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2008年4月 8日 (火)

モンカリエーリ城で火事

                                                     Castello_moncalieri_2Moncalieriトリノ郊外のモンカリエーリ城で火事があった(4月6日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

サヴォイア家の居城の一つで、もともとは1100年ごろサヴォイアのトンマーゾ1世が建てさせた。16世紀の半ば、サヴォイアのアメデオ9世の妻イオランダ・ディ・ヴァロワのもとで、城は拡張された。

この城で歴史的に名高いのは、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世が議会を解散し、モンカリエーリ宣言(Proclama di Moncalieri)を、1849年に発した場所であることだ。幸い、今回、文書は国立文書館に何年も前から収められており、無事だった。

歴史家ジュゼッペ・ガラッソによれば、状況はとても厳しかった。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世は30歳にならずに、父カルロ・アルベルトがノヴァーラでオーストリアに敗れて退位したのをうけ、王位についた。

1849年8月6日ミラノでハプスブルグとの和平条約が調印され、第一次独立戦争が終結したが、トリノの議会は条約を批准しようとしなかった。議会は、特に、ロンバルディア、ヴェネトで愛国的に戦った人がサボイア王国に逃げ込んでおりその保証を求めたのである。

そこで首相のマッシモ・ダゼーリオは王に議会の解散を求めた。王はその助言にしたがったばかりでなく、1849年11月20日モンカリエーリ宣言を発し、和平条約に賛成の議会をつくるよう促したのである。

これは、オーストリアとの関係からやむを得ない措置ではあったものの、大騒ぎとなった。

もうすでにアルベルト憲法が存在していたからだ。しかし、この憲法は1848年に発布されてまだ1年半しか経過していなかった。

ヴィットリオ・エマヌエーレの呼びかけは功を奏し、新議会は3分の2が和平条約賛成にまわった。ガラッソによれば、これはヴィットリオ・エマヌエーレ2世が決断と政治的能力を発揮した最初の機会で、こうした能力が後継者には欠けていたと思われる、とのこと。

火事の原因は電気のショートが疑われており、被害は1000万ユーロに及ぶと算定されている。

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