高速鉄道、合意
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6月30日、午前9時からシエナのカンポ広場で第二試走が行われた。
第二試走(seconda prova)では、カナペ(二本の太綱の間のスタートの場所、一頭ごとのゲートはない)に入る順は第一試走の正反対となる。
今回は、ヴァルディモントーネ(羊)の馬が元気が良く、騎手を振り落としてしまった(写真)。騎手無しの馬(cavallo scosso, scosso)は、資格としては、騎手のいる馬とまったく同じで一着でつけば一着である。ヴァルディモントーネの馬イオラオは一位で到着した。
騎手の落馬した馬が本番のパリオで優勝することもまれにある。パリオは鞍をつけぬ裸馬で競うので、騎手の落馬はしばしば見られる。
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シエナのカンポ広場で、29日午後7時すぎに、第一試走が行われた。
馬が各コントラーダ(地区)に引き渡されてから、7月2日夕方の本番のパリオまで、6度の試走(prova, 複数はprove)が実施される。
29日の夕方は、第一試走(prima prova) が行われ、レオコルノ(一角獣)が勝った。馬はイァーダ、騎手はスコンピリオ。
スタート(mossa) の時に、二本の太い綱(canape)の間に順番に馬が入っていくが、その順番は試走によって決まっていて、第一試走では、コントラーダが抽選でパリオに出走が決まった順となっている。
試走での順位は、一般的に言って、本番のパリオとは関係がなく、試走は、馬をカンポ広場という特殊なコース(サンマルティーノとカザートと呼ばれる二つのカーブが急角度なのである)に慣らすことが一つの大きな目的となっている。
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7月2日のパリオを走る馬が各コントラーダに抽選の結果、引き渡された(6月29日)。
6月29日の午後1時過ぎからカンポ広場で、出走が決定した10頭を抽選により、各コントラーダ(地区)に割り当てる儀式が執り行われた。
この抽選および馬の引き渡しを tratta もしくは assegnazione dei cavalli という。10人のカピターノによって出走が決定された10頭の馬には新たに1から10の番号がつけられる。
カンポ広場のパラッツォ・プブリコ前にしつらえられた演台の上に、市長および10人のカピターノ立ち会いのもと、番号が抽選で引かれ、次にコントラーダが抽選で引かれ、それを市長が読み上げていく。こうして10頭の馬が、次々に各コントラーダのバルバレスコ(barbaresco, 馬の世話係)またはその代理人に引き渡される。馬は各コントラーダの馬屋(stalla)へと、バルバレスコに引かれて行くが、コントラダイオーロ(コントラーダのメンバー)が大勢その後をパリオの歌を大声で歌いながらついていく。
各馬は、優勝歴や前評判があって、どのコントラーダも強い馬が欲しいのであるが、今回の抽選で、もっとも歓声が沸いたのは、セルヴァ(森、サイのマーク)とブルーコ(芋虫)であった。
騎手は、コントラーダとの契約なので、パリオ当日の朝まで、交代することも可能だが、馬の割り当ては絶対的なもので、病気であろうが、怪我であろうが、交代はできない。馬は、パリオにおいては神聖ともいうべき存在なのである。この4日間、バルバレスコは心血を注いで馬の世話をするのである。
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7月2日のパリオに出走する馬10頭が決定した(6月29日)。
29日の昼過ぎ、10人のカピターノ(各地区のパリオに関する最高責任者)の協議により、29日の午前中に実施されたバッテリア(グループに別れての試走)の結果を考慮して10頭が選ばれた。
10頭は以下の通り。数字は各馬にバッテリアの時点で割り当てられている番号。
1 CHOCI
3 IOLAO
6 INDIRA BELLA
7 IADA
11 GIOVE DEUS
16 ESTREMO ORIENTE
22 GIORDHAN
26 ELFO DI MONTALBO
31 GIA’ DEL MENHIR
32 GEZABELE
今回は5頭がデビュー馬(パリオを初めて走る)で5頭がベテラン(すでにパリオの経験がある)。経験があるのは1,16,22,26,32で1のCHOCI(コーチ)は、2006年7月のパリオで、パンテーラ(pantera)地区の馬として走り、優勝している。
馬は一回、一回のパリオごとに抽選が行われるシステムなので、前回、あるいは去年どこのコントラーダ(地区)で走ったということと、今回どこのコントラーダに割り当てられるかとは全く関係ない。
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6月29日午前9時から11時にかけて、シエナのカンポ広場で、33頭の馬によりバッテリエが実施された。
バッテリエは batterie di selezione といい、7月2日のパリオに出走する10頭を選ぶための選考会である。
今回のバッテリエに出走したのは33頭の馬で、昨日の試走の後、出走を認められた35頭のうち2頭が欠席して33頭の出走となった。
33頭は、6つのグループにわかれ、6頭または7頭で、カンポ広場を3周する。スタートは、本番のパリオと同じで、二本の太い綱が張られた間に、一頭ずつ馬が入っていき、最後の馬がはいった瞬間に、前の綱(写真)落とされ、馬が走りだす。
6つのグループが走るのを見ているのは、今回出走する10のコントラーダ(地区)のカピターノ(各地区のパリオに関する最高責任者)である。6つのグループが走ったあと、カピターノがもう一度走るのを見たいとしてした馬7頭が1つのグループを形成して走った。
バッテリエはトラッタ(tratta, 馬の抽選)の一部である。トラッタは4つの部分からなる。
1.馬のプレゼンテーション
2.バッテリエ
3.10人のカピターノの協議による10頭の馬の選出
4.抽選による馬の各コントラーダへの引き渡し
各コントラーダは、騎手は交渉によって自分たちで選ぶことが出来るが、馬に関しては、本日昼過ぎに行われる抽選によって、馬が引き渡される。トラッタという言葉自体はその抽選をさしているが、同時に、今日行われる複数の行事全体を指す言葉ともなっているのである。
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夜の試走(prove di notte, prova di notte)が28日の早朝実施された。
夜の試走というのは、もともとは、内密裏に行われていたもので、若い馬などが、カンポ広場という特殊なコースに慣れるために、密かに行われていた。
しかし、カンポ広場にはカフェやレストランもあり、事故が起こったこともあって、1990年代初頭から、公式行事として実施されるようになった。
今年は、獣医の検査previsita)をパスした馬の数が多かったため、4歳馬は除いて実施された。それでも参加頭数は60頭以上にのぼっている。
夜の試走という名は、早朝(夜中)の4時頃から開始されるからで、開始時はまだ暗いからである。
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モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行会長のジュゼッペ・ムッサーリは、シエナ司教区の会計係ジュゼッペ・アカンパ師の弁護士をつとめる(6月28日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
ジュゼッペ・アカンパ師(39歳)は、シエナ司教区の会計係であるが、放火や詐欺などで告発されている。
アカンパ師は、シエナの大司教アントニオ・ボンクリスティアーニの右腕で、それゆえに嫉妬をかったともささやかれている。
ボンクリスティアーニ大司教は、アカンパ師の弁護のため出廷した。
アカンパ師は、司祭になる前は会計士をしていた。容疑としては、疑わしい取引きの証拠を隠滅するために放火をし、その責任を文書管理責任者のナルディに押しつけようとしたこと。また、教会財産を安くヴェネトの実業家に払い下げ、その見返りにアウディA3を受け取ったという疑いである。
弁護人のムッサーリおよびデ・マルティーノは、偏見にもとづき事実が歪曲されている、としている。
アカンパ師は、自分に対する中傷が、一部は仲間の司祭からなされたことに深く傷ついたと述べている。
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『イタリアを変えた演説』(アントネッロ・カプルソ編、モンダドーリ)が出版された(6月26日)。
「自由な国家における自由な教会」、誰が言ったのでしょう?そう、その通り、カヴールだ、それは(ほとんど)みんな知っている。が、どんな機会にどんな脈絡でいったのかは、知っているだろうか?
我が国(イタリア)の行方を変えた演説について、本当に知っている人は少なく、そのテクストさえ見あたらなくなっているのだ。
「サレルノの転換」は、パルミーロ・トリアッティが1944年3月27日に、18年の亡命からイタリアに帰還して、イタリア共産党および「すべての反ファシスト政党」がバドリオ政権に加わることを認めたのである。
本書の編者アントネッロ・カプルソは苦笑する。「この演説はどこにでもあると思うでしょ。ところがどっこい、ないんですよ!インターネット上には二つの版があるけれど、間違っている。とうとう、トリアッティの権威ある賞賛者を発見したんです。オリヴィエーロ・ディリベルト...」カプルソは物書きで、ジャーナリストでもある。21の演説を、ガリバルディやカヴールからベルルスコーニやヴェルトローニに至るまで集めた。それぞれに序と年表がついている。
ヴィットリオ・エマヌエー2世、カヴール、カトリックが政治に帰ることを認めたドン・ストゥルツォの演説、ボルディガとイタリア共産党の誕生などがあるが、白眉はアルチデ・デ・ガスペリの1946年8月10日の演説。
パリ講和条約に敗戦国として乗り込んでいった。聴衆の冷たい視線の中で彼はこう始める、「この世界的な会議で話すとき、私は、皆さんの思いやりの気持ちを除いては、すべては私に敵対的なように思えます。なかんづく、元敵国の代表ということで、まるで被告人のようです...」。そして虚をつく。「しかし民主的な反ファシストとして話す責任と権利も感じるのです...」彼が静かに立ち去ると、アメリカの国務長官、ジェイムズ・バーンズが立ち上がり、彼に挨拶をした。カプルソは言う、これがイタリアを民主国に仲間入りさせた瞬間だった。
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ショスタコーヴィッチの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を観た(フィレンツェ5月祭、テアトロ・コムナーレ)。
楽曲が素晴らしい。退屈するところがまるでない。不気味なところ、爽快にオーケストラが鳴りまくるところ、暗澹たる雰囲気を醸し出す部分と変化にも富んでいる。音色、リズムはダイナミックに変化し、20世紀の楽曲にしては珍しく、耳に残るメロディーも複数ある。
この曲で、ショスタコーヴィチは、オーケストラにおいても、歌手においても低音を大活躍させている。バス歌手の使い方は、たとえばムソルグスキーの『ボリス・ゴドノフ』を想起させるし、オーケストラが皮肉たっぷりに音楽を奏でるところは、プロコフィエフを思い起こさせる。
しかし、低音部、チェロであれ、コントラバスであれ、また管楽器の低音部(チューバなど)であれ、休む間なく響いているのである。この響き方が独特で、たとえば、高音部が三和音あるいはそれに準ずる耳あたりのよい響きを奏でているときに、低音部はそれと調和しない(古典的な意味で)音を奏でる。そのため、その場面は、平和なり幸せなように見えて、底知れぬ不安が通奏低音として流れていることになる。
こうした音楽の構成の仕方は、実は、このオペラのストーリーにぴったりなのである。ちなみに、マクベス夫人とあるが、ストーリーは直接的にはシェイクスピアの『マクベス』とは関係ない。のちに、女性主人公の状況がマクベス夫人と類似してくるだけである。
主人公の女性カテリーナは、裕福な商人ジノーヴィの妻であるが、結婚生活に満足していない。ある事情でしばらく夫が留守をするのだが、そこへ新たな労働者セルゲイやってくる。セルゲイはカテリーナを誘惑し、二人は深い仲となる。しかし、夫の留守中のカテリーナの貞節を最初から疑っていた舅ボリスが疑惑をかぎつける。二人はボリスを殺してしまう。ボリスはバスで、ジノーヴィはテノール。ボリスや僧侶、警察の幹部といった権力を握っているものはバスなのだ。その後、ジノーヴィが帰ってきて、なぜボリスが死んだのかと妻カテリーナにつめよるが、カテリーナとセルゲイはジノーヴィを殺してしまう。
カテリーナとセルゲイは結婚式を挙げることになるが、ふとしたことから殺人がばれ、二人は逮捕される。逮捕されるとセルゲイは別の女にいれあげ、カテリーナがそれを知り、その女ともども湖に身を投げる。
暗い話であるが、カテリーナとセルゲイの愛、エロスの物語は、音楽によって濃厚に彩られ、演出のしがいのあるところだ。それと、家庭内の権力(ボリス)、宗教権力(教区付き司祭)、国家権力(警察)がどう絡みあうかも見せ所。
今回の演出では、愛やエロスの場面は、控えめな演出であった。音楽の表現力にゆだねたのかもしれない。
演奏は、チューバ類が8人、舞台に向かって右側のバルコニー席に居並んでいる。また、間奏曲になると、オーケストラ・ボックスがせりあがってきて、音響を炸裂させ、また、しずしずと降りて姿を消すといったことが数回繰り返された。これは、普通のステレオ装置では、なかなか味わえない醍醐味で、劇場ならではの驚きであった。
そもそもショスタコーヴィチの使用音域がとても低いので、通常の30cm程度のウーハーでは出し切れない低音がどんどんと押し寄せてくるのである。ショスタコーヴィチの巧みな点は、高音部同士で不協和音にしないので、金切り音的なけたたましさ、オーケストラが悲鳴をあげているような耳に痛い音はほぼ皆無なのである。しかしそれでいて、底知れぬ不安、倦怠、迫りくる権力といった要素は非常に良く表されている。
20世紀のオペラでこれほど、演劇的に面白く、音楽的に充実しているオペラは、ベルクの『ボツェック』くらいではないだろうか。
指揮ジェームス・コンロン。ボリスはVladimir Vaneev. ジノーヴィ Vsevolod Grivnov. カテリーナ Jeanne-Michele Chanrbonnet セルゲイ Sergej Kunaev 司祭 Julian Rodescu 警察署長 Vladimir Matorin
オーケストラの能力は、非常に高く、ショスタコーヴィチのスコアが活きた演奏であった。1994年と1998年にもフィレンツェ5月祭で上演していることもあって、すでに自分たちのレパートリーとして自在に弾きこなしているように見えた。
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ローマの文学祭でザンゾットやマグレッリの未刊行の詩が朗読された(6月19日、レプッブリカ)。
この文学祭はコムーネ(ローマ市)が主催で、マリア・イーダ・ガエタの企画によるもの。
朗読に参加するのは、ヴァレリオ・マグレッリ、パトリツィア・カヴァッリ、フランコ・ロイ、パトリツィア・ヴァルドゥーガ、アントネッラ・アネッダ、ヴァレンティーノ・ザイヒェン、ミーロ・デ・アンジェリス、シルヴィア・ブレである。
ヴィデオで、アンドレア・ザンゾットとアルダ・メリーニも参加する。朗読には、エンリーコ・ピエラヌンツィのライブのピアノ伴奏がつく。
アンドレア・ザンゾットの詩(無題)
Siccome un bel tacer non fu mai scritto
un bello scritto non fu mai tacere.
In ogni caso si forma un conflitto
al quale non si puo’ soprassedere.
Dell’ossimoro fatta la frittata
--tale fu la richiesta truffaldina--
si die’ inizio a una torbida abbuffata
Del pro e delcontro in allegro manfrina.
Si’ parola, si’lenzio: infine assenzio.
良い沈黙は、書かれたことがないように、
良い文章は、黙っていることでは決してなかった。
ともあれ、そこに留まることのできない
葛藤を作り出すのだ。
撞着語法でできたオムレツ
――それが詐欺的要求だった――
そしてごちゃごちゃと大量の
賛成、反対が、陽気なマンフリーナ・ダンスのなかで始まった。
そう言葉、沈黙、ついにはアブサン。
ヴァレリオ・マグレッリの詩
Thyssen:per i senza parola
Continuano ad ardere come
come le lampade ad olio
ad olio della Bibbia.
‘’Che devo fare?’’, chiedeva.
Ma cosa fare quando
quando si e’ ormai sgusciati
sgusciati via dal corpo?
Erano usciti per sempre dalla loro custodia.
Continueranno ad ardere
Ardere per noi, stoppini
Stoppini di carne votiva.
‘’Non lasciatemi solo’’, sconguirava.
Bruciavano al dio del lavoro
lavoro di lingue di fiamma
di fiamma, di forza-lavoro.
ティッセン:言葉なき者のために
燃え続け、
あたかもオイル・ランプのように
聖書の油(オイル)の。
「何をすべきなのか?」と聞いていた。
しかし何をするのだ、
すでに、身体から
滑り出してしまったら?
彼らは永遠にその保護下から出てしまった。
燃え続けるだろう
我々のために、芯が
誓願の肉の芯が。
「わたしを一人にしないで」と嘆願していた。
仕事の神に身を焼きつくす
火の舌の仕事
火の、力―仕事の。
(詩の技巧的解説は、姉妹ブログ『現代詩の部屋』をご覧ください)。
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2008年7月のパリオ(旗)が、26日パラッツォ・プッブリコの中庭でお披露目された(6月28日、コッリエーレ・ディ・シエナ)。
マドンナ(聖母マリア)の顔はきわめて現代風で議論が分かれている。
アイシャドウやほほ紅、口紅をつけているようにも見える聖母である。宗教性よりも、現代の女性、新たな1000年紀の女性という側面が強調されている。
その下の白い布は顔のない修道女。
他の動物・生物は、このパリオに出走するコントラーダ(地区)のシンボル・マークである。
このパリオの制作者はカミッラ・アダミ。夫のヴァレリオ・アダミも1980年代にパリオを描いている。
作者自身もこの聖母像は、現代の日々を戦う(シエナの)女性を描いたものであることを認めている。
またこの旗は、San Vincenzo de' Paoliの修道女たちに捧げられている。
また同時に、マスガラーノと呼ばれる皿状の賞もお披露目された。
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ロベルト・カルヴィの子息はオルランディ誘拐事件は、教皇庁を脅迫するためだったとする解釈を明らかにした(6月26日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
ロベルト・カルヴィは、サンタンブロージョ銀行の頭取で、ロンドンのブラック・フライアーズ橋で死体が発見されたが、それは1982年6月18日のことだった。
オルランディが誘拐されたのは、一年後の1983年6月22日のことである。
ロベルト・カルヴィの息子カルロは、オルランディの誘拐は、いくつかのデリケートな問題、金融問題などに対してヴァティカンに沈黙を強いるための手段だったとの解釈を明らかにした。
この件に関してはもう一つの説が出ている。エマヌエーラ・オルランディが住んでいた同じ建物に、彼女とよく似た少女がおりその少女と間違えて誘拐されたというのだ。
その少女はラッファエッラ・グーゲル(グージェル?)で、彼女の父はアンジェロ・グーゲルといい、ジョヴァンニ・パオロ2世に仕えており、その前には、マルチンクス大司教の協力者だった。マルチンクス大司教はヴァティカンの銀行IORの元総裁である。グーゲルはベネデット16世のそばに仕えていたこともある。
というわけで、グーゲルの娘が狙われたのだが、同じ建物に住んでいて、よく似た少女が間違って誘拐されてしまった可能性もあるというわけである。
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俳優ヴィットリオ・ガスマンの詩が紹介されている(6月22日、レプッブリカ)。
ガスマンは若い時にも詩集Tre tempi di poesia (1946)を出している。
今回は、夫人ディレッタ・ダンドレアが秘蔵していた彼のメモ、詩などの一部がレプッブリカで紹介されている。
以下にあげるのは彼がメモ帳(ノート?)に書いた「神へ」と題する詩である。
a Dio
Sempre Te chiamo quando tocco il fondo,
So il numero a memoria e ti disturbo
come un maniaco abbarbicato al telefono;
lascio un messaggio se sei fuori. Perdona
Perdonami di tutto. So che a volte
cancelli a qualche fortunato il debito
che tutti conte abbiamo. La bolletta
falla pagare a me, ma dimmi almeno
che non farai tagliare la mia linea:
ti prego, quando echeggera' quell'ultimo
e dolorante squillo, Dio-per Dio!--
non staccare:rispondimi!
神へ
いつも、心の底に触れるとあんたに電話をする
番号は暗記していて、マニアックに
電話に根が生えたようにあんたの邪魔をする
留守の時にはメッセージを残す。許して。
許してくれ、すべてを。時には
あんたが、幸運な者の借財を
われわれすべてが負っている借財を無しにしてくれると知っている。
電話の料金は俺に払わせてくれ。でもせめて、
俺との線は切らないと言ってくれ。
お願いだ。最後の痛ましいベルの音が
鳴り響く時、神よーーお願いだよ!ーー
切らないでくれ、応えてくれ!
(tocco il fondo は何かの極みに達することであるが、ここでは直訳してみた。per Dio! も、ちくしょう、などという時に使うが、これは神に直接訴えかけているので、上記のように訳したが、ニュアンス的にはののしる気持ちがあるだろう)
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ヴァティカンは、サブリーナ・ミナルディの証言を否定した(6月25日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
ヴァティカンは記者会見を開き、サッカー選手ジョルダーノの元妻、ローマのマフィアの大ボス、レナティーノの愛人であったサブリーナ・ミナルディの証言を否定した。
マルチンクス大司教はすでに故人であり、反論が出来ない。その人に対する名誉毀損であり、根拠のない話だとしている。
アンドレオッティ元首相は、マルチンクスと犯罪組織バンダ・デッラ・マリアーナとオルランディ事件の関係は、まるで小説まがいで信じられないという。アンドレオッティは、「私はマルチンクスをよく知っている。彼がアメリカに帰ってからも、連絡をとりあっていた。最高の司祭として記憶している」と語った。
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カルチョ・ストリコは1500年代から続く、古式ゆかしきサッカーである。
試合の前には、ルネサンス風の衣装をまとった時代行列が市街を練り歩く。その総勢は500人以上。
役柄によって馬に乗ったり、兜をかぶったり、槍を持つものもいる。
サッカーの試合は、サンタ・クローチェ教会の前の広場で繰り広げられる。入場料は19ユーロであった。
フィレンツェ市内に4つの地区があり、この日は決勝。ロッソ(赤)対アズッリ(青)の戦い。試合はまさに戦いで、いたる所で殴り合い、とっくみあいが繰り広げられ、それに気をとられていると、ボールの行方を見失う。
試合は9、5対4で赤の勝ち。0,5というのはシュートに失敗すると、敵方に0,5点が入るのである。
最後は、赤の選手と青の選手が健闘をたたえ合い終わった。
非常に激しいスポーツなので万人向きではないかもしれないが、ルネサンスのイタリアは美術だけではなく、激しい権力闘争や戦闘もしばしばあったことを想起させられた。
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メリディアーニからシチリア派詩人の全集が3巻本で刊行された(6月24日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
シチリア派が最初のイタリア詩の流派であることは、すでにダンテが認めている。
しかしこれまでは、彼らの作品を読むにはジャンフランコ・コンティーニが編纂した Poeti del Duecento(1960)にあたらねばならなかった。
この度、モンダドーリ社のメリディアーニのシリーズで3巻本のI poeti della Scuola siciliana が刊行された。3600ページを越えるものである。
それぞれの巻は、ロベルト・アントネッリ、コスタンツォ・ディ・ジローラモ、ロザリオ・コルッチャによる序文がついている。第一巻はジャーコモ・ダ・レンティーニで編者がすべて責任をもつもので、2巻「フェデリコ2世の宮廷の詩人」、3巻「シチリアートスカーナの詩人」は共同編集。
シチリア派の前には12世紀はじめにプロヴァンスで宮廷風恋愛や吟遊詩人という現象があらわれた。吟遊詩人の詩は、各国で模倣された。
シチリアのフェデリーコ2世の宮廷でも同様であった。フェデリーコは彼自身も詩人で5篇が伝えられているが、役人に詩作を奨励した。ジャーコモ・ダ・レンティーニも公証人である。この話は1230年頃のことで、1250年にフェデリーコは世を去る。
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1983年に教皇庁職員の娘が誘拐された事件に関し、新たな証言が出て、マルチンクス大司教の関与が疑われている(6月24日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
この事件は、エマヌエーラ・オルランディという当時15歳の少女が誘拐された事件。彼女は教皇庁の職員の娘であった。その犯罪には、アメリカ人の大司教ポール・マルチンクスの影が差している。
マルチンクス大司教は、2006年に死去しているが、長年ヴァティカンの金融機関IORの最高責任者であった。IORは、アンブロジャーノ銀行の破産に関与している。
今回新たな証言をしたのは、ブルーノ・ジョルダーノの元妻で、その後、ローマの犯罪組織バンダ・デッラ・マリアーナの大ボスの愛人となったサブリーナ・ミナルディである。
彼女によれば、オルランディの誘拐を命じたのはマルチンクスであるという。
ブルーノ・ジョルダーノはラツィオやナポリでアタッカンテとして活躍したサッカー選手。彼と今回の証言者であるサブリーナ・ミナルディは1979年に結婚したが、やがてサブリーナは、ローマの犯罪組織の大ボスエンリーコ・デ・ペディス(レナティーノ)と親しくなり、結婚は破綻する。
ヨハネ・パオロ2世は長年、マルチンクスを庇護していた。マルチンクスには多くの謎や疑惑がつきまとっていたのである。1989年に、ヨハネ・パオロ2世は、マルチンクスをアリゾナの砂漠の町、サン・シティーに送り出す。マルチンクスは、すべての人にとって「神の銀行家」であった。彼は1971年から1989年までIOR(l'Istituto per le opere di religione, ヴァティカンの金融組織)を絶対的に支配していた。アンブロジャーノ銀行の破綻のあとも支配を続けており、イタリアの司法当局は彼の逮捕を請求したが、拒絶された。
新証言者の愛人であった大ボスレナティーノは、ヴァティカンと気脈を通じており、マルチンクスはそれを利用して、オルランディを誘拐したというのが、証言者の言うところである。
ロベルト・カルヴィ(アンブロジャーノ銀行の頭取で、ロンドンで首吊り状態で発見されたが、他殺の可能性が高いとされている)事件の予審を担当したオテッロ・ルパッキーニ判事によれば、枠組みは次のようなものであろうとのこと。マフィアがロベルト・カルヴィの無謀な作戦に投資をした。カルヴィはロンドンで1982年に死んだ。金は請求できなくなってしまった。そこで、犯罪組織の側は、ヴァティカンの職員の娘を誘拐したか、その事件を演出することにしたと考えられる。
ヴァティカンは、マルチンクスが指揮するIORを通じて、多額の資金をアンブロジャーノ銀行に投資していた。この誘拐は、マフィアの側の、金を脅し取る作戦だったのかもしれない。
大ボスのレナティーノは死後、サンタポリナーレというバジリカに埋葬されている件については、ルパッキーニ判事は、この埋葬は象徴的なものだという。教会の人間と悪の道の人間の間で、協定(手打ち)がなされたということと考えられる。
ルパッキーニ判事は、オルランディ誘拐事件はマフィアの側が投資資金を回収するために仕掛けたものであり、マルチンクスが仕掛け人という考え方には懐疑的である。
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ベネデット16世は、聖体を拝受できるのは、「罪」に汚れてない「純粋」(puri)な人のみである、との見解を明らかにした(6月23日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
これは、先週土曜日にベルルスコーニ首相が、ポルトロトンドで司教に「離婚者も聖体が受けられるように全力をつくしてください」と依頼したのに対する間接的な返事である。
この方針は、ここ数代の教皇によって確認されているが、また同時に、いくつかの国では、多くの司祭が、「司祭の寛容」(tolleranza pastorale)を示してきたこともまた事実である。
たとえば、フランスでは、離婚者同士が再婚する場合、祝福を求められると司祭は、信仰の堅いことを確認したうえで、地味な形で教区教会で祝福を与え、聖体もさずけている。
ベネデット16世によれば、「罪、とくに重大な罪は、聖体の恩寵に反する」
UDCのリーダーで離婚し、再婚しているピエル・フェルディナンド・カジーニは、こういったことを決めるのは教皇であって、ベルルスコーニではない、としている。
離婚し再婚したものに関しては、枢機卿時代のラッツィンガー(現教皇)が明確な方針を示している。「イエス・キリストに忠実な」教会は、「前の結婚が有効なものであったならば、あらたなカップルを有効と認めることは出来ないことを確認する。離婚者が、民事婚で結婚したとしても、それは客観的に神の法に反する状況にあるのであって、それゆえ、聖体の拝領(Comunione eucaristica)にあずかることはできない」。つまり、前の結婚の無効が確認されなければ、駄目なのである。ただし、これは懲罰的あるいは差別的な性質のものでなない。なぜなら、彼ら(再婚者)は、教会から「まったく排除されていない」からである。
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政府の訴訟中断措置(provvedimento)は違憲のおそれがあるとの見解をCSMが示した(6月22日、レプッブリカ)。
Csmとは Il Consiglio Superiore della Magistratura(司法官最高委員会)の略で、27名の構成員からなる。
そのうち3名は、職責上の委員で、共和国大統領と破毀院長官(Il Primo Presidente della Corte di Cassazione), 検察庁長官(Il Procratore generale della Corte di Cassazione)である。
残りの24人は選出されるのだが、8人は国会議員から任命される。残りの16人は司法官から選ばれる。
Csmの議長は、共和国大統領であるが、大統領が欠席の場合は、国会議員のメンバーから選ばれた副議長が議長をつとめる。
Csmの役割は、司法官の自治機関で、任用、配属、異動、昇進、司法官の懲戒措置をなす。
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モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(以下、Mps)は、新たな海外戦略をサンタンデル銀行と協力して進めていくことを発表した(6月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
Mpsの会長ジュゼッペ・ムッサーリは、Mps Capital Services Banca の誕生を発表した。これはMpsのなかの企業への活動とMps Finance が合併してできたもの。この新たな組織を率いるのは、アルディギエーロ・フィーニで、彼はムッサーリとともに新組織の戦略と目標を語った。
新組織、Mps Capital Services Banca、の本部はローマに置かれる予定。そしてローマに新たな市場を開拓することを目標としている。
またサンタンデル銀行(スペインの銀行)と協力して、中小企業に対し、質の高いサービスを提供していくとしている。この協力関係により、Mpsの顧客は、サンタンデルのネットワークにより海外での活動をサポートされ、サンタンデルの側は、イタリアへの投資をサポートされることになる。それ以上の包括的な協力関係を締結することも排除はされていない。
またMpsは自らのAsset Management Sgrの66%をシェアーするパートナーを2つ捜している。一つは企業で、一つは金融関係である。
お断り
都合により、22日から25日まで更新が不可能または不規則になります。ご了承ください。
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マトゥリタ(高校卒業試験)で、詩人モンターレの詩が出題されたが、出題文の詩の解釈が間違っていた(6月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
この詩は、モンターレがロシアのバレエダンサーの美に打たれて詠んだものなのだが、出題文中では、それを女性として捉えているのである。
この詩は Ossi di seppia (烏賊の骨)の中の一篇で、次の通り:
Ripenso il tuo sorriso, ed e' per me un'acqua limpida
scorta per avventura tra le petraie d'un greto
esiguio specchio in cui guardi un'ellera i suoi corimbi;
e su tutto l'abbraccio d'un bianco cielo quieto.
Codesto e' il mio ricordo; non saprei dire, o lontano,
se dal tuo volto s'esprime libera un'anima ingenua,
o vero tu sei dei raminghi che il male del mondo estenua
e recano il loro soffrire con se' come un talismano.
Ma questo posso dirti, che la tua pensata effigie
sommerge i crucci estrosi in un'ondata di calma,
e che il tuo aspetto s'insinua nella mia memoria grigia
schietto come la cima d'una giovinetta palma...
これで全部、12行の詩である。無題。
君の微笑みを想うと、澄んだ水のよう
たまさか、河床の石切場がかいま見え、
小さな鏡で、西洋木蔦とその花房が見える、
静かな白い空をそっくりと抱えた花房。
それが僕の思い出だ。ああ遠くの人よ、
君の顔から、自由で純粋な魂が現れ出るのだろうか、
君は、この世の悪が憔悴させる流浪の人、
その苦しみを、お守りとして持ち運ぶのか。
が、これだけは言える。君の思いにふけった姿は、
気まぐれな慷慨を、静かな波間に沈め、
君の姿は、僕の灰色の記憶にそっと入り込む
若い棕櫚の花房のようにすっきりした姿。
これに a K.と言う献辞があるのだが、このKはBoris Knisaseffというロシアの男性のバレエダンサーだったのである。
出題文では、「第一連で詩人は、一連の象徴的イメージの中に、一方では、その現実の姿を、もう一方で、女性像(figura femminile)の救済的役割および心慰められる面を描いている。(中略)女性の思いでは、その顔と微笑みの中に濃縮されている…」とあって、この詩で描かれているのが、女性であることを前提としているのである。
モンターレの晩年の伴侶で、詩人のマリア・ルイーザ・スペッツァーニ(84歳、モンターレは彼女を Volpe と呼んでいた)は、この詩がロシアのバレエ・ダンサーを詠んだものであることを証言し、しかしホモセクシュアルな性質のものではないと確言した。
彼女とモンターレは13年をともにした。スペッツァーニは言う、「彼を知ったのは、1949年1月14日、トリノのカリニャーノ劇場でのこと。彼は会議をしていて、わたしはいやいやながら行ったの。彼を知りたくなかったの、彼について、嫌な話を聞いていたの、女嫌いで、がめつくて、悪い人だって。私は、『烏賊の骨』が大好きで、全部暗唱していて、幻滅したくなかったのよ」
知り合って、ある時点で、モンターレは彼女との結婚を決意する。しかし幻滅させたのは彼女の方だった。彼女とモンターレの「大いなる友情」(grande sodalizio)をそっと見守ってきた婚約者と結婚したのである。
しかし結婚しても、モンターレのところに通うことは続き、モンターレは彼女を Volpe (キツネ)と呼んで、彼女に一つならず詩を献呈した。「私のために、たくさんの素晴らしい詩を書いてくれたわ。それが詩集Bufera e altro(嵐その他)の一部になってます。そして‘Da un lago svizzero'(スイスのある湖で)は、アクロスティックで、私の名前が各行に配置されているのよ」
また、近々、モンダドーリ社からモンターレが13年間に、彼女に宛てた360通の手紙が刊行されるとのことである。
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臓器提供者の数が減少した(6月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
ここ何年かは順調に提供者が増えていたのだが、2007年は減少に転じた。
減少数自体はたいしたことはないのだが、Aido(associazione italiana dei donatori di organi、イタリア臓器提供者協会)にとっては警戒すべき事態である。
移植を待っている患者の数は9500を越えた。
臓器別に見ると次のようになっている。
待機患者 平均の待機年数 死亡率
腎臓 6805 3,03年 1,30%
肝臓 1479 1,84 7,49%
心臓 829 2,50 5,35%
膵臓 258 2,82 1,75%
肺 318 2,21 13,65%
2007年に実施された移植事例は次の通り
腎臓 1573
肝臓 1033
心臓 308
肺 112
膵臓 76
腸 2
その他に組織の移植も行われている。
角膜(cornea) 4196
皮膚(cute) 1458
骨 (ossa) 4959
導管(vasi)
弁膜(valvole)
膜(membrane)
羊膜(amniotiche)
2007年に実施された移植は3022例なので、待機患者の約3人に1人が手術をうけたことになる。
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ジェノヴァで第14回国際・詩のフェスティヴァルが開催されているが、6月16日にはジョイスの『ユリシーズ』の一風変わった朗読会があった(14 Festival Internazionale di Poesia, 6月12日ー21日、ジェノヴァ)。
『ユリシーズ』は、詩ではなくて、ジェイムス・ジョイスというアイルランドの小説家が1922年に発表した長編小説で、20世紀の最も有名な小説の一つである。
この小説の一大特徴は、1904年6月16日から翌日にかけてのたった1日のダブリンでの出来事を数百ページにわたって書いているということだ。
小説は18章にわかれている。これを18の時間、18の場所(厳密には、同じ場所を2回使っていることがあるので16カ所)で、朗読したのである。18の時間というのは、1章は朝の9時開始、2章は10時開始という具合なのだが、この小説主人公がスティーヴン・ディーダラスとレオポルド・ブルームと2人いて(レオポルドの妻モリーも重要な登場人物)、9時、10時、11時は2カ所で、スティーヴンの部分と、ブルームの部分が、同時並行で朗読されている。ただし、使用されているのはイタリア語の翻訳。朗読者が、例外的に英語圏出身の場合は、英語版に切り替わっていた。
各章の朗読は1時間以内に終わるとは限らないので、全部の朗読を聞くことは理論的に不可能なのだが、自分の好きなところを聞けばよいのである。
場所も、小説の内容と照応したところが選ばれていて、食事の場面はレストランで朗読、ブルームが新聞社にいくところは書店での朗読という具合になっている。もちろん、ジェノヴァはダブリンではないし、観客の移動の都合も考え、徒歩で移動できる範囲内に場所はちりばめられている。
最終章モリーの独白(就寝前の自由な、時にエロティックな、意識の流れを描いたもので、句読点が無い)は、5人の女性が交代で読んだ。5人それぞれのモリー像が現出するわけで、演劇の舞台ほどではないにせよ、しかし生々しく人物像がこちらに迫ってくる。
ブルームのもつ飄々としたユーモアなども朗読者によっては、如実に感じられ、こういった試みの有効性を強く感じた。
朗読者は、たとえば、大学の時に演劇クラブにいて、その後、ジャーナリストになり、今は年金生活者(彼のブルームは秀逸であった)、詩人、現役の学生と、年齢、性別、職種さまざまである。
最終章の朗読が終わったのは、午前1時半であった。
このマラソン朗読会を企画したのは、ジェノヴァ大学教授のマッシモ・バチガルーポ(Massimo Bacigalupo)である。
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マフィアとフリーメーソンのメンバーが結託して、裁判を遅らせる工作をしていたとして8人が逮捕された(6月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
逮捕されたのは、実業家のミケーレ・アッコマンド(フリーメーソン、massone), カニカッティ市の元評議会議員(ex assessore)カロジェロ・リカータ、仲介役をつとめたとされるロドルフォ・グランチーニなどである。
容疑はシチリアのトラーパニのボスが刑務所に行かなくてすむように、裁判を遅らせるよう工作したというもの。
取り調べを受けた人物のなかには、《Serenissima Gran Loggia》のGran maestroであるステーファノ・デ・カロリスも含まれていた。
収監を逃れようとしたのは、ジャンバッティスタ・アガーテ。時効を目標とした工作であった。
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第14回国際・詩のフェスティヴァルのもう一つの催しを紹介する(Festival Internazionale di Poesia, 6月12-21日、ジェノヴァ)。
Il Dolce Stile Eternoと題された催しで、これは12世紀のダンテらのDolce Stil Novoをもじったものである。
Accademia Vittorio Alfireri di Firenze というグループに所属する詩人が自作、仲間の作品を朗読した。
このグループのリーダーはDalmazio Masini氏で、彼は1995年にロンド(Rondo)という形式を発案しており、今回は、ロンド形式で書かれた詩を各詩人が朗読した。
ロンドは最初の連で用いられた韻が、最後の連で戻ってきて、円環、輪をなすというのが約束事である。
一連は4行で、abab, bcbc, cdcd, dada のようになる。しかし、4連でなくてもよく、8連でも、10連でも、何連でもよい。
朗読が行われたのは、ピアッツァ・デッレ・エルベという港に近い場所で、そこのCaffe Letterario delle Erbeという喫茶店が会場になっているが、実際は、広場にパラソルと椅子が並べられ、戸外で実施された。
朗読の後半でハプニングが生じた。ある女性詩人のバッグが盗まれたのである。雨がふってきて、ある男性が雨をさけるかのようにパラソルの内にはいってきた。皆が朗読に集中しているすきに、男はバッグを持って立ち去った。女性詩人は気がつくと叫び声をあげ、朗読会は中断され、警察が呼ばれた。参加者からは、これが今日のジェノヴァの現実だ、という声が聞かれた。
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イタリアはヨーロッパでも有数のフェスティヴァル大国で年間1200のフェスティヴァルがある(6月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
参加者のもっとも平均的な像は、35歳から54歳の女性で、大卒もしくは高卒、好奇心にみち、読書や展覧会を愛好する。しかし、一人では行かずに、婚約者、夫、友人と一緒に行く。
1200のフェスティヴァルのうち200は文学関係。美術の展覧会は年間1600にのぼる。
フェスティヴァルの平均的な予算は45万ユーロ。入場料収入は11%にすぎず、大半を地方自治体や銀行の基金が提供している。
参加者は900万人におよぶ。男性41%、女性59%。
入場料は無料11%、2-7ユーロが平均的。平均期間は6日間。存続年数の平均は5年。オーガナイズに要するのは10ヶ月。
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ジェノヴァで、第14回の国際・詩のフェスティヴァル(Festival Internazionale di Poesia)が開かれている(6月12―21日、ジェノヴァ)。
主催者代表(direttore)のクラウディオ・ポッツァーニによると、14回の間に、700人以上の芸術家が61カ国から参加しており、イタリアでの詩の催しものとしては最大のものである。
多くの興味深いイヴェントがあるのだが、6月15日の催しを一つ紹介する。Percorso Poetico (詩をめぐる行程)というイヴェントで、モンターレとサンタ・ブリジダの間という副題がついている。
ジェノヴァの中央駅(ピアッツァ・プリンチペ駅)前の広場から出発して、徒歩で、そしてエスカレータに乗って、モンターレの生家を訪ね、ジェノヴァの路地をめぐり、街角で立ち止まって、ガイドのアルベルト・ノチェリーノ(Alberto Nocerino)氏がその場所にゆかりのある詩や時代背景をモンターレを中心に紹介し、TeatrOvunqueの俳優アントニオ・カルレッティ(Antonio Carletti)氏が詩を朗読する。
最後は、Via di Pre’という通りのカスバ(Casba)書店にたどりつく。ここは、決して大きくはないのだが、店主の哲学を反映し、詩や文学の本がとても充実している。また、場所もなかなかのもので、この通りで初めての書店という説明を聞いたが、ここは港に近く、カスバの名も大げさではないところで、通りを歩いているのは、そして通りの店員も、客も、イタリア人より外人の方が多い地区なのである。黒人も中国人も、南米系の人種もさまざまに入り乱れている。そこで、文学書に傾斜した本屋を開くというのも勇気のあることだが、1年前に開いたのだという。店には、これまでに、この書店が開催した詩や文学書の催しのポスターが飾ってあった。とても意欲的な書店なのである。
ガイド役のアルベルト・ノチェリーノ氏の解説は大変充実したものであったが、彼自身が詩人なのである。
この催し、参加は無料である。
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シチリアのカターニャ県のミネオで、浄水器の作業中に、6人が死亡する事故があった(6月12日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
水槽で作業中の2人が倒れ、それを助けようとかけつけた4人も同じく倒れてしまったもよう。6人はたがいに抱き合って倒れていた。
一年間の労働災害は100万件。2007年の犠牲者は1260人。労働災害のコストは、455億ユーロで、PIL(prodotto interno lordo,国内総生産)の3,2%に相当する。
他のヨーロッパ諸国と比較すると、10万人あたりの死亡者は次の通り。
イタリア 2,5
フィンランド 2,4
ドイツ 2,2
アイルランド 2,2
オランダ 1,8
イギリス 1,4
デンマーク 1,1
スウェーデン 1,0
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イタリアの主婦は仕事を求めている(6月11日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
EUでは、2000年、リスボンで女性の就業率を2010年に60%を目標としてさだめた。イタリアでは2006年現在46,3%。EU平均は54,7%である。イタリアより少ないのはマルタ(34,9%)のみ。
FedercasalingheがEurispesに委嘱した調査によると、主婦であることにより女性として自己実現できたとは考えない人は72,4%にのぼる。その一方で、35歳から44歳の女性の50%は、主婦であることは一種の「特権」と考えている。子供により多くの注意が払えるからである。
Federcasalingheでは、すくなくとも150万人の35歳以上の女性が、ベビーシッターやお手伝い・介護(badante)や他の「お世話する」仕事につく用意があると推定している。一方、自分で起業しようという女性は、約50万人。
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映画監督ディーノ・リージが亡くなった。91歳だった(6月8日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
リージは毒舌家としてもしれれ、最後のジョーク(battuta)は、アントニオーニとバーグマンが亡くなったとき、「ああ今日死ななくてよかった。(今日死んでたら)死亡記事2行で片付けられるところだよ」。
リージは喜劇監督として知られる。Poveri ma belli(貧しくも美しく), Il vedovo(やもめ), Il sorpasso(追い越し)、I mostri (怪物)、Una vita difficile (むずかしい人生)、Profumo di donna(女の香水)...
アリダ・ヴァッリやアニタ・エクバーグとのラブ・ストーリーもある。
父はスカラ座の医者で、幼いときから、楽屋にも連れて行ってもらったのだという。
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ヴィテルボで、交通事故のため半身不随となった若者が宗教婚を拒絶された(6月8日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
拒絶したのは、ヴィテルボのロレンツォ・キアリネッリ司教。この選択は、「注意を払い、愛」をもってなされた決断であるという。
若者は25歳で、5月初旬に交通事故にあった。宗教婚(教会での結婚)が拒まれた理由は、彼が、子供を作れる状態でないことにあるらしい。
二人は、7日、世俗婚で結婚した。
歴史的には、グレゴリオ・マーニョ(教皇グレゴリウス1世590-604)は、肉体は、魂(essenza)を包むいまわしい袋(involucro)で、「健全な魂が、病んだ住まいに宿ることはない」という考えを持っていた。
またレオーネ10世(レオ10世、1513-1521)は、《Taxa camarae》で、障害者は、58リッブラを払えば、贖宥(indulgenza)が得られる、としたのは、ルター派が攻撃のために出した偽書あるいは、誇張した文書かもしれない。しかしトレントで出されたカテキズモには、身体障害者を聖職につくことを排除した規定がある。
こうした偏見はダンテの中にも見られ、てんかん(epilessia)患者に対し、《E quale e' quei che cade, e non sa como/per forza di demon ch'a terra il tira》といった一節がある。こうした身体の障害に対する偏見は1215年の第四ラテラノ公会議で確認されている。
もちろん、現在の教会は全く変わった。教会の何千という人々が、何千回にもわたり、過去とは異なる、深い関係を障害者と持っている。であるからこそ、ヴィテルボの二人の若者の例は、なぜ?と問いかけずにはいられないのである。
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イタリアのホテルの星の数は、その仕組みが混沌としている(6月8日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
混沌の原因は、州がホテルに5つ星、4つ星などと認定するのであるが、その基準が州ごとに異なっている点にある。
たとえば、シチリアでは、5つ星(5 stelle)ホテルはダブルの部屋は14㎡以上なければいけないが、ヴェネトでは18㎡以上、マルケでは25㎡以上必要なのである。
プーリアでは受付の人間は、2つ以上の外国語が話せなければいけないが、トスカーナでは4つ以上が必要。イタリア全体で、部屋は一日一回は掃除をしなければいけないが、ボルツァーノでは二回以上となっている。
1983年に制定された法律で、州に星の数を認定する権限が与えられた。混乱は基準だけでなく、その後、チェックがなされないということにもある。いったん、5つ星が与えられると、その後サービス(レストラン、補助、インターネット、部屋のメンテナンス)などの質が保たれているかのチェックがない。
7つ星という名称を与えているのは、ジュネーヴにあるSGSという組織で、州ではない。
イタリアのホテルの星別の数は次の通り。
総数 3万3768
1つ星 4808
2つ星 7718
3つ星 1万7038
4つ星 3950
5つ星 254
合計で、103万4710部屋、ベッド数は208万7010床。
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日本の国会でのアイヌ民族先住民決議は、レプッブリカ紙でも大きく取り上げられている(6月7日、レプッブリカ)。
レプッブリカ紙では、1ページをまるまる割いて報道している。
アイヌの人口の変遷は次の通り。
1807年 2万6256
1822年 2万3563
1854年 1万7810
1873年 1万6272
1903年 1万7783
1931年 1万5969
1984年 2万4381
日本人からの抑圧があったこと、この決議で北方領土をめぐるロシアとの駆け引きのカードになる可能性があること、などが報道されている。
また、1930年代フォスコ・マライーニ(作家ダーチャ・マライーニの父)が来て、研究したことも紹介されている。
また、いわゆるアメリカ・インディアン、オーストラリアのアボリジニ、極地のイヌイットなどの少数民族があわせて紹介されている。
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ブルネッロに続き、モンテプルチャーノのワインにも捜査の手が入った(6月7日、レプッブリカ)。
財務警察は、Cantina Vecchia 協同組合のワインを1200万リットルを押収した。さらに、業者として、Enrico TabalziniとLuca Gattavecchi (Vino Nobile di Montepulciano のconsorzio の会長でもある)が捜査の対象となっている。
容疑は、ヴィーノ・ノービレおよびロッソ・ディ・モンテプルチャーノに、モンテプルチャーノ以外のワイン、即ち、他地域のワインを混ぜたのではないかというもの。
ただし、モンテプルチャーノでは3種類のワインが作られていて、ヴィーノ・ノービレはDOCG, ロッソ・ディ・モンテプルチャーノはDOCなので、他地域のワインを混ぜてはいけない。ただし、Igt(indicazione geografica tipica)のワインの場合はOKなのである。
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プローディ前首相は、フランスのカトリック新聞《La Croix》に、イタリア司教会議は自分に敵対的だったと語った(6月7日、レプッブリカ)。
プローディ前首相は、「わたしは「成熟したカトリック(cattolico adulto)」という言葉を用いた。このフレーズは決して許されなかった。イタリア司教会議議長に関しては、私に政治的敵対者とともに衝突してきたという印象を持っている」。
「私は、(フランスのカトリック新聞)La Croix は2007年5月に、2ページを私の記事で割いてくれたが、イタリア司教会議の新聞Avvenireから一度もインタビューを受けたことがない」。
またベルルスコーニとは異なり、教皇庁の機関紙オッセルヴァトーレ・ロマーノからもインタビューを受けたことがない。
プローディは39年前にまさにカミッロ・ルイーニ(前イタリア司教会議議長)によって結婚式をあげたのである。
プローディが「成熟したカトリック」と言ったのは、「人工授精」(fecondazione assistita)について国民投票にかけたときだった。ルイーニは棄権を呼びかけた。敬虔な信者ではあるが、プローディは投票し、デ・ガスペリがピオ12世に従わなかった例に言及したのであった。
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リヴォルノで、300人のフリーメーソンの会員リストが暴露された(6月7日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
すっぱ抜いたのは、Corriere di Livorno(出来て一年足らずの新しい新聞)で、新聞の所有者は、元サッカー選手のクリスティアーノ・ルカレッリ。
リヴォルノで最初にフリーメソンの支部(loggia)《Union Parfait》ができたのは、1797年で、アヴィニヨンのFrancesco Morenas によるものだった。
今回暴露された300人は、14の支部(loggia)にまたがっている。その中には、Grande Oriente d'ItaliaやGran Loggia d'Italia が含まれている。リヴォルノはフィレンツェについで、イタリア第二のフリーメーソンの都市で、500人に1人がメンバーであり、その密度はイタリアで最も高い。
今回はメンバーの氏名、生年月日、支部名が明らかにされている。職業名はないが、この町ではお互い知り合いである。
事件のきっかけは、リヴォルノ検事局が、観光客の出入りを管理する会社《Porto2000》の放漫経営をめぐる調査を開始し、そこにフリーメーソンの関与の有無を確認するため会員リストを押収したことだった。
Grande Oriente d'Italiaは、1805年にミラノで設立され、初代のGran Maestro はナポレオンの継子Eugenio De Beauharnais だった。(写真は、現在のGran Maestroのグスターヴォ・ラッフィ)。
Gran Loggia d'Italia は1908年に設立され、スコットランドの儀式を守っている。
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教皇ベネデット16世の著作は記録的な売り上げをしめしている(6月6日、レプッブリカ)。
神学者であったラッツィンガー教皇の著作は、単著、註釈などは、132冊におよぶ。
ジョゼフ・ラッツィンガー著作集も全13巻で、ヨーロッパ最大のカトリック出版社、ドイツのヘルダーとヴァティカンの出版社Libreria Editrice Vaticana (Lev) から、刊行される予定である。
教皇の最新の著作『ナザレのイエス』は、全世界で250万部の売り上げをしめしている。
ベネデット16世の回勅(enciclica, 教皇が全世界の司教あてに出す書簡)は、《Deus caritas est》(神は慈愛である)(2005年)が160万部以上、2007年の回勅《Spe salvi》(希望により救われる)は、約140万部の売り上げをしめしている。著作権料は、教皇に選出されてからの3年で、200万ユーロにおよぶが、教皇の意志により、主としてヴァティカンとドイツにあるラッツィンガー基金で運用されており、慈善活動、奨学金などに使用されている。
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イタリア人の約半数(47,2%)は、自分が住む街に満足し、そこから引っ越したいとは思っていない(6月6日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
この満足度は、小さな街に住む人ではさらに高く53,2%にのぼる。
中規模の街に住む人では、42,9%。大都市では40%。
小さい街ほど、高い。おそらく、小さい街は、勤めにいくにも歩いて5分で行けて、車に1時間乗る必要がない。また、家も安い。
この調査はCensis (イタリア社会調査研究所)によるものだが、創設者のジュゼッペ・デ・リータによると、地元との関係は最近の選挙の勝敗にも反映しているという。
このような傾向には懸念すべき点もあって、自分の周囲さへ良ければ、他には関心なし、となる場合がある。鉄道や高速道路に反対となるのである。
ただし、連邦主義(federalismo)が、優先的な関心である人は少ない。全体で3,9%で、北東部で6,8%。より関心を集めているのは、社会的な不公平を縮小させること(26,8%)、減税(19,7%)である。
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家族関係や性的関係に関する歴史書が三冊出版された(6月5日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
書評者は、セルジョ・ルッツァート。三冊は、まず、ダニエラ・ロンバルディ著、《Storia del matrimonio. Dal Medioevo a oggi 》(結婚の歴史、中世から今日まで)(pp296. 18,5ユーロ、Mulino)。出版社Laterza からは、ジョヴァンニ・ロメオ著《Amori proibiti. I concubini tra Chiesa e Inquisizione》(禁じられた愛、教会と異端審問のはざまの情夫)(pp256,18ユーロ)とロベルト・ビッツォッキ著《Cicisbei.Morale privata e identita' nazionele in Italia》(チチスベオ、イタリアにおける個人の道徳と国家のアイデンティティ)(pp360, 20ユーロ)。
『結婚の歴史』によれば、独身者が増えたのが最近の現象だと考えるのは間違いだという。1796年のボローニャには、成人で結婚していないものが約40%いたのだ。
また、性的関係が婚姻関係で閉じられていたと考えるのも間違いで、大都市のなかには、婚外子の数が50%近くに達していたところもあるのである。
『伝統的』家族の像は、案外あやしげなもので、昔は疫病や、戦争や、移民などがあって、カップルもそれなりに不安定でリスクをともなうものであった。
事実婚も20世紀に特有のものではない。イタリアでは、『禁じられた愛』が示すように、16世紀、17世紀に広まっていた現象である。
それが大きく変化するのは、対抗宗教改革からである。それまでは、神父も事実上の結婚生活を送っていてもスキャンダルにはならなかった。
内縁の夫(concubini)は17世紀から、教会の目の敵になったのである。とりわけナポリには様々なカップルの形があった。
チチスベオというのは、女性のための夫以外の騎士でお小姓的存在で、公的に認められていた。言わば、三角関係の結婚である。
チチスベオは18世紀には様々な所で描かれている。ロンギの版画、ティエポロの絵画、パリーニの詩といった具合だ。この制度は、特に、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ルッカといった共和国で広まっていた。
《giovin signore》(若き騎士)が、淑女に 、結婚することなく、《servire》(お仕えする)のである。
こうして啓蒙時代の個人の自由を体現する制度としても生きられた。ピエトロ・ヴェッリは、長い間、マッダレーナ・イジンバルディのチチスベオだった。夫は嫉妬で宦官よりひどいと嘆いたが、ヴェッリは侮蔑の念を抱いただけだった。その一方でマッダレーナのことは、「善人で、愛すべきひとで、野性的」と彼女の情熱を賞賛している。
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カトリック関係のサイトが増えている(6月2日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
イタリアのカトリック関係のインターネット上のサイト(siti)は、じわじわと増え続け、いまや1万2500に達している。
毎月、新たに100ー120のサイトが誕生している。ここには、ホモセクシュアルのキリスト教徒のグループや結婚している司祭のサイトはふくまれず、オーソドックスなカトリックのグループだけをカウントしている。この数は、他国よりもはるかに多く、かなり離れたところに二位のアメリカがいる。
アメリカではGodtube.com が生まれ、ニューズウィーク誌に Youtubeに対するキリスト教徒の解答と言われている。ミサや個人の宗教観を表明するヴィデオ、社会問題、宗教問題に関するチャット、フォーラムがおさめられている。
イタリアでは、教区(parrocchie)のサイトが2902,宗教的な協会、運動のサイトが2408,修道会、宗教系学校、伝道会(ordine, istituti religiosi,missione)のサイトが1504,教会の機関のサイトが724,さらには、カトリックゆかりの地、聖人、福者のサイト、Radiovaticana.itのようなラジオ、テレビのサイトもある。
サイトの数の変遷は次の通り:
1997年 243
1998年 1109
1999年 2000
2000年 4000
2001年 5701
2002年 7000
2003年 8000
2005年 1万
2007年 1万1458
2008年 1万2000
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ベルルスコーニ首相は、フランス大統領サルコジとの会談後の記者会見で、不法移民は犯罪ではなく加重事由にあたるとの解釈をしめし、閣内に論争を引き起こしている(6月4日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
加重事由(aggravante)とは、別の罪をおかした時に、不法滞在であると、刑が重くなるということである。
ベルルスコーニ首相の言葉によれば、イタリアに滞在許可証(permesso di soggiorno)を持たずに入国しても、犯罪ではない。この会見は、内務相と法務相を面喰らわせている。
北部同盟(Lega)との対立は鮮明になっている。内務相のロベルト・マローニは苛立ちを隠さない。「加重事由はすでにあるし、暫定措置令(decreto legge)に含まれているので、現在、効力を発している。それに対し、不法移民を犯罪とすることは、二週間前の閣議で満場一致で承認された法案に含まれているんだよ。筆頭署名者はベルルスコーニ首相で、二番目は私だ」
首相補佐官のジャンニ・レッタに会いに行く前に、マローニは「私は考えを変えていない。犯罪であるという条項を入れることは意味があると思う。ベルルスコーニが、議会に主権があり、議会が望むように決まるという考え方に賛成だ」。
国民同盟(AN)も当惑している。
一方、野党民主党のヴェルトローニは、ベルルスコーニはわれわれの考え方の正しさを証明したとして、歓迎している。
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ローマでFaoの世界食糧サミットが開催されている(6月4日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
このサミットでは、イランのアフマディネジャド大統領のイスラエルに対する問題発言が話題になっているが、それを別にすると、飢餓とバイオ燃料(biocarburanti)が議論の中心である。
世界を見渡すと、南北アメリカの人口は8億6000万人、ヨーロッパの人口は7億1650万人であるが、世界で飢餓に苦しむ人は8億6200万人いる。
バイオ燃料については、賛否両論ある。世界中では、2500万ヘクタールがそれにあてられている。イタリアでは6万5000ヘクタール(5万ヘクタールのヒマワリと1万5000ヘクタールの西洋油菜)がそれにあてられている。
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労働組合Cgilの書記長グリエルモ・エピファーニは、年金支給開始を遅れらせる可能性を認めたものの、法律で強制することには反対した(6月2日、レプッブリカ)。
これは、イタリア銀行総裁マリオ・ドラーギが、イタリア経済成長のための条件の一つにあげた年金支給開始年齢の引き上げに対して応えたもの。
エピファーニは、労働者の自発的な選択によるべきで、法律で強制的に年齢をあげることには反対している。
Cgil(Confederazione Generale Italiana del Lavoro, イタリア労働総同盟)は、変化の時を迎えている。
2007年に、30歳以下の組合員は18%増えた。
女性の組合員数は14%増え、全体の組合員の46%を占めている。
外国人組合員は12%へと上昇し、今や27万人に達している。
Cgil の組合員は、560万4741人だが、Spi(年金生活者)が約半分288万6628人、Spi provvisorie(暫定年金生活者)が10万5020人、失業者が1万7277人を占めている。
その他、Cgil傘下の産業別組合の名称と組合数は次の通り:
Fillea(建設、木材) 35万7955人
Fiom(金属機械) 35万9669人
Filtea(繊維、衣服、靴)10万2120人
Filcams(商業、ホテル、食堂、サービス)34万5372人
Filt(運輸) 14万7225人
Funzione Pubblica(公務員)40万4697人
Fisac(金融、保険) 8万7962人
Flai(農産業) 28万7786人
Slc(通信) 9万5909人
NidiL(不安定雇用、precari) 3万2799人
Miste(雑) 3万196人
Filcem(化学、エネルギー、マニュファクチャ)16万2530人
Flc(学校、大学、研究) 18万1596人
Cgilの課題は、組合員の高齢化を越えて、新たな価値観、方向を見いだすことである。
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エラスムス留学制度(programma Erasmus) でイタリア人留学生の行き先はスペインが一番多い(6月2日、Il sole 24 ore).
2007年度はイタリア人学生の参加者は1万7195人。行き先は、ヨーロッパ34カ国(トルコを含む)で、次の通り。
スペイン 6350人
フランス 2687人
ドイツ 1708人
イギリス 1326人
ポルトガル 789人
オランダ 630人
ベルギー 600人
スウェーデン 468人
フィンランド 392人
デンマーク 363人
ポーランド 269人
オーストリア 266人
アイルランド 261人
ノルウェー 190人
ルーマニア 142人
ギリシア 139人
ハンガリー 137人
チェコ 126人
マルタ 89人
トルコ 55人
エストニア 54人
リトアニア 50人
スロヴァキア 25人
アイスランド 22人
ブルガリア 13人
キプロス 13人
ラトビア 8人
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カンパーニャ州のカゼルタ県で、廃棄物業者がカモッラに白昼殺された(6月2日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
殺されたのは、カゼルタ県カザル・ディ・プリンチペの廃棄物業者ミケーレ・オルシ47歳。
彼は廃棄物処理の組合を経営していたがいわゆるエコマフィアであり、逮捕された後、司法協力者(ペンティート)となっていた。
兄弟とともにEco4という組合を経営していた。産業廃棄物処理には、カモッラが絡んでいるのだが、彼はそれだけでなく、政治家との関係を知っており、それを検察官に語った。特に、前のベルルスコーニ政権の時の元コミュニケーション大臣マリオ・ランドルフィについて多くを語っていた。彼はカンパーニャ州選出の国民同盟の議員である。
殺されたオルシは、モンドラゴーネで組合を経営していたが、ランドルフィ議員はモンドラゴーネの出身で、そこで票集めをするし、彼自身が語っているようにボスのアウグスト・ラ・トッレの姉妹を知っているのだった。
オルシは従業員の70%は、無駄なものだったと語っている。それは、政治ー選挙のためにランドルフィその他の政治家に求められてなされたものだったのだ。無駄などころか、ほとんどが架空のもので、なんの仕事もしていない。
ランドルフィ議員は予備審理をうけている。オルシによれば、市の清掃員はほとんどが、組(クラン)による推薦で、選挙の時には、食事会が設けられ、清掃員は、しかるべき人物に投票するよう求められる。最近の選挙の時には、ランドルフィ議員のための食事会が設けられた。
この事件に関し『ゴモッラ』の著者ロベルト・サヴィアーノは、「カザル・ディ・プリンチペで起こった事件は重い意味をもった行為だ。犠牲者はカモッラのサルヴォ・リーマだ」と語った。サルヴォ・リーマは、シチリアマフィアに関し、組織犯罪と政治家をつなぐ人物で、やはり殺されている。
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イタリアの誕生から今日までを、小説のアンソロジーで綴った本がでた(6月1日、Il sole 24 ore)。
現代イタリアの誕生と発展を描いた場面は、イタリア小説にはめったに現れないと言われているが、マッティア・カッラテッロは、現代作家の14編の小説を集めて、La storia siamo noi (歴史は私たち自身だ)(Neri Pozza, 414ページ、17,5ユーロ)という本を編んだ。
それぞれの小説が、一つのテーマ、人物にあてられている。イタリア統一以降、現代までが、小説によって描かれていく仕組みだ。
ヴェルガは2編、フェデリコ・デ・ロベルトの『幻想』と『副王』、カルロ・エミリオ・ガッダの『ウーディネの城』他1編、ジュゼッペ・アントニオ・ボルジェーゼの『ルベ』、はたまた、ピランデッロの『老人と若者』、バッケッリ、パヴェーゼ、ヴィットリーニ、フェノーリオ、ベルト、バッサーニ、ヴォルポーニ、パリーゼ、カルヴィーノ、モランテ...と続く。
特徴は二つあって、ここに選ばれている作品の質は中の上であるということ。もう一つは歴史へのアプローチが作家によって様々だということ。
その中の二つは質とオリジナリティでぬきんでている。一つは、アントニオ・フランキーニの『Kabarid の最後の2人のイタリア人』。Kabaridというのは、カポレット(イタリアが第一次大戦で大敗を喫した戦場)のスラブ名である。
ここでは過去がイメージに、自然に、事物に結びつけられている。イゾンツォ川の白い河床、美と死という相反するもののシンボル、それは感情を動かし、歴史の自己認識の瞬間へと導く。こうして歴史は、第一次大戦の日常の目にみえる、手でさわれる事物へと結晶する。空になったモルヒネのアンプル、砲弾、外科用ピンセット、裂けたヘルメット。現実の歴史が、夢見られた歴史と融合する。語られた歴史が、叙情的な歴史となる。
同様に、感情を巻き込むのは、ジュゼッペ・ジェンナの「今日ー最後の者たち」である。ダンテの神曲の旅を思わせる、ミラノ中央駅の地下5階への恐怖の道行きである。「終末の時」にむかう、歴史ー反歴史の物語で、戦慄を禁じ得ないバロックな語りだ。
他に、アンドレア・カミッレーリの「分離主義者、アントニオ・カネパ」、インドロ・モンタネッリの語るニコラ・ラジョイア、レオナルド・コロンバーティの描くジャンニ・アニェッリがある。
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イタリアで新しい詩人カルロ・カラッバがデビューした(6月1日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
詩集は、Gli anni della pioggia (雨の歳月)(peQuod, 64ページ、7,5ユーロ)。彼は詩人としての声を持っている。しかし声を持っていてもスタイルを持っているとは限らないのだが、彼はその才能に恵まれた。
彼の声は議論をする声である。まるで、日々の考えを書きつけるかのような詩。小さな出来事を記録していき、そこから疑問やふだん見逃してしまうような物事の絡みあった関係への省察がわきおこる。
しかしそれは常に時を通じてのもの。思春期の無心とたくさんの人生を生きた知恵との平衡を保つ時。そしてデ・キリコ風だが、より普通で、より小規模で、家庭的で、なじみやすいメタフィジカルな時。こうした時をカルロ・カラッバのさらさらと流れる詩に感じる。
たとえば、「ローマーパリーローマ」という詩はこう始まる。「あるところから、しばらく/前に、僕はもう戻ったーーそして書く/ どれほど、出会いが/おこるであろうか、そしてどれが/」と続いていく。
カルロ・カラッバは哲学科在籍中で、それが感じられる。それは、ラカンがデカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」をひっくり返し、フロイトの無意識を用いて「わたしは、わたしが存在しない所で考える、ゆえに、わたしは、わたしが考えていない場所にいる」という言葉を引用しよう。
別の言葉でいえば、すべてが無意識で生じるとしたら、ラカンによれば、「私は、私の思考という玩具になることを余儀なくされたところに存在するところのものを考える」。これは私に次ぎの一節を思い起こさせた。「人生は、われわれが他のものにかまけている時に、われわれに生じるところのものだ」。気がつかない人生というものに言及しているのである。
カルロ・カラッバの詩をよむと、彼はこの気がつかない人生に、いつも耳を傾け、アメリカ先住民のように地面に耳をつけ、遠くの音を聞いているのだと気がつくだろう。
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イタリア銀行のドラーギ総裁は、イタリアが成長するための処方箋を発表した(6月1日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
ドラーギは、家庭および企業に対する減税、生産性の向上、出費の削減、年金開始年齢の引き上げを主張している。
銀行のサブプライムローンの危機に関しては、銀行の資本増強にかかっているとの考えを示した。
教育に関しては、成長の主人公は若者であるべきで、現在は、若者は不適切な教育と、若者に差別的な労働市場により、弱体化されているとしている。
南部社会の進展のためには、経済的な介入は、社会資本の増強と切り離せない。
家庭の消費支出は、年収の増加が乏しいのと、物価上昇のために押さえられている。
イタリアで60歳から64歳の人で働いているのは19%に過ぎないが、スペインでは33%であり、イギリスでは45%、スウェーデンでは60%にのぼっている。
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イタリア人の3人に1人は6月2日が何の日か知らない(6月1日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
6月2日は共和国の記念日である。イタリアは第二次大戦後、王政か共和政かを選ぶ国民投票を実施し、その結果、共和政が実現した。
調査はコッリエーレ・デッラ・セーラ紙がIspoに依頼して、1002人に対して実施。誤差3%。
まず、自分はどこの市民であるかとの問いに対し、市町村(comune)と答えた人が22%。県(provincia) と答えた人が7%。州(regione)と答えた人が12%。イタリア市民であると答えた人が45%と最も高いが、ヨーロッパ市民と感じている人も12%いる。わからないが、2%。
イタリア人ともっとも強く感じる人の割合は、徐々に下がっている。2004年は52%。2007年は50%。2008年は45%で、半分を割った。
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ローマ教皇は、イタリア政府の与野党間の対話を祝賀すると同時に、カトリック校への予算増額を呼びかけた(5月30日、レプッブリカ)。
教皇ベネデット16世は来週、首相ベルルスコーニと会談する予定。
イタリアにおける宗教系の学校は次の通り。
幼稚園 4620校
小学校 1124校
中学校 517校
高校 569校
(2007/8年)
生徒数
幼稚園 28万449人
小学校 14万1755人
中・高校 5万887人
(2005/6年)
国家による財政的措置
幼稚園 3億3511万ユーロ
小学校 1億6020万ユーロ
中・高校 699万ユーロ
障害児の統合 1000万ユーロ
440号法 450万ユーロ
親へのボーナス 3000万ユーロ
合計 5億6681万ユーロ(2006年)
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4月28日にHolinvestが巨額の損失を計上し、《sistema Hopa》全体が危機に陥った(5月30日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
Hi spring というほとんど知られていない会社が、5000万ユーロ(80億円)という巨額の損失を計上し、ブレーシャ、エミリオ・ニュッティ(写真)の領土を恐怖に陥れた。
Hi spring の株主は、1999年にTelecomの株式買い占めをしかけたグループである。Hopa の6億ユーロの損失はさらにおそるべきものだ。
Holinvest は100%、Hopaにより支配されている会社だが、ほとんど制御不能に陥っている。
この問題は、シエナのモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ(MPS)にも押し寄せている。Hopa およびブレーシャの金融業者はMPSの出資者(creditore)であるからだ。銀行に与えられていた担保である Hi spring は価値が崩落してしまったのだ。
Holinvestは、4月28日に会長エットレ・ロナーティが特別総会を開いたが、そこで8億6200万ユーロの損失を報告した。この原因は、彼らが保有していたテレコムの3,7%の株式が徐々に価格が下落したことにある。この株式は Royal Bank of Scotland の担保に入っていて、彼らは3月にその株を市場に放出した。ブレーシャの金融業者はこの販売方法をめぐり、損失をこうむったとして1億2600ユーロの賠償を求めている。
Holinvestの損失は、ドミノ倒し現象を引き起こすのではないか、と懸念されている。Hopaは2007年度、5億9500万ユーロの損失を計上した。その主要株主(35%)であるFingruppoは4億5300万ユーロの損失を計上した。Hopaは、今だに資産が3億ユーロあるので、生き延びることができる。しかし、Fingruppohaは、破産に追い込まれてしまった。
Fingruppoへの出資者に金を貸していた銀行(債権者、banche creditorice)は、担保を他のものに代えるよう求めている。Fingruppoの株式は紙くず同然になってしまったからだ。その銀行とはどこか?人民銀行グループのPopolare Lodi (3400万ユーロの債務)とMPSグループのBamである。両者ともHopaの共同経営者である。
MPSは、1億ユーロ以上の債権を、Fingruppo および様々な株主(Bamを介して)抱えている。
MPSが吸収合併するアントンヴェネタはHopaを8%所有しているので、それを引き受けることになる。この問題はシエナ銀行(MPS)の頭痛の種でもある。
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スカラ座の総支配人のリスナーが来季のプログラムを発表した(5月29日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
開幕はダニエーレ・ガッティ指揮で、ヴェルディの『ドン・カルロ』だが、12月4日になる。
12月7日を開幕の日としたのは、57年前にヴィクトル・デ・サバタが決めたのだという。
リスナーによると、12月7日が、開幕の日であることは変えないのだという。ただし、12月4日に特別な一日をもうけ、2000人の若者専用の日とし、値段も10ユーロに抑えるという。
他の演目は、ピッツェッティ作曲の『大聖堂の殺人』(T.S.エリオットの原作)、モンテヴェルディの『オルフェオ』、ドニゼッティの『劇場の好都合と不都合』。
また2011年にはアル・ゴアの本および映画『不都合な真実』原作で、ジョルジョ・バッティステッリ作曲のオペラを上演する予定。
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「Rete4を救え」修正法案が否決された時、欠席していた約100人与党議員の言い訳が紹介されている(5月29日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。
サント・ヴェルサーチェ議員(写真)は、内装をすべてヴェルサーチェでおこなう52階建ての高層ビルのプレゼンテーションのためモスクワに行っていたのだという。
バッチー二議員はモンゴルの小児科病院の開設の祝賀に行ってきたという。
シリクイーニ議員は、アリタリアの遅刻で、ブロックされていた。
ゲディーニ議員は、いつものようにベルルスコーニと行動を共にしていた。
グラナータ議員は、アレマンノに随行して、シチリアのパレルモ県に行っていた。
キアラ・モローニ議員は、病院に検診に行っていた。
コンセンティーノ議員は、ボタンを押したが、この投票の時だけ点灯しなかった。
チッキート議員は、下院の長い廊下(Transatlantico)にいた。
ピッテッリ議員は、3分間だけトイレに行っていたのだという。
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