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2008年6月27日 (金)

ローマの文学祭

Vittorio_magrelli

ローマの文学祭でザンゾットやマグレッリの未刊行の詩が朗読された(6月19日、レプッブリカ)。

この文学祭はコムーネ(ローマ市)が主催で、マリア・イーダ・ガエタの企画によるもの。

朗読に参加するのは、ヴァレリオ・マグレッリ、パトリツィア・カヴァッリ、フランコ・ロイ、パトリツィア・ヴァルドゥーガ、アントネッラ・アネッダ、ヴァレンティーノ・ザイヒェン、ミーロ・デ・アンジェリス、シルヴィア・ブレである。

ヴィデオで、アンドレア・ザンゾットとアルダ・メリーニも参加する。朗読には、エンリーコ・ピエラヌンツィのライブのピアノ伴奏がつく。

アンドレア・ザンゾットの詩(無題)

Siccome un bel tacer non fu mai scritto
un bello scritto non fu mai tacere.
In ogni caso si forma un conflitto
al quale non si puo’ soprassedere.

Dell’ossimoro fatta la frittata
--tale fu la richiesta truffaldina--
si die’ inizio a una torbida abbuffata
Del pro e delcontro in allegro manfrina.

Si’ parola, si’lenzio: infine assenzio.

良い沈黙は、書かれたことがないように、
良い文章は、黙っていることでは決してなかった。
ともあれ、そこに留まることのできない
葛藤を作り出すのだ。

撞着語法でできたオムレツ
――それが詐欺的要求だった――

そしてごちゃごちゃと大量の
賛成、反対が、陽気なマンフリーナ・ダンスのなかで始まった。

そう言葉、沈黙、ついにはアブサン。

ヴァレリオ・マグレッリの詩
Thyssen:per i senza parola

Continuano ad ardere come
come le lampade ad olio
ad olio della Bibbia.

‘’Che devo fare?’’, chiedeva.

Ma cosa fare quando
quando si e’ ormai sgusciati
sgusciati via dal corpo?

Erano usciti per sempre dalla loro custodia.

Continueranno ad ardere

Ardere per noi, stoppini

Stoppini di carne votiva.

‘’Non lasciatemi solo’’, sconguirava.

Bruciavano al dio del lavoro
lavoro di lingue di fiamma

di fiamma, di forza-lavoro.

ティッセン:言葉なき者のために

燃え続け、
あたかもオイル・ランプのように
聖書の油(オイル)の。

「何をすべきなのか?」と聞いていた。

しかし何をするのだ、
すでに、身体から
滑り出してしまったら?

彼らは永遠にその保護下から出てしまった。

燃え続けるだろう
我々のために、芯が

誓願の肉の芯が。

「わたしを一人にしないで」と嘆願していた。

仕事の神に身を焼きつくす
火の舌の仕事
火の、力―仕事の。

(詩の技巧的解説は、姉妹ブログ『現代詩の部屋』をご覧ください)。

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コメント

 panterino さま、
 貴重なお知らせ嬉しくありがたく拝見しました。
 読みます!
 ヴァレリオ・マグレッリーお訳しになっていらしたのを拝見してとても惹かれました。
今回のも。御訳お任せいたします。よろしく。
 ザンゾットーわたしも試みます。
 良い詩、詩人たち。
 この魅惑の世界に足踏み込んで参りましょう。心して! 感謝して!

投稿: kudotomoko | 2008年6月28日 (土) 14時01分

kudotomoko さま

詩の魅惑の世界、なかなか日本語でお伝えすることは困難ですね。
僕は、こう考えています。
詩の翻訳は、ある意味では、不可能で、イタリア語ではご存じのようにtraduttore, traditore (翻訳者は裏切りもの)と言われています。
でも、このたった二つの単語を日本語に訳したとたん、traduttore と traditore の音の重なった地口、シャレは、訳から漏れているわけです。
であれば、一つの詩には複数の翻訳が必要なのではないでしょうか。現に、シェイクスピアやダンテには明治期以来多くの翻訳が出ており、それぞれに異なった光を放っています。
詩人の世界、作品に込められた意味、それをとりまくコンテクストが多様で複雑であればあるほど、複数の翻訳を必要としているように思えます。
無論、これは僕の個人的な、一つの考え方にすぎないのであって、詩の翻訳については、一人一人がそれぞれの考えを持っているのだと思います。

オーケストラではないですが、おのおのが異なった音色で、イタリア詩交響楽を奏でていく、そこに自分も参加して、気ままにフルートを吹いたり、チェロを弾いてみたりしよう(実際はどちらも演奏できませんが)と思っております。

投稿: panterino | 2008年6月28日 (土) 16時40分

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