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2008年7月23日 (水)

ベジャールに捧げる夕べ:パガニーニ&ガランテ

                                               Galante_bolero Paganini01

《ベジャールに捧ぐ》(Omaggio a Be'jart) と題するバレエの夕べを観た。

これはキャンティ・フェスティヴァル2008 の中の一つの催しものである。

開催地はラッダ・イン・キャンティ(キャンティ地方は、フィレンツェとシエナの間にある丘がうねうねと続き、有名なワインの産出地)で、フェスティヴァルは、ラッダ・イン・キャンティ、ガイオーレ・イン・キャンティ、カステッリーナ・イン・キャンティ、カステルヌオーヴォ・ベラルデンガの4つのコムーネ(市町村)の共催である。今年で、10回目とのこと。

ラッファエーレ・パガニーニおよび彼の率いるバレエ団と、グラツィア・ガランテによるバレエの夕べであった。

グラツィア・ガランテ(写真上)、ローマのオペラ座バレエ学校にいるところをベジャールに見いだされ、20世紀バレエ団に入り、ジョルグ・ドンの相手役もつとめたバレリーナである。顔つきも、身体的表情も、独特で、異彩をはなっていた。

7つの演目があり、そのうち5つはパガニーニとそのバレエ団が、ルイジ・マルテッレッタの振り付けの演目(カルメン組曲、Crises,ジュリエッタとロメオ、南と呼ぼう、ボレロ)を踊り、ガランテはソロで、2つの演目 Light と Dionysos (どちらも振り付けはベジャール)を踊った。

そのうち、Light は圧巻で、前半はトーシューズをはいて、後半は裸足で踊る。その前に観ていたマルテッレッタの振り付けが決して悪いわけではなく、モダンで美しいのだが、ベジャールはまったく別世界である。

単に調和を求めるのでなく、身体の動きの流れを、中断したり、ずらしたりしていく。音楽に三和音の美だけでなく、バルトークやベルクの不協和音の美があるようにベジャールは、一見するとぎくしゃくとした不自然ともいえる意外性のある動き、異なったスピード、方向の動きの接続のなかに不思議な、独自の美を展開する。観客は、自ずと、身体とは、バレエとは、という思いに運ばれると同時に、眼の前に展開する予想不可能な身体性の開示に当惑する快感を感じる。

Lightに較べると、ディオニソス(振り付けベジャール)は比較的オーソドックスであった。

マルッテッレッタの振り付けは、群舞の扱いが面白かった。ダンサーは女性も、男性もレベルが高く、しかも音楽が、カルメンあり、ピアソラあり、ナポリの民謡ありで、変化にとみ、それに応じて服装もかえ、動きもシャープで、あっという間に時間は過ぎた。

ラッダ・イン・キャンティは、小さな集落で、周りはオリーヴ畑やブドウ畑が広がっている。そこの広場(Piazza Ferrucci)に臨時の舞台を設営しての公演である。9時半過ぎに開始であったが、夜になるとむしろ肌寒いくらいで、途中からみな長袖をはおっていた。澄み切った星空のもとで、このようなバレエを観るのは、このうえなく贅沢な経験であった。感謝。

ちなみに、本来は、有料でチケットを買うはずだったのだが、現地についてみると、チケットを買っている客と買っていない客を区別するのが困難なので、売るのはやめた、ということで、無料で観てしまいました。僕を車で乗せてきてくれたG氏夫妻は爆笑していましたが、当惑とともに感謝。

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