『ランメルモールのルチーア』
日本でホームページにアクセスした時には売り切れであったが、現場ではボックスオフィスですぐに買えた。指揮はレヴァインのはずであったが、別の指揮者に交代であった。
ルチーアはナタリー・デッセー。存在感、歌、ともに可憐である。エドガルドはジュゼッペ・フィラノーティ(テノール)。当日の調子は絶好調とは言えない感じだったが、良いテノールで、好感が持てた。ルチーアの兄エンリーコはマリウス・クヴィーチェン。
クヴィーチェンは、はじめて接したが、見ごたえ、聞きごたえがあった。歌と演技のバランスが良い。歌の表情付けも過剰でなく、足りないところもない。様式観も端正で、イタリア語の発音もきれいである。ぜひ、また別の演目で見てみたいと思った。
ルチーアは意にそまぬ結婚話を兄に迫られて発狂し、婚約者を殺してしまうという悲劇だが、現代であれば、なぜ自分の好きな人と結婚できず、兄の決めた人と結婚させられるのか、という疑問が沸くだろう。時代と言ってしまえばそれまでだが、ここでは父ではなく、兄が家長としてふるまっており、妹に家の都合のよい相手アルトゥーロとの結婚をせまる。
兄妹であるが、父娘的な関係でもあると言えよう。兄は妹の心が読めず、あるいは読もうとせず、家運を傾けまいとするあまり、妹を狂気においこんでしまう。
ルチーア狂乱の場面は名高いが、今回はグラスハーモニカで伴奏されており、独特の音色がこの場面にぴったりであった。プログラムによると、この楽器はベンジャミン・フランクリンが1761年に発明したそうである。フルートで演奏されることも多いが(作曲者ドニゼッティ自身が許可した) 、音程や音色の不安定さが、ルチーアの心理状態を表現するのに実に似つかわしいと思う。
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