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2008年2月10日 (日)

中道右派、合意と裏切りの14年

Casa_della_liberta

中道右派の合従連衡の歴史が紹介されている(29日、レプッブリカ)。

1994327

Polo delle Liberta’ al Sud (自由の極:フォルツァ・イタリア、国民同盟、CCD)と Polo del Buongoverno(善政の極:北部同盟を含む)が選挙で勝つ

19951月 

北部同盟のボッシが自由の極を去る。

フィーニ:「ウンベルト(ボッシ)とはもうコーヒーも飲まない」

ボッシがベルルスコーニに「アルコーレのマフィアが北部にファシズムと南部主義を持ち込もうとしている。ベルルスコーニが裕福になった過程についての調査委員会設立を提案する」

1996年12月2

ローマのサン・ジョヴァンニ広場で中道右派のデモ集会。プローディ内閣の予算案に反対して、200万人が集まる。

2000

自由の家(政党の集合体、Casa della Liberta’)誕生(フォルツァ・イタリア、国民同盟、北部同盟、Ccd, Cdu

20011113

自由の家、選挙で勝利。2006年まで政権の座につく。

2001年―2006年

ベルルスコーニ内閣は、同盟関係の政党間の緊張にいろどられていた。

トレモンティ大臣は、国民同盟の攻撃にあって辞任した。

2005年にフォッリーニは、ベルルスコーニとの論争の後、副首相を辞任した。

200649日、10

自由の家は選挙に、2万4千票差で負け、連合の危機が訪れた。

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