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2008年6月28日 (土)

『イタリアを変えた演説』

Discorsi 『イタリアを変えた演説』(アントネッロ・カプルソ編、モンダドーリ)が出版された(6月26日)。

「自由な国家における自由な教会」、誰が言ったのでしょう?そう、その通り、カヴールだ、それは(ほとんど)みんな知っている。が、どんな機会にどんな脈絡でいったのかは、知っているだろうか?

我が国(イタリア)の行方を変えた演説について、本当に知っている人は少なく、そのテクストさえ見あたらなくなっているのだ。

「サレルノの転換」は、パルミーロ・トリアッティが1944年3月27日に、18年の亡命からイタリアに帰還して、イタリア共産党および「すべての反ファシスト政党」がバドリオ政権に加わることを認めたのである。

本書の編者アントネッロ・カプルソは苦笑する。「この演説はどこにでもあると思うでしょ。ところがどっこい、ないんですよ!インターネット上には二つの版があるけれど、間違っている。とうとう、トリアッティの権威ある賞賛者を発見したんです。オリヴィエーロ・ディリベルト...」カプルソは物書きで、ジャーナリストでもある。21の演説を、ガリバルディやカヴールからベルルスコーニやヴェルトローニに至るまで集めた。それぞれに序と年表がついている。

ヴィットリオ・エマヌエー2世、カヴール、カトリックが政治に帰ることを認めたドン・ストゥルツォの演説、ボルディガとイタリア共産党の誕生などがあるが、白眉はアルチデ・デ・ガスペリの1946年8月10日の演説。

パリ講和条約に敗戦国として乗り込んでいった。聴衆の冷たい視線の中で彼はこう始める、「この世界的な会議で話すとき、私は、皆さんの思いやりの気持ちを除いては、すべては私に敵対的なように思えます。なかんづく、元敵国の代表ということで、まるで被告人のようです...」。そして虚をつく。「しかし民主的な反ファシストとして話す責任と権利も感じるのです...」彼が静かに立ち去ると、アメリカの国務長官、ジェイムズ・バーンズが立ち上がり、彼に挨拶をした。カプルソは言う、これがイタリアを民主国に仲間入りさせた瞬間だった。

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コメント

 たいへん貴重な歴史に立ち会うことができました。興味深く拝見しました。
ガスペリの演説も貴重で、またトリアッティの演説も、ガスペリもトリアッティもはなしがまさに歴史的でした。勉強を誓います。

投稿: accatto_ma | 2008年6月29日 (日) 10時08分

accatto_maさん

そうですね。イタリア人ですら、何となく聞いたことはあるけれど、どういう状況で言われたか、あるいは前後関係はと言ったことはほとんどの人が知らないようなので、まして日本人ではごく一部の専門家以外は知らないはずですね。

こういう本が翻訳され、興味ある人がアクセスしやすくなるとよいな、と思います。

投稿: panterino | 2008年6月29日 (日) 19時04分

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