パリオをめぐるエピソード(1):タルトゥーカ
パリオに関するエピソードをいくつか紹介する(ラ・ナツィオーネ、8月15日)。
長いパリオの歴史では、まれにではあるが、ゴールが接戦で、現在であれば写真判定が必要になる僅差のことがあった。
1713年8月のパリオでは、タルトゥーカ(亀)とオンダ(波)地区の馬が接戦を演じた。
このパリオは、この当時の習慣にしたがい前のパリオで勝ったコントラーダ(地区)が主催し、即ち、キオッチョラ(カタツムリ)地区が主催したパリオであった。また、現在とは異なり、14のコントラーダが参加していた。
最初にゴールに達したのはオンダの馬と騎手だったが、そこで止まってしまい、判定者のパルコ(Palco dei Giudici, 写真)までこなかった。一方、タルトゥーカの馬はオンダを抜き去った。
すぐに二つのコントラーダの間で、勝利をめぐって争いが起こった。問題を解決するのを待って、パリオ旗はどちらにもわたされず、プロヴェンツァーノ教会へ運ばれた。
子細が検討された結果、その時から、勝った馬は必ず、判定者のパルコの前を通過せねばならぬことが決定された。
この時は、パリオから約1ヶ月後、正確には、9月10日に、例外的に、パリオ旗は、賞金(当時の金で40ターレル)とともに、タルトゥーカとオンダで折半することになった。両コントラーダはそのパリオ旗を、サン・ジュゼッペ教会に寄付することとした。
その翌年1714年のパリオでは、7月2日のパリオではタルトゥーカが勝ち、8月16日のパリオではオンダが勝った。
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コメント
パリオたいへん興奮いたしました。なにも知らない自分を思いしらされました。興奮いたしました。
以前イギリスのビデオでcontrada〈Onda〉を取り上げていました。その後さっぱりオンダにお目にかからず、ここで久しぶりに再会いたしました。
イタリアにお住みでいらっしゃる(のでしょう、Siena に)素晴らしさがここにも現われていて羨ましさと感嘆を新たにいたしました。
パリオまた実際に観たいです。観かたが変わります。感謝。
投稿: figliagiglia | 2008年8月26日 (火) 11時25分
figliagilia さん
シエナのパリオには700年以上の歴史がありますし、コントラーダ(地区)の歴史まで含めると、シエナの歴史と切っても切れない関係にあります。
しかも、他の都市のパリオと異なり世界大戦の数年を除くと、まったく途絶えたことがないんですね。
シエナのパリオには、いくらでも、知るべきことがあり、エピソードも尽きることなくあります。見る楽しみ、歴史を知る楽しみ、両方があります。
シエナならパリオのシーズンにはテレビで Canale 3 が見られれば、過去の何十年分のパリオが見られます。
広場の真ん中は無料なのですが、頑健な体力がないと日射病になりかねません。
カンポ広場でご覧になるなら、チケットをお求めになるのがよいでしょう。バールその他の大きなテレビでみるのも一興です。そこにいるシエナ人に聞けば、馬や騎手、コントラーダ同士の関係について何らかの説明をしてくれるでしょう。
投稿: panterino | 2008年8月29日 (金) 05時56分