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2008年4月29日 (火)

ローマ市長選、アレマンノの勝利

Alemanno 4月27日(日)、28日(月)に決戦投票が実施されたローマ市長選は、中道右派のジャンニ・アレマンノが勝利をおさめた(4月29日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

得票率は、ジャンニ・アレマンノが53,7%、中道左派で、元ローマ市長、元副首相のフランチェスコ・ルテッリは46,3%にとどまった。

ローマ県の県知事選挙は、逆に、中道左派のニコラ・ツィンガレッリが得票率51,5%でアルフレード・アントニオッツィをくだした。ローマでは、約5万5000人が県知事選では民主党のツィンガレッリに投票しながら、市長選では、民主党のルテッリに入れなかったことが判明した。

ローマ市長は、15年間、中道左派が支配してきた(1993年ー2001年はルテッリ、2001年ー2008年はヴェルトローニ)だけに、今回のアレマンノの勝利は歴史的なものとの評価がある。また、二週間前の第一回投票では、ルテッリがリードしていたのを大きく逆転した。

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5月1日の開店をめぐりCoopで論争

Coopitalia 5月1日(メーデー)の開店をめぐって、トリノ県のCoopで論争が生じている(4月28日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

論争が起こったのは、トリノ県Cuorgne' のIpercoop。入り口には5月1日9時から21時まで開店と書いた張り紙がある。

労働組合Filcams-Cgil の書記長エレナ・フェッロは、5月1日の件は、経営者側からではなく、労働者から聞いて知ったという。しかし、1日の開店には二つの側面がある。

一つは、歴史的に8時間労働を獲得したことのお祝いの日であること。しかし同時に、この日を開店にすると、パート・タイムの労働者(このIpercoop の70%をしめている)は、50ユーロ余計に賃金がもらえるのだ。

180人の従業員にとっては、歴史、闘争、イデオロギーよりも、お金がものを言うようだ。

イタリアの最初のコープは1854年にトリノで出来た Magazzione di previdenza に遡る。Coop Italia が誕生したのは1967年。

現在Coopの組合員は650万人にのぼり、販売所は15州の1331カ所。一年間の売り上げは、118億ユーロで、5万2000人以上の従業員が働いている。

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ンドランゲタの暗躍

Gratteri140x180 イタリアの犯罪組織ンドランゲタの暗躍が目出っている(4月28日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

一つは、ンドランゲタの内紛、殺人事件を捜査しているニコラ・グラッテリ検察官(写真)に対し、盗聴器がしかけられていたこと。

もう一つは、ジョイア・タウロの実業家アントニーノ・プリンチの自動車に爆弾がしかけられ、遠隔操作で爆破され、プリンチが重体となったことだ。

一連の事件は、ンドランゲタの中の二つのグループ、モレとピロマッリの抗争が原因ではないかとも見られている。

ンドランゲタは地域の政治家への食い込みも激しく、28日、上院議員のセルジョ・デグレゴリオは、ンドランゲタの資金洗浄に関わった疑いで取り調べを受ける。

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フォイベをめぐる論争

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トリエステの文学者 Boris Pahor がフォイベをめぐる論争を開いた(4月27日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

Boris Pahor は、1913年にトリエステで生まれたスロヴェニア人であるが、イタリアの市民権を持つ(「ムッソリーニの独裁期に押しつけられたんですよ」)。彼の著書 Necropoli は40年前に彼の母国語で書かれたものだが、翻訳され、彼の生涯のドラマ(ナチスの収容所Natweller-Struthof 送りになったこと)をわれわれに明らかにした。

Pahor はフォイベに関して、ナポリターノ大統領が行った演説が受け入れられないのである。「第二次大戦の終わりに、スロヴェニア人が犯した蛮行にのみ言及し、イタリアのファシストがわれわれに対して行ったそれ以前の残虐行為に触れていない」。

Pahor が言及しているのは、ナポリターノ大統領が2007年の記憶の日に行った演説と2008年のそれを指している。つまり、スロヴェニア人が処刑されたこと、イタリア人が強制収容所という犯罪を犯したことが言及されていないというのだ。

それに対し、内務省副大臣のエットレ・ロザートは、「厳しすぎる判断だ」としている。

フォイバ(複数形はフォイベ)は、鍾乳窩、ドリナと訳されるが、自然に出来た大きな洞窟状の穴である(ただし、トリエステ郊外には、人工的に井戸状に堀ったものがある)。ここに、チトー派のパルチザンがファシストを処刑してその死体を投げ込んだ、あるいは、生きたまま放り込んだとされている。また、特にトリエステでは、チトー派のパルチザンは、ファシストだけでなく、イタリア人指導者およびイタリア人のパルチザンも処刑したと言われている(この段落は、管理人の註釈です)

しかし、Predrag Matvejevic によると、最初にフォイベを発見して、そこに敵を投げ込んだのはファシストであるという。トリエステの新聞 Il Piccolo (2001年11月5日)に、ユダヤ人ラッファエッロ・カメリーニの証言が伝えられている。

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犯罪の3分の1は外国人

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イタリアの犯罪の約3分の1が外国人によって犯されている(4月26日、コッリエーレ・ディ・シエナおよびコッリエーレ・デッラ・セーラ)。

約35%の犯罪が外国人によって犯されていて、そのトップはルーマニア人である。これは内務省の資料によるものである。とりわけ犯罪率が高いのは、非合法移民で、合法的な移民になると、イタリア人と発生率は変わらない。

イタリアに在住する外国人と犯罪発生率の推移は次の通り:

1988年

人口に占める外国人の割合

  0,8%

殺人事件において移民が告訴された割合

6%

1998年
人口
1,7%
殺人
18%

2006年

人口

5%

殺人

32%

外国人のなかで、犯罪別の上位三位は次の通り:

殺人

ルーマニア 15,4%

アルバニア 11,9%

モロッコ  9,1%

性的暴行

ルーマニア 16,2%
モロッコ  15,9%

クロアチア 13,9%

押し入り強盗

ルーマニア 15,4%

クロアチア 11,9%

モロッコ  9,1%

ひったくり

モロッコ 20,6%

ルーマニア 19,3%

アルバニア 6,0%

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エコロジカルな自動車がブーム

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イタリアでエコロジカルな自動車の売れ行きが伸びている(4月26日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

石油業者で、インテル(サッカー)の会長マッシモ・モラッティはトヨタのプリウスに乗っている(ハンドルを握っているのは、運転手であるが)。

トリノ市長のセルジョ・キャンパリーノは市内の移動にはメタン使用のパンダに乗っている。

いわゆるエコロジカルな自動車は、今年に入って売れ行きが昨年比52%増加している。イタリアでエコロジカルな自動車といった場合、大半は2つのタイプになる。1つはメタンガスで、もう一つはGPL(液化石油ガス、LPガス、いわゆるプロパンガス)である。

エコロジカル車の売れ行きが伸びた理由はいくつかある。一つは、エコロジカル車を買った場合には、国からのボーナスが350―2000ユーロ支給されること。もう一つは、燃料費が安いことである。メタンを使用すると、ガソリンと比較して、最大65%の節約になるという。

たとえば、年に5000キロメートル走るとすると、270―400ユーロ節約になり、年に1万キロ走ると、540―800ユーロ節約になる。2万キロなら1080―1600ユーロ(16万円―25万円)の節約になる。

こうした自動車は、北でよく売れ、南ではそれほどでもない。たとえば、エミリア・ロマーニャでは、メタン車が2008年の最初の3ヶ月(第一四半期)で5693台登録された。以下、ヴェネト2003台、マルケ1839台である。GPLは、ロンバルディアがトップで3418台、エミリア・ロマーニャが1894台、ヴェネト1841台。

一方、南部では、メタン車がシチリア127台、カラーブリア49台、バジリカータ41台、サルデーニャ6台、GPL車は、シチリア382台、サルデーニャ178台、カラーブリア102台、バジリカータ64台となっている。

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イタリア観光の危機

Pisa

イタリアの観光立国の地位がさがっている(4月25日、レプッブリカ)。

イタリアを訪れる観光客は、年間8億5000万人(2006年)に達している。彼らが使うお金は、5800億ユーロ。さらに、2020年には16億人に増加すると見込まれている。

世界の観光で、トップ5カ国およびその5カ国が全体にしめる比重は次のように変化してきた。

1950年(トップ5カ国で71%)

1.1.アメリカ

2.2.カナダ

3.3.イタリア

4.4.フランス

  5.スイス

1970年(トップ5カ国で43%)

1.イタリア

2.カナダ

3.フランス

4.スペイン

5.アメリカ

1990年(38%)

1.フランス

2.アメリカ

3.スペイン

4.イタリア

5.ハンガリー

2006年(33%)

1.フランス

2.スペイン

3.アメリカ

4.中国

5.イタリア

また、イタリアにおける観光の産業としての役割は次の通り:

観光で生み出した富 1567億ユーロ(2007年)

 国内総生産の10,5%

観光市場で生まれる雇用

 265万人 国全体の11,5%

2006年に外国人観光客が使ったお金

 304億ユーロ(2006年)

また、行き先の多い順は

1.ヴェネト州 5万6726人

2.トレンティーノ・アルトアディジェ州 4万652人

3.トスカーナ州 3万8106人

4.エミリア・ロマーニャ州 3万6249人

5.ラツィオ州  3万1710人

となっている。

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ラテン語学習者、イタリアが世界一

Cavecanem

ラテン語学習者の比率は、イタリアが世界一高いことがわかった(4月25日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

数字を見れば明らかだ。2005年の時点で、イタリアでは41%の高校生がラテン語を勉強している。250万人の生徒に対し、約100万人以上がラテン語を学んでいるのである。それに対し、ロマンス諸語(ラテン語から派生した言語)であるフランスの場合、大きな開きがある。中学で19%で、高校では3%にすぎない。ドイツでは5-8%、イギリスでは1-2%である。アメリカでも1,3%だ。

イタリアでは、芸術高校をのぞき、すべての高校でラテン語がカリキュラムに入っているのに対し、他の諸国では、ラテン語は人文―文学系統に進学する者だけが学ぶものとされている。この傾向は1970年代から生じている。

イタリアでは、理系高校(licei scientifici)でも、文系科目の比重が38%あり、厳密に理系の科目は30%にすぎないのだ。これはファシスト期のジェンティーレ改革に遡るという。

最近では、古典語(ラテン語およびギリシア語)が合格点に達せずに、卒業試験にひっかかる生徒が増えている。

実は、イタリアでは1962年に、義務教育を14歳までに延長したとき、中学校でのラテン語教育を廃止している。

国別の古典語学習状況は次の通り:

アメリカ

中学 選択
高校 選択
中高 1,3%

フランス
中学 選択
高校 選択
中学 ラテン語19%ギリシア語3%
高校 ラテン語3% ギリシア語1%

ドイツ
中学 選択
高校 選択
中高 5-8%(推計)

イギリス
中学 なし
高校 選択
高校 1-2%

ギリシア
中学 必修
高校 ラテン語選択ギリシア語必修
中高 ラテン語20-30%ギリシア語100%

イタリア
中学 なし
高校 必修
高校 ラテン語41%ギリシア語10%

となっている。

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2008年4月26日 (土)

パードレ・ピオの遺骸、公開

Padre_pio_2 パードレ・ピオの遺骸が公開された(4月25日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。  

パードレ・ピオは、1968年9月23日に亡くなっており、死後40年たっての公開となる。

1983年3月20日に福者になるための審判が開始され、その後、2002年6月16日には、福者からさらに聖人となった(というわけで、サン・ピオであるのだが、新聞にはパードレ・ピオ=ピオ神父という言い方と、両方使われている)。

今回、公開された遺骸は、ロンドンで1885年に創立された Gems Studio によりマスクがかぶせられている。Gems Studio はマダム・タッソーの蝋人形で有名な会社である。

パードレ・ピオの遺骸は、信者に対し、フォッジャ県のサン・ジョヴァンニ・ロトンドで5ヶ月間公開される予定である。                                                                        

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シエナ郊外にタイヤの山

Pneumatici シエナ郊外のタイヤの山が、テレビ番組で報道され問題となっている(4月24日、コッリエーレ・ディ・シエナ)。

(写真は、シエナ郊外のものではなく、イメージを伝えるだけです。実際の映像では、茂みの中にもっと乱雑に放り出されていた)。

報道したのは、諷刺番組ストリーシャ・ディ・ノティツィア。番組のなかでは、シエナ郊外のアシャーノと紹介されている。アシャーノは、クレーテ・セネーゼと呼ばれる不思議な光景が広がる田園地帯である。

コッリエーレ・ディ・シエナ紙では、ラポラーノという地区であるとしている。地元紙のほうが、地名の特定には強いかと思われる。

この古タイヤの捨て場の問題は1986年にさかのぼるという。タイヤのゴミ捨て場ができた時から、ラボラーノ町と土地所有者の間で、法的闘争が繰り広げられている。

1995年には、ここで大規模な火事が発生し、タイヤの燃えるときに生じる有害ガスで住民の健康問題に懸念が生じた。

現在、この土地は差し押さえられている。ラポラーノ町の町長パトリツィア・バルダッチーニは、この問題で、すでに町は20万ユーロを使っており、これ以上の改良をする資金がないのだという。

またこの報道に対し、アシャーノ町は訂正を求めている。

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Illy 株式上場へ

Illycup  フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の州知事選にやぶれたリッカルド・イッリは、会社経営に専念することにしたが、それを受けて、Illyは株式を上場することになった(4月21日、コッリエーレ・エコノミア)。

Illy は、創業が1933年。売り上げは、2億4760万ユーロ。純益500万ユーロ。

全世界の140カ国に事業を展開している。従業員は700人。

Gruppo Illy の株式を4人の兄弟でほぼ4等分に所有し、Gruppo Illy が Illy Caffe' と Illy bar concept を100%所有している。

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2008年4月25日 (金)

アリタリア、リグレスティ登場

Ligresti アリタリア買収に、リグレスティが候補として登場した(4月24日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

サルヴァトーレ・リグレスティは、不動産業者で、保険業者。ピレッリ会長マルコ・トロンケッティとも話をしており、トロンケッティも可能性を検討中だ。

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中絶数減る

Aborti イタリアの中絶数が、年間3%減った(4月23日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

中絶数は、2006年の13万1018件から、2007年の12万7038件へと3%減少した。

それと同時に問題となっているのが、良心的拒否者(obiettore di coscienza) が増えていることだ。

各職種での、中絶手術拒否者の比率は次の通り。

婦人科医
2003年 58,7%
2007年 69,2%

麻酔専門医
2003年 45,7%
2007年 50,4%

医師以外の担当者
2003年 38,6%
2007年 42,6%

上の数字は全国平均であり、州によってはもっと高くなる。バジリカータは90%、カンパーニャ州も44,1%から83%にあがった。シチリア州も44,1%から84,2%にあがった。

移民の女性では中絶数が4,5%増えている。

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南部から北部への移民

Emigrazione イタリアの南部から北部への移民は、現在も続いている(4月23日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

南部諸州から中部・北部への移民は、毎年27万人にのぼり、そのうち永続的なものが12万人、1ヶ月以上数ヶ月のものが15万人である(Svimez調べ)。

これは1960年代の数字に近い。当時は北部への移住が年に29万5千人にのぼっていた。

60年代は、妻や老親を養うために北部で働いて南部にお金が流れた。今は逆である。北部で勉強する学生、不安定雇用で働くものを支えるために、南部から北部に仕送りをしている。

経済発展省副大臣のセルジョ・ダントーニは、こうして南から北に流れる資金が100億ユーロにのぼると見積もっている。

Svimezのデリオ・ミオッティによると、年に12万人は南から中部・北部に移動するが、その大部分は若者で、20歳から45歳、高校卒業で、5人に1人は大卒である。その他に、1ヶ月以上滞在する人が15万人いる。

しかし1950年代と異なり、彼らは社会問題とならない。北部の若者と同様に、インターネットを使い、英語も話すからだ。

移民率がもっとも高いのはカラブリア州で約8%。クロトーネ県のチロ近辺では、1991年から2006年の間に人口が約34%減ってしまった。

南部から中部・北部に移動して大学で勉強する若者は、2005-2006年で15万1千人。プーリア州3万6千人。カラーブリア州2万5千人。シチリア州2万3千人。カンパーニャ州2万3千人。

このうち約60%は、卒業後も南部には帰って来ない。

今日の国内移民のデータ:

男:75%
女:25%

独身:57%
結婚している:40%
その他:3%

年齢
15-24歳 17%
25-34歳 41%
35ー44歳 22%
45ー54歳 14%
54歳以上  5%

労働契約の期間
1年以下 31%
1-3年 20%
3-5年 18%
5年以上 31%

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イタリア政府のアリタリアへの融資、EUから疑問

Normal_alitalia100407 イタリア政府のアリタリア航空への巨額の融資は、EUから疑問視されている(4月23日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ベルルスコーニ次期首相(候補)に催促されて、プローディ首相は、3億ユーロの資金をアリタリアに対して準備したが、その融資に対してEUから疑問符がつきつけられた。

この融資は、アリタリアの買収先が見つかるまでのつなぎ資金である。労働組合はこの融資に満足しており、Cisl はルフトハンザを候補にあげている。

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2008年4月24日 (木)

エール・フランス、アリタリア買収から撤退

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エール・フランスがアリタリアの買収交渉を打ち切ると通告した(4月22日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

エール・フランスによると、3月14日の契約に関する合意は、もはや効力をもたないとのことである。

イタリア政府は、22日に閣議を開き、対応を協議する。民主党は、ベルルスコーニの無責任な行動が、交渉を破綻させてしまったと非難している。

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再建共産党のリーダー、交代

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再建共産党のリーダーがベルティノッティおよびジョルダーノから、パオロ・フェッレーロ(写真)に代わった(4月21日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ジョルダーノが演説中に声を詰まらせ、涙をながす場面もあった。

再建共産党の代表者会議(Congresso)は、7月17日から20日に開かれる予定。

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警察本部長、マフィアに呼びかけ

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警察本部長が、マフィアに呼びかけるテレビ広告が流れている(4月20日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

スポット広告で、パレルモの警察本部長ジュゼッペ・カルーソが、「これはマフィアへの呼びかけです。(司法に)協力しなさい。それがコーザ・ノストラを脱けるもう一つの道でもある」という内容だ。

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北部同盟、モンテツェーモロにブレーキ

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イタリア産業総連盟会長モンテツェーモロの労働組合攻撃は、北部同盟の政治家にいさめられた(4月20日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

北部同盟のロベルト・カルデローリは、「この国の状態は、清算の合意には達しておらず、すべてのグループが責任を果たす必要がある」と述べた。

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ローマで、女子大生襲われる

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ローマで鉄道の駅の近くで女子大生が襲われた(4月20日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

被害者はアフリカ人女子大生で、加害者はルーマニア人、37歳。ローマ郊外のラストルタ駅の近くで事件は起きた。

加害者は、ナイフをつきつけ、襲いかかった。

ミラノ、ローマと女性が襲われる事件が続き、治安問題、不法滞在者問題が激しい議論を巻き起こしている。ローマ市長選にも飛び火しそうな勢いである。

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ミラノ中心部で、女子大生襲われる

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ミラノの中心部で、21歳のアメリカ人留学生が襲われた(4月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

被害者は、エラスムス・プログラムでアメリカから来た女子大生。加害者は、25歳のエジプト人で、ディスコで知り合い、散歩をしている間に態度が豹変し、襲いかかった

加害者のエジプト人は不法滞在者で、過去に4回、しかるべき書類なしで尋問されているが、そのたびに異なる名前を名乗っていた。

警察署長は、すでに彼の国外退去の書類にサインをしていたが、彼はいまだにミラノに滞在していた。

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2008年4月20日 (日)

イタリア産業総連盟も変わらねばならない

Ichino 労働法学者のピエトロ・イキーノ(今回の選挙で民主党から当選)が、イタリア産業総連盟も変わるべきだとしている(4月19日、レプッブリカ)。

イキーノは、ミラノ国立大の労働法の教授でもある。労働組合に対しても歯に衣きせぬ率直な論調で知られている。

記者:モンテツェーモロは、「無限に交渉の塹壕に閉じこもっているのは、拒否権の専門家集団を守ることに役立つだけだ」と言っていますが、どう考えますか?

イキーノ:現実はそれほど単純ではない。が、モンテツェーモロの宣言は、現実の目立った一面をとらえている。我が国の産業の関係はうまく機能していない。

記者:同じくイタリア産業総連盟会長の言葉ですが、労働者は、労働組合よりも企業に近いと述べています。この分析に同意しますか?

イキーノ:先ほどと同じ議論になる。それほど単純ではない。が、そうである事態もひろく見られるようになってきた。

記者:具体例をあげてくれますか?

イキーノ:労働組合の古い行動図式は、労働者の価値を高めるために必要な革新をさまたげている、あるいは、処遇を水平化することで、メリットを評価することをさまたげている。

記者:Cgil(イタリア労働総同盟)が柔軟化するように民主党が働きかけるようイタリア産業総連盟が民主党に圧力をかけることは可能でしょうか?

イキーノ:それは、民主党とCgilの間に特別の関係があるということを含意しているが実際にはそういう関係は存在しない。選挙キャンペーン中に明らかになったように、民主党は、労働組合の政治からの自立性、政治の労働組合との関係からの自立性を主張し、実行している。付け加えておくが、労働組合主義の最悪の部分は、最良の部分も含めて、Cgil にのみ根付いているわけではない。

記者:モンテツェーモロはまた、「4年間の間に、諸労働組合はわれわれ(企業家)との合意はおろか、彼らの間での合意に達することを欲しなかったし、出来なかった」と述べています。

イキーノ:その通りだ。しかし、イタリア産業総連盟の中で、この間、集団交渉の必要な改革に抵抗がたびたび見られたことも、モンテツェーモロは認めるべきだ。労使関係は、労働組合からのみ成り立っているわけではなく、企業家の連合からも成り立っている。彼らも改革しなければならない。多くの人が保守的態度を改めねばならない。

記者:モンテツェーモロによれば、「選挙結果は、労働者が彼らの問題に本当の解決策を与えてくれない政治勢力や社会勢力を、自分たちの代表であるともはや感じていないことを示している」とのことですが?

イキーノ:我が国の労使関係システムは今日、自己改革できなくて、あえいでいる。また、たしかに、そのせいで、経済システム全体にブレーキがかかっている。しかし良い政治というのは、すべてを十把一絡げにするというものではない。もし私がイタリア産業総連盟の中にいたら、イタリアの労働運動主義のなかで最良の部分を指摘して、評価するだろう。モンテツェーモロは長所をたくさん持っているが、就任中に、布を織り出すことーー労働組合主義の最良の部分を支えることが出来なかった。期待したいのは、この分野で、エンマ・マルチェガリヤ(次期会長)がより有能であることだ。

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モンテツェーモロ、労働組合を攻撃

Montezemolo3 イタリア産業総連盟(Confindustria)会長のモンテツェーモロは、労働組合を激しく非難した(4月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

モンテツェーモロは次期会長エンマ・マルチェガリアとの交代を控え、最後の論争を労働組合に挑んだ。

「選挙の結果は、われわれが以前から言ってきたことを裏付けた。労働者は、もはや具体的な問題の本当の解答を与えてくれない政治勢力や社会勢力を、自分たちの代表とは感じていないのだ」。かみそりの一撃であった。それは呼びかけでもあった。

この国は「成長するために変わらねばならない」。イタリアは「二つの顔を持っている。一つは、輸出や競争力を増している国、もう一つは先進国でもっとも遅れた国という顔だ」

「われわれは現代的な労働組合を必要としている。社会的に緊急を要する貧困と対応するためにもそれが必要なのだ」

モンテツェーモロはトリノのリンゴット(フィアットがある)で話したが、観客席の前列にはイタリアの企業家の主要メンバーが勢揃いしていた。

「日曜日の投票で、新たな局面が開かれた。選挙法は気に入らないが、とてもポジティヴなものがある。明確な多数派と議会の勢力図の単純化だ」。これによって、「改革の季節」が可能となる。イタリアに「他の選択肢」はない。

労働組合は「目を開くべきだ」。「反企業、反市場の勢力の敗北」に学ぶべきである。

「労働者は、労働組合よりも、われわれの立場にずっと近い」。さらには、「労働組合は、拒否権の専門家集団だ」と切り捨てた。

労働組合の側からは、すぐに反応があった。Cgilの書記長グリエルモ・エピファーニは「こうした過激論者的な言葉は、火に焼かれて、吹き飛ばされるだろう。Cgilは労働者の安全のテーマをはじめとして、労働者への分配や権利のために働いていく」。Uilのルイジ・アンジェレッティは皮肉たっぷりである。「労働者が、労働組合より企業家に近いだって?もしそうなら、みんな満足しているだろうよ」。Cislのラッファエーレ・ボナンニは「狭量な攻撃だ」としている。

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エミリア・ロマーニャ州の投票分析

Enza 社会学者のファウスト・アンデルリーニによるエミリア・ロマーニャ州の投票分析がコッリエーレ・デッラ・セーラ紙に掲載されている(4月19日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ファウスト・アンデルリーニはすべては恩赦から始まったと確信している。そこから急進左派からの票の流動が始まったのだと。「忘れてならないのは、ここは皆、イタリア共産党の同胞で、大学の文化のかたわらに、強い地域の要素があったことです」。

社会学者は、ボローニャおよびエミリア・ロマーニャ州の選挙民の「法と秩序」への性向を、シニストラ・アルコバレーノの敗因とそれにともなう北部同盟の成功の要因としてあげる。つまり、北部同盟のメリットではなく、アルコバレーノのデメリットであったと。「シニストラ・アルコバレーノ(左の虹、急進左派)は、ポストモダンな選挙キャンペーンを実施したんです。リーダーたちは、トランスジェンダーや、多様性の運動を基礎にすえたのです」

彼は2006年の調査結果を取り出す。ボローニャ県の左派の投票者で、下層中産階級の人たちは、インタビューをうけた半数以上の人が、「法と秩序」の問題を指摘しており、移民への反発、町での治安改善を求めていた。

「何を驚くことがありましょう?北部同盟支持の日雇い労働者は、ここから生まれたのですよ。エミリア・ロマーニャ州の工場労働者の運動は、地域の閉鎖空間に基礎を置いていました。自分たちの仕事を守るためです。よそ者嫌いでもあったんです。ヴェネトや州境からやってきて《スト破り》をしたものは、めった打ちにされたんです。これが古き共産党によって蓄積されていたんです。言わば、われわれのアルバムの一ページだったんです。北部同盟が編み出しものは何もありません。単に、もともとの所有者が捨て去った者を、拾っただけなんですよ。社会学の用語を使って言えば、シニストラ・アルコバレーノは、有権者に対して完全に失調者だった」。

北部同盟に対し、赤い要塞といわれたエミリア・ロマーニャ州の扉が開いた。これは1994年にも生じた。「現在のは違うんですよ。(1994年)当時は、ボッシはエミリア・ロマーニャ州の白い(カトリック系の)票をあさったのです。キリスト教民主党がなくなって、行き場を失っていた票をね。皆、ポー川に注目しますが、重要なのはエンツァ川(写真)です。この川は、パルマとレッジョ・エミリアを分ける川です。1994年には、北部同盟は、この川を渡らなかった。今日、彼らは渡ったのです」。

「レッジョ・エミーリアやモデナのように産業の発展したところでは、地域住民とEU圏外外国人の関係の問題は、より切実なものとなっています。今や、北部同盟は、左派のサブカルチャーの残滓を食べているんですよ。彼らは、彼らに投票しなかった人の心にも入ってきた。選挙は別としても、これは新たな文化現象で、持続的なものとなるでしょう」。

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赤いエミリア・ロマーニャ州へ北部同盟、進出

Emilia 従来、赤い(左派が強い)とされていたエミリア・ロマーニャ州で、北部同盟が票を伸ばした経緯について、コッリエーレ・デッラ・セーラ紙が特集記事(Focus)を組んでいる(4月19日)。

州全体としては、前回2006年と2008年では投票行動は次のように変わった。

急進左派
2006年 10,06%
2008年 4,24%

中道左派
2006年 46、49%
2008年 49,92%

中道右派 
2006年 32,62%(うち北部同盟3,92%)
2008年 36,26%(うち北部同盟7,76%)

エミリア・ロマーニャ州での北部同盟の獲得票はほぼ倍増したのである。

カヴリアーゴというエミリア・ロマーニャ州の町は、2つのことで有名である。レーニンの胸像を1920年にソ連共産党の支部から贈呈され、レーニンはこの町の名誉町長になっている。もう一つは、BBCやCNNも放送したのだが、町のサービスの高さである。町の保育所はアメリカからも見学に訪れ、幼稚園は、希望者が100%入れる、お年寄りの在宅サービスもあり、ゴミの分別収集は78%に達している。しかし、カヴリアーゴで何かが起こった。北部同盟の票が倍にはいかなかったが、前回より83%増えて、6,26%の得票率となったのである。

この町には、北部同盟の支部はなく、代表もいない。入れた人などいないようにさえ見える。そこで、民主党の支部に行ってみる。ここの書記は24歳、ミルコ・トゥティーノで、政治学部の卒業。この町のパノラマは、ヴェネト平原とさほど変わらないという。農産物の倉庫があり、耕地があり、また倉庫がある。

似ているのはそれにとどまらない。「われわれとヴェネト州は大きくは変わらないですよ。北部同盟はうまく行政をやって、住民の実際的な要求を満足させているんです。そうでなかったら、住民は投票しないでしょう。簡単な話ですよ」

この町は文化センターを建てるのだが、モンテベッルーナの北部同盟の支配する地方政府が建てたものをモデルにし、部分的にはミラノ県のやはり北部同盟が支配するリッソーネの文化センターの仕組みを取り入れるという。「なぜ、驚くのですか?」とトゥティーノは聞く。

フィウマルボという別の町では、1996年には北部同盟の得票率は9%だった。今回の選挙では29,4%で、エミリア・ロマーニャ州全体でもっとも高い数値となった。「ここにはEU圏外の外国人(extracomunitari)はいません。問題は別のところで、水道網とか商売の衰退です」

さらに別の町サッスオーロにはロリス・マゼッリという投票行動を急進左派から北部同盟に移した工場労働者がいる。彼は、イタリア共産主義者党のディリベルトが町を訪れた時に、「私の妻がスーパーマーケットにいくと、買ったものを運ぶとき、いつも背後を気にしていないといけない。北アフリカ人がたくさんいて盗られるからですよ」それに対するディリベルトの返答は、イズモがたくさんあるもので、おおむね次のような趣旨だった「グローバリズムを過小評価するべきではないが、第三世界支援という選択を捨て去るわけにもいかない」。その返答について考え、マゼッリは支持を変えた。

モデナからサッスオーロ、カルピにかけては大型トラック(Tir)がうなりをあげてエミリア街道を通り抜ける。この地帯では、シニストラ・アルコバレーノ(左の虹)が票を失い、北部同盟が票を獲得した。北部同盟は同じことをくどくどと言っている。EU圏外の外国人(extracomunitari)の問題である。

「数え切れない(ennesimo)」という形容詞があちこちに並ぶ。数え切れないひったくり、数え切れない麻薬売人の逮捕、数え切れない喧嘩。モデナ県はもっとも移民の密度が高い地域である。軽犯罪の発生率は、この3年上がり続けている。ここで北部同盟に宗旨替えしたマウロ・マンフレディーニ、65歳はもと共産党員である。市場で、ニット製品を売っていた。「私が愛していたイタリア共産党は、北部同盟とそんなに違わないんだよ」という。「地域に根ざした政党、そこの住民を守る、それがエミリア・ロマーニャ州のイタリア共産党だったんだ」。

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ベルルスコーニ、アエロフロートとも交渉

Alitalia5 ベルルスコーニは、アリタリアの提携・買収先としてアエロフロートとも交渉する約束を、プーチンからとりつけた(4月19日)。

プーチンはサルデーニャ島のベルルスコーニの別荘に招待されているが、そこでの会談で、アリタリアをめぐる交渉にアエロフロートも参加するよう求め、プーチンもそれを了承した。

しかしプーチンは、「状況は容易ではない。債務を清算し、利益がでるようにしなければならない」、さらに、「経営の健全化について話さなければならないが、それには政府や組合との交渉を避けて通るわけにはいかない」とも語った。「ベルルスコーニの申し出は可能性がある」。

一方で、ベルルスコーニの顧問でジャンニ・レッタは、甥でプローディ政権の首相補佐官のエンリーコ・レッタのオフィスで、エア・フランスと交渉を開始している。

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2008年4月19日 (土)

票の流動の分析

Walt_181541180x140 コッリエーレ・デッラ・セーラ紙に票の流動の分析が掲載されている(4月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

この分析は Renato Mannheimer によるので、彼はミラノ・ビコッカ大の社会学(世論調査分析)の教授で、Raiのテレビ討論番組ポルタ・ア・ポルタに協力している。

以下、Renato Mannheimer による分析(の要約)である。

日曜日と月曜日の有権者の行動には2つの傾向が見られる。それによってこれまでの政治体制が転覆したとも考えられ、「第三共和制」の始まりと考える人もいる。

1)二極化、すなわち少数の政党への票の集中は、下院・上院をよりよく機能させると考えられる。この現象は、ヴェルトローニおよびベルルスコーニにより与えられた選択肢や、選挙法で規定された議員を得るための最低得票率という規制や、とりわけ、有権者の選択によってなされた。

この傾向の最大の犠牲者は、急進左派である。現在の調査段階によると、前回2006年、急進左派に投票した人の半数以下しかベルティノッティが新たに形成したアルコバレーノに投票していない。残りの半数以上は、いわゆる「有効な」投票をしたり、過去においてプローディ政権の政策遂行を、何らかの形で、さまたげたことを「罰する」行動にでたのである。

多くの問題や決定に対して、急進左派がとった「ノー」は、有権者から評価されなかった。かつて急進左派に投票した人でかなりの割合の人が棄権に転じてもいる。また、異なったグループの急進性を選択し、北部同盟やディ・ピエトロ(Idv)に投じた人もいる。

シニストラ・アルコバレーノ(左の虹)の敗退からもっとも利益をえたのは民主党である。が、民主党は、2006年に得た票の一部をUdcに奪われている。Udcは中身がかなり入れ替わっている。現在の投票者で前回も同党に入れていた人は3分の2にすぎないのだ。

2)急進化(radicalizzazione).最初のコメントではあまり出てこなかったが、結果には強く出ている。中道右派も中道左派も、連立したラディカルな相手、北部同盟とIdvが獲得票を大きくのばしているのだ。北部同盟の躍進は従来の右・左の対置からはずれた有権者がでてきたことを示している。北部同盟の「横断的な」投票者たちは、自分たちを「中道」と表現したりするのである。また、階級的にもさまざまな階層からなっているーー工場労働者、企業家、主婦、失業者。

要するに、イタリアの政治システムは突如として、ほとんど革命的に変わったのである。単純化し、ラディカルな勢力が増え、特に地域政党(北部同盟のこと)が成功をおさめた結果、この国第三の政党になったのである。

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南部では、周辺部でPdlの票がのびた

Elettorale_49336 今回のイタリア総選挙では、南部では都市部のみでなく、周辺部でもPdlの票がのびた(4月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

南部では、モリーゼ州をのぞき(ディ・ピエトロの地元で、Idvが票をのばした)、すべての州で、Pdl(自由の人民)が2006年(この時は、フォルツァ・イタリアと国民同盟)の総選挙のときより獲得票を増やしている。

各州の2008年と2006年のPdlの得票率は次の通り:

アブルッツォ
2008 41,58
2006 37,04(内訳フォルツァ・イタリア22,78,国民同盟14,26)

モリーゼ
2008 36,47
2006 37,77(Fi26,61,An11,16)

プーリア
2008 45,62
2006 40,47(Fi27,29、An13,18)

カラーブリア
2008 41,23
2006 31,74(Fi20,72、An11,02)

バジリカータ
2008 36,78
2006 30,59(Fi19,82、An10,77)

カンパーニャ
2008 49,08
2006 39,07(Fi27,2、An11,87)

シチリア
2008 46,63
2006 40,1(Fi29,4、An10,7)

サルデーニャ
2008 42,44
2006 35,44(Fi22,55、An12,89)

たとえばナポリの美しい地区ヴォメロでは、Pdlの票は43%であった。しかし、郊外のセコンディリアーノでは57%にはねあがる。同じことがサルデーニャ州のカリアリでも生じた。中心部でのPdlの獲得率は42%だが、庶民的な地域のサンテリアでは45%となり、実質的に郊外のサンテレナ地区では53%に達する。

こうした傾向は、プーリアでも、シチリアでも、カラーブリアでも、南部いたるところで同じなのだ。中心部よりも周辺部でPdlの得票率が高いのである。

だから南部では、北部の場合とは異なり、北部同盟の助けなしで勝利をおさめている。投票しているのは、企業家や自由な専門職業人だけではない。サラーリーマン、労働者、教師、彼らはかつては左派に投票していた人たちだ。

固定資産税の減税や、新生児へのボーナスが説得力を持ったのかもしれない。

またサルデーニャでは、前政権により、浜辺から500メートルから2キロのところでは建築を禁止してしまった。環境保護派からは賞賛されたが、サルヴァトーレ、チクによると、サルデーニャ州全体では、2万4000人の失業者を生み出したという。

また、シチリアでは、北部同盟の対応物として Movimento per l'Autonomia (Mpa, 自治への運動)が結成され Pdl と連合して戦ったが、この Lega Sud 南部同盟とでも言うべき政党は、決定的な成功をおさめることは出来なかった。得票率は、シラクーサで6,25%、トラーパニで4,81%、アグリジェントで5,91%、カターニャで14,26%といったところである。

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ローマ市長選、Udc は自由投票へ

Veltroni_leggio_pugno_inf200x150 4月27,28日に決戦投票が実施されるローマ市長選で、キャスティング・ボードを握るとみられるUdc票は、自由投票になりそうだ(4月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

民主党のリーダーで前ローマ市長のヴェルトローニはUdcのリーダー、カジーニと直接会って協力を求めた。しかし明快な支持の言葉は得られなかった。

Udcのローマでの票は5万2千票あまりと見積もられている。

ベルルスコーニは、他の都市と同様に中道右派の勝利を、と繰り返し呼びかけている。

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ボッシ:幹部会はもういい、ベルルスコーニとだけ話す

Bossi_2 ベルルスコーニ政権が組閣を控えて新与党連合の内部から不協和音が聞こえてきた(4月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

水曜日の幹部会、ボッシ、ベルルスコーニ、フィーニ、ラッファエーレ・ロンバルドの四者会談で、もめたことについては、ベルルスコーニは否定している。

しかしボッシは、この幹部会のあと、北部同盟のなかで、もう幹部会でなくて、ベルルスコーニとのみ話すという趣旨の手紙を配布した。

北部同盟がその手紙の中で重視しているのは(大文字で強調しているのは)、連邦主義(Federalismo) と治安(Sicurezza) である。彼らは、大臣のポストも、改革大臣と内務大臣を要求している。

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アリタリア、緊急融資で超党派合意

Alitalia2 アリタリアに対する緊急融資で左右が合意した(4月18日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

緊急融資の額は1億ユーロ程度になるもよう。

アリタリアの将来に関しては、ベルルスコーニはフランスのサルコジ大統領と会って話すとしている。

任期切れ間近のプローディ内閣と次期の政権を担う政党幹部の会談によって合意が成立した。

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2008年4月18日 (金)

票の流動 (2)

Arcobaleno総選挙で、前回2006年と、投票した政党を変えた人の解析の続きであるが、急進左派アルコバレーノの敗因分析でもある(4月17日、レプッブリカ)。

la Sinistra lArcobaleno(左派の虹)は、もともと急進左派の政党の寄り合い所帯として出来上がったものであるが、ここでは代表的な三党が解析されている。三党はいずれも、アルコバレーノを形成している左派政党である。

再建共産党(Rifondazione Comunista) ベルティノッティが実質的リーダー。
アルコバレーノ 38,4%
民主党とIdv   46,9%
Pdl        5,1%
その他      9,6%

40,3%もの票が、民主党に流れている。Idvに流れた票が6%あまりある。つまり、前回は再建共産党にいれた人の約半分が民主党およびIdvに投票したのである。

イタリア共産主義者党 
アルコバレーノ 20,0%
民主党とIdv  55,5%
Pdl        5,6%
その他      18,9%

こちらも48,1%が民主党にながれ、Idvに6,4%流れている。合計で55,5%(1%計算が合わないが、イタリアの新聞では、こういうことはままありますー管理人註)が、民主党、Idvの連合に流れた。

緑の党(Verdi) 党首はペコラーロ・スカーニョ
アルコバレーノ  24,8%
民主党とIdv   56,4%
Pdl         8,0%
その他       10,8%

民主党に45,1%、Idvに11,3%が流出した。

以上の数字は、調査会社Piepoliの調べによるものであるが、今回は、前回急進左派に投票していて、そのままアルコバレーノにいれた人が、それぞれの党で、38,4%、20,0%、24,8%と非常に低いのが特徴である。

流出も、民主党ばかりでなく、ベルルスコーニのところにまで及んでいる。

また前回、急進左派に投票して今回、棄権した人は18%に及んでいる。

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票の流動 (1)

Dipietro 今回のイタリア総選挙で、票の動き、前回と投票行動を変えた有権者は、どこからどこへ変えたのかが、解析されている(4月17日、レプッブリカ)。

民主党(Pd)この党は新たに出来て前回2006年には存在していない
フォルツァ・イタリア 3,6%
ウリーヴォ     63,9%
再建共産党     6,6%
イタリア共産主義者 2,2%
Idv           1,6%

ウリーヴォが多いのは当然だが、問題とされているのは、再建共産党やイタリア共産主義者など急進左派の票を食ってしまい、逆に中道の票は食い込めなかった点である。

Udc カジーニ率いる中道派で、2006年はベルルスコーニと連立を組んでいたが、今回は単独で出た
フォルツァ・イタリア 15,5%
国民同盟       7,2%
UdC         34,4%
ウリーヴォ      13,6%
Udeur        2,4%

もとの連立相手から流れた票が多いが、ウリーヴォからも票がかなりUdcに流れたことが判る。

Pdl (Popolo della Liberta')ベルルスコーニがフォルツァ・イタリアと国民同盟を融合させて作った連合である
フォルツァ・イタリア  62,0%
国民同盟       17,1%
UdC                       2,2%
ウリーヴォ       3,3%
再建共産党      0,6%

フォルツァ・イタリアと国民同盟が多いのは当然である。

北部同盟(Lega Nord)
フォルツァ・イタリア 18,9%
国民同盟       11,9%
UdC          2,9%
ウリーヴォ       2,9%
緑の党         0,6%

連立相手のフォルツァ・イタリアや国民同盟からこちらに流れている票が決して少なくないことが判る。

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教皇、渡米

Bush_e_papa 教皇ベネデット16世が渡米している(4月17日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

教皇はブッシュ米大統領と長時間にわたって、私的に会談した。会談の中身は、生命、結婚、家族を将来世代のための制度として守ること、持続可能な発展を促進すること、貧困や伝染病との戦い(特にアフリカ)、イスラエルとパレスチナの問題など多岐にわたった。教皇と大統領(および夫人と子供)は、大統領の執務室で家庭のために祈った。

また、アメリカの436人のカトリック司教を前に、ペドフィリア(幼児性愛)の司祭の問題の処理は最悪の仕方でなされたと初めて公式に認めた。最悪の仕方ということについて、具体的な言及はなされなかったが、現地では、ペドフィリアの司祭を、職を解くことなく、配置替えしていた処置への言及と解釈されている。

また、ラッツィンガー教皇の81歳の誕生日は盛大に祝われた。

教皇は、18歳のときに、若きドイツ兵(ただし銃弾を放ったことはない)としてアメリカ兵に逮捕された経験を持っている。何もないアウトバーンを三日にわたって歩かされた。しかし、アメリカがドイツに対して復讐的行為に走らなかったことで、若き日のラッツィンガーはアメリカを尊敬するようになったという。

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2008年4月17日 (木)

ローマ市長選、票の奪い合い

Pacifici ローマ市長選は、4月27日、28日に決戦投票が実施されるが、中道右派、中道左派ともに必死の票の奪いあいが始まった(4月17日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

第一回投票で、中道左派のルテッリは45,7%、アレマンノは40,7%の得票率だった。右派のストラーチェは得票率3%であったが、アレマンノ支持にまわった。この動きに対し、ローマのユダヤ人共同体の新会長、リッカルド・パチフィチ(写真)は、ファシズムにノスタルジアを感じている勢力をとりこもうとする動きに対してノーをつきつけた。

また、ローマは上院では3,3%、下院では4,1%の票をUdc(Unione di Centro)が獲得しており、両陣営とも、カジーニをはじめとするUdcの取り込みに動き出した。

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プローディ民主党議長を辞任

Prodi01g_3 プローディは民主党議長を辞任する意向を明らかにした(4月17日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ニューヨークで国連のアフリカ関係の首脳会議に出席していたロマーノ・プローディは民主党の議長職を辞任する意向を記者団に明らかにした。

首相は、友人たちには、「私の時代は終わった。私は二度、ベルルスコーニを破ったが、二度とも、最後まで政策をなしとげることが出来なかった。もう十分だ。あとは新たな人たちが前にすすめばよい」ともらした。

プローディは、すでにヴェルトローニには手紙で辞任の意向を伝えているという。「手紙は復活祭の日に書いた。選挙キャンペーンや選挙結果と関連づけられないために」と説明している。

プローディは民主党を作る構想をずっと温めてきただけに、ヴェルトローニとの断絶を選挙の失敗に結びつける人もいる。

首相は、今は数ヶ月の休暇が待ち遠しい、20年間待ち続けたのだから、と語った。

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落選した有名議員

Pecoraro_scanio Luxuria2 Santanche   今回の総選挙で、多くの有名議員が落選した(4月15,16日、コッリエーレ・デッラ・セーラなど)。

ベルティノッティをはじめとする急進左派のリーダーは皆、姿を消した。その中には緑の党のペコラーロ・スカーニョ(環境大臣、写真上)も含まれる。

また、再建共産党から下院議員になった初のトランスジェンダー議員ルクスリア(写真中)は、最初は疑いのまなざしで見られていたものの、やがて左右両派から評価されるようになっていた。

また右派ではダニエラ・サンタンケ(写真下)、ストラーチェなどが沈没した。

社会党のボゼッリ、Arcigay 名誉会長のフランコ・グリッリーニ、グローバル化反対の急先鋒フランチェスコ・カルーソ、大ベテランのチリアコ・デ・ミータも民主党からUdcへと移ったが姿を消した。

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固定資産税が廃止されると、市町村の財源はどうなるのか?

Ici 固定資産税が廃止されると、市町村の税収はどうなるのか、という記事がレプッブリカのフィレンツェ版に載っている(4月16日、レプッブリカ)。

ベルルスコーニは、総選挙後、初の記者会見で、最初の家に対する固定資産税(ici, imposta comunale sugli immobili) を廃止すると言明した。

ici はcomunale という言葉から判るように comune (市町村)に入ってくる税収である。IciとIrpef(個人所得税)が市町村に入ってくる税収なのである。

フィレンツェの場合、その歳入は1億4000万ユーロ、リヴォルノでは2250万ユーロ、ルッカでは2200万ユーロになるという。

フィレンツェの場合、固定資産税を全廃してしまえば1億4000万ユーロの税収がなくなるし、最初の家に限定しても1億1000万ユーロの歳入が消えると見積もられている。

プローディの最後の予算案で最初の家に関しては200ユーロの減税をする予定で、フィレンツェ市にとっては1000-1200万ユーロの歳入がなくなる予定だった。しかし、今回の減税策は桁がひとけた違う。

仮に、Irpef(個人所得税)の税率を1000分の0,3から0,8にあげても、2500万ユーロの増収で、固定資産税の減収分よりはるかに少ない額である。

ちなみに固定資産税が廃止された場合、フィレンツェでは一家庭あたり、330ユーロ(約5万円)の減税になる。

追記:この記事で、Irpefと言っているのは厳密には、addizionale comunale all'irpef で、市町村にはいる付加税である。この付加税(addizionale comunale)は、税率が低いものの住民は全員が払うようだ。Irpef自体は、収入によって税率が変わり、10%、20%という単位の税率(実際にはもっと細かい区分がある)であり、また国税である。

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広がる北部同盟支持者

Lega_nord総選挙で躍進をとげた北部同盟についてコッリエーレ・デッラ・セーラ紙が特集を組んでいる(4月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

Focus という二面つづきの記事で、現代のイタリアが抱える問題を、少し掘り下げて長目の記事でとりあげている。以前に当ブログで紹介した外国人のお手伝い(badante)の問題なども取り上げていた。

北部同盟(Lega Nordであるが、単にLega と呼ばれることも多い。また Carroccio と呼ばれることもある。この記事の副題は Il boom del Carroccio)の今回の得票数はめざましいものがあった。下院では300万票を越え、上院では260万票あまりだった。

ロンバルディア州だけでも130万票に達しているが、前回、2年前の選挙では、イタリア全土で170万票しかなかったのである。

マルケ州でも初の北部同盟の下院議員が誕生した。「モンテフェルトロでは10%近くいったんです」とルーカ・ロドルフォ・パオリーニ議員。北部同盟は歯に衣きせずに語る、「ここでは月1000ユーロで暮らしている人がいる。非合法移民たちはまったく税金を払っていない」

新たな北部同盟を率いるのは、小さな市町村である。たとえばセリーナ(ベルガモ県)のミケーレ・ヴィッラルボイトは76,18%の記録的得票率をほこる。また、チッタデッラではマッシモ・ビトンチがある条例で有名になった。移民に最低5000ユーロの収入と一人あたり最低14平米の住居を求めたのである。すべての人が抗議したが、今日、得票率は42パーセントで、Pdlの二倍である。

フランチェスコ・タブラディーニによれば、北部同盟成功の秘密は、「まさに市長の運動にある」。ビトンチの条例は、ジブシーの居住地(campi Rom)の問題に取り組むときのモデルになり、エットレ・フスコは今回、市長に当選した。

北部同盟の市長は1990年、チェーネ(ベルガモ県)で誕生した。フランコ・ボルトロッティである。現在の市長はジョルジョ・ヴァローティで、17%票を伸ばした。秘密は?「ベルガモ県には40の市長がよく統治している。われわれを無神経と責めるが、違うんですよ。われわれは300人の移民を統合しようとしたが、彼らはそれを望んでいない。例をあげましょう。毎年、新生児に対し、一本の木を植えています。両親を招きます、全員招くんですが、移民は一度も来ないんです」

ボッシは「われわれは労働者の党だ」と宣言する。パダーナの労働組合活動家のロジー・マウロは「われわれは工場で、労働者とともにある」。ヴァレンティーノ・パルラートは、「今やCgil(左派の労働組合)でも北部同盟に投票するんだ」という。北部同盟はトリノのフィアットのミラフィオーリ工場に支部を開設するが、まったく抗議運動はなかったという。

北部同盟は労働者に何を提供するのか?「働き場所の防衛だ。左派は彼らを見捨てた、労働組合と同様に」。労働者の多くは南部出身だが、障害にならないのか?「とんでもない。昔の北部同盟ではない。僕の父はカンパーニャ州出身で、多くの仲間が南部出身者だ」。新たに選出された北部同盟議員のエマヌエーラ・ムネラートは、ロヴィーゴの繊維会社の労働者である。

ロンバルディア州の民主党員で、もとCgilのリーダー、アントニオ・パンツェーリは語る。「北部同盟は、労働者階層にもめざましい浸透を見せている。歴史的には、労働者は違った方向を向いていたのだが。彼らは一貫性と闘争が評価されている。移民、治安、財政の連邦制、官僚制のスリム化。すべてのテーマが、いまや、階級横断的なものなのです」

北部同盟の得票率の推移は以下の通り:

1992年:Mani pulite (汚職摘発)の季節がはじまった直後で北部同盟にとって二度目の国政選挙 
8,6%

1994年:北部同盟はベルルスコーニと組んで、Polo delle liberta'(自由の極)として戦った。ベルルスコーニは政権を取ったが、数ヶ月後にボッシが連立から脱け、政権は倒れた
8,4%

1996年:プローディ率いる連合が勝利したが、北部同盟は単独で選挙戦を戦い、史上最高の票を獲得した。この年、ボッシはパダーニャの独立を宣言した
10,4%

2001年:ボッシとベルルスコーニの同盟。Casa delle liberta'(自由の家)で戦う。選挙には勝つが、北部同盟としては史上最低の得票率。ボッシは大臣になる
3,9%

2006年:二年前の選挙戦はボッシの健康状態が悪かった。2004年に心臓発作を起こし、徐々に快復しつつある。選挙は Unione(中道左派連合)が勝つ
4,6%

2008年:ボッシは健康状態が快復し、選挙運動を率いた
8,3%

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エスプレッソの貴公子Illy破れる

Illy2 コーヒー界のプリンス、Riccardo Illy は州知事選に破れた(4月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

Riccardo Illy はもともとは祖父が創設した会社で働いてたが1993年、トリエステの市長に立候補し、当選。

その後、2003年にフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の州知事に立候補し、その時は53,1%の得票率で当選した。

今回は、民主党に逆風が吹いたこともあり、46,2%の得票率で、レンツォ・トンドに破れた。中道右派のトンドは53,8%の得票率で勝利をおさめたが、ホテル経営者である。

イッリにとっては、初の敗北となる。

新知事は、イッリに州議会にとどまるよう呼びかけたが、イッリはそれをしりぞけ会社に戻るとしている。

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ベルルスコーニ減税策発表

Silvioberlusconipicture1 総選挙で勝利をおさめたベルルスコーニはテレビ・ラジオを通じて、減税策を発表した(4月16日、Il Sole 24 Ore).

ベルルスコーニは一週間以内に組閣を終え、初の閣議をナポリで開き、減税の暫定措置令(decreto legge)を準備中であるとしている。

減税策は3つの柱がある、。

1.最初の家の固定資産税(Ici=imposta comunale sugli immobili)を廃止する。これに必要な財源は15億ー20億ユーロ。

2.時間外労働に対しては一律10パーセントの税にする(減税)。財源は20億ユーロ。

3.赤ちゃんへのボーナス。新生児に1000ユーロをプレゼント。財源は5億ユーロ。

以上で、40億ー45億の減税となる予定だ。

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2008年4月16日 (水)

ローマ市長選、決戦投票へ

Rutelli 総選挙と同時に実施されたローマ市長選は、決選投票にもつれこんだ(4月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

総選挙と同時にいくつかの州、市町村でも地方選が実施されていたが、もっとも注目されていたものの一つが首都ローマの市長選である。

事実上、中道左派のフランチェスコ・ルテッリ(写真)と中道右派のジャンニ・アレマンノの一騎打ちと見られていた。二人の得票率は、ルテッリが46,0%、アレマンノが40,3%、その他はストラーチェが3%(以下省略)ということで、過半数を制した候補がいなかったので、上位2者の決戦投票となった。

ルテッリは、元ローマ市長であり、なおかつローマは中道左派が強いところなのだが、予想以上の苦戦をしいられている。

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チャンピ:北部同盟は変わった、すぐに改革を

Ciampi20carlo20azegliio チャンピ前大統領へのインタビューがコッリエーレ・デッラ・セーラ紙に掲載されている(4月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

記者:チャンピ大統領、(Presidente Ciampi と呼びかけている。昨日のコッシーガ元大統領へは、別の記者であるが、Senatore 上院議員、と呼びかけている。もちろん、現職の大統領はナポリターノ大統領である。大使なども、現職をしりぞいても大使と呼ばれるようだ)投票結果をうけて、第二共和制が終わったと言ってもよいでしょうか?

チャンピ:第一、第二、第三共和制というのは、私にとっては、あまり多くの意味を持たない定義だ。たしかに、今始まる季節は、政治や政治体制にとって新たなより成熟した局面に入った。

そう認めるには少なくとも二つの動機がある。1.選挙運動中から昨日まで、すべてが秩序だって行われ、実質的に、おのおのの権利が尊重された。2.二極制が固まった、たとえ、議会から痛ましい退場があったにもせよ

記者:いわゆる「急進」左派の退場のことですか?

チャンピ:そうだ。これらの政党は、社会的軋轢の本当に贖う場所であったかどうかはともかく、末端のグループの代表となっていたからだ。彼らの議会からの退場は、予測できない危険を新たに開くおそれがある。

記者:中道右派のこのような決定的成功を予想していましたか?

チャンピ:我々はみな、現在の選挙法ではこうしたシナリオはありえないという考えに影響されていた。だから、結構驚いた。今回の勝利は過半数を得たのだから、だれもアリバイを主張できない。困難は大きいが、ここ何年か出来なかったことをやらねばならない。

記者:プローディ政権にとって不利になった当初の財政赤字、構造改革を開始する前に自爆してしまいましたね。

チャンピ:本当に、この国はしばらく前から停滞している。中道左派が政権をとったこの2年よりも前からだ。たしかに、2006年から2008年の間の首相府の耐久力は、綱渡り状態で、毎日が妥協、断絶、条件闘争、仲介の連続だった。だから、この政権はいつもあえいでいる状態で、首相の粘り強い交渉にもかかわらず、とうとう倒れてしまった。

記者:ベルルスコーニの「ミッション」は何でしょう?

チャンピ:緊急を要するのは、経済面と社会面だ。特に家計の苦しい家庭だ...また、財政赤字を減らさなければならない。また、研究と公的教育への投資をともなった経済発展と競争力をます緊急プログラムが必要だ。

記者:政治体制の改革は優先ではありませんか?

チャンピ:もちろん重要だ。国家の仕組みをスリムにしなければならない。鍵になるのは、市民の自由と国家の統一だ。

記者:ボッシが政府を人質にとり、事実上の割譲をせまるとおそれる人もいますが?

チャンピ:そういう危険性はないと思う。北部同盟(Lega Nord)も進化をとげたんだ。彼らが求めているのは財政的な連邦制だ。それは、イタリアでもっとも弱い部分への連帯を否定するものではない。

記者:民主党の敗北はどう思いますか?

チャンピ:とても厳しいゲームを、ヴェルトローニはしたんだ。彼は将来に投資をし、ともかくも、重要な革新、我が国のばらばらだった政治的枠組みを単純化した。そして、かれの用いた論調により、政治の風土を解毒した。これだけは言っておくべきだ。

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議席数ほぼ確定

Senato イタリア総選挙は、海外在住者の票をのぞき、開票作業が終わり、議席がほぼ確定した(4月16日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

上院(終身議員を除く)は全部で315議席:

与党はPdl144、北部同盟(Lega Nord)25、Mpa2で合計171議席。野党は、民主党(Pd)116、イタリアの価値(Idv)14、Udc3となっている。PdとIdcを合計すると130議席となる。また独立系が5議席ある。さらに、海外選挙区の議席6がまだ確定していない。

下院は全部で630議席:

与党はPdl272,北部同盟60,Mpa8で340議席。野党は、民主党211、Idv28、Udc36で、PdとIdcを合計すると239議席となる。その他が3議席。海外区12議席がまだ確定していない。

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フェッラーリ、鼻先を変える

Massa04gフェッラーリが鼻先を変えて、より速くなった(4月15日、スタンパ)。

新型は(写真は古い型)鼻先の吸入口がない。前から入ってきた空気は、車体の上に開いた穴から逃がす形である。

中央部に開いたトンネル(鼻の下に開いているので見えにくい)のおかげで、前部のアエロダイナミックな圧力が軽減される、とのこと。フェッラーリの鼻は高い位置にあるので、空気抵抗も大きかったのだが、それを軽減できるわけだ。

ねらいとしては、カーブにおけるグリップ力を減らさずに、速度を増すということだ。

フェッラーリはこの変更を昨年の12月から予告していたが、春に延び、ついに実施された。

このアイデアはNicolas Tombazis がマクラーレンにいたときから考えていたのだが、車体を作りあげるのが困難で実現していなかった。

この鼻先のしたの穴は、先週、風洞実験がなされ、今回実際のピスタでの走行がなされた。

試験走行に成功すれば、スペインGPから投入されるという。

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ジュリアーノ・フェッラーラ惨敗

Giulianoferrara ジャーナリストのジュリアーノ・フェッラーラは、中絶反対を唱えて立候補したが惨敗した(4月15日、レプッブリカ)。

ジュリアーノ・フェッラーラは1970年代には、イタリア共産党の若手幹部であった。しかし、1994年の第一次ベルルスコーニ内閣では、議会担当相をつとめた。その後、テレビでジャーナリストとしての活動を再開し、評論家、論争家として名をはせてきた。

今回は、中絶反対《Aborto?No grazie》という名前の政党?で立候補し、本人は下院に当選する4%を獲得できると考えていたが、実際には0,4%ほどの票しかなく、惨敗した。

イタリア人は自分にブーイングをあびせた。失敗の責任はすべて自分にあるとしている。

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イタリアの民主主義は相貌を変えた

Bipolarismo われわれの民主主義は相貌を変えたと題した選挙結果の分析をトリノの新聞スタンパがのせている(4月15日、この項 La Stampa による)。

編集部のルイジ・ラ・スピーナによる分析である。

政治のマーケットで、とうとう、市民に異なったものが提供された。イタリア人は投票所にいって、それを買った。誰が勝ち、誰が負けたを越えて、これはわれわれの民主主義の相貌にとって、4月13日、14日の投票が表しているのは、より重要な結果である。

いわゆる第一共和制が崩壊して、二極的なシステムがさらに一歩を進め、実質的に二大政党制へと変質した。

象徴的次元でも、イタリアの20世紀の政治が終わったと付け加えることが出来よう。Dc(キリスト教民主党)の解党以来のことで、今回は共産党、ファシスト、社会党、自由党も姿を消した。

ヨーロッパ諸国での二大政党の得票率とイタリアの比較は次の通り。

2006年イタリア 上院
フォルツァ・イタリア+左翼民主党 46,0%

2008年イタリア
Pdl(自由の人民)+Pd(民主党) 70,0%

スペイン 2008年          83,7%

フランス 2008年          64,2%

ドイツ  2005年           71,0%

イギリス 2005年          67,6%

イタリアは昨日から、西欧型民主主義になったと主張することが出来る。しかしこのモデルは少数勢力の代表を排除するものではない。

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2008年4月15日 (火)

投票率80,5%

Ha_votato 今回のイタリア総選挙の投票率は80,5%だった(4月15日、この項Unita’およびAnsaによる)。

今回の総選挙の投票率は、上院が80,5%、下院が80,4%だった(上院と下院は有権者の年齢が25歳以上と18歳以上なので、有権者の母体が少しずれるー管理人註)。

2006年の総選挙では、上院、下院ともに投票率は83,6%であった。概算では、投票者が150万人減ったことになる。

人気ブログを運営するベッペ・グリッロは棄権を呼びかけていたが、さほど浸透しなかった。また、棄権は左派にとってより打撃となった。

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急進左派、大敗

Arcobaleno_2 急進左派のSinistra Arcobaleno(左の虹)は、総選挙で大敗を喫し、議席をすべて失った(4月15日、レプッブリカ)。

シニストラ・アルコバレーノは、中道左派がPdに結集したことに呼応して、急進左派が連合したグループである(ただし、急進党は、Pdの側に入った)。

1996年以来の急進左派の得票率の推移は以下の通り。

1996年
11,1(再建共産党8,6,緑の党2,5)

2001年
8,9(再建共産党5,0,緑の党2,2、イタリア共産主義者党1,7)

2006年
10,2(再建共産党5,8、緑の党2,1、イタリア共産主義者党2,3)

2008年
3,1

激減である。この結果、グループ全体で100人以上いた国会議員が0になってしまった。

この衝撃は津波とか地震という言葉で表現されている。

今後、このグループがどう態勢を立て直すかだが、イタリア共産主義者党のディリベルトは本部に姿を現さず、緑の党は民主党(Pd)とよりをもどす動きがある。

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社会党、116年の議会活動を背に姿を消す

Boselli イタリア社会党(Psi)は、116年の議会活動の歴史を持っているが、今回の総選挙の結果、議席をすべて失った(4月15日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

最初の社会党議員はアンドレア・コスタで、1892年に社会党員で下院議員となっている。

エンリーコ・ボゼッリ(写真)は、「左派は壊れた。1948年以来の大敗北だ。ヴェルトローニはこの敗北に大きな責任がある。国をベルルスコーニに渡してしまった」

ボゼッリは書記長の職を去る予定。

社会党は2006年には急進党とともに2,5%の得票率があったが、今回の得票率(上院)は、0,9%にとどまっている。

同党のボボ・クラクシも、連合を組むことを拒否したヴェルトローニを非難している。

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北部同盟、大躍進

Lega20nord 今回のイタリア総選挙では、北部同盟(Lega Nord)が大躍進をとげ、中道右派の勝利に大きく貢献したが、ベルルスコーニはボッシに振り回されるのではないかという懸念も浮上している(4月15日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

北部同盟は2006年の総選挙と比べ、得票率をほぼ倍増した(得票率は、まだ海外の票の開票が終了していないので確定値ではありません)。

上院では2006年の4,5%が8,1%となった。

また地域別でみると(上院の得票率)

ミラノ 14%(2006年は6,2%)

ヴェネツィア18%(2006年は6,2%)

ヴェローナ32%(2006年は13,9%)

トリーノ8,6%(2006年は4,4%)

ボローニャ4,5%(2006年は2,3%)

となっている。

ボッシは与党連合のなかでの重みを増したことに関し、「ベルルスコーニは俺の人質ではない、友達だよ。われわれは協約を尊重している」としている。

北部同盟がかかげているテーマは、連邦主義(federalismo)であり、まず財政上の連邦主義をまず達成することを求めている。選挙期間中には、北部(Padania)で払われた税金の90%はそこにとどまらねばならない、との発言をしている。

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コッシーガ元大統領の不安

Cossiga コッシーガ元大統領は、ベルルスコーニ政権の将来は非常につらいものになるだろうと予測し、テロリズムの復活を懸念している(4月15日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

元の共産党再建党、アルコバレーノが議席を失い、コッシーガは左派と議会のつながりがなくなり過激化することを懸念している。即ち、赤い旅団のような勢力の復興である。

それを阻止するためには、野党となった民主党が、労働組合、不安定雇用の極左をも吸収して、政府に対する強硬な対立行動を取るべきであるとしている。

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bipolarismo の勝利

Normal_bossi イタリア総選挙は、ベルルスコーニが勝利し、北部同盟が大躍進した(4月15日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ベルルスコーニ率いる中道右派は上院、下院ともに過半数を握った。

ミラノ大社会学教授のRenato Mannheimerは、今回の選挙の重要な局面は、bipolarismo (二極対立)が強化されたことだという。

つまり、ヴェルトローニのPdがまず単独での選挙戦に名乗りをあげ(その後、ディ・ピエトロとは連携したが)、それに呼応する形でベルルスコーニも、フォルツァ・イタリアと国民同盟(AN)がPdlを形成し、そこに北部同盟(Lega Nord)が連携した。

選挙民の10人に8人以上が、この2大勢力に投票し、小政党がはじきだされた。二大勢力のうち、どちらも内にかかえるラディカルな勢力、右派は北部同盟、左派はディ・ピエトロのIdvが大きく勢力を伸ばした。

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上院議席167対137

Stor_12724521_19200 確定値ではないが、ほぼ開票作業が終わりつつある(4月15日、この項Corriere.it等による)。

全国の投票所6万1062のうち開票作業が終了したのは5万8100。

上院は中道右派が47,26%、中道左派が38,08%。Udcは5,67%、Arcobalenoは3,22%。議席は確定ではないが、中道右派167議席、中道左派137議席となる見通し。

下院は中道右派46,66%、中道左派37,69%、Udc5,57%、Arcobaleno3,09%。下院の議席も確定ではないが、中道右派340議席、中道左派241議席、Udc34議席となる見込み。

ベルティノッティ率いるArcobaleno は上下院ともに議席0となることが確実となった。

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ベルルスコーニ勝利、本格的二大政党制へ

Pdl169 総選挙はベルルスコーニの勝利が確実となり、本格的な二大政党制(2極制、bipolarismo) が開始する(4月14日、この項 TG1による)。

上院の開票率は94パーセント。中道右派は46,8%、中道左派は38,5%。Udcは5,9%、Arcobaleno は3,6%。この結果、確定ではないが、中道右派は上院で163議席を獲得し、中道左派は141議席を獲得する見込み。

また、下院の開票率は62パーセントであるが、中道右派が45,7%、中道左派が38,9%、Udcは5,5%、Arcobalenoは3,6%。

その結果、これも確定ではないが、中道右派は340議席、中道左派は241議席、Udcは34議席、Arcobalenoは議席をまったく得られない見通しとなった。下院で議席をえるための最低得票率は4%(上院は州ごとであるが、8%)だが、それに及ばない見通しであるからだ。

今回、大きく勢力を伸ばしたのは、北部同盟(ベルルスコーニと組んだ)とディ・ピエトロのIdv(ヴェルトローニと組んだ)である。

その他の独立系の政党は、Udcをのぞきほぼ淘汰されてしまった。本格的な二大政党グループ制の始まりであるとする意見もある。

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上院開票速報

Sil169 上院の開票は開票率62パーセントの時点で、中道右派が46,4%、中道左派が37,9%の得票率となっている(4月14日、この項 RAI 1による)。

開票は上院、下院、地方選挙の順に行われる。

上院の開票62%時点での得票率は以下の通り。中道右派はPdl38,9%、Lega Nord 6,5%、Mpa1,0%で合計46,4%。中道左派は、Pd32,8%、Idv5,1%で合計37,9%である。その他の政党では、カジーニ率いるUnione di centro が5,7%、ベルティノッティ率いる Arcobaleno が4,7%となっている。

州別にみる中道右派対中道左派の得票率(途中経過)は次の通り。

バジリカータ
中道左派 46,9
中道右派 35,3

フリウリ・ベネツィア・ジュリア
中道右派 45,1
中道左派 38,8

ラツィオ
中道右派 41,9
中道左派 40,0

リグーリア
中道左派 45,0
中道右派 42,4

ロンバルディア
中道右派 52,6
中道左派 33,2

マルケ
中道左派 44,9
中道右派 38,0

モリーゼ
中道左派 43,7
中道右派 40,4

ピエモンテ
中道右派 47,5
中道左派 39,1

プーリア
中道右派 47,6
中道左派 36,5

サルデーニャ
中道右派 45,1
中道左派 39,5

シチリア
中道右派 51,3
中道左派 32,0

トスカーナ
中道左派 48,2
中道右派 35,7

ウンブリア
中道左派 46,4
中道右派 37,1

ヴェネト
中道右派  51,6
中道左派 34,4

ヴァル・ディ・アオスタとトレンティーノ・アルト・アディジェは少し作業が遅れる。

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2008年4月14日 (月)

第二回出口調査速報

Elezioni_politiche 第二回の出口調査の結果が発表された(4月14日、この項TG2による)。

下院:
Pdl 32,6ー36,0%
Lega Nord 6,0ー8,0%
Mpa 0,5ー1,5%
以上中道右派 40,0ー44,0%

PD 33,0ー37,0%
Idv 4,0ー6,0%
以上中道左派 38,0ー42,0%

上院
Pdl 32,5-36,5%
Lega Nord 6,0-8,0%
Mpa 0,5ー1,5%
以上中道右派39,0ー46,0%

Pd 33,0ー37,0%
Idv 3,5ー5,5%
以上中道左派 36,5ー42,5%

以上は、出口調査の結果であり、開票結果ではない。2年前には、出口調査の結果が最終結果と異なっていたこともあり、テレビも何度もそのことに言及している。

また各党の得票率(予想)には幅があるが、その幅のことを forchetta と称している。

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総選挙、出口調査速報

Elezioni_amministrative 総選挙の投票は14日15時に締め切られた。最初の出口調査の発表があった(4月14日、この項 TG3による)。

15時の投票終了直後にTG3(Rai3)が発表した出口調査の結果は、下院が中道右派(PdlーLega Nord-Mpa)が38,5~45,5%。中道左派(PdーIdv)が37,0~43,0%。

上院は中道右派が39,0~46,0%、中道左派が36,5~42,5%となっている。

この調査はあくまでも出口調査の数字にすぎず、開票結果ではない。また、それぞれ6、7%の幅があって最終結果がどこになるのかは判らない。

また、下院は全国の得票率で議席が決まるが、上院は州ごとに決まっていくので、州ごとの各党、各グループの得票率を見なければ、結果はわからない。

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投票率、4%下がる

Seggi_el140x1804月13日、14日に投票が実施される総選挙で、13日の投票率は2006年の総選挙とくらべ4ポイント低かった(4月14日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

4月13日22時の時点での投票率(暫定的数字)は、62,54%。2006年の総選挙の時の同時点の投票率は66,53%であった。したがって、今回は、今のところ4ポイント投票率が低い。2006年の場合は、二日目の投票をあわせると、最終的投票率は83,6%であった。

全国的に天候は良かった。

組織的な棄権の動きも一部に見られた。パレルモではある市民グループが上院、下院の投票用紙受け取りを拒否し、州議会の投票のみをした。

カンパーニャ州のマリリアーノではゴミ処理上の開設に反対して600人が投票を拒否した。

(写真は、携帯電話や撮影機器の投票ブースへの持ち込みを禁じた通告書)

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ドラーギ総裁:危機は終わっていない

Draghiwashington324x230 イタリア銀行総裁のマリオ・ドラーギは、金融危機はまだおわっておらず、行動しつづけねばならない、と語った(4月13日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ワシントンで開かれている金融安定化フォーラムで議長をつとめるドラーギは、「危機は終わっていないし、いつ終わると予測することも出来ない。行動し続ける必要がある」と語った。

フォーラムは、6月15日に日本で開かれる首脳会議に、65以上にわたる行動をうながすことを合意した。金曜日に開かれた非公式の折衝には大手の国際的銀行の代表者も参加した。

ドラーギによると、サブプライム・ローン危機の主な教訓は、「金融システムが、間違ったインセンティヴのために、リスクと規模を正しく評価せずに過剰な債務を積み上げてしまったことだ」

それゆえ、このたびのレポートでは「このようなインセンティヴが働くのを阻止し、リスクを評価して経営し、債務があまりに高いレベルになるのを避ける」ようにすることを推奨している。重要なことは、「言葉をすぐに行動に移すことだ」

行動は三つのラインに沿って起こされる。マクロな政治、流動性、規制である。

FMI(IMF)の算定によると今回の危機の規模は9450億ドルで、ユーロ圏の損失は、330億と見積もられている。

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投票所、携帯持ち込み禁止

Cellulare20hp_0 今回の総選挙では、投票ブースへの携帯電話の持ち込みが禁止された(4月13日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

これはカメラ付き携帯で自分の投票を撮影することを防ぐという意味がある。つまり、票の売買に、携帯のカメラが利用されるのを防ぐねらいがある。ただし、そのチェックは難しい。

各投票所には、携帯持ち込み不可の通知の掲示が義務づけられる。厳密にいうと携帯および撮影機能のある器具の持ち込みが禁止されている。

これに違反したことが明らかになった場合、投票所の選挙管理委員会の委員長は警察またはカラビニエーリを呼び、告発が開始される。300ユーロから1000ユーロの罰金または3ヶ月から6ヶ月収監されるおそれがある。

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未決定者、多くが棄権か?

Scheda_lombardia_cam投票日前日になっても、態度未決定の有権者が25%いる(4月13日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

態度未決定者(gli indecisi)の多くは、棄権すると見られている。

未決定者には少なくとも5つのタイプがあるとされている。

一番多いのは(約60%)政治に無関心な人々である。選挙があることは知っているが、自分はそこから縁遠いと感じ、自分の日常生活とは関係ないと考えている。

第二のタイプは(約25%)自分の支持政党は中道右派なり左派なりあるのだが、当惑している人。

第三のタイプは(約10%)怒っている人である。政治や政治家に嫌気がさしている人たちである。

第四のタイプは(約5%)他者の指示を待つ人である。

最後のグループは人数的には少なく(1%以下)、「公平な分析家」と呼ばれる人々である。非常に政治に興味はあるのだが、支持政党が必ずしもない。一人一人の長所、短所を評価して、「合理的に」選ぶ。

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イタリア、総選挙

Voto01g_2 イタリア上下院の総選挙が13日、14日に実施される(4月13日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

投票時間は、4月13日(日)の8時から22時までと、4月14日(月)の7時から15時まで。2日間にわたって実施される。

投票は、投票用紙に印刷された政党のシンボルマーク一つに×をつける。候補者の名前を書いたりすると、無効となる。ただしヴァッレ・ダオスタ州(上院・下院)とトレンティーノ・アルトアディジェ州(上院)は候補者か、それを含む四角に印をつける。

有権者は下院は18歳以上(成人)で、上院は4月13日時点で25歳に達しているもの。

有権者数は、下院が4729万5978人。上院が4325万7208人。

投票用紙は、下院がピンク。上院は黄色。一部地域で同時に実施されている地方選挙では県政が緑、市町村が水色となる。

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カジーニ:左右引き分けなら、自分が首相を

Casini_pierferdy UDC(キリスト教民主連合)のピエル・フェリディナンド・カジーニは、左右二大政党のどちらもが勝利をおさめることができなかった場合には、その難局にあたって国を導く用意がある、と語った(4月12日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

カジーニは、ベルルスコーニと袂を分かっての戦いなので、下院での4%の得票率、上院では州ごとに8%の得票率を得られるかどうかが、決定的な重要性を持っている。

上院に関しては、シチリア、カラーブリア、プーリアは確実な見込み。バジリカータもかなり良くいっていて、マルケ、ヴェネト、カンパーニャも同様。首都ローマを含むラツィオで8%に届くかどうかが決定的と見られている。

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海外在住者の投票、終わる

Mappa_mondo 海外在住のイタリア人の投票は4月10日に締め切られた(4月11日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

投票用紙はイタリアに運ばれ、開票作業は15日から開始される。

海外在住者で、下院の投票権を持つ人は、281万2401人。上院の投票権を持つ人は253万1563人。

海外在住者に割り振られている議員数は、下院12議席、上院6議席である。

海外在住者は、選挙の10日前までに領事館に届け出れば、自分のイタリアでの選挙区に対する投票にすることも出来る。

2006年、前回の総選挙における、海外在住者の投票率は、下院が38,9%、上院が39,5%だった。

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2008年4月11日 (金)

トリノにプリモ・レーヴィ研究所、設立される

Primo_070621112615291_wideweb__300x プリモ・レーヴィのセンターがトリノに設立された(4月10日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

プリモ・レーヴィ(1919-1987)が亡くなって21年かかったが、レーヴィはおそらくトリノが生んだもっとも有名な作家で、世界中に翻訳されている。

会長には、イタリアユダヤ人共同体連合を長年率いてきたアモス・ルッツァットが選ばれた。ルッツァットは、修正主義や人種差別の増殖するなかで、このセンターが生まれる象徴的、文化的、政治的な意義を強調した。

また、ここを訪れるのが、学者やレーヴィをよく知る人だけでなく、大学生や高校生といった若者がその教えを生きられるように訪れて欲しいとの願望を語った。

センター長は、トリノの歴史家ファビオ・レーヴィが就任する。

センターは、レーヴィに関して存在するあらゆるドキュメントを収集する方針。研究書、卒業論文、レーヴィに関する証言なども国際的協力の枠組みのなかで集めていくとしている。

本部はユヴァッラの建てた兵舎群を改装したところになる。そこにはすでに、いくつかの博物館が入居している。

(追記)
都合により、4月12日から14日まで、ブログ更新が不定期、もしくは不能となります。あらかじめ、ご了承ください。

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2008年4月10日 (木)

一人暮らし、600万人

Donnasupermercato イタリアで一人家庭が600万人になり、増え続けている(4月9日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

一人家庭(I singleと英語を用いたり、vivere da soli と一人で生きるというフレーズにしたり、見出しでは mono-famiglie という言葉を用いたりしている)のうち、離婚した人は27,1%、別居している人は11,1%。

年金世代では、未亡人、やもめで一人暮らしの人が多く、一人家庭の52,9%を占めている。

男女別に年齢構成を見ると、次の通り

男:45歳未満 43,6%
  45-64歳 28,7%
  65歳以上 27,8%

女:45歳未満 15,8%
  45-64歳 17,6%
  65歳以上 66,6%

女性の場合、長寿であることもあって、65歳以上の比率が顕著に高い。イタリアの一人家庭は、2007年現在597万7000人である。これは、家庭数でいうと全体の26,1%に相当し、大人の人数でいうと12,4%に相当する。

また一人家庭の総数のなかでの男女比は、女性が62%、男性38%となっている。

一人家庭の数は徐々に増加してきた。

1970年代 206万1978
1990年代 409万9970
2001年   542万7621
2004年   562万4000
2007年   597万7000

2001年の時点で、家庭数の4分の1が一人家庭になったという。これまで、一人暮らしの場合、スーパーマーケットで食料品などを余分に買わざるをえず、無駄がでることが多かったが、ようやく市場もそれに気づき、シングル向けのパッケージを作るようになってきた。旅行業界でも、一人旅の客の増加を受け、一人で泊まっても割り増し料金をとられないプランが増えている。

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デッルートリ:選挙で勝てば、歴史の教科書を見直す

Dellutri ベルルスコーニの盟友であるデッルートリ上院議員(社員)は、選挙に勝てば、歴史の教科書を見直すだろう、とYouTube でのインタビューで語った(4月9日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

You Tube の Klaus Davi (KlausCondicio)のインタビューに答えたもの。「歴史の教科書は、今日でも、レジスタンスのレトリックに彩られている。われわれが選挙で勝てば、見直すことになるだろう。これは、われわれが特別の注意を払うテーマだ」と語った。

さらに、ペンティートのブシェッタがマフィアであるとしているヴィットリオ・マンガノを「彼なりの英雄だ。私とベルルスコーニを非難する証言をすれば刑務所から出られたのに(そうしなかった)」と讃えた。

中道左派からは激しい反発をかっている。

マルチェッロ・デッルートリ上院議員は1941年パレルモ生まれ。ベルルスコーニのために、Edinord, Publitalia, Fininvest で働いた。

1993年にベルルスコーニとともに、フォルツァ・イタリアを創設した。請求書偽造や脱税では有罪が確定し、マフィアとの連携では一審で9年の有罪判決が出ている。

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ベルルスコーニ、検察官に精神衛生の試験を提案

Normal_berlusconi160407 ベルルスコーニは検察官が定期的に精神衛生の試験を受けるべきだと述べた(4月9日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

似たような考えは、中道右派が提出した司法改革案に含まれていたが、現政権に拒絶されていた。

これに対し、ディ・ピエートロは、「頭のおかしい者だけが、こんなことが言えるのだ。それにどうして、その試験は検察官だけに限定して、裁判官や首相候補者には広げないのか理解できない」と激しく反発した。

ヴェルトローニは、「国家(Stato)の感覚に乏しい」と非難した。

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ヴェルトローニ、ベルルスコーニに憲法への忠誠を求める

Normal_veltrocs190308 ヴェルトローニは、ベルルスコーニに憲法に対する忠誠を求める書簡を出した(4月9日)。

求めているのは4点で、イタリアの統一を守るためのもの。暴力を拒絶すること(ボッシが、投票用紙への不満を抱いて、変えないのだったら、銃にものを言わせるとの発言をうけてのもの)、憲法への忠誠、三色旗への忠誠、国歌(Inno di mameli)への忠誠である。

ベルルスコーニはこれは受け取れないと、素っ気ない。

ヴェルトローニは、われわれは、1982年のサッカー・ワールドカップと同じで、逆転勝利がありうる、と主張した。

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皮膚の細胞で、パーキンソン病の治療を

Celluleマウス段階だが、皮膚から取った細胞を万能細胞にして、そこから神経細胞をつくりパーキンソン病のマウスを治療することに成功した(4月8日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

細胞は「時間が元に戻って」、受精卵のときのようになり、そこからどんな細胞にでも分化できるようになる。この実験に成功したのは、ミラノのサン・ラッファエーレ病院とボストンのMIT(マサチューセッツ工科大)の研究者。

皮膚の細胞から万能細胞を作り出すことには日本の研究者たち(山中教授のグループ)が成功した。このたびイタリアとアメリカの研究者たちは、その技術を応用して、パーキンソン病のマウスの治療に成功した。イタリア側の研究者は、ヴァニア・ブロッコリとブルーノ・ディステーファノ。

治療はまず大人のマウスから皮膚の細胞をとる。次に、細胞の4つの遺伝子を刺激して、「細胞の時間を元に戻し」、万能細胞にする。こうして、神経細胞をつくり、それをパーキンソン病にかかったマウスに移植し、治療に成功したのである。

次の段階は人間への応用だが、それには時間がかかるようだ。万能細胞をつくる際に刺激している遺伝子が、腫瘍形成に関わっており、悪性腫瘍を発生させる可能性を高める危険性があるからだ。これからの挑戦は、この問題を克服することにある。

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2008年4月 8日 (火)

自由化の進展、不十分

Catricala 競争市場保護委員会の調査で、専門職業人の同業組合は自由化が進んでいないことがわかった(4月7日、Corriere Economiaー コリエレ・デッラ・セーラの付録ーによる)。

この記事の見出しは, L'Antitrust boccia gli Ordini:bloccano economia e giovani である。

競争市場保護委員会は、正式名称は Autorita' garante della concorrenza e della mercato であるが、長いので、新聞では単に Autorita' (正式名称の最初の部分を取っている)または Antitrusto(反独占ということで、意味から来ている)という略称を用いられることが多い。

Ordini は、同業組合で、労働組合(sindacato)ではない。たとえば、医師会のようなもの、つまり同業者の組織である。

というわけで、競争市場保護委員会は、70%以上の同業者組織を不合格にする。まだ、正式発表前ではあるが、調査の概要が明らかになった。

ベルサーニ法によって、公証人、弁護士、建築家等々の専門職業人に関して自由化が推進されるはずだったのだが、その自由化が阻止され、そのために経済や若者の参入を阻害しているのである。

特に、自由化が進んでいないのは、建築家、技師、弁護士、公証人で、今のところ合格点を与えられているのは、土地測量士、産業専門家(periti industriali)、臨床心理士・カウンセラー(psicologi) のみである。

同業者組織(Ordini)に関する調査は10年ぶり。14の同業者組織が調査対象となっている。

医者・歯医者、技師、弁護士、建築家、土地測量士、ジャーナリスト、薬剤師、臨床心理士・カウンセラー(psicologi)、会計士(commercialisti)、産業専門家、計理士(ragionieri)、労働コンサルタント、地質調査士(geologi)、公証人、以上の14職種である。

問題とされているのは、4点ある。

1.アクセス
 ベルサーニ法では、明確には、アクセスの見直しを規定していないが、競争市場保護委員会は、人数制限を問題にしている。特に、公証人と薬剤師である。人数制限は、競争を規制するものであるからだ。

2.価格
 価格の問題は、ベルサーニ法の核心であるが、もっとも抵抗の強いところでもある。同法は、最低料金の適用除外をもとめているのだが、同業組合は民法2233条を根拠に抵抗している。

3.宣伝
 ベルサーニ法では、職業専門人も宣伝が出来るようになるはずだったが、同業組織はそれをインターネットのみに制限している。公証人は宣伝も厳しく制限している。

4.複数の専門家のいる会社
 ベルサーニ法は、分野の異なる専門家が会社等を設立できるようにするものとしていたが、同業組織はそれに多くの制限を設けている。

 

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ハリーズ・バー、アメリカ人には割引

Harrys ヴェネツィアの飲食店Harry's Bar がアメリカ人の客には20%割引のサービスを始めた(4月7日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ドルはユーロに対して弱くなるばかり。そこでアメリカ人観光客を引き寄せるため、アメリカ人に対してのみ20%割引のサービスを、Harry's Barの店主アッリーゴ・チプリアーニは考え出した。

ハリーズ・バーはサンマルコ広場からすぐの所にあり、ヘミングウェイの頃からアメリカ人に人気の場所である。

彼らの動きが今年は鈍かったので、こうした策をとったとのこと。

ヴェネツィアの観光におけるアメリカ人の比重は20パーセントを占めている。

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モンカリエーリ城で火事

                                                     Castello_moncalieri_2Moncalieriトリノ郊外のモンカリエーリ城で火事があった(4月6日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

サヴォイア家の居城の一つで、もともとは1100年ごろサヴォイアのトンマーゾ1世が建てさせた。16世紀の半ば、サヴォイアのアメデオ9世の妻イオランダ・ディ・ヴァロワのもとで、城は拡張された。

この城で歴史的に名高いのは、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世が議会を解散し、モンカリエーリ宣言(Proclama di Moncalieri)を、1849年に発した場所であることだ。幸い、今回、文書は国立文書館に何年も前から収められており、無事だった。

歴史家ジュゼッペ・ガラッソによれば、状況はとても厳しかった。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世は30歳にならずに、父カルロ・アルベルトがノヴァーラでオーストリアに敗れて退位したのをうけ、王位についた。

1849年8月6日ミラノでハプスブルグとの和平条約が調印され、第一次独立戦争が終結したが、トリノの議会は条約を批准しようとしなかった。議会は、特に、ロンバルディア、ヴェネトで愛国的に戦った人がサボイア王国に逃げ込んでおりその保証を求めたのである。

そこで首相のマッシモ・ダゼーリオは王に議会の解散を求めた。王はその助言にしたがったばかりでなく、1849年11月20日モンカリエーリ宣言を発し、和平条約に賛成の議会をつくるよう促したのである。

これは、オーストリアとの関係からやむを得ない措置ではあったものの、大騒ぎとなった。

もうすでにアルベルト憲法が存在していたからだ。しかし、この憲法は1848年に発布されてまだ1年半しか経過していなかった。

ヴィットリオ・エマヌエーレの呼びかけは功を奏し、新議会は3分の2が和平条約賛成にまわった。ガラッソによれば、これはヴィットリオ・エマヌエーレ2世が決断と政治的能力を発揮した最初の機会で、こうした能力が後継者には欠けていたと思われる、とのこと。

火事の原因は電気のショートが疑われており、被害は1000万ユーロに及ぶと算定されている。

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2008年4月 7日 (月)

FilmItalia を救おう

Filmitalia 世界中にイタリア映画の配信をプロモートするFilmItalia が危機的状態にあり、救おうとするよびかけが41人の監督の署名入りでなされた(4月6日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

FilmItalia は、Cinecitta' Holding Group の一つであるが、7日に Cinecitta' Holding の理事会があり、FilmItalia の「会社としての単純化」が提案される。翻訳すると、世界中にイタリア映画をプロモートしているFilmItalia の機能を吸収するということだ。

吸収というのは、規模の見直しと歩みをそろえており、人によっては、閉鎖の一歩手前だという。

「これは良いニュースではない。それどころか、我が国の映画にとっての重大なリスクである」と40人(タヴィアーニ兄弟を別々にカウントすると41人)の監督が署名して、救済をよびかけた。

参加者は、ナンニ・モレッティをはじめ、映画人、監督、プロデューサなどで、アンジェロ・バルバガッロ、マルコ・ベッロッキオ、ダニエーレ・ルケッティ、ガブリエーレ・ムッチーノ、アンドレア・オッキピンティ、ガブリエーレ・サルヴァトーレス、、パオロ・ビルツィ、ウーゴ・グレゴレッティ、ジュリアーノ・モンタルド、フェルザン・オズペテク、セルジョ・ルビーニ、エットレ・スコーラ、ロベルト・チクット、サヴェリオ・コスタンツォ、パオロ・ソッレンティーノ、ジャン・ザナージ、チット・マゼッリなどである。

40人(または41人)は、「映画を作り、海外でのプロモーションにも直接利害の関わるものが参加せず、議論もせずに重要な決定が大急ぎで」なされようとしていることに、反対している。

署名者の大半は左派で、Cinecitta' Holding の幹部を批判しているわけだが、Cinecitta' Holding の幹部は、おおむね、元Ds や元マルゲリータで現民主党に流れ込んでいる。

Cinecitta' Holding の負債は、3500万ユーロで、そのうち2500万ユーロは、Mediaport(multiplex のチェーンで150のスクリーンを持つ)の売却が終わっていないことによる。

FilmItalia の吸収・合併は、署名者たちにとっては、グローバルな戦略を欠いたものであるし、一方、Cinecitta' Holding の幹部にとっては、集中をすすめて、資源の流出をおさえ、コストをカットしなければならない。

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ベルルスコーニ、投票用紙を批判

Scheda_2006 ベルルスコーニが今回の選挙で用いられる投票用紙が、有権者の混乱をまねくとして、印刷しなおしを求めている(4月6日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ベルルスコーニは、大統領に手紙を出し、内務大臣が要求を聞いてくれないとした。ディ・ピエトロもこの点では、同調して、投票用紙に印刷されている政党のマークの配置を変えて、印刷しなおすべきだとしている。

内務大臣アマートは、大統領から説明を求められ、ベルルスコーニ内閣の時に制定した選挙法にのっとって作ったまでだ、としている。また、再印刷はしない、「海外にいる軍人はすでに投票をすませている」。

投票をあと一週間に控えて(総選挙の投票日は4月13日、14日)、ベルルスコーニは投票が規則にのっとっているか否かの論争をしかけた。PDは静観の構えである。

アマート内相は、ベルルスコーニ内閣の時に制定された選挙法にもとづいて投票用紙を作ったのだから、「作った人は知っているはずだが…」と皮肉たっぷり。

(写真は2006年の投票用紙、選んだ政党のマークに×(crocetta)をつける)。連立を組んでいる2政党、たとえば、PDとIdvはくっついて隣り合って印刷されているのだが、その2つのマークの間に×をつけると無効票になる。どちらか1つの政党のマークの上に×をつけなければ有効票にならないのである。

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2008年4月 6日 (日)

カミッレーリ、ルペリーニを救う

Camilleri 作家アンドレア・カミッレーリ(写真)が、学者ルペリーニの小説出版を助けた(4月5日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

雑誌 L'immaginazione の最新号に掲載されたロマーノ・ルペリーニの《(個人的な)告白》によると、ルペリーニ(小説家ヴェルガや詩人モンターレの研究者)は、彼の第二の小説 L'eta' estrema をSellerio から出版することになった。

それはアンドレア・カミッリの仲介のおかげだというのである。ルペリーニの最初の小説 I salici sono piante acquatiche (柳は水生植物) がレッチェの Manni 社から出版される前も、何社もの拒絶にあった。エイナウディのマリオ・ラヴァジェット、ガルザンティのミケーレ・ランケッティ、ドンゼッリのジュリオ・フェッローニである。

エイナウディは、ルペリーニの想像では、アソル・ローザの自伝とぶつかると考えたのではないか。ドンゼッリは適切なシリーズを持っていなかった。ガルザンティは、この小説はあまりにも複雑で、多層的だとした。小さな出版社のほうがよい。フェルトリネッリも同じ意見。ボンピアーニとモンダドーリは返事なし。

それでもその小説は、その間に出たいくつもの小説よりも良かった。ぱらぱらとめくって読んでみればわかる。

今度の小説 L'eta' estremo は、さらにひどくなりそうだった。プロットや人物が《あまりにはっきりしない》という判断を下すものまでいた。3年の後、ルペリーニは(若い駆け出しの新人ではないのだが)、書き直し、削った。カミッレーリが気に入ってくれた、というわけだ。

しかし、この経験は、何十年も文学部教授として出版社の間を泳いできた学者にとっても、多くの教訓を含んでいる。かつては、ある程度の名声があれば十分だった。今日では、まともに取り上げられるためには、プロットと、30歳以下の年齢と、さらには一度もヴェルガもモンターレも読んだことがないことが必要なのだ。

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ブルネッロの《規則》

Brunello3 イタリアのワイン、ブルネッロ・ディ・モンタールチーノの製造に関するルールが紹介されている(4月5日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

モンタルチーノという町は、シエナの40km南にある。町は、オルチャの谷、アッソの谷、オンブローネの谷に囲まれている。(谷といっても、700メートル以下の緩やかな丘陵がうねうねと続いている)。

町には、2万4千ヘクタールのブドウ畑がある。モンタルチーノでは、有名なブルネッロ・ディ・モンタルチーノの他、ロッソ・ディ・モンタルチーノ、モスカテッロ、サン・タンティモを製造している。

ブルネッロの製造地:モンタルチーノ町に限定される。

ブドウの品種:サンジョヴェーゼ種。ここのサンジョヴェーゼ種は、sangiovese grosso と言われるもので、色が黒いことから《Brunello》と名付けられたのである。

精錬・ねかし:オーク、かしの樽に最低2年寝かせる。瓶につめてからは、最低4ヶ月(リゼルヴァは6ヶ月)ねかせる。収穫からは、最低5年が経過する。(リゼルヴァは6年)。

色:濃いルビー(赤)で、熟成とともに暗赤色(深紅色)になる。

風味:辛口、ややタンニンが強く、しっかりして、調和がとれている

最低アルコール度:12,5%

瓶詰め作業:製造地でのみ実施される

年間、700万本が製造されている。

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IMF:イタリアの成長率ゼロへ

Euro01g 国際通貨基金は、イタリアの成長率を0,3%へと下方修正した(4月5日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

国際通貨基金(FMIーFondo monetario internazionale, 英語ではIMF)は、イタリアの経済成長率を年初の予測0,6%から0,3%へと下方修正した。財政赤字は、国内総生産(PIL)に対する比率は、2,4%から2,5%に上方修正した。

ユーロゾーン全体に対しても、成長率の予測を1,8%から1,3%へと下方修正した。

しかしEurogruppo(ユーログループ)の議長ジャン・クロード・ユンカーは、正確でないデータに基づいているとし、反論し、ヨーロッパには、景気後退の危険性はないと述べた。イタリア銀行のマリオ・ドラーギ総裁も、過剰な悲観主義だとしている。

ヨーロッパの財政に関わる大臣の間の懸念は、インフレである。2008年は2,6%が予想されている。

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2008年4月 5日 (土)

政治家の身長

Berlusconi_putinベルルスコーニは自分の身長の描かれ方に不満をぶちまけた(4月4日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ベルルスコーニは語る「私は、アズナールやプーチンより背が高い。プローディと同様、1メートル71センチだ。それなのに、左派の新聞(の風刺漫画)では、わたしはいつも小人なのだ」

ちなみに、主な政治家の身長は次の通り。

シルヴィオ・ベルルスコーニ1m71cm

ロマーノ・プローディ 1m74cm

ヴァルテル・ヴェルトローニ 1m83cm

ピエル・フェルディナンド・カジーニ1m83cm

ウラジミル・プーチン 1m67cm

ニコラ・サルコジ 1m65cm

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ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、一部、出荷停止に

Montalcino トスカナのワイン、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは4社が出荷停止となった(4月4日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

出荷停止となったのは、Castello Banfi, Argiano, Antinori, Frescobaldi である。

捜査を受けたのは13社にのぼる。そのなかには Biondi Santi も含まれている。

出荷停止となったのは、2003年ものである(ブルネッロは5年寝かせることが義務づけられている)。

また、Castello Banfi はワインだけでなく、ブドウも押収された。容疑は、本来サンジョヴェーゼ種100%であるはずのブルネッロに、7ー10%、メルローやカベルネ・ソーヴィニョン種を混ぜたのでは、というものである。

ブルネッロの生産者たちは、捜査がすみやかに行われることを求め、ヴェローナでのワインの見本市(Vinitaly)で、デ・カストロ農業政策大臣に陳情した。

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スカラ座の《マクベス》不成功

Macbeth001 スカラ座の《マクベス》の初日は不成功だった(4月3日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

イギリスの演出家グレアム・ヴィックによる装置は、(数年前に)はじめて舞台にかけられたときに、大いに議論をよんだが、ほとんどはむなしいものだった。美術監督はマリア・ビョルンソン。

舞台は巨大な立方体で占められ、これが一つの頂点を中心に回るのだが、反対側は空いている。

ダンカンの暗殺はそこでなされるのだが、観客からは見えず、合唱や他の登場人物が外で悪態をつく。これは見物である。

しかし、見物なのはこれだけだとだれが想像したろう。音楽は、ハンガーをはずした衣服のようにグニャグニャになってしまった。

欠点を分析的に列挙する。この《マクベス》は、演劇的ー音楽的観点から根本的なもの、ヴェルディが《演劇的言葉》と定義したもの、言葉や同じシラブルでも、それを掘り下げることが欠けている。というのも、この意味でヴェルディが特別に豊かな発明をしたからだ。そのことをヴェルディや深く心にとめていたので、スコアには、とりつかれたように、声の発し方、望ましい声の表情、解釈の様式についての指示がちりばめられている。

この解釈の様式は、指揮者大野和士によって無視されてしまった。彼は、ちょっと気取って、完璧な音作りをすることにのみ専心しているように見える。だから、オーケストラを《演劇的な言葉》に従属させることはしない。

反対に、美しい音を得るために、声を凌駕してしまい、もともと欠点のあるヴィオレタ・ウルマーナ(マクベス夫人)や男性合唱の朗唱が何を言っているのかわからなくしてしまう。指揮者は、練習においては、朗唱の表情づけのコーディネーターであり、演奏においては、中心的な推進者兼緊張の管理人であるべきだろう。

本当に素晴らしかったのは、バレエと合唱の〈しいたげられた祖国〉で、これは切り離されたカンタータのように歌われた。

こういう人もいるだろう。要するに、彼は日本人なのだ、彼が悪いんじゃない。たしかにその通り、ではなぜ彼が呼ばれたのか?大野が昨年、ショスタコーヴィッチの《マクベス夫人》をスカラ座でかなりうまく振ったから、そこからの連想でとは思いたくない。

ヴィオレタ・ウルマーナは、このオペラがまるで純粋なベルカント・オペラであるかのように解釈しようとしている。その観点からすると、彼女のシのフラット、シ、ドのフラットは絞り出すような音になっていたし、低音部は他の領域と音色がそろっていなかった。彼女に与えられたもっとも重要な場面は、いわゆる夢遊病の修羅場である。彼女は本当に夢遊病のように甘美に、まるでロマンスのように歌ったが、最後のレのフラットは最悪だった。

バリトンのイヴァン・インヴェラルディは、一幕が終わったところで、レオ・ヌッチが具合悪くなり、急遽代役で登場した。彼の声がまだ発展途上であると良いが、そうであるとしたら、レナート・ブルゾンのへたな真似はよした方が良い。

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2008年4月 4日 (金)

アリタリア、エール・フランスとの交渉、決裂

Spinetta アリタリアとエールフランスの交渉は決裂した(4月3日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

エールフランス会長スピネッタ(写真)とアリタリアの労働組合の交渉は暗礁にのりあげ、スピネッタはパリに帰ってしまった。

アリタリアの会長プラートは辞表を提出した。

エールフランスに代わるところはないというパドアスキオッパ経済相の意見もあるが、新たな交渉相手としてルフトハンザ航空の名前があがってきている。また、エールフランスとの再交渉を期待する声もある。

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ブロードバンドの普及度

Adsl_copertura イタリアのインターネットのブロードバンドの普及状況は3つに分かれている(4月2日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

デジタル・ディヴァイドが、最初に現れたのは、2004年末の調査だった。当時、980万人のイタリア人は、adsl にアクセスすることが出来なかった。地域でいうと、カンパーニャ、ラツィオ、シチリアの他に、ピエモンテ、ヴェネト、ロンバルディアといった北部も入っていた。

以上は、2004年の話だが、2007年に改めて調査がなされた。2007年末、状況は、顕著に改善している。adsl にアクセス不能だった人は980万人から、340万人に減った。この改善は、主として Telecom Italia によるところが大きく、ついでInfratel (societa di scopo costituita per iniziativa del ministero delle Comunicazioni ) および州や地方自治体による。

adsl は94%の人に普及したのであるが、ワイドバンドの第2世代である光ファイバーとなると話は別である。つまり、映像、動画の配信に適した第2世代のワイドバンドとしては、毎秒20メガビットが目安となっている。この基準でいうと、2320万人、33%のイタリア人は、不利な状態にある。これに相当するのは、中・北部、ヴェネト、トスカーナ、エミリア・ロマーニャの人々である。

Osservatore Banda Larga によると、2010年には、98,5%の人が毎秒2メガビットの adsl にアクセス可能となり、87%の人が毎秒20メガビットのブロードバンドにアクセス可能となり、10%は50メガビットが入手可能になっているだろう、という。

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2008年4月 2日 (水)

2015年の万博、ミラノへ

Expo 2015年の万博の開催地がミラノに決まった(4月1日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ミラノは、トルコのスミルナと競い、86対65で勝利をおさめた。

これにより、ミラノには200億ユーロが投資され、再開発がなされる。

万博開催中には、2900万人がミラノを訪れると推定されている。

この成功に祝福気分につつまれたが、ベルルスコーニは、これはプローディの功績ではない、と冷や水をあびせ、プローディは、恥を知れと返した。

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ヴェルトルスコーニ

Veltrusconijpg2 アメリカの雑誌「ニューズウィーク」はイタリアはベルルスコーニとヴェルトローニの大連合が必要だとする特集を組んだ(3月31日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

Veltroni と Berlusconiを足して一つにして、Veltrusconi という架空の名前を作っている。写真も、モンタージュである。

これに対し、ヴェルトローニも、ベルルスコーニも、選挙で勝てば、連合でなく、勝ったものが統治するのだとしている。

では、こうした特集、大連合が必要だという考えはどこから来たのか。

UDCのピエル・フェルディナンド・カジーニが、「自分がこの考えをニューズウィークに与えた。彼らはとうとう理解した、4月14日の後でイタリア人が理解するであろうように。われわれは、前から判っていて、だから余計に意味がある」としている。

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増え続けるお手伝いさん

Badanti 老人や子供の世話をするお手伝いさんが増え続けている(3月31日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

イタリアでは、2030年には、3人に1人が65歳以上、80歳以上の人も10%に達すると推計されている。

介護の問題はどうなるのだろうか。今日、261万5000人の自立できない老人がおり、その多くが、colf あるいは badante と呼ばれるお手伝いさん兼介護人(その多くが外国人女性である)に、介護や生活の補助をたよっている。

地域的には、中部および北部に多い。《welfare fatto in casa》(家庭での福祉、手作り福祉)などとも呼ばれる。

2000年から2003年の間に、正式に認められた badanti, colf はボッシ・フィーニ法によって、13万4000人から40万人に増加した。いわゆる overstay をした人たちで、最初、観光ビザで入ってきて、それが切れても滞在を続けていた不法状態を、この法律によって整理したわけである。

2006年の終わりにも約25万人の家事労働者が合法化された。2007年には、17万人に滞在許可書を与え、そのうち、6万5千人分を colf, badante に割り当てる予定だったが、申し込みは71万1101人からあり、40万3500人が badante としてすでにイタリアで働いていて、老人や子供の面倒を見ており、申し込んだのだった。

きっちりとした統計はないのだが、イタリアでこうしたお手伝いとして働いている人は約200万人。イタリア人は20%。Inps(全国社会保障保険公社)に登録している人は74万5000人。

Irefの研究者ジャンカルロ・ズッカによると、こうした職業に従事する人の半分以上(56,8%)がヤミで働いており、Inpsへの支払いがまったく、あるいは一部なされていない。全面的なヤミではなくても、灰色(61,5%)状態で、労働時間が少なく申告されている。

出身地は、旧ソ連諸国(29,3%)、東欧(31%)、アジア(15,9%)、中南米(14,5%)、アフリカ(9,4%)となっている

補助する家庭のタイプは、一人暮らしの老人、老人世帯、老人をかかえる世帯の手伝い(56,7%)、子供のいる世帯の手伝い(32,6%)、子供のいない世帯の手伝い(7,8%)、片親世帯(2,9%)となっている。

仕事の内容は、全般(家事および介護)が51,9%、家事のみが14,4%、介護のみが4,1%となっている。

世話をする家族との関係は、一緒に食事をする(68,1%)、一緒にテレビを見る(67,4%)、誕生日を祝う(37,4%)、指図の受け答えのみ(3,2%)となっている。

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2008年4月 1日 (火)

ロバのパリオ

Somari トッリータ・ディ・シエナでロバのパリオが行われた(コッリエーレ・ディ・シエナの3月30日、31日を参照した)。

トッリータ・ディ・シエナはシエナから東南へ数十キロ、電車で1時間のところにある人口6000ほどの町である。

ここで、年1回サンジュゼッペに捧げるお祭り、ロバのパリオ(palio dei somari) が実施される。今年は、3月30日であった(日曜日に実施なので、毎年日がずれる)。

町は、トスカナの町によくあるように、丘の上にあり、駅からは1キロほど離れている。

午前中は、時代衣装をまとった人たちの行列がある。その後、行列をした人たちが皆、町の中心の広場にある教会にはいり、ミサがあげられた。

競馬ならぬ競驢馬は、午後4時から始まる。トッリータ・ディ・シエナには8つのコントラーダ(地区)がある。ロバのレースは、地区対抗なのである。コントラーダの4つは、城壁のなかで、4つは城壁の外の地区である。

競技の仕方は次の通り。抽選により、ロバが各コントラーダに割り当てられる。2つのコントラーダずつで4回の予選(レース)が行われる。広場に砂をしいて臨時に設けられた楕円形の馬場を三周する。騎手は、鞍をつけぬ裸ロバに鞭なしでのる。追い込みは、素手でロバの尻をたたくのである。

こうして、4つのコントラーダが予選を勝ち抜く。そのあと、負けた4頭がいっせいに走る敗者復活戦(ricupero)がある。その勝者を加えて、5頭で決勝が行われる。その5頭のなかの勝者がこのパリオの勝者で、パリオ旗を得る。

この説明を読んで、シエナのパリオと似ていると感じた人もあるだろう。そう、シエナのパリオが中世にさかのぼる祭り・競技であるのに対し、トッリータ・ディ・シエナのそれは、1967年に生まれ、特別パリオをした年もあるので、今年が50回目とのことである。

今回は Stazione という鉄道の駅のそばのコントラーダが勝った。観客は約5000人。

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イスラム教徒の人数、カトリックを抜く

Mecca180x140 ヴァティカンが公式にカトリックよりイスラム教徒の方が多いことを認めた(3月30日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

昨年すでに、アメリカの World Christian Database が推定していたことではあるが、ヴァティカンが公式にイスラム教徒の数が、カトリック教徒の数を超えたことを認めた。

イスラム教徒は13億2200万人おり、地球上の人口の19,2%に相当する。

カトリック教徒は、11億3000万人で、全人口の17,4%。イスラム教徒は世界最大の宗派となった。

この数字は教会の《libro rosso》(白書ならぬ赤書)が承認したもの。イスラム教諸国の方が出生率が高いことが、信者数逆転の最大の理由であると、教会関係者は見ている。

ただし、カトリックだけでなく、東方教会(ギリシア正教など)、プロテスタントをあわせたキリスト教徒全体でみると、地球の全人口の33%となる。

カトリックは、聖職者の数が700人増えた。増えたのは主にアジアで、フィリピン、インド、韓国、ベトナム、日本である。ついで、アフリカ。

イタリアでは、神父の数はほんのわずかに増えたが、修道女の数は減っている。修道女は高学歴化が進んでいる。

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時間銀行の利用者増える

Banca_del_tempo イタリアで時間銀行の利用者が増加している(3月30日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

時間銀行というのは、自分のできることを、誰かにしてあげると、その時間を貯蓄するという仕組みである。

もともとは、カナダで1983年にできた。

イタリアでは、1992年パルマで生まれた。

時間銀行全国連盟の会長マリア・ルイーザ・ペトルッチによると、「イギリスや、ドイツでも、時間銀行は、市場の論理のなかに存在しています。イタリアのオリジナリティは、1時間は1時間に相当し、どんな仕事やサービスかは関係ないということです」

イタリアには時間銀行が200あり、各ぎんこうは平均100人の利用者がいる。1990年代には男女比が女性90%、男性10%であったが、現在は女性66%、男性34%となっている。

時間銀行が多いのは、ミラノが41。ローマは26で、コムーネ(ローマ市)が10万ユーロを補助しており、7500人の登録者がいる。35歳から55歳の人が多い。

リミニにも4つの時間銀行があるが、市が5000ユーロを補助し、エミリア・ロマーニャ州が各銀行に800ユーロずつ補助している。

世代の異なる人が、出会う場ともなっており、年配の女性がボタンつけや裾上げを教えたり、子供の面倒をみたり、若い人がコンピュータを教え、移民が外国語を教えるといった相互交換の場となっている。

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