《カルメン》(フィレンツェ5月祭)
フィレンツェ五月音楽祭で、《カルメン》を観た(5月3日)。
一言で言えば、ズビン・メータが、筋肉質にオーケストラを鍛え上げた堂々たる演奏、上演であった。
舞台はきわめて簡素。半透明の大きな仕切り板が数枚舞台上にある。照明の具合によって、登場人物ははっきりと顔が見えたり、仕切り板に影絵のようにシルエットだけが見えたりする。退場する際に、仕切り板の後ろに入ると影が移動する、といった具合である。
服装は、いかにもスペイン風というのではないが、時代を考慮した衣装なのだが、このモダンな装置は意外に効果的であったと思う。
歌手は、カルメンの Julia Gertseva は声も演技も堂に入ったものであった。たまには、女性の主役がソプラノでなく、メゾなのもよいものである。ミカエラの Inva Mula はたっぷりと感情をこめて嫋々と歌っていたが、観客の受けはカルメンを上回っていた。カーテンコールでのブラーヴァのかけ声がミカエラにはかかったが、カルメンにはかからなかったのだ。
ドン・ホセの Marcelo Alvarez はとても恵まれた声の持ち主で、聞いていて気持ちのよい声質である。ところどころで、テンポに疑問を持ったが、それが歌手のせいなのか、指揮者の設定によるものかは、聞いただけでは判断しがたかった。
エスカミリオはIldebrando D’Arcangelo . 朗々と歌い、いかにも《カルメン》らしい雰囲気を出していた。
さて、メータの指揮であるが、オーケストラを鍛え上げて、テンポや強弱、表情づけにいたるまで、手を抜くところがまったくない。時に、緊張の連続で疲れるほどである。なぜ、メータはこんな指揮をしたのだろう。僕なりに考えてみた。カルメンは、あまりに有名なメロディーが多い。序曲、ハバネラ、闘牛士の歌など、誰でも知っているメロディーにあふれており、逆にいえば、それをつなぐ部分は、無視、軽視されがちだ。だから、通常の上演なら、張り切って演奏するところと、さらっと流すところという区別が容易に生じるだろう。それはそれで、観客もストーリーの展開を追うところと、メロディーを楽しむところが交互にあるので良いのである。
しかし、今回のメータの演奏では、有名なメロデイーの箇所と、そうでないところが、同等の音楽的緊張度で演奏されていた。その結果、《カルメン》という楽曲の構成が実によくわかるものになっていた。さらに言えば、演出家は、脱スペイン化を心がけているとパンフレットにも自ら記しており、音楽による劇の展開、そこに焦点をあてた演奏・上演で、通俗名曲を気楽に聴くという演奏ではなく、むしろ交響曲を演奏するような集中度で4時間近く(二度の休憩を含めてだが)をひっぱっていったメータの力業が際だつ上演だった。
オーケストラはメータの要求に良く応えていたし、合唱もまた質が高かった。男性合唱、女声合唱のほか、子供(40人―50人)の合唱もあり、それぞれの表情、舞台での動き、それと音楽との組み合わせも、スペインらしさの追求ではなくて、ビゼーがどう音楽的に構成したのかを優先したものと思えた。
メータはフィレンツェ5月音楽祭で、《カルメン》を上演するということで、ありきたりの上演ではなく、きわめて主張の強い、音楽劇としての《カルメン》を作り上げたのだと思う。
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