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2008年6月 3日 (火)

『歴史はわれわれ自身だ』

La_storia_siamo_noi_02rd300300 イタリアの誕生から今日までを、小説のアンソロジーで綴った本がでた(6月1日、Il sole 24 ore)。

現代イタリアの誕生と発展を描いた場面は、イタリア小説にはめったに現れないと言われているが、マッティア・カッラテッロは、現代作家の14編の小説を集めて、La storia siamo noi (歴史は私たち自身だ)(Neri Pozza, 414ページ、17,5ユーロ)という本を編んだ。

それぞれの小説が、一つのテーマ、人物にあてられている。イタリア統一以降、現代までが、小説によって描かれていく仕組みだ。

ヴェルガは2編、フェデリコ・デ・ロベルトの『幻想』と『副王』、カルロ・エミリオ・ガッダの『ウーディネの城』他1編、ジュゼッペ・アントニオ・ボルジェーゼの『ルベ』、はたまた、ピランデッロの『老人と若者』、バッケッリ、パヴェーゼ、ヴィットリーニ、フェノーリオ、ベルト、バッサーニ、ヴォルポーニ、パリーゼ、カルヴィーノ、モランテ...と続く。

特徴は二つあって、ここに選ばれている作品の質は中の上であるということ。もう一つは歴史へのアプローチが作家によって様々だということ。

その中の二つは質とオリジナリティでぬきんでている。一つは、アントニオ・フランキーニの『Kabarid の最後の2人のイタリア人』。Kabaridというのは、カポレット(イタリアが第一次大戦で大敗を喫した戦場)のスラブ名である。

ここでは過去がイメージに、自然に、事物に結びつけられている。イゾンツォ川の白い河床、美と死という相反するもののシンボル、それは感情を動かし、歴史の自己認識の瞬間へと導く。こうして歴史は、第一次大戦の日常の目にみえる、手でさわれる事物へと結晶する。空になったモルヒネのアンプル、砲弾、外科用ピンセット、裂けたヘルメット。現実の歴史が、夢見られた歴史と融合する。語られた歴史が、叙情的な歴史となる。

同様に、感情を巻き込むのは、ジュゼッペ・ジェンナの「今日ー最後の者たち」である。ダンテの神曲の旅を思わせる、ミラノ中央駅の地下5階への恐怖の道行きである。「終末の時」にむかう、歴史ー反歴史の物語で、戦慄を禁じ得ないバロックな語りだ。

他に、アンドレア・カミッレーリの「分離主義者、アントニオ・カネパ」、インドロ・モンタネッリの語るニコラ・ラジョイア、レオナルド・コロンバーティの描くジャンニ・アニェッリがある。

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イゾンツォ川 イタリアに好奇心というサイトの中の 『歴史はわれわれ自身だ』でも本の中身の中で単語として出て来るように、イタリアという地の歴史には深くかかわっている川 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 延長 140 km 水源の標高 1,100 m 平均流量 -- m³/s 流域面積 3,400 km² 水源 トリグラウ山 河口 アドリア海 流域 イタリア、スロベニア イゾンツォ川(Isonzo)、スロベニア語ではソチャ川(Soča)はスロヴェニア西部... [続きを読む]

受信: 2008年11月10日 (月) 22時25分

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