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2008年7月22日 (火)

ボッシ、国歌と南部出身の教師を侮辱

Goffredo_mameli Michele_novaro

北部同盟のリーダー、ウンベルト・ボッシは国歌と南部出身の教師を侮辱した。与党内部でも国民同盟は距離を置いている(7月21日、コッリエーレ・デッラ・セーラおよびレプッブリカ)。

ボッシは、パドヴァのLiga Venetaの大会で講演中、中指を立てて国歌(l’inno di Mameli)を侮辱し、「われわれがローマの奴隷などであるべきだはない。国歌は、イタリアはローマの奴隷だという。これでもくらえ。中道のごろつきに対して、俺たちは1500万人の男がいる」と言い放った。さらに、「教師の中には、シャシャやピランデッロの話ばかり聞かせたがる輩がいる」と南部出身の教師を侮辱した。

国歌の歌詞は次のようなものである。

Fratelli d’Italia
L’Italia s’e’ desta,
Dell’elmo di Scipio
S’e’ cinta la testa.
Dov’e’ la Vittoria?
Le porga la chioma,
Che’ schiava di Roma
Iddio la creo’.
Stringiamci a coorte
Siam pronti alla morte
Siam pronti alla morte…

(大意)
イタリアの同胞よ
イタリアは目覚めた、
スキピオのかぶとを
頭にかぶっている。

勝利の女神はどこだ?
髪をさしだせ
お前はローマの奴隷
神がそう作った。
歩兵隊に入ろう
死ぬ覚悟はできた
死ぬ覚悟はできた...

問題のフレーズは中ほどだが、これは古代ローマの服従の儀式に言及している。古代ローマでは、奴隷は髪を切ったのである。それと同様、勝利の女神も髪を差し出すべきだというのである。だから、ローマの奴隷なのは、イタリアではなくて、勝利の女神なのである。

上院議員のルイージ・グリッロは長年にわたって Inno di Mameli を国歌にする運動を展開している。あまり知られていないが、この歌詞と音楽は、いまだに「暫定的な」国歌なのである。言い換えれば、まだ法的に国歌ではなく、歴史や習慣上、それとして通用しているだけなのだ。グリッロは、正式に国歌としたいとして、2003年には法案を提出し、2005年にはチャンピ大統領から感謝状をもらった。今回もその任務にあたりたいとしている。

南部出身の教員に関しては、今や教員志望者は3人に2人が南部出身者である。

ウンベルト・ボッシは2007年には、国旗侮辱で1年4ヶ月の有罪を宣告され、その後、3000ユーロの罰金に入れ替わったが、恩赦のため1ユーロも払っていない。1997年には、「三色旗はケツを拭くために使う」(Il tricolore lo uso per pulirmi il culo)という暴言をはいたこともある。

’inno di Mameli は、作詞者ゴッフレード・マメリ(写真上)、作曲家ミケーレ・ノヴァーロ(写真下)によるもので、1847年に書かれた。マメリは、1827年ジェノヴァ生まれ、ローマ共和国を守る戦いで、22歳の若さで亡くなった。

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コメント

快哉を叫びました。心強く存じます。勝利の女神が髪を差し出すべきだ。ローマの奴隷はイタリアではなく、勝利の女神なのだ。という名訳のくだり、です。わたしもそう訳しました。ただひとり。そう訳さないと、意味が通じなかった。
 鼻たかだか、です。panterinoさんがそうおっしゃって下さるのでしたら、まちがいなし! 心強い、です。感謝いたします。これからもよろしくお導きくださいませ。感謝。

投稿: figliagiglia | 2008年7月22日 (火) 09時49分

figliagiglia さん

お褒めいただき恐縮です。

ボッシは Schivi di Roma? Toh, toh, toh...といって中指を上につきあげる仕草をして、国歌(l'inno di Mameli)を侮辱したのです。

このニュースは、テレビ、新聞で大きく取り上げられ(一面トップおよび詳細が他のページに)、レプッブリカ紙は、La strofa della polemica という囲み記事で、当ブログに載せた解釈(古代ローマの服従を示す儀式のこと)をのせ、さらに E' dunque la Vittoria, e non l'Italia, ad essere schiva di Roma (だから、ローマの奴隷なのは、勝利の女神であって、イタリアではない)とはっきり書いています。というわけで、この部分の解釈は全面的にレプッブリカ紙に負うています。

L'inno di Mameli は、言い回しが古風で、判りにくいのですが、ボッシは、おそらく記憶に基づいて勘違いをしたのか、あるいは知っていながら故意にねじまげて挑発的な引用をしたのだと思います。

投稿: panterino | 2008年7月22日 (火) 15時38分

北部同盟のことはイタリアへ移住する前から知っていました。
南イタリアへ移住し、「ローマ人の物語」を読むと南北イタリアはラテン人とガリア人の違いがあると実感します。
南は黒髪で背が低く、北は金髪碧眼で背が高いですね。南イタリアでも少し山の中に入ると背が高くなります。

北イタリアは今は先進工業地帯で誇りを持っているのでしょうね。
同僚などに聞くと、北イタリアで就職する時に南イタリア出身者は差別され就職が難しいとの事です。

南は貧しいが為組織暴力が蔓延るのでしょう。また日本に比べると社会格差が歴然としてあり、階層間の入れ替わりは少ないような気がします。


投稿: andy | 2008年7月23日 (水) 03時11分

andy さん

そうですね。
150年前まで別々の国だったわけですからね。
方言にしろ、メンタリティーにしろ、違いがあるのは事実ですね。

就職差別の話、善悪とは別に、貴重な生情報ありがとうございます。やはり、そうなんですね。差別のようにデリケートな事象は、新聞などでは語られない傾向がありますから、こういう生の情報は貴重です。

南が貧困ゆえに組織暴力の力が強いのは、おっしゃる通りだと思います。階層差、流動性の小ささについても、おっしゃる通りだと思います。

こういうと、南と北の断絶はもうどうしようもないのかと受け取られるかもしれませんが、ボッシ自身も変化しています。昔は何かというと、secessione と言いだし、北部を分離して、独立すると言っていましたが、今は、財務の連邦化を全面的に唱えているわけです。地元の税収は、地元で使わせろ、という話ですよね。

ベルルスコーニが司法改革ばかりに熱心なので、財務の連邦化の話を忘れるな、ということを主張するための強引な戦略なのかもしれません。

投稿: panterino | 2008年7月23日 (水) 08時16分

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