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2008年9月12日 (金)

源氏物語1000年を記念する出版と会議

Gengji 源氏物語が生誕1000年を記念して、ヴェネツィア大学カ・フォスカリで、東洋美術を教えるジャン・カルロ・カルツァが源氏物語に関する本を出版し、ヴェネツィアでは源氏物語をめぐる学術会議が2日間にわたって開かれる(9月10日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

源氏物語は、1008年にはすでに手写本が宮廷内で、回し読みされていたのである。

ジャン・カルロ・カルツァの本は Genji il principe splendente (源氏、光の君)(Electa, pp.80, 15ユーロ)というタイトルで、特にイタリア語の本としてははじめて源氏物語絵巻 (antico rotolo illustrato del romanzo) を紹介している。

源氏物語はホメロスのように長い物語だが、驚くべきことに、戦争もなければ、残酷な死に様や、神々が出てくることもなく、愛の物語である。

また、ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島では、《Genji, il principe splendente. Mille anni di eleganza in Giappone》(源氏、光の君。日本の千年の雅)と題する会議が10日、11日にわたって開かれる。報告者は、ドナルド・キーン、ジョン・カーペンタ、ジッロ・ドルフルス。

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コメント

 panterinoさま、

 興味深く拝見いたしました。じつは数年前『源氏ー桐壺』をイタリア語で読みました。
数人の熱心なかたたちとご一緒に。難解! 
 その時使ったテキストが、アーサー・ウェイリーの英訳からの伊訳版でした。ウェイリーの英訳はたいへんなものでした。批判も多かった。しかし翻訳をするわが身にとりまして、じつに同感する、と申しますか、分かります!と膝をたたくような訳業でした。拍手を送りたかった。もちろん、わたしならこう訳すけれどなあ、というところもたくさん、ありました。これはもちろんのことでしょう。
 サイデンステッカー氏訳は良いけれど面白くない(わたしは未読です)という批評も理解できました。
 ウェイリー訳経由でイタリア語で『源氏』にほんのちょっぴり触れた経験はかけがえのないものとなりました。
 変なこと書きましてご容赦くださいませ。
 このこと、また機会がありましたら、考えます。
 

投稿: giacomal | 2008年9月13日 (土) 08時54分

giacomal さん

大変興味深いお話ありがとうございます。

僕が知り得た情報では、現在、源氏物語に関して、英訳からの重訳ではなくて、日本語のオリジナルからのイタリア語訳が進行中とのことです。

アーサー・ウェイリーの源氏の翻訳については、少し前のレプッブリカにやはり源氏物語1000年を記念する記事が載っていました。そこでは、ヴァージニア・ウルフがウェイリーの翻訳についての書評を雑誌から以来されて読み、深い衝撃を受けた旨が書いてありました。その叙述、描写の繊細さにショックを受けたようです。

1000年も前に、西洋の小説も舌を巻く、繊細な心のひだ、人間関係の彩を描いているわけですからね。やはり、そこでも、怪物や戦争や殺戮が出てこないということが驚きを持って語られていました。

また、著者が女性であるということも(1000年も前ですから)驚きの種なんですね。ご存じのように、ヨーロッパの主要な古典はごく近代まではほとんどすべて男性によって書かれているのに対し、日本では、平安朝を考えれば、小説(物語)、随筆、詩(和歌)すべて女性が古典の位置をしめているわけです。

西洋の場合は、最近になって、フェミニズムの高まりとともに、この時代に女性でもこんな作家、詩人がいたと「発見」される場合もありますが、源氏の場合、武士の世の中になっても、一貫して大古典であったわけですから、そこがいっそう素晴らしいところだと考えます。

『源氏物語』はもっともっと西洋人に知られてよい日本の古典ですね。

投稿: panterino | 2008年9月13日 (土) 16時12分

私は源氏物語をまともに読んだ事はありません。高校時代に教科書にあったような記憶があるだけです。
しかし源氏物語は世界に誇れる古典文学作品だと思います。1000年前に素晴らしい文学作品を生み出せた日本人は素晴らしいですね。

古典だけでなく、イタリアでは日本のアニメが大変人気があります。会社の30歳くらいの同僚と話すと、子供時代は日本のアニメを見て育っています。私よりも日本のアニメを良く知っています。今でも沢山のTVプログラムがあり、日本のアニメの主人公が吹き替えでイタリア語を話しています。

アニメでは有りませんが、キティちゃんグッズも人気が有り、小さな子供がキティちゃんの絵が入った色々の物を持っています。

但し、これらのアニメ、キャクターを生み出した日本文化がどれだけイタリアで理解されているか疑問です。

投稿: andy | 2008年9月14日 (日) 05時57分

andy さん

僕も、源氏を読んだのは高校生、予備校生の時です。
しかし、不思議なことに、エッセーなどで、一節が引用されていると、以前より良く判る気がします。判るというのは、文法とか現代語訳ができるとかいう意味ではなくて、漠然となのですが、良さを感じられるということです。百人一首の和歌などもそうで、今、ふと読むと、いいなあ、と感じいってしまうのです。(高校などで習うときは、どうしても、試験とか、文法とか、いろいろ制約があるし、人生経験も乏しかったし、味わうというよりはお勉強になってしまいがちでした)。

日本のアニメ、キティちゃんのようなキャラクター(グッズ)、おっしゃるようにイタリアで人気がありますよね。テレビではすっかり定番になっていますね。

僕の見るところでは、非常に図式的に、極端な言い方をさせてもらうと、日本の文化は、かわいらしいもの、小さいものに創造性を発揮することが得意だと思います。一方、イタリアの場合、正攻法の堂々とした美を作るのが得意。

おそらく、かわいらしいもの、小さいものをめでるのは、平安朝(源氏や枕草子のころ)からずっとあったと思います。もちろん、源氏物語における美意識がそれだけというのではありませんが。

また、別の観点から言うと、僕らは桜の花が散るのを見て心が動かされる(これも平安朝からずっと変わっていない美意識)わけですが、はかないもの、季節の移り変わり、といったものに美を見いだしてきたと思います。かわいらしさとはかなさは、ある種の弱さ、脆弱性といった点で共通していますね。決してマッチョな美ではない。

一方、イタリア人は、変わらぬもの、永遠なもの(神とかイデアといった宗教・哲学的なものも含めてですが)への執着、こだわり、意識が大変高いと思います。これまた図式的な言い方を許してもらえれば、強さ・永続性を求める志向がありそうです。

以上は極論ですし、どちらが良いとか、価値があるという意味ではありません。むしろ、僕としては、その違いに心ひかれ、興味が尽きることがない、といった感じです。

日本アニメで育った世代は、もしかすると、それ以前の世代よりも、日本文化を一層深く、本格的に感じ取ることができるのかもしれませんね。
宮崎アニメなどの人気を見ても、その可能性を感じるし、期待したいところです。

投稿: panterino | 2008年9月14日 (日) 14時30分

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