ディ・ステーファノ死す
偉大なテノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステーファノが亡くなった。86歳であった(3月4日、レプッブリカ)。
2004年アフリカで強盗に襲われ、意識不明となり、そのまま回復することなく、3月3日、帰らぬ人となった。
ディ・ステーファノは戦後のイタリアオペラのもっとも偉大な歌手の一人で、ジュリエッタ・シミオナートやテバルディとともに、世界にイタリア歌劇を知らしめた。
マリア・カラスとは、歌手としての共演のみならず、長年にわたって親密な関係をもち、最初の夫人マリア・ジローラミがのちに『わが敵マリア・カラス』を執筆することになる。彼女は、ブロンクス出身のイタリア系アメリカ人で、2人は1949年に結婚した。
ジュゼッペは、シチリアのカターニャ県サンタ・アナスタージアの出身だが、7歳のときからミラノで育った。父は靴職人、母は仕立屋だった。教会のセミナリオに入れられたが、こんなきらきらした眼をしているのでは、いつまで持つことやら、といわれ、その通りになった。
19歳の時、トランプで興奮してあげた声が素晴らしく、特別な声の持ち主ということになって、ピアノバーで歌うようになる。そして、スカラ座の天井桟敷にオペラを聴きに行くようになった。
その頃から本格的な歌のレッスンを受けるが、一方では、ニーノ・フローリオの名前で、通俗的な歌を歌って稼いでいた。
オペラ歌手としてのデビュ-は、1946年レッジョ・エミリアで、マスネの『マノン』でデグリューを歌ったのだった。その後、テノーレ・リリコとして、『真珠取り』、『リゴレット』、『友人フリッツ』、『椿姫』とレパートリーを広げていった。レパートリーはやがて、テノーレ・スピントのものにもひろがっていく。
カラスとの共演は1951年以来である。『ルチア』、『トロヴァトーレ』、『椿姫』(ヴィスコンティが舞台監督、ジュリーニ指揮、バスティアニーニがジェルモンの伝説的名演)がある。ドラマティコな役柄にもレパートリーを広げたことは彼の人気を一層増したが、一方で、彼の経歴の終わりを早めることにもなった。
1963年、ロンドンで『ボエーム』の出演を降りて、パヴァロッティに譲る。そこから舞台へ出ることがまれになり、大舞台からは引退する。
しかしマスターコースやカラスとのジョイント・コンサートでファンを喜ばせた。
| 固定リンク


コメント