200万
2009年  9億6700万(推定)

また配分先を指定した人のうち、カトリック教会を指定した人の割合は次の通り。

1990年 76,2%
1991年 81,4%
1992年 84,9%
・・・・
1997年 81,6%
1998年 83,3%
1999年 86,6%
・・・・
2003年 89,2%
2004年 89,8%
2005年 89,8%
2006年 86,0%

2009年の配分は2006年の指定者の割合に基づいて実施されるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドラーギ総裁:イタリアの危機は限定的

Draghi917 イタリア銀行総裁のマリオ・ドラーギは、現在の金融危機は、前例のないものであるが、イタリアの銀行への影響は限定的だとの見解を明らかにした(9月17日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ドラーギは、ベルリンのドイツ中央銀行が組織したレクチャーの中で、市場の規制を現代化する必要を説いた。

ドラーギは、中央銀行は好景気の時にはバブルに注意しなければいけないし、また危機にあっては低金利で過剰な危機感を抑制すべきとしている。

イタリアに関しては、危機の影響は限定的としている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

売春の歴史

Lupanare

ローマなどいくつかの町で、売春の取り締まりが強化されたが、 売春の歴史が紹介されている(9月16日、レプッブリカ)。

古代ギリシアには、男性、女性の売春夫(婦)がおり、ヘタイライと呼ばれる人たちは高い階級の売春婦であった。古代ローマでは、lupanare と呼ばれる娼館があり、売春は法律で規制されていた。

中世では、売春婦は、街路にも、安酒場にも、売春宿にもいた。法律で認可された最初の館は、1432年、メッシーナで、シチリア両王国のアラゴンのアルフォンソの国璽とともに開かれた。

Case di tolleranza は、19世紀半ばに生まれ、クリスピ内閣により国家の管理下に入った。Case chiuse には、第一種、第二種、第三種があった(1888年)。

1958年、メルリン法により、Case chiuse (売春宿)が廃止され、売春婦の搾取が犯罪とされるようになった。イタリアは廃止賛成派(abalizionisti)と反対派(antiabolizionisti)に別れた。当時の娼館は717。

今日、メルリン法の修正が議論されている。街路や公衆に開かれた場所での売春の犯罪化と、客への処罰導入が検討されている。

文献も紹介されている。

Sandro Bellassai: La legge del desiderio. Il progetto Merlin e l'Italia degli anni Cinquanta (Carocci,2006)

Daniela Danna (a cura di): Prostituzione e vita pubblica in quattro capitali europee (Carocci, 2006)

Malika Nor: La prostituzione (Armando, 2006)

Lasse Braun: Lo scialle giallo. Storia della prostituzione dalle origini a oggi (Edizioni Clandestine, 2004)

Carla Corso e Sandra Landi: Ritratto a tinte forti (Giunti, 2003)
Quanto vuoi? Clienti e prostitute si raccontano (Giunti, 1998)

Claudio Bernieri (a cura di): Veneri di strada:sessant'anni di prostituzione in Italia dalle voci protagoniste (Derive Approdi, 2002)

Paola Monzini: Il mercato delle donne (Donzelli, 2002)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月17日 (水)

アリタリアの給与

Areoalitalia アリタリアのパイロットおよび客室乗務員の給与が、他社と比較しつつ紹介されている(9月16日、レプッブリカ)。

パイロット:(すべて税込み、2007年)

アリタリア:(年間飛行時間600)
6万8000ー12万1000
機長
8万8000ー17万4000ユーロ

Air One(飛行時間590)
5万5000ー15万5000

新アリタリア(飛行時間未定)
5万ー10万

エール・フランス(680)
8万9000ー17万

ルフトハンザ(700)
15万

客室乗務員
アリタリア (600)
3万2000ー5万1000
客室乗務員長(capocabina)
4万ー6万4000

Air One (690)
3万ー5万

新アリタリア(飛行時間未定)
2万5000ー3万8000

エール・フランス(650)
5万8000

ルフトハンザ(700)
5万5000

となっている。新アリタリアに関しては交渉中であり、推定値にすぎない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イタリア初の本格的辞書 Vocabolario (1612) 復刻本出版

Vocabolario_degli_accademici_della_ イタリア初の本格的辞書 Vocabolario degli Accademici della Crusca (1612) の復刻版が出版される(9月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

元の本は、ヴェネツィアでGiovanni Alberti が出版したが、復刻版はERA Edizioni (Firenze-Varese) から出て、註釈本が付く。編者は、フランチェスコ・サバティーニ、ニコレッタ・マラスキオ、テレーザ・ポッジ・サラーニ他で、辞書の本文およびサバティーニによるイタリア語の歴史をおさめたCD-Romが付属する。

イタリア語の歴史は、スペインのように領土の征服(カスティリア語)によるものではなく、フランスのように王宮で使用されていたものでもない。

14世紀の偉大な3人の作家、ダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョの作品、それがイタリア中で自発的にモデルとされたのである。つまり徐々にトスカナ語化が進行したのである。

それゆえイタリア語というのは、20世紀以前は、話されるものというよりは書かれるもので、大半の文盲の民衆は方言を話していた。

トスカーナ語化は16世紀に完成する。フェッラーラの詩人アリオストやナポリの詩人サンナッザーロも実質的にトスカーナ語で、ダンテやペトラルカのラインに沿って書いたのである。

同じく、16世紀にはヴェネツィアのピエトロ・ベンボが Prose della volgar lingua (1525, 俗語の散文)を著して、ペトラルカおよびボッカッチョの語法を理論化し、正確な語法を提供した。ダンテは規則におさまりきれないので、少し脇に置かれた。

この整理の仮定では様々な議論が起こった。フィレンツェ語だけを特別視するのか、他のトスカーナ方言も考慮するのか、14世紀のモデルにこだわるのか、現代語も含めるのか、などなど。

こうして1536年には最初の辞書をLuna, Accarisio が著し、Alunno が続いた。彼らが用いたテクストはダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョであった。それが次第に拡大していって、1601年のジャーコモ・ペルガミニの編纂したMemoriale della lingua volgare ではすべての重要な14世紀の作家およびタッソまでが含まれている。

しかし、1612年のVocabolario degli Accademici della Cruscaは画期的なものだった。

この辞書はこれ以降の辞書のモデルになり、また論争の際の基準点になった。それは国内はもとより、海外でもそうで、1694年のアカデミー・フランセーズ編纂の辞書は、本書をモデルにしたと銘記している。1712-1727のポルトガル語辞書、1726-1739のスペイン語辞書も同様である。1755年のサミュエル・ジョンソンの英語辞書にはクルスカの辞書への賛辞に満ちている。

(この項、チェーザレ・セグレによる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月16日 (火)

「イタリア式離婚狂想曲」オペラになる

Mastroianni_divorzio_italiana 「イタリア式離婚狂想曲」がオペラになった(9月15日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ジョルジョ・バッティステッリ作曲で、今月末にナンシーで世界初演される。

映画は1961年ピエトロ・ジェルミ監督、マストロヤンニ、ステファニア・サンドレッリ主演だった。

今回のオペラ化では、サンドレッリが演じたアンジェラ役以外はすべて男が演じる。たとえば、フェフェ(マストロヤンニ)の妻ドンナ・ロサリアは、バスのブルーノ・プラティコが演じ、歌うのである。

初演は、監督David Poutney, 美術Richard Hudson , フェフェ:Wolfgang Ablinger, アンジェラ: Teodora Gheorghiu .

| | コメント (2) | トラックバック (1)

教皇、再婚者の聖体拝領にノー

Paparatzinger2501 フランスを訪問しているラッツィンガー教皇は、再婚者の聖体拝領はあってはならないと確認した(9月15日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ルルドを訪問している教皇は、フランスでこれまで司教の寛容として黙認されていた再婚者(divorziati risposati) への聖体拝受は出来ないことを確認した。

教皇はマタイ福音書を引用し、「神が結びつけたものを、人が離せない」(cio' che Dio ha unito l'uomo non separi)としている。

また、「教会は、婚姻の解消不能性を忠実に守っている。様々な理由で、それを尊重できなかった男女をより大きい愛で包んではいるが。それゆえ、非合法なカップルを祝福する動きを認めることは出来ない」と強い調子で、再婚者の聖体拝領はありえないことを強調した。

「第二の婚姻の祝福」(第一の婚姻の破綻の後)は(ギリシア)正教会では実施されているが、カトリック教会では認められていない。

しかしここまで強い表現を用いたことはこれまでなかった。

また、ラテン語のミサに関しては、要望があれば応ずるようにと、司教団に語った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月15日 (月)

アリタリア、パイロットがノー

Alitalia_915 アリタリアをめぐる問題は、パイロットの組合が激しく反発している(9月15日、レプッブリカおよびコッリエーレ・デッラ・セーラ)。

労働大臣マウリツィオ・サッコーニは、代表的な労働組合Cgil, Cisl, Uil , Ugl のみを招集して合意を取り付けようとしたが、これに、パイロットの組合や、客室乗務員の組合が激しく反発した。

また、Cgil の書記長エピファーニも、個別の合意は拒否するとして、サッコーニと激しくやりあった。

たとえば、パイロットの組合Anpacには1022人が加盟しているし、客室乗務員の組合Avia には751人が加盟している。他にも、小さな組合が複数ある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルルスコーニ、アリタリア問題に直接介入

Alitaliagenerica アリタリアの問題解決に、ベルルスコーニ首相がみずから乗り出した(9月14日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

新会社Cai(Compagnia aerea italiana) と労働組合の交渉が難航し、行き詰まってしまったのに業を煮やした首相は、13日午後9時に、首相府(Palazzo Chigi)に、Cgil, Cisl, Uil、Uglのトップを招集した。

アリタリアの従業員は1万9000人。そのうち、5500人が当初案では余剰人員とされている。うち、客室乗務員の余剰人員は1600人、パイロットの余剰人員は1000人で、この数字をめぐって労働組合との交渉が行われている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マルチェガリアの新プラン:3年契約とインフレ組み入れ

Marcegaglia01g Confindustriaの会長エンマ・マルチェガリア(写真)は、労働組合に新たなプランを提案した(9月13日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

この提案は《合意の仮定》(Ipotesi di accordo)と名付けられている。20ページからなる文書で、イタリア産業総連盟 (Confindustria)の会長エンマ・マルチェガリアがCgil, Cisl, Uilの書記グギエルモ・エピファーニ、ラッファエーレ・ボナンニ、ルイジ・アンジェレッティに託した。

1993年7月の合意を改訂しようという意図である。

ボナンニは「重要な進展」があったとし、アンジェレッティは「合意に達する可能性が高まった」としているが、Cgilは非常に批判的な判断を表明した。

次回の会合は9月18日が予定されている。

提案の目的は二つある。新たな交渉のルールを決めて、企業の競争力と労働者のサラリーを高めることだ。より対立的でなく、参加型のシステムに有利な仕組みとする。

交渉には二つのレベルがあるのは従来通り。全国レベルは3年契約(現行は規定に関するものが4年、経済的な部分が2年となっている)とし、最低賃金をインフレ予想を換算して決める。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月14日 (日)

モーリ・ポメッティ辞任

Contrada_della_panterastemma シエナのコントラーダ、パンテーラのカピターノ(パリオの最高責任者)アンドレア・モーリ=ポメッティが辞任した(9月12日、コリエーレ・ディ・シエナ)。

モーリ=ポメッティは、火曜日のパンテーラの総会で辞任した。

パンテーラの基本法(statuto) の規定により、プリオーレが、協議、諮問をし、総会を招集して、新たなカピターノを選ぶ。

プリオーレのフランコ・ペーピは10月中に次のカピターノを決めたいとしている。

モーリ=ポメッティは、2003年からカピターノをつとめ、2006年にはライヴァルのコントラーダ、アクィラをゴール寸前で抜き去りパリオでの優勝を飾った。カピターノとして最高の瞬間は2006年の勝利であり、もっともつらかったのは、今年の8月13日(辞任騒動があった)であるとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドラーギ総裁の警告

Draghi_913 イタリア銀行総裁で、金融安定フォーラムの座長をつとめるマリオ・ドラーギが、銀行は世界中から3500億ドルを集める必要があると見解を示した(9月13日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ドラーギによれば、現在の金融危機はまだ終わっていない。銀行は、少なくとも3500億ドルが必要である。

リーマン・ブラザーズを救うために公的資金は用いないとアメリカ政府は述べている。銀行群の介入が待たれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トレモンティの、ヨーロッパ投資銀行に新たなファンド創設案

Fondo_sovranoヨーロッパ投資銀行に新たなファンドを創設しようというトレモンティ経済相の提案が、EUで積極的に検討されている(9月13日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ヨーロッパ投資銀行(Banca Europa degli Investimenti) は、1957年ローマ条約で設立された。

トレモンティの提案は、この銀行に fondo sovrano を作り、一種の信託公庫(Cassa Depositi e prestiti)として機能させようというものである。

こうして、特に輸送のインフラへの融資をするというものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリタリア、交渉、暗礁にのりあげる

Alitalia_912 アリタリアの新会社(Cai)と労働組合の交渉が暗礁にのりあげた(9月12日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

Cai は提示条件を撤回し、これ以上交渉する意味がない、としている。

労働大臣サッコーニは9労働組合のトップを招集した。

Cgilのエピファーニは悲観的だが、Cislのボナンニは政府に介入おw求めている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トゥロルドのパゾリーニに関する証言

Turolodo1 詩人で神父であったダヴィド・マリア・トゥロルドのパゾリーニに関する証言が雑誌 l'immaginazione に掲載される(9月12日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

トゥロルドは1916年コデルノ・デル・フリウーリ生まれ、ミラノで1992年に亡くなっている。

1987年8月16日に、ステーファノ・ボッタレッリがトゥロルドにインタビューをし、それが長い独白になった。ボッタレッリはそれを録音し、書き写し、タイプしたものを神父に送った。彼は書き直し、署名した。

二人のフリウーリの詩人の友情と相互の敬愛の記録である。パゾリーニは「無神論とか不可知論者と自称していたのは事実だ。しかし、彼は伝道者であったのも事実だ。彼の自我は、人を巻き込む自己だった...彼の文学は、彼の人生で、彼の人生は文学的事件だった。自己は、彼の物語全体、彼の宇宙の中心にある。だからいつもなぎ倒されている。彼の冒険と彼自身を区別することは出来ない」

トゥロルド神父の証言で興味深いのは、モンターレとパゾリーニの対立である。「モンターレはすぐれて反パゾリーニだった、パゾリーニがすぐれて反モンターレであったように。しかし私はモンターレよりパゾリーニが好きだ。一方は、絶対的な無関心であり、他方は人を巻き込む、絶対的な情熱だ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新たな売春法案できる

Carfagna_2

売春に関する新たな法案が出来た(9月12日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

新法案では、売春自体が、公共の場、公衆に開かれた場では犯罪となる。

現行法は、1958年に制定されたメルリン法である。この法律は、売春宿(casa chiusa, casa di toleranza) を閉鎖した。

新法案は法案であって、法律ではないが、内容としては、路上での売春行為は禁固5-15日。200ー3000ユーロの罰金。客も売春婦も同じ扱い。この法案を提出したのはマーラ・カルファーニャ大臣(写真)。

売春に関して最初に戦ったのはA.Mazzoni (1837年生まれ)。その後、リーナ・メルリンが1958年に75号法案を成立させた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雑誌アスペニア、宗教と政治の特集

Aspenia40 雑誌Aspeniaが宗教と政治という特集を組んでいる(9月12日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

元首相のダレーマと現経済相のトレモンティが、このテーマにそった対談をしている。

アスペニア:21世紀は、宗教の世紀として浮かびあがっています。冷戦終結後、イデオロギーの危機が起こりました。コムニズモ(共産主義)だけでなく、極端な経済的自由主義も危機にさらされています。こうした見方についてどう思いますか?

マッシモ・ダレーマ:たしかに、世俗化の頂点では優位にあった考えが凋落している。世俗化というのは、宗教が個人の領域に閉じこめられることだ。

宗教が公共空間に帰ってきた重みは、イドオロギーや20世紀の大きな物語の没落と切り離せない。20世紀の最後のイデオロギーは、冷戦の終結後、イデオロギーが終焉したという有名な理論だが、その誤りについては論ずるまでもない。

疑いなく、9月11日が新たな世紀を開いた。しかしこれが本当に宗教の世紀なのかは率直に言って判らない。

Dominique Moisiは世界を三つの領域にわけている。西洋は怖れの領域。イスラム世界は恨みの領域。最後が希望の領域で、アジアの大部分と発展途上国が入る。第三の領域では、進歩や未来への信頼が大きい。

ジュリオ・トレモンティ:《宗教の復活》というのは誤った私にとっては誤った考えだ。宗教は一度も消えたことはない。ただ、強度が異なるだけだ。ある時は支配的で、ある時は潜在的となる。20世紀においては、イデオロギーの影に隠れてしまっていた。イデオロギー自体が宗教の代替物となっていたからだ。

また、宗教の個人化というのは、世俗的な考えで、宗教自体の外にある考え方だ。われわれの宗教は、内的であると同時に外的なものであったし、そうあり続けている。

ダレーマ:今日問題となっているのは、世俗国家(Lo stato laico)は17世紀以降のものだが、自由は真実に基づくものではないという考察から生まれている。宗教戦争の後に生まれたものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月13日 (土)

ルドルフ・リル著 《教皇の権力》

Il_potere_dei_papi ルドルフ・リル著『教皇の権力』が出版される(9月11日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ルドルフ・リルはカールスルーエの名誉教授。出版社はラテルツァ、224ページ、16ユーロで、9月18日発売。

序をアルベルト・メッローニが書いている。

教皇庁は、ヨーロッパで古代後期から現代まで存在しつづける唯一の機関である。

イタリア人にとっては、このドイツ人教授にわざわざ言われるまでもなく、教皇庁の存在の重要性は明らかだ。

とは言え、現代の世界における教皇庁の影響力は、イタリアに限定されているわけではない。

イタリアにおいては、他の国とは異なり、教皇庁が政治勢力として機能しているのだ。イタリア以外では、周知のごとく、教皇は精神的な権威なのである。

しかしまさにこの教皇の権力には歴史がある。最初からいつも同じだったわけではない。この歴史性に、ルドルフ・リルの著作の意味がある。つまり、ヴォイティワ教皇やラツィンガー教皇のもとでは判りにくくなっているが、教皇の教会内における絶対性は、いくつかある可能性のうちの一つに過ぎないのである。

教皇のあり方については、何世紀にもわたって、位階性の原理(principio gerarchico) と民主制の原理(principio democratico) があらがってきた。つまり、教皇の決断を優先する立場対地方の教会の自律性重視の立場の対立である。教皇の中央集権対司教の責任制。高位からの任命対下からの選挙。権威の誘惑対公会議の伝統。

1500年代半ばのトレント公会議から約3世紀にわたって、つまり1800年代のはじめまで、ローマの教皇は、カトリック教会を意のままに動かすことは出来なかった。それは王政復古の時期、つまり《現代性(modernita')》という敵がいたるところに現れて、それと戦うようになってからなのである。

現代性というものは、宗教改革およびフランス革命と対になっている。その時期に、フランスでは、カトリックのなかにアルプスの向こう主義(ultramontanismo)という考えが生まれた。山の向こうのローマに、精神的、世俗的権威の教皇がいると考えるのである。

こうして、ピオ9世のもとで教皇の無誤謬性がドクマとなるより1世紀半も前の1819年に、ジョセフ・ドゥ・メストレ(Joseph de Maistre)というサヴォアの伯爵は、教皇の無誤謬性について論じる Il Papa という書物を著したのである。

今から70年前、イタリア人歴史家のアドルフォ・オメデオは、この書物を読んで、デカルトが魂を松果体に閉じこめたように、すべての宗教生活を、教皇という政治・行政機関に閉じこめている、と皮肉をこめたコメントを残している。

ジョヴァンニ23世は、ヴァティカンの中央集権を緩和しようとし、司教、地方教会、信者団体に力を分散しようとした。そして第二ヴァティカン公会議を招集したのである。ルドルフ・リルの解釈では、ジョヴァンニ23世の選択は、ある懸念に由来するものだ。即ち、数世紀にわたり、教皇の権力が強化され、教会内の自由が減ったのではないかという懸念である。

公会議の改革派はこの傾向を逆転させようとした。しかし、ジョヴァンニ・パオロ2世によって《王政復古》がなしとげられた。

その証拠として、1983年の Codice di diritto canonico (教会法)の教皇庁中心性、中央集権性があげられている。

ジョヴァンニ・パオロ2世は《王政復古》を確認するかのように、カトリック教会を魂救済の軍隊(Esercito della Salvezza) に変容させようとしたピオ9世を福者としたのである。(この書評はセルジョ・ルッツァットによるもの)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トリエステ、立ち小便に巨額の罰金

Triesteblu2 トリエステで立ち小便に対し500ユーロ(約7万5千円)の罰金を科す条例が成立した(9月11日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

トリエステの市長ロベルト・ディピアッツァは、立ち小便 (fare pipi per strada) に500ユーロの罰金を科す条例に署名した。

200メートル以内に、しかるべき場所があるのに立ち小便をしているのを現行犯でつかまった場合、罰金を払わなければならない。

ディスコテーカのビラを道路にまいた場合、1000ユーロの罰金。壁やモニュメントに落書きなどをして汚した場合、最高7000ユーロの罰金を科す。

これらの条例は、来週の月曜から施行される。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年9月12日 (金)

源氏物語1000年を記念する出版と会議

Gengji 源氏物語が生誕1000年を記念して、ヴェネツィア大学カ・フォスカリで、東洋美術を教えるジャン・カルロ・カルツァが源氏物語に関する本を出版し、ヴェネツィアでは源氏物語をめぐる学術会議が2日間にわたって開かれる(9月10日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

源氏物語は、1008年にはすでに手写本が宮廷内で、回し読みされていたのである。

ジャン・カルロ・カルツァの本は Genji il principe splendente (源氏、光の君)(Electa, pp.80, 15ユーロ)というタイトルで、特にイタリア語の本としてははじめて源氏物語絵巻 (antico rotolo illustrato del romanzo) を紹介している。

源氏物語はホメロスのように長い物語だが、驚くべきことに、戦争もなければ、残酷な死に様や、神々が出てくることもなく、愛の物語である。

また、ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島では、《Genji, il principe splendente. Mille anni di eleganza in Giappone》(源氏、光の君。日本の千年の雅)と題する会議が10日、11日にわたって開かれる。報告者は、ドナルド・キーン、ジョン・カーペンタ、ジッロ・ドルフルス。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

Ocse (OECD) の調査、イタリアの教育の問題点を暴く

Scuola_media Ocse(OECD)の調査で、イタリアの教育の問題点が明らかになった(9月10日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

小学校への投資は過剰であるが、大学への投資は乏しい。これはまずい。大学卒業生の輩出に関しては、イタリアはチリ以下だ。

ボッシは批判の矛先をおさめて一人担任制の必要性を認めたが、論争は終わらない。

イタリアの小学校は、Osce(OECD)によれば、世界で最良のものの一つである。8位から5位の間に入る。この調査は子供たちの成績ではなく、組織、その合理性を分析している。

また、イタリアの小学校の先生が教えるのが年間735時間なのに対し、Osce平均は812時間となっている。また、一クラスの平均人数は、イタリアが18,4人なのに対し、Ocse 平均は21,5人となっている。その結果、イタリアでは小学生一人あたりに費やされる費用は6835ドルなのに対し、Ocse平均では6252ドルで、一割程度割高になっている。

ところが中学になると費用は、Ocse 平均を下回るようになる。イタリアが1人あたり7646ドルに対し、Ocse平均は7804ドル。

大学になると差はさらに開き、イタリアが1人あたり8026ドルに対し、Ocse(OECD)平均は1万1512ドルである。

また、大学卒業者や修士課程卒業者の率は、イタリアはチリやメキシコに抜かれている。イタリアと同程度なのは、ブラジル、トルコ、チェコ、スロヴァキアである。

24歳から34歳で大学卒業者の率はイタリアでは17%、Ocse 平均は33%である。

55歳から64歳だと、イタリアでは大卒者は9%、Ocse 平均は19%。

親たちの教育に対する満足度を見ると、イタリアは81%で、Ocse 平均では79%。また学校はよくやっていると考える人はイタリアで92%、Ocse 平均で85%。

教員の給与は低い。小学校で勤続15年時の給与は(ドルで)
イタリア 2万9287ドル
Ocse 平均 3万7832
EU19 平均 3万8217
ドイツ    5万119
韓国    5万2666

となっている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年9月11日 (木)

《甘い生活》をめぐる二人の枢機卿の対立

Dolce

フェデリコ・フェッリーニの《甘い生活》(1960)が封切られた時、枢機卿モンティーニの非難に対し、シーリ枢機卿は擁護していた(99日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

モンティーニは後の教皇パオロ6世である。パオロ6世は、第二バティカン公会議を主催し、シーリ枢機卿はその改革案を厳しく批判し、モンティーニ改革を実施する際の大きな障害となったのである。

当時、ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニはミラノの大司教、ジュゼッペ・シーリはジェノヴァの大司教であった。ジェノヴァのカトリックの日刊紙 Nuovo Cittadino に 《甘い生活》に対する好意的な映画評が掲載されたのに対し、モンティーニはシーリに手紙を書く。

モンティーニは自分は見ていないことを認めつつ、この映画評に対し、ミラノには困惑が広がっているとし、教会は介入して、上映をやめさせるべきではないかとまで述べる。それに対し、シーリは、この映画は自分たちの社会がここまで来てしまったことを真実味を持って描き出しているのであり、芸術的価値を認めるべきだと反論した。

二人の手紙のやりとりはこれまで公開されていなかったが、歴史家パオロ・ゲーダにより見いだされ、91213日にジェノヴァで開かれるジュゼッペ・シーリをめぐる会議で、報告される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボッシ、ジェルミーニ教育相を批判

Umberto_bossi

ウンベルト・ボッシがジェルミーニ教育相を批判している(99日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

北部同盟のリーダー、ウンベルト・ボッシは繰り返し、ジェルミーニ教育相を批判している。まず、74日には、一度も教師をしたことのないものを教育相にしていると、教職の経験のない点をついている。

86日には、一人の担任は子供たちをだめにする、とジェルミーニが導入しようとしている一人担任制を批判した。

ボッシはジェルミーニの他の政策に対しても批判的であるが、ベルルスコーニはジェルミーニを支持している。

与党内の軋轢、すなわち、Pdlと北部同盟の摩擦は学校だけではない。ボッシの本当のねらいは連邦主義(federalismo)だと考えられている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 9日 (火)

ネーロ・リージの新詩集 《日でもなく、時でもなく》

Nelorisi908 ネーロ・リージの新たな詩集《日でもなく、時でもなく》が刊行された(9月8日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

詩人で映画監督でもあるネーロ・リージの新たな詩集 k《Ne' il giorno, ne' l'ora》(Mondadori, pp.83, 12ユーロ)が刊行された。

リージは1920年生まれだが、この詩集で序文を書いているジョヴァンナ・イォーリとの愛が詩の原動力になっているようだ。

《新たな辞書が必要だ/生命の新たな要素として/死を理解するための》(un nuovo dizionario ci vorebbe/per comprendere la morte/ come nuovo elemento di vita) との一節もある。

リージは冗長とは無縁だ。むしろ、動詞が抜けたり、点が省略されたり、さらには句点すらも停止の時以外は省略される。すべてを脱ぎ捨てていく。

彼は一日や一時間を記録する暇はない。世界の歪みを観察し、説明するが、結論に向かっては個人的な道行きも通る。それが《未来の現在》(presente del futuro) だ。彼のであり、われわれのでもある。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ジェンティローニ協約からDCの終焉まで

Don_luigi_sturzo_908 イタリアのカトリック政党の歴史がまとめられているので紹介する(9月8日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

1.ヴィンチェンツォ・オットリーノ・ジェンティローニは、(まだ non expedit とよばれるカトリック教徒の政治参加を禁じる回勅は取り消されていなかったが)、1913年にジョリッティ派のリベラル勢力と秘密の協約を交わした。

彼の示した案を受け入れた政治家には選挙でカトリックの支持が得られるというものである。

2.1920-30年代
 ドン・ルイジ・ストゥルツォ(写真)が1919年に、イタリア人民党を創設した。1952年に彼は、エイナウディ大統領により、終身上院議員に任じられた。

3.1940年代
 アルチーデ・デ・ガスペリがDC、キリスト教民主党を非合法に組織し、その後、1948年の選挙で勝利した。1953年まで連立政権のリーダーをつとめた。

4.1950年代
 ジュゼッペ・ドッセッティとジョルジョ・ラ・ピーラがDC左派の平和主義を代表し、前者がリーダーをつとめた。

5.1960年代
 アミントーレ・ファンファーニが5度首相になり、彼の政策は、労働者に30万軒以上の住宅を建築することであった。

6.1960-70年代
 経済成長、共産党との対話:
 アルド・モーロ、ジュリオ・アンドレオッティ、フランチェスコ・コッシーガがDCを率い、イタリア共産党(PCI)との対話が試みられた。

7.1980-90年代
 チリアコ・デ・ミータ、オスカル・ルイジ・スカルファロ、ミーノ・マルティナッツォリがキリスト教民主党の最後のリーダーで、マーニ・プリーテ(汚職摘発の大作戦)の打撃で1994年に解党した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教皇:新たなカトリック政治家が必要

Papabenedettoxvi 教皇ベネデット16世は、新たなカトリックの政治家が必要と語った(9月8日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

カリアリで、教皇は、「労働や、経済、政治の世界で福音を説く新たな世代の政治家が」必要だとしている。

ベルルスコーニ首相は、カリアリで教皇を出迎えたが、会話は10分間のみだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 8日 (月)

新任教員の平均年齢40歳を越える

Scuola20elementare203 イタリアの教員に採用される人の平均年齢が昨年度は41歳に達していた(9月7日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ほとんどの人が10年間におよぶ非常勤雇用を経験している。10人に6人は、大学を卒業しているが、それにふさわしい処遇を受けているとはいえない。

この調査は、ジョヴァンニ・アニェッリ財団(Fondazione Giovanni Agnelli) が、2007-2008年に新規採用された教員1万872人を対象に実施したもの。内訳はピエモンテ州が3783人、エミリア・ロマーニャ州が3297人、プーリア州3792人。

まず、イタリアの国立学校(ほとんどの公立学校が国立である)の教員数は2007-2008年時点で84万3000人。そのうち、常勤の教師は70万人。一年単位(9月から9月まで)の非常勤が2万3000人。授業期間の非常勤(9月から6月まで)が12万人となっている。

常勤に採用される時の平均年齢の変化は次の通り。
1960年代 23歳
  70年代 28歳
  80年代 30歳
  90年代 34歳
2000-2006  38歳
2007-2008  41歳

新規に常勤に採用された人のうち60%は、大学を卒業している。

非常勤の経験の平均は10,7年。

教職を選んだ理由を教育への情熱とする人は79,1%。職業生活と家庭生活の両立が5,3%などとなっている。

また、過去に戻ることができたとしたら、再び教職を選ぶかとの問いには、90,2%がそうすると答えている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年9月 7日 (日)

ミラ・ショーン、死去

Milaschon 服飾デザイナーのミラ・ショーンが亡くなった。92歳だった(9月6日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ミラ・ショーンは1916年ダルマツィアのTrau で生まれた。

彼女の服を着た女性には、マレッラ・アニェッリ(ジョヴァンニ・アニェッリの妻)、ジャクリーヌ・ケネディ、イメルダ・マルコス、ミーナ、ミルヴァなどがいる。

父は薬剤師、母は貴族の家系であった。

思春期をトリエステですごす。1940年代にミラノに出る。ノヴァラ出身のアウレリオ・ショーンと結婚。一児をもうけるが、12年後別れる。

そこから彼女のデザイナー人生が始まった。

表地と裏地が同じ生地(tessuto double)を考案し、有名になる。

ミラ・ショーンのデザインはシンプルでかつエレガントなことで知られている。

彼女自身は、醜いことにだけ気をつけて、それを取り除けば、美しいものだけが残るのよ、と述べていた。

1993年にブランド自体は、日本の伊藤忠に売却していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

移民の選挙権、ベルルスコーニがストップ

Berlusconi905 ベルルスコーニ首相は、フィーニ下院議長の移民に選挙権を与えるべきだとする議論を、個人的意見だとしてしりぞけた(9月5日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

首相は、この件は与党のプログラムにはないとしている。

また与党の中でも、マローニ内相は、北部同盟は、移民に選挙権を与えることにはまったく反対であるとしている。

さらには、フィーニの出身母体である国民同盟でも、ラルッサが、国民同盟にとってこの問題は優先的な課題ではない、と述べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

100平米、10万ユーロのエコロジカル住宅

Casa_100k マリオ・クチネッラとItalcementiが共同開発した低価格のエコロジー住宅が、ヴェネツィアのビエンナーレで展示される(9月5日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

この住宅は、100平米で10万ユーロのローコスト住宅であるが、二酸化炭素などを出さないエコロジー住宅となっている。

このプロジェクトは 《Casa 100K》と呼ばれ、去る7月にトリノでの世界建築学会で発表されたが、このたびヴェネツィア・ビエンナーレの国際展示場で、9月14日から11月23日まで展示されることとなった。

この省エネ住宅は電気・光熱費が一月あたり56ユーロですむ計算だという。

住宅はプレハブ式(prefabbricazione)で作られるが、仕上げ部分は個人の好みによって変えられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィーニ、移民の投票権に同意

Fini_904 フィーニ下院議長は、移民に選挙権を与えることに、同意をしめした(9月4日、レプッブリカ)。

ジャンフランコ・フィーニは、民主党のお祭りに招待され、そこでリーダーのヴェルトローニからの求めに応じる形で、移民に選挙権を与えることに合意を示した。

フィーニは2003年に副首相であったときにも、移民に(地方選への)投票権を与えるよう呼びかけたことがある。

フィーニは同時に、権利と義務が同時に存在していかねばならないとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 6日 (土)

一人担任は、小学校一年生のみに

Maestro_unico 一人担任制の導入は、来年度は小学校一年生に限定されることになった(9月3日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

教育大臣のマリアステッラ・ジェルミーニが明らかにした。彼女のプロジェクトは労働組合のみでなく、教科書出版社からも批判されている。教科書の内容を5年間は変更してはならない、としたからである。

ジェルミーニ教育相は、三人担任制(国語などを教える先生、算数・理科を教える先生、社会・歴史を教える先生の3人が1つのチームをつくり、2クラスを受け持つ、モドゥロと呼ばれるシステムー管理人註)は、なんの教育的な目的もなしに、単に、教師の数を増やすために導入された、としている。

教育相の考えでは、イタリアの30万人の小学校教員は、不釣り合いに多すぎるということになる。その根拠として予算の97%が給与に費やされていることをあげている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボッシの詩

Razza_padana ウンベルト・ボッシは若いころ方言で詩を書いていた(9月3日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

しかも、それが現在のマヌエーラ夫人と結ばれるきっかけだったのである。

北部同盟(Lega Nord)の30年を記念して、Razza Padana という本が出版されたが、そこにはボッシの詩も掲載されている。

1982年当時、マヌエーラ夫人は29歳でヴァレーゼでサンタンブロージョのコレージョで教えていた。

ボッシは、Unione nordoccidentale lombarda per l'autonomia (Unolpa、東北ロンバルディア独立同盟)の創設者であった。

彼は、方言で詩を書いていたのである。

二編が紹介されている。

Di voeult ul cile l'e' bleu anmo'
Di voeult l'erba l'e' perd'anmo'
Ma ul lach l'e' mort
Han maza'a un lach,
la nostra aqua

この詩のイタリア語訳
Certe volte il cielo e' ancora azzuro
Certe volte l'erba e' ancora verde
Ma il lago e' morto
Hanno ucciso il lago,
la nostra acqua
(時には、空はまだ青く
 時には、草はまだ緑
 しかし、湖は死んだ
 彼らが湖、
 われらの水を殺した)

もう一篇の詩

Ga cascirann via
La vita cui ceucc da guadron
La spia i busch,
la ca di pa'
ca par mila e mila e mila an
hann vivuu chi' (vivuu の u はウムラウト)

この詩のイタリア語訳
Ci cacceranno via
La vita con gli occhi di catrame
Spia i boschi,
la casa dei padri,
che per mille e mille e mille anni
hanno vissuto qui

(彼らはわれわれを追い出すだろう
タールの眼の命は
森を探る
森は父祖の家
何千年も何千年も何千年も
ここで住んでいたのだ)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

脳死が人の死かどうかをめぐりる論争

Morte_cerebrale ヴァティカンの機関紙オッセルヴァトーレ・ロマーノに載った脳死に関する記事で論争が生じている(9月3日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙の記事は、ルチェッタ・スカラッフィアによるもの。

スカラッフィアは、脳死を人の死と考えるのは、カトリックの教義と矛盾すると述べたのである。

しかし脳死に基づいて、臓器移植は認められてきた。

教皇庁(La Santa Sede) は、この記事の内容は、われわれの方針ではないとしている。

脳死の考え方は、40年前、1968年にハーヴァードの教授たちによって定められた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

警官のゲイ組織、発足

Polis_aperta1 9月26日に、イタリア初のゲイ警官の組織が発足する(9月2日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

この組織は、Polis aperta(開かれた警察)という名前で、交通警官、警官、カラビニエーリ、財務警察などが対象となっている。

9月26日にボローニャで会合を開き、新たに組織の規約を決めるという。これまではインターネット上で存在していた。

この組織に所属している人は約200人。

会長は、同性愛者であることが発覚したときに、差別的な処遇を受けることがあまりに多いとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルルスコーニ、アリタリアの労働組合に圧力

Berlusconi902 ベルルスコーニ首相は、アリタリアの諸労働組合に対し、インテーザの計画以外に他の選択肢はないとして、すみやかにこの条件を受け入れるよう促した(9月2日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

それに対し、Cgilのリーダー、エピファーニは、受けいれるか去るかという二者択一は受け入れられない、これから交渉しなければならない、としている。

アリタリアの職員1万8500人のうち、労働組合に入っているのは1万2310人で、所属は次の通り。

Filt-Cgil 2522人
Fit-Cisl 2057人
Uilt   2063人
Ugl   1050人
Sdl   1700人
Anpac(パイロットのみ)1022人
Up  (パイロットのみ)350人
Anpav(客室乗務員のみ)545人
Avia (客室乗務員のみ)751人
Cub(地上勤務のみ)250人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 2日 (火)

パゾリーニの未公開映画《怒り》

Pasolini30 パゾリーニの未公開映画《怒り》をめぐり論争が起こっている(レプッブリカ、8月24日、コッリエーレ・デッラ・セーラ、8月31日、9月1日)。

パゾリーニの映画の原題は La rabbia. この映画は公開されなかった。

フィルム自体は、ボローニャのチネテーカにより修復され、前回のローマ映画祭で、グァレスキの撮影部分を含む版が上映された。

今回、ジュゼッペ・ベルトルッチは、パゾリーニの撮った未公開の16分を付け加え、グァレスキの部分をカットしてヴェネツィア映画祭で上映しようとした。

この映画は63年に公開されるはずだったが、グァレスキが制作した部分にパゾリーニが激怒し、公開されなくなってしまった。

ナレーターは、詩の部分がジョルジョ・バッサーニ、散文の部分が画家レナート・グットゥーゾが担当している。

ベルトルッチは、今回のヴェネツィアでの上映では、パゾリーニの意図にそった編集をして、ローマ映画祭の時の版とは異なった版を復活しようとした。

そこで、グァレスキを批判し、グァレスキを人種差別主義者だと非難したのである。それをきっかけにグァレスキの遺族が怒りだしたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パンテーラとキオッチョラの関係冷却

Contrade_locandina_little シエナのコントラーダ、パンテーラ(豹)とキオッチョラ(カタツムリ)の間に緊張関係が生じている(8月31日、コッリエーレ・ディ・シエナ)。

パンテーラ地区では、8月31日から一週間が、守護聖人を記念する祭り(Festa titolare) である。パンテーラ地区の守護聖人はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ(首を切られた聖ヨハネ)である。

プリオーレ(町内会長)によって新たにコントラダイオーロ(コントラーダのメンバー)になる人は洗礼を受ける(カトリックの洗礼とは別)。今年、洗礼を受けるのは36人。

パンテーラ地区は、金曜日に特別総会が開かれたが出席者は多かった。

パンテーラとキオッチョラはもともとは同盟関係にあり、友好的な間柄のコントラーダである。プリオーレ(町内会長)のフランコ・ペーピはいきさつについては詳しく語らない方が良いとしている。

パリオの間および後で、キオッチョラとの小論争があった。パンテーラ側は、キオッチョラの幹部に説明をもとめた。が、十分な説明が得られなかった。そこで、総会が招集された。

守護聖人のお祭りの時は、時代衣装をまとい、コントラーダの旗をもった行列が練り歩くのだが、その時に同盟関係のコントラーダには挨拶のため行進がその本部におもむくのであるが、今回は、キオッチョラの本部には、緊張を避けるためおもむかないことに決定した。

この決定は今年だけのものであり、この問題に関しては冬になって、時間をおいて落ち着いて考えようとキオッチョラの幹部によびかけた、とプリオーレは語る。パンテーラ側としては、同盟関係を危機に陥れたくはないとの考えだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

セルヴァ、オーカと絶縁

Selva シエナのコントラーダ、セルヴァ(森)がオーカ(鵞鳥)と絶縁した(8月31日、コリエーレ・ディ・シエナ)。

セルヴァは、コントラーダ(地区)の特別総会(assemblea straordinario) を開き、オーカ(鵞鳥)地区との境界をめぐっての問題その他について話し合った。

プリオーレ(町内会長)のヴェリオ・チーニによれば、8月23日の土曜日に生じた事柄を考慮して、オーカとのあらゆる関係を絶つことにしたという。

総会での投票では、1票の棄権をのぞき、全員賛成であった。問題は境界の旧畜殺場にある。すでにこの問題では、1983-84年に調停案が出ている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリタリア、組合との交渉開始

Alitalia_901 アリタリアの救済案をめぐって政府と労働組合の交渉が始まる(9月1日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

労働大臣マウリツィオ・サッコーニが会うのは、9組合で、順番に、Cgil, Cisl, Uil, Ugl, Sdl, Anpac, Up, Anpav, Avia.

さらには、他の組合にも会う予定だが、その中には、すでに9月17日からストを予定しているCubのような組合も含まれる。

Intesa-Sanpaolo銀行のプランによれば、5000-7000人の余剰人員が出ることになっており、話し合いはその点が大きな争点になると思われる。

(お断り)
9月2日から12日まで、都合により更新が、不規則または不可能となります。あらかじめご了承ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バドリオ元帥の陰謀

Badoglio_2 1943年のムッソリーニ逮捕と休戦は、一年前以上から秘かに練られた作戦であることが明らかになった(8月31日、レプッブリカ)。

これまで De Felice, Toscano, Parlato らの研究によって、うすうす知られていたものが、今回、イギリス側の資料によって、克明に裏付けられるようになった。

1942年の4月に、イタリア側の密使 Vulp と呼ばれる人物とイギリスのエージェントが会っている。

Vulp は、イギリス人に対し、バドリオ元帥はロンドンと協定を結ぶ用意があると述べた。

これらの書類は、イギリスのKew Gardens のアーカイヴに保存されている。イギリス側は Operazione Fanfare と呼んでいた。つまり、イタリアのファシズム政権を倒し、バドリオ政権と休戦協定をむすび、イタリアに対ナチス戦に参加させるというものである。

その密使を務めたのは、ルイジ・ルスカという人物で、イギリスのエージェントとはスイスのベルンで会っていた。彼は出版社モンダドーリで働いていた。

しかしイギリスの戦時内閣は、結局、バドリオ元帥らの動きを信頼するに足りないとして却下してしまったのであった。

しかしこの時のことがあったので、翌年1943年にバドリオ案を受け入れるときには内容をしっかり理解していた。

あとは歴史である。1943年7月25日ムッソリーニが逮捕され、バドリオが首班となり、9月3日、休戦協定が交わされた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 1日 (月)

通信簿の変遷

Pagella 通信簿の変遷が紹介されている(8月29日、レプッブリカ)。

1.20世紀初頭
通信簿は2ヶ月毎の評価で、その後3ヶ月毎、4ヶ月毎に変わっていく。

2.ファシズム期
ファシズム期には、通信簿の表紙に、Duce(統帥)を讃える歌(inni)がのっていた。評価には buono や sufficiente が用いられた。

3.1946年
統一通信簿の誕生。小学生から高校生まで統一のフォーマットとなる。10リラであった。

4.1977年
小中は Scheda personaliとなり、教師が各生徒を分析し、記述するものとなった。

5.1996年
20年に渡り、評価は長い文で根拠を示して書かれていたが、簡潔なものとなる。

6.2010年
成績表がインターネットで見られるようになる(予定)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アントニエッタ・グリニャーニ:《20世紀後半の詩、詩論、方法》

Lavoriincorso マリア・アントニエッタ・グリニャーニの批評、Lavoro in corso-Poesia, poetiche, metodi nel secondo Novecento (Mucchi, pp.284, 21ユーロ)が出版された(8月31日、Il Sole 24 Ore).

T.S.エリオット、モンターレの線で考えると、20世紀後半は、主体の中心性に基づいた美学の可能性が激動によって奪われてしまったといえる。

彼女は、モンターレ、ヴィットリオ・セレーニ、そしてマリオ・ルーツィを論じているが、つねにテクストに根ざした批評となっている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

アルムニア:EUの規則を守れ

Almunia_alitalia EUの経済問題委員のホアキン・アルムニアは、イタリア政府に対し、EUの規則を遵守するようにうながした(8月31日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

アリタリアの処理の仕方について、ドイツの日刊紙 Frankfurter Allgemeine Zeitung は、優良資産だけを切り離して処分し、負債はそのまま残すのは、偽装倒産に近いと厳しく非難している。

アルムニア委員は、イタリア政府に対し、EUの規則では、政府が援助することは禁じられていることに注意を喚起している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リビアとの植民地時代の賠償、合意

Berlusconi_ghedaffi ベルルスコーニとリビアのカダフィ大佐の間で、植民地時代の賠償金に関する合意が成立した(8月31日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

イタリアは今後20年間に、50億ドルを植民地時代の賠償金として支払う。

イタリアは1911-12年にトルコと戦い、トリポリタニアとチレナイカを獲得。リビアでの支配は30年以上に及んだ。

1911年から、2万人以上のリビア人が殺され、4万人が収容所で死んだ。

1951年リビアは独立した。1969年にクーデターがあり、王政が終わり、カダフィ大佐の政権となった。それ以前の合意を無視して、カダフィ大佐はイタリア人を帰国させた。

1998年には、ローマで相互協定がかわされた。

また同時に、不法移民の取り締まりを厳しくし、イタリアがこれまで以上に石油を輸入することなどが合意された。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »